第五話 炸裂する魔王呪文
「スカフリンねぇ」
ギルドから初めての依頼として紹介されたのは、近くの森の中に生息するスカフリンと呼ばれる魔物の討伐だった。
俺とイースは目的地である森林に入り、しばらくスカフリンを探していた。
スカフリン、可愛らしい響きではあるが魔物と言われているのだから、きっととんでもない生物なのだろう。
ふと、あのギルドの受付嬢に言われたことを思い出した。
『依頼書にスカフリンの詳しい説明をつけておきました。よく読んでください』
よく読んでください、と言われた割に読むのを忘れていた。
さっそく、丸めて握っている依頼書を開き、内容を確認する。
スカフリン五体の討伐。
「えー、スカフリンとは植物が発展した魔物で、その姿は我々の履く長靴に似ています」
「むぅ、聞いたことがない魔物だな」
魔王の娘のくせに知らないのかよ。
俺が読み上げた内容に、イースはしきりに首を傾げている。
「その体内に持つ触手を用いて獲物を捕獲し、体内に引きずり込みます。そして、内分泌液に含まれる強力な毒で対象を溶かし、栄養として吸収します」
「おお! 強そうではないか!」
「いや、危険すぎないか」
おそらく食虫植物の仲間なんだろうな。
たしかに危険ではあるが、わざわざ倒すことを依頼されるとは思えない。
だってたかが植物だしなあ。
俺がそう思っていると、視界の端で何か緑色の物が跳ねた。
「ん、何だあれ?」
それは大きなブーツのような形をした、緑色の表皮をした存在であり、しきりに、ぴょんぴょんと跳ねて移動していた。
これが、スカフリンなのか。
「これがスカフリンというやつか?」
「たぶんな、この説明書に書いてる絵にそっくりだ」
そう、まさしくこれがスカフリンに間違いはないのだが、問題はその大きさだ。
「俺の首ぐらいまであるぞ、あいつ……」
俺の想像ではせいぜい蝿を捕らえて溶かすくらいのイメージだったのだが、これほどの大きさともなると、人間も、あるいは家畜さえ体内に入れて、どろどろに溶かしてしまえそうだった。
なるほど、これは依頼が来るわけだ。
「さて、どうやって倒すんだ」
「任せろ。私の最強必滅魔王呪文がある」
「お前に任せるのは不安すぎるんだよ!」
「何故だ?」
「胸に手を当てて考えてみろ」
イースが胸に両手を当てて、こめかみにシワを寄せながら何やら思案している。
さて、俺はどうやってあのスカフリンとやらを倒せばいいのだろうか。
よくよく考えてみたら武器の一つも俺は持ってない。
素手で倒すしかないのだろうか。
その辺に転がっているちょうどいい大きさの石を拾い、拳に握り込む。
ゆっくりと、スカフリンの背後と思われる部分から迫る。
前に出っ張っている部分が前方だろう、たぶん。
「おりゃあ!」
渾身の一撃を叩き込んだ。
スカフリンの表皮が少し凹んで、上部に空いた穴から触手が現れ、俺は捕まった。
あまりにも早い運びで捕らわれた。
「おい、離せ」
脱出しようともがくが、まるで効果はなかった。
スカフリンの体内は件の内分泌液でぬるぬるとしていた。
中学校の理科実験で使った水酸化ナトリウムを思い出す。
手の甲に乗せる耐久競争を友達と行った後はちょうどこんな感じのぬるぬるが残った。
さらに、肌をぞりぞりと触手が何本も撫で回すもので、酷くくすぐったい。
頭だけが外に出ているので傍から見たら酷く不格好なことだろう。
そして、俺が恥を忍んでイースに助けを呼ぼうとしたその時、
「あ、どこに行くジン!」
「俺にもわからん」
これまでとは比べ物にならないほど機敏に、スカフリンが跳ねた。
俺はスカフリンの体内に捕らわれたまま、森の奥へと連れ去られた。
今更に気づいたのか必死に俺を追いかけるイースが俺の視界で小さくなっていき、ついには転んだ。
顔から落ちていた。
***
スカフリンが俺を運んだ先はどうやら奴らの巣だったらしい。
十体ほどのスカフリンが、俺を捕まえているスカフリンを出迎えるように、ぴょんぴょんとその場で跳ねていた。
獲物を狩った者への称賛の動きなのだろうか。
獲物ながらに誇らしい。
