第十話 おかしな再開と子煩悩
俺は悩んでいた。
冒険者達で賑わうギルドの真ん中で悩んでいた。
それは、本日のギルドに俺達でもこなせる簡単な依頼が無いことでも、あの日魔道具を壊した責任を問われてこのギルドの支部長が変わったことについてでもない。
昨日の赤髪についてだ。
便宜上、昨日の赤髪を「あっひゃあ」と表す。
理由は無い。
「ジン。いつまでここに座っているんだ? 水しぶきが冷たいのだが」
「仕方ないだろ。何も見つかんないんだから」
噴水の縁で足を組み替える。
あの「あっひゃあ」は一体何者だったのか。
思えば名前さえ知らない。
名前を知ったとしても呪いくらいにしか使わないのだが。
それに、何故イースが現れた瞬間に慌てて逃げ出したのか。
その答えは「あっひゃあ」にあるだろうと考えたのだが、まあ、そんなわけがない。
おそらくだが、イースに何かしらの感情を抱いていたのだろう。
そして、それは恐怖である可能性が一番高い。
だとしたらあの「あっひゃあ」にも説明がつく。
仲間を襲っている現場を見られたなら恐怖のあまりあんな叫び声をあげるのも、少しはわかる。
奴があの後に俺がイースへ事情を説明したと考えたならば、もう今後はイースの報復を恐れて近寄っては来ないだろう。
まああの赤い髪はいわば自然界における警戒色の様な物と考えて、もしもう一度見えたら逃げ出すとしよう。
「ジン。今日は何もしないのか?」
「うーん。せめてもう一人戦力になる奴がいたらなあ」
「今から誘いに出向くか?」
「それもいいかもしれないがなぁ」
正直面倒だ。
昨日の赤髪の女を加えていたらこんな壁にはぶつからなかったかもしれない。
戦力として、奴自身の主張通りであったならば大いなる助けになっていただろう。
しかし、加えていたら加えていたで、とんでもない壁をおっ立てるタイプの女だ。
自分の判断は間違ってなかったと思いたい。
「あの、すいません」
「はい?」
俺が俯き、後悔の念を抱きかけていたところに、低い声がかかった。
面を上げると、適度に伸ばした黒い髭を丁寧に整えた男性がいた。
見る限り、年は四十いくらかだろう。
「そちらがイースさんですか?」
「そうであるが」
俺の隣に座る桃色の髪の女、イースを中年男性は手で指した。
目的はイースか。
「実は、あなた達のパーティーに入りたいのですが……」
「本当か!?」
イースが目を輝かせて立ち上がる。
立ち上がる過程で角の先が俺の頭皮をかすって痛みが走った。
患部を左手で抑えながら、件の男性をよく観察する。
俺よりもかなり高い背丈、分厚い肉体、使い込まれた革の胸当て。
どれを取っても強さの証明と言えるだろう。
「それでは向こうの食事スペースで詳しい話を」
「よろしく頼むぞ!」
***
ギルドには食事スペースがある。
人は動けば腹が減る。動かなくても腹が減るのだから、命を懸けて魔物を倒した後ならば、それはもうとんでもなく腹が減る。
というわけでお食事処がギルドに併設されている。
昔行ったデパートのフードコートの様で何やら特別な感情が湧く。
そんな冒険者達の安らぎの場の端っこの席で俺とイース、それに例の男性は座っていた。
「それでお名前は?」
「モナト・シュテンナーと申します」
「モナトさんですか、それで、俺達のパーティーに入りたいということで?」
「はい」
俺は小さくガッツポーズをした。
こんなに強そうで、その上経験も豊富に持っていそうな人がいたなら、これからの戦いは幾分か楽になるはずだ。
「――――――娘が」
「ん、ん?」
娘が、ってどういうことだろうか。
娘がいるから活動が限られる、という事情だろうか。
それならば仕方ない。
もう見た目からして良い歳なのだから、子供を大切にしたい気持ちはあるのだろう。
嫌な予感を打ち払う為に、そういった言い訳の思考がぐるぐると回る。
