第一話 私を魔王にしてくれ
「私を魔王にしてくれ!」
桃色の髪の、側頭部からそれぞれ二本の角を生やした外国人風の女がいきなりそんなことを言ってきた。
いや、そもそもここはどこなのだろうか。
視界中に広がるのは緑の草原。さらには深緑の葉をつけた木々が立ち並んでいる。
つまり、ここはどこかの森の中ということになる。
しかし、俺は先程までコンクリートジャングルの端の方に、ぽつんと建つアパートの二階奥の湿っぽい部屋の真ん中で、かちかちのアイスキャンデーを手で温めていたはず、一体何がどうなっている。
疑問符ばかりが脳に浮かんでころころこぼれ落ちていく中、女はさらに言葉を続ける。
「よくぞ来たな勇者よ、名を名乗るがいい」
「ああ、はい。中谷仁っていいます」
「なるほど、ナカタニジンか。よろしくナカタニジン」
いや、俺は勇者と呼ばれるほど勇気ある存在だという自惚れなどはないが、この場にこのピンクの角女と俺以外に人間がいないとなると、必然的に俺が勇者という考えに至るわけで。
というか偉そうだなこいつ。
立ち振る舞いも気品漂うものだし、お姫様かなんかだろうか。
「私の名前はイース。イースと呼んでくれ」
「ああ、はい。イースね」
イース。なんだかおかしな名前だ。
それに名字も名乗らない。
名字の無い国出身だったりするのかこの角のアクセサリをしたコスプレ外国人は。
しかし、外国人の割には日本語が上手い。
「それでだ、ナカタニジンよ」
「あの、ジンでいいです」
「む、そうか、それではジンよ」
「はい」
どうやら本題に入るらしい。
ぴしりと腕を胸の前で組んで、かしこまったような顔つきになるイース。
その空気にあてられてこちらもきっちりと背筋を伸ばしてイースの紡ぐ言葉に耳を傾ける。
「まず、私がジンを異世界からこの世界に召喚した理由についてだが……」
「待て、この世界ってなんだ、異世界ってなんだよ。召喚?」
「私はジンのいた世界からジンをこの世界に呼び出した。召喚魔法でな」
しょうかんまほう。
召喚、魔法。
魔法。
魔法かぁ。
うーん現実離れしているというか、少し信じがたいというか、はっきり言って異常者の戯言に思えるというか。
この角や、桃色の髪、それに服装もファンタジックだ。
動物の革で作られた胸当て、そこからへそを出して短いスカート、それに腰には剣を納めている様に見える鞘。何よりこの角。明らかに普通でない。飾りか何かだろう。
わかった。これはアレだな。テレビか何かの撮影だ。ドッキリだ。
いきなり異世界に召喚されて良い気になってる俺を馬鹿にする企画だろう。
俺なら腹を抱えて笑うね。
「へえー、魔法ねえ。実は俺は魔法なんて見たことがないんだー。信じられないなー、魔法なんて」
「ならば一つ見せてやろう」
え、できちゃうの。
俺の焦りはどこへやら、イースを突然に右腕を振り上げ、高らかに宣言する。
「へかとんけいる!」
イースの声が森の木々を揺らし、ざわざわと葉をなびかせて、そしてその騒ぎも収まったところで、イースはゆっくりと上げた腕を下げた。
何も起こっていないように見えるのは、リハーサル不足か何かなのだろうか。
「……しまった。ジンを召喚するために魔力を使いすぎた」
「アホか」
思わず口をついて出る言葉。
深刻そうに顎に指を当てて何を言っているのか。
言い訳としては適当すぎる。
「まあ、いい。魔力なんて放っておけば勝手に溜まる」
「つまり時間が経ったら見せてくれるのか」
「そうなるな。期待して待っておいてくれ」
どうやらまだ粘るらしい。
まあせっかくの企画だ。
キリのいい所までは付き合ってやるか。
「それでは本題に戻るが、私がジンを召喚した理由は他でもない。私を魔王にしてもらうためだ」
「はいはい、魔王ね」
「うむ、魔王だ」
「そのために何をしろと?」
「勇者を倒してほしいのだ」
言い放たれた言葉をゆっくり飲み込んで、俺は一つの疑問が浮かんだ。
勇者って、俺のことではないのか。
「勇者って俺のことじゃねーの?」
「いや、たしかにジンは私にとっての勇者であるが、我々が倒すべき勇者は他にいる」
「つまり俺みたいな奴が他にいるってことか」