そして、一体のスカフリンが近づいたかと思うと、俺の顔を上部の穴から出した触手で顔をずるりと舐めた。
俺の背筋に悪寒が駆け抜けていった。
ああ、きっと俺はここでどろどろに溶かされるんだろうな。
そして、溶けて飲みやすくなった俺をこいつらで回し飲みするんだろう。
できることなら一人で楽しんでいただきたかったなぁ。
なんて、死に際の情けない感情が溢れてくる。
巡る走馬灯。ろくでもない記憶しかない。
特に、この世界に来てからは見たくもないことしか流れてこない。
「ジン!」
後方の茂みががさがさと動いたかと思うと、草木をかき分けて、桃色の髪をした、片方の角を鋭く立てた女が現れた。
そう、こいつこそが諸悪の根源であり、問題の人物だった。
しかし、今の俺を救えるのも、こいつだ。
「何とかしろ!」
「任せろジン! 今こそ回復した魔力を使う時!」
そう宣言すると、イースは両手を組み、よくわからないポーズを取った。
しかし、遠目に見ても伝わってくる確かな自信と、力強さがあった。
俺を睨みつけたまま、イースはこう叫んだ。
「最強必滅魔王呪文が一つ、『流星群』!」
大仰にイースは右手を振り上げた。
空気が震え、俺を撫で回していた触手もぴたりと動きを止めた。
しかし、それから数秒経っても、何も起こらない。
こんな光景、前にも見た。
「おい全然駄目じゃねえか!」
「ふっ……」
イースは一つ、含んだような笑いをすると、黙って右の人差し指で天を指した。
上に何かあるのか、そう思って空を見上げた。
思えば、先程からじんわりとした熱さを感じていた。
それはスカフリンの分泌液の影響かと思っていたが、実際には違った。
上空から、赤熱した隕石のような物が、迫っていた。
俺の真上にそれはあった。
つまり、このままだとあれは俺に直撃する。
「てめえこの野郎!」
必死に体をばたつかせる。
まさか俺ごと倒す腹積もりだったとは。
そして、俺が蹴り上げた膝が、スカフリンのイケない所に当たったのか、急速にスカフリンの拘束が弱くなった。
しめた。そう思って、俺はスカフリンの体内から躍り出た。
その直後に、あの隕石は地表に到達したらしく、背後からとてつもない爆発音と、衝撃。そして、爆風が訪れて、俺を吹き飛ばした。
***
土の味はあまり好ましいものではない。
吹き飛ばされた土砂に埋もれながらそう思った。
体を起こして爆心地に向かうと、緑色のところどころに焼け焦げた跡のある破片が、いくらか散らばっていた。
おそらくここにいたスカフリンは全滅しただろう。
俺はそっと両手を合わせた。
「ジン、無事だったか。流石だ」
地面に倒れているイースが満足そうに笑い、そう呟く。
自分まで吹っ飛ばされてたら世話ない。
「なんで俺ごとあんな魔法撃ったんだよ」
「あれしか思い出せなかったからだ」
白痴。何の関係もないがそんな単語が頭の中にぽんと浮かんだ。
「起こしてくれ」
イースが両手をこちらに投げ出す。
「自分で起き上がれよ」
「……魔族というものは、魔力を用いて身体機能を強化することで、強大な力を得ている」
「だからなんだよ」
「魔力を使いすぎて、全身に力が入らん」
「わかったよ畜生」
俺はイースを地面から引きずり起こし、背中に乗せた。いわゆるおんぶの姿勢である。
すると、とんとんと肩に指が何度か置かれた。
何の用かと振り返ると、
「この姿勢は好ましくない。前に抱えろ」
そういうことで、俺はいわゆるお姫様抱っこの形でイースを抱えることになった。
重いだのなんだのと、文句をつけてやろうと思ったのだが、イースは酷く軽かった。
それはもう、異常なほどに。
「魔族は身体機能のほとんどを魔力に依存している。だから内臓器官などが人に比べて少ない。だから軽いのだ!」
「ほーん、便利なもんで」
「しかし、やはりこの姿勢はいいな」
「お姫様抱っこがか?」
「うむ」
「やっぱお姫様だから好きなのか?」
「いや、より支配しているという実感が湧くからだ」
「落とすぞ」
「やめて」
帰る道中、何度かイースを落としてしまうアクシデントもあったが、俺たちの初めての依頼は成功に終わった。