そうであってはいけない、それだけはやめてほしい。
「娘が、どうしたのだ?」
「娘が入りたいのです」
「どこに?」
「あなた方の所です」
「娘さんが?」
「はい」
「あなたでなく?」
「はい」
「じゃああなたはなんなんです?」
「商人でございます」
俺は驚愕した。
これほどまでに分厚い胸板は、魔物と戦う為に鍛え上げられたわけではないという。
いや、もしかしたら昔取った杵柄、過去には冒険者だったのかもしれないが、現在モナトさん自身は冒険者ではない。
つまり、娘の代わりに俺達とパーティーに入る交渉をしに訪れたのだ、このモナトさんは。
バイトの面接に親が来るようなもんじゃねえか。舐め腐ってる。
「それで、その娘は何故姿を表さない?」
「少々恥ずかしがり屋でして……」
「こちらとしても、姿も見せない人をいきなり仲間にするというのは」
「ああ、娘は強いですよ! リーザというのですけどね」
モナトさんは俺の言葉を遮り、強い口調で娘の事について語り始めた。
「剣の腕はもう天下一品。弓だって槍だって扱えますし、身のこなしも俊敏です」
「ほうほう」
イースが興味深そうに口を窄めて頷く。
まあ親の目線での評価なので、多少は脚色されているだろう。
そこまで信憑性の高い話じゃあない。
なので話半分に聞いておこう。
「それにこのギルドの選定では剣豪という職業を受けまして」
「おお!」
剣豪、どこかで聞いたことがある。
どこだったか、思い出したくない。
「強さだけは間違いないかと。さらに言えば美しい赤色の髪を持っていまして」
「赤色か!」
警戒色が来た。
逃げ出したくなる衝動をひとまず抑える。
剣豪で、赤い髪色。
かいた冷や汗が背中を伝う。
「し、しかしですね。一応背中を預けて戦っていく仲間なんですから姿も現さないというのは……」
突然、背中に何かが乗った。
結構な重さだ。
振り返る勇気は、俺に無い。
そうだ。モナトさんの娘さんは恥ずかしがり屋なんだ。
恥も外聞も捨てていきなり町中で剣を抜き、切りかかってくる人間を恥ずかしがり屋と形容するわけがない。
目の前に赤い糸の様な物が垂れ下がって来ているが、これは髪ではない。そうに決まっている。
「背中、預けてみたけど?」
耳元でそう、誰かが呟いた。
そして、モナトさんがこちらを見て何かに気づいた。
「おおリーザ!」
「ハロー、パパ」
頭の上から聞こえてきた声には聞き覚えがあった。
もう二度とは聞きたくなかった声だ。
「リーザ、こっちに来なさい。そんな姿勢では失礼だろう」
「はーい」
その明るい返事と共に、背中の重みが消える。
俺はへそへ視線を向けた。
そんなことがあるものか。
昨日の今日だ。
そんなまさか、あってはいけないだろうこんな奇運。
「よっこいしょ」
「女の子が座る時にそんなことを言うもんじゃない」
間違いなく、俺の前の席に誰かが座った。
先程まで俺の背中の上で寝転がっていた女が座っているはずだ。
俺は、思い切って視線を前へと向けた。
ああ、予想通りの最悪の結果が目の前に広がっていた。
まず視界に入ったのは赤色の、光沢ある髪であった。
よく手入れがされているらしく、柔らかに伸びていた。
そして、次に俺が視認したのは赤色の瞳である。
白目の真ん中は赤く、そしてところどころに暗く、一つの宝石を思わせる様なその芸術性の高さには身震いすら覚える。
最後に、意地の悪そうに、満足気に、にんまりとした満面の笑みが見えた。
「こちらが先程から話していた娘のリーザです」
「はじめまして」
リーザは白々しく、はじめましてと俺の目をまっすぐ見て言う。
「話は聞いたぞリーザ! とても強いのだな!」
「え、ええまぁ……そうですけど」
ここで俺はリーザの異常に気づいた。
明らかに先程までの生意気な会話の時と比較して、イースと話す際の声量は小さいのだ。
これはやはりイースに抱く畏怖の念が関係しているのか。
