第二話 眠れる森のイース
「とりあえず森を出ようではないか!」
イースが、嘆き俯く俺の顔を覗き込んで、そう言った。
鋭い目尻、梔子色の瞳が俺の視界に突然に飛び込み、驚いて尻もちをつく。
そして、そんな情けない自分の姿を客観的に顧みて、俺は口を歪めながら立ち上がった。
着ているジーンズについた小石やら土やらをはたき落として、誤魔化すように体を伸ばす。
「まあたしかにこのままいても仕方ねえ」
「ではどちらに行く?」
イースが森を指で指して、俺に今後の方針を仰ぐ。
うーん、そうだな。
何を言っているのかよくわからん。
「待て、なんで俺に聞くんだ」
普通に考えて俺はこの世界に初めて来たのだから、元よりこの世界の住人のイースが案内をするのが当然なのではないのか。
「いや、私もどこへ行っていいのやらわからん」
イースはあっけらかんと答える。
まるで悪気の一つも見せずに、さも当然のように言葉を放った。
薄々感じてはいたが、この女は少し頭が悪いのではないか。
「……何でだよ」
「この辺りに来たのは初めてだからだ」
俺も初めて来たよ。仲間だね。
なんてお優しい言葉をかける余裕は無い。
「それでも来た道くらいはわかるだろ!」
「来た道か……」
イースが一度瞼を閉じ、思案を始める。
折れた角を強く握りしめて、イースはぱっと目を見開く。
来た道を思い出すのにこんなに考え込むものだろうか。
「空だな!」
「お前を空にぶっ飛ばせばいいってことか?」
***
そもそも、何で俺が呼び出されなくてはならないんだ。
俺は別に頭が随分良いわけでもないし、運動神経が抜群に発達しているわけでもない。
顔だって眉目秀麗には程遠い。返り血が良く似合う顔と評されたことがある。
という疑問を森の中、木々の枝葉に撫でられながらイースにぶつけると、
「選んだわけではなく、運命で呼び出されたのだ」
イースに押しのけられて、しなった枝が俺の顔面を引っかく。
あと数センチずれていたら右目がやられていた。
ぽっきり枝を折っておく。
「運命?」
「まあくじを引くようなものだな」
「そりゃあとんでもない外れくじをお互いに引いたもんだぁ」
俺たちはどの方向に進むかを決めあぐねていた。
どうしたものかと悩んだ末に、神頼み、天に委ねた。
その辺の小枝を拾って立て、倒れた方向に進むことにした。
その結果こうして森林を踏み荒らしてどこへやらへと向かっている。
もう数十分は歩いたが、未だに鬱蒼とした緑の景色が広がっている。
いつまでスニーカーの底ゴムを酷使し続ければいいのか。
ちらりと後ろを振り向くとイースは汗をだらだらと流して、憔悴しきった顔で地面を見つめていた。
「おいおい、大丈夫か?」
「疲れた」
「そうか……」
この女にされた仕打ちを考えると、あの苦しみ様に対して、心の底から嬉しさというものが湧き出してくるような感覚がある。
溜飲が下がる思いだ。
「ふんふ〜ん」
鼻歌交じりに森を行く俺。
背後から聞こえる吐息がだんだんと大きくなってきた。
「休憩しよう、ジン」
イースが俺の肩に両腕を置いて、諭すように言葉を吐き散らす。
重心をこちらに傾けているのか、ぐぐっと体重がかかってきた。
その声に応えて立ち止まり、周りを眺めると、未だに木々は俺たちの視界の半分以上を占めていた。
せせら笑うように風にざわめく青葉が至極不快だ。
「そういえば、勇者って奴はどこにいるんだ」
足元の草むらを踏みならして、そこに座り込む。
足に溜まった乳酸がじんわりと広がっていくような感覚に、少し震えた。
「わからん」
「はいはい、もう慣れましたよ」
まあ大方の予想通り知らぬ存ぜぬだ。
こいつは何なら知っているんだろうか。
草むらにうつ伏せに倒れ込んで、その胸を変形させているイースに、力強い視線を送ってやる。
「とにかく、この森を抜けないことには勇者を見つけるどころの問題ではないのだ!」
「そうだな、そうなんだけどな……」
誰のせいでこんな不毛な行軍をしていると思っているのか。
これ以上イースについて考えると気が滅入って滅入って仕方がないので、ゆっくり休むことにした。
どこからか聞こえる鳥の声と羽音。
都会の喧騒に慣れすぎたシティボーイな耳には少し刺激が薄い。
「あの、どうしたのですか?」
突然に声がかかった。
少し低いが、女の声。
声の方に振り向くと、そこには背中に大きな籠を背負った女がいた。
銀色の髪、暗い赤の切れ長の瞳。先の尖った耳に、盛り上がった胸部。いわゆる、エルフというものなのだろうか。
「あー、えっと」
「こんな森の中で死にかけている男女がいて、もしかして無理心中かと思いまして」
「違います」
仮に無理心中をするにしても相手は選ぶ。
少なくとも、イースは無い。
「それではもう一度聞きますが、どうしたのですか?」
銀髪の女が首を傾げて俺に問う。
異世界から召喚されて、隣の女を魔王にする為に、世界を救った勇者を見つけ出してぶっ殺したいんです。なんて赤裸々に語れば、全力で不信感を煽る結果に終わるだろう。
「どうしたらいいのかわからないんです」
縋るように、少し憐れみを誘うような演技を込めて絞り出すような声でそう言った。
「なるほど、どうやら訳ありのようで」
「訳もなく来たんですけど」
「ひとまず、私の家に行きましょう。お連れの魔族さんもこんなところで寝ては風邪を引きます」
「えっ?」
イースの方を見ると、瞼をがっちり閉じてにやけていた。
口の端から垂れるよだれの跡が、太陽の光を受けて少し煌めいた。
こいつ、寝てやがる。
どれだけ疲れていたんだ。
「そちらの方はこの籠に入れて行きましょう」
「いいですね。詰め込んでやりましょう」
そうして俺は、謎のエルフっぽい人の籠にイースを詰め込んで、再び森の中を歩き始めた。
***
「あれが私の家です」
森を抜けた少しのところにその家はあった。
木造の丸みがあるシルエット。
ちょうどどんぐりの先から中腹あたりを地面に埋めたような形だ。
ヘタの部分、つまり天井が少し角張っているのがそれを想起させる。
その家の隣にはおそらく、馬小屋の類であろう小屋があった。
「そういえば、お名前は?」
「あ、中谷仁って言います」
「なかたに……」
籠を背負った女は顎に手を当てて、何か思うところがあったのかしばらく押し黙った。
「あの、何か?」
「いえ、私の思い過ごしでしょう。それでは私の方も名乗らせていただきます」
「は、はい」
何やら謎多き女性だ。
その立ち振る舞いや、言葉の一つ一つからミステリアスな雰囲気が溢れ出ている。
あと胸が大きい。
「シショーと言います」
「はい?」
「私の名前はシショーと言います。シショー」
「ししょー……?」
何を言っているのか理解ができない。
シショー、と言われても。
お間抜けな名前ですねぇ、としか思えない。
個人名としては不適格にもほどがある。
「まあ、よろしくお願いします。えーと、シショーさん?」
「……さんはいりません。シショーで結構」
こっちは結構じゃない。
もしかして、この世界はイースのアホといい、とんでもない奴らしかいないのだろうか。
あらためて、外れくじを引いたという気持ちが沸々と湧き上がってきた。