「そうなるな。そしてその勇者が我が父であり魔王であったイングスを討った」
「そうか、それは残念だったな……。まあ気を落とすなって生きてりゃいいことあるさ」
残酷な話だ。設定としてはよくあるものだが、悔しそうに目を伏せて語るイースの姿からは凄まじい悲壮感を受ける。
迫真の演技だなあ、と心の中で呟いて俺はありがちな言葉で励ますフリをした。
「何を他人事のように言っているのだ。ジン、お前の力であの勇者を倒しに行くのだぞ?」
「お前の力でー、って言われてもなぁ。俺ただの大学生だぜ。それも親から勘当された」
「安心するがいい。勇者という存在はこの世界に召喚された時点で特殊な力を得ているものなのだからな」
またもありきたりな設定。
どうせ伝説の剣が装備できるとか、禁じられた魔法をバンバン使えるとか、モンスターと仲良くなれるとか、そんな説明を受けるんだろうなぁ。
早く帰してほしい。
「はいはい。それで俺はどんな力を頂けるんですか。できれば魔法がいいかなぁ」
「わからん」
「はい?」
「私にもどのような力はジンに付与されたかわからんのだ」
「えっ、でもお前が俺を呼び出したんだろ」
「そうだが、わからんのだ」
「……」
突然に設定が王道を外れた。
わからない。で終わってしまっては勇者を倒す手段もわからないじゃあないか。
これからどうするんだよ。
なんだか、急に白けた。
もういいから帰してもらおう。
「あの、もういいんで帰してください」
「帰る? 一体何処にだ?」
イースを名乗っている女は首を傾ける。
いや、そんな心の底からわからないみたいな顔をされても困る。
「家に決まってるでしょうに。とっととカメラ止めて、別の人にあたってください」
「かめら?」
「いやもう、ほんとそういうのいいんで」
「ジン、悪いが帰す手段はわからんぞ?」
「まだそんなふざけたこと言うんですか。もういいです。無理矢理にでもカメラを止めます」
そう言って、俺はイースに近づき、その角を二本共に掴んだ。
これを外して、全部偽物ってことを証明してやるか。
「おい、何をするのだ離せ! 角は我々魔族にとっての象徴的な……」
「うるせえ!」
角を外そうと力を込めて引っ張るも、取れない。
まるで強力な接着剤で止められているかのように外れない。
「痛い痛い痛い!」
「黙ってろこの野郎!」
引いてダメなら押してみろ。
というわけで引っ張って外すのではなく、押して外してみようと力を込めた途端。
「うおっ!」
「いたぁ!」
イースが体勢を崩し、後ろにぐらつき、俺もイースの角に体重をかけていたのでそのまま同じくバランスを崩し、まだ朝露の残る草むらの中に俺たち二人は倒れ込んだ。
「あれ、なんか今変な感触があったような」
ばきり、といったような鈍い音だった。
音源はたしか、右手からだったような。
右手に目をやると、何やら尖った物が収まっていた。
というかさっきからずっと見ていた物だ。
「嘘、これ、角?」
「折れたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ぎゃんぎゃん泣き喚くイースはこの際放っておくとして、折れた角をよく見る。
なめらかな曲線を持ちながら鋭いフォルムをたたえ、そして何よりものすごく硬い。
まるで本物の角のように。
本物。
それにあのイースの痛がり様、あれは演技には見えない。涙とその他の体液にまみれた顔を草に押し付けて暴れる様から、俺はある結論にたどり着いた。
「……なあ、この角本物なのか?」
「本物に決まってるだろう!」
「じゃあ、俺が異世界に来たってのも、勇者を倒さないといけないってのも、どんな力を持っているかわからないってのも、帰る手段がわからないってのも全部本当のことなのか!?」
「だから、最初からそう言っているだろうがぁ!」
俺は草むらに倒れ込んだ。
立つ気力がなくなった。
つまり俺は、本当に異世界に来てしまったということになる。
こんな、泣きべそかいてる女の為に。
「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
俺の叫びは虚しく森にこだまし、返事は何一つなかった。