と、ここまで思考が進んだところで俺は見てしまった。
俯き、小さくイースへの返事をする彼女の顔は、髪色や目の色に負けないほどに赤く染まっていた。
これが、恐怖を抱いた人間のする反応とは思えない。
前提となっていた仮説が吹き飛んだことで、解決したかに思えた「あっひゃあ」の謎はさらに深まっていった。
「こらこらリーザ。目を見て話さないか」
「……無理です」
「嘘つけ」
先程まで、俺の目をじっくりと笑いながら鑑賞していた女の吐くセリフとは思えない。
「実はですね。イースさん」
「うむ?」
「リーザは人見知りが激しくて、これまで何度も他のパーティーに入れてもらっても失敗していまして」
リーザがさらに顔を赤くして机に突っ伏している。
何やら過去にあったことを思い返しているのだろう。
しかし、恥ずかしがり屋だとか、人見知りが激しいだとか、まるで信じられない。
リーザは見ず知らずの人間にいきなり剣を向けられるほどの豪胆さを持っている。
被害者が語るんだ。間違いない。
「ですが、イースさんのところには道化師がいるとか」
モナトさんがちらりとこちらを見る。
俺が道化師だってアタリをつけてるな。
大当たりだよチクショウ。
「道化師の方がいるのならば、場を和ませてなんとか仲間の方々と仲良くなれると思いまして、どうかお願いです。この子の面倒を見てはくれませんか」
「任せろ!」
「待て。俺は――」
反対だ。と言おうとした瞬間、俺達とモナトさん達の間にある机、その下に置いている足を踏まれ、俺は言葉を続けることができなかった。
突っ伏しているリーザが目をこちらに向け、じろりと睨んだ。
釘を刺したということだろう。
それにしてもイースめ、何を無責任に二つ返事で了承しているんだ。
苦労するのは結局俺なんだぞ。
というか道化師として場を和ませる技術なんかは持ち合わせていない。
期待されても困る。
しかし、それらの事実を伝える為に発言しようとすればまたもリーザの強襲を受け、撃沈。
それを何度か繰り返した頃だった。
「それでは、早速今日からよろしくお願いします」
「うむ! 安心してくれ!」
そうして水面下ならぬ机面下での戦いを続けていた間に、モナトさんとイースの間ではすっかり話の決着がついており、モナトさんはこちらに手を振って帰っていった。
保護者としてこの赤い暴君を連れて行ってほしい。
これは監督責任にあたるのではないだろうか。
「これからは三人だな!」
「そ、そうですね」
「……残念ながら」
こうして、俺とイースだけだったパーティーに、リーザが加わった。
「これからよろしく」
イースに隠れて、耳元で囁かれた一言が、酷く恐ろしかった。
これから先の俺の生活はどうなるのだろうか。
少なくとも、安心して過ごせる時間は減るだろう。
俺は天を見上げ、揺れるランプを見ながら、ため息を大きく、大きくついた。
「それでは早速三人で何かしようではないか! ジン! 再び依頼を探しに行くぞ!」
「……わかった」
俺の気苦労なぞ、まるで知ったことではないイースは元気に飛び跳ねている。
リーザの加入がそれほど嬉しいのだろうか。
俺はイースに追随して向かおうとした時、背後からぐいっと肩を引っ張られた。
そのまま先ほどまで座っていた椅子に収まる。
「待ちなさい」
どうやら手の主はリーザだったらしい。
先に口で呼び止めるべきではないか。
順序が入れ替わってしまっている。
「あんたには話があるから」
俺の目の前に赤い髪が揺れ、リーザが陣取った。
逃げ出すことさえ諦めて、俺はイースに伝える。
「一人で探してくれ。俺はリーザと話があるから」
「そうか……」
先ほどまでの能天気な笑顔を少し曇らせたかと思うと、すぐに同じように笑ってイースは俺達から離れていった。
「さて、話をしましょう」
リーザが腕を組み、こちらを見下すように顎を上げた。




