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006.私と向き合ってくれるの?

 その日の教室は異様な空気に包まれていた、気がする。

 朝から伊月と柳井が喧嘩したかと思えば、羽織先生は野外活動の班決めをしろという。普通の生徒にとっては盆と正月が一緒に来たようで、とても落ち着いていられるような状況じゃなかったのかもしれない。


 野外活動に限らず、団体行動の班決めというのは重要だ。しかも、一般生徒連中にとっては友情を確かめ合うようなそんな意味合いも少しあるようで、どうにも気持ちが悪い。僕はそんなトラブルの起こりそうな薄っぺらい関係性はリスクとしてしか考えない。中途半端な友情はいらない。


 だから僕はすんなりと誠と柳井の班に入ることができて助かった。あとは伊月凛がこの班に入るのを避けるため、もう一人誰でもいいから班員を補充するだけだ。しかも、伊月は朝から柳井と喧嘩している。こんな状況では伊月もうちの班に入りたいなんて言えないはずだ。


 その分柳井とは近づくことになるが、物は使いようで、彼女の天才的思考能力をどうやって楽して野外活動を終わらすか、に使ってもらおうと思う。運動は嫌いだ。なんで昼飯を食うために登山をせんといかんのだ。まったく理解できない。いずれにしろ、これで伊月からは逃れられたと、僕は確信していた。


 そう。伊月凛はこの班に入りたいと言えないはずだった。だが僕は大事なことを忘れていた。


「瀬野くん、あなたは私の班に入るのよ」


 昼休みの教室、それも落ち着かないムードで普段よりも静かだった教室を、切り裂くように響き渡った澄んだ声。


 僕は忘れていた。この女がとんでもないバカ女だってことを。

 前置きが長かった。状況を整理しよう。整理すればするほど伊月凛=バカの方程式を証明することになりそうだが、念のためだ。ピタゴラスの定理だって証明方法がたくさんあるんだから、気にする方が負けだろう。


 僕はいつものように誠と昼飯の学食で買ってきた菓子パンを貪っていて、誠は例によって僕の前の席に座るナントカさんの席を借り、学食名物おにから弁当大盛りを食っている。

 で、その脇でわざわざ誠の席から椅子を持ってきて、その椅子に柳井は腰掛け、シーチキンマヨネーズ味のおにぎりをもきゅもきゅ食べている。そんないつもと変わらない、去年から何度も見た風景だ。


 話題としてはもう一人誰を誘うか、というのと当日の昼飯をどうするのか、という二つがメインだったと思う。これも野外活動前としては至極当たり前の風景だと思う。

 その風景に、伊月凛は一石どころか爆弾を投じた。いやもう本当に、リスクヘッジのリの字も知らないような行動は控えてくれないか。そんなことしたらまた柳井が怒っちゃうんだから。


「ねえ、瀬野くん。聞こえなかったの? あなた、私の班に入るのよ」


 伊月凛は言いながら僕らの席へ近づいてきた。隣の柳井からにへへ、と気味の悪い笑い声が聞こえた気がしたけど、聞こえた気がしただけであってくれ頼むから。


「……教室で話しかけるのはやめろ」


「あ、そうだったわね。あなた、昨日リンク返してくれなかったじゃない。だから私もそんな話は聞かないことにしたわ」


 いやもうほんとにクラスみんなあんたが柳井に近づいた、腕組みして威圧的だって注目してるからさ、ざわついてるからさ。そんな注目集めてから僕に話しかけるのだけはやめてくれない?


「そうか。で、野外活動だけど僕はこの二人と組んでるから、もういいだろ」


 伊月は何かが嫌だったのだろう、右眉をピクリとさせて反論する。


「駄目よ。そんなことは関係ないの。あなたは私の班に入るんだって、もう私が決めたから」


「……僕の意志は関係なしってことかよ」


「あら? あなたは当然、私の班には入れてうれしいのではなくて?」


 いやー僕まで腹立ってきたよあははは。ここまでとんでもないことを自信満々に言い切れるのってある意味凄いと思う。


「すまないねえ伊月さん。瀬野くんはあたしたちの班の一員になったのだよ。もちろん瀬野くん本人がそう決めたんだけどね」


 うわあまた教室がざわざわしてる。ほんと喋んないでお二人さん。あなたたち、マジで注目されてますからね。その脇にいる僕と誠も含めて!


「何であなたはこの私から誘われているのに、微塵もうれしくなさそうなのかしら? まあ、あなたはそういうところが面白いのだけど」


 本気で分かっていないようである。右眉のぴくぴくは鳴りを潜め、代わりに小首をかしげて聞いてきた。仕草としてはめちゃくちゃ可愛かった。それをしたのが伊月凛なのだと言う事実が残念なだけだ。まあ、クラスの愚かな数名の男子は今のを見れただけで満足した様子だけど。


 で、しれっとまたシカトされた柳井はにひっとまた変な声を出したが、それを聞いた誠が柳井を制する。


「柳井お前、また変なこと考えてんじゃねえだろうな」


「べっつにー。ただこう何度もシカトこかれるとさすがに腹立ってくるっていうか」


 もどかしいんだよね、とすごく小さな声で続けて言ったように聞こえたけど、実際のところはどうか分からない。だとしたら、柳井は何がもどかしいんだろう。考えても無駄か、柳井の考えていることなんて凡人には理解できない。


「あ、そうだ。伊月、さっき先生にその態度治せって言われたばかりだろうが」


 誠はクラスメイトの信頼も厚い男だ。まじめすぎる性格のせいで頭が固いともいわれるし、僕もそう思うことが多々あるけど、それでもクラスみんなから信頼されている男だと思う。伊月はそんな誠さえも無視して続けた。

 どんだけ僕しか見てないんだよ……。


「何か言いなさいよ。あなたは私と一緒に野外活動をするの。異論があるの? それともないの?」


「異論? ……ありまくりだろ」


 怒りだった。


 誠は僕の唯一と言ってもいい理解者だと思う。柳井のことは……どっちかと言うと嫌いだ。だけど、半年以上は一緒にいて、怖い奴だと思うばかりだったけど、少しは情も移っている。そんな二人をないがしろにして、自分の班に入れとばかり言う伊月に覚えたのは、怒りそのものだった。


 伊月を罵る言葉。その存在そのものすら否定するような汚い言葉がのど元まで出かかったところで、僕はそれを呑み込んだ。ここで伊月を怒りのままに罵って、もし泣かれでもしたらどうだろうか。また伊月ファンクラブの出番だろう。本当にあるのか知らないけど、あると考えて行動すべきだ。


 だから僕は出かかった罵詈雑言を呑み込んで、心の奥底にしまい込む。無理やりにでも押しとどめて、何とかしたその瞬間に、パチン、と大きな音が教室内に響いた。


「な……あなた、今私に何をしたの?」


 柳井麗美が、伊月凛の左頬を右手で平手打ちにした音だった。それを見た誠が、血相を変えて柳井の両腕を抑え込む。


「馬鹿じゃないの! 瀬野くん困ってるじゃん! そんなに瀬野くんと同じ班がいいなら、あたしたちにお願いすればいいだけじゃん!」


「何……? 装飾品風情が、私を叩いたっていうの?」


 柳井の表情は必死だった。半年くらい前、僕にシカトされて、それでも僕の近くに落ち着いた、その時期でさえ見せることのなかった必死の形相だった。


「あのね、キミの考えてることなんて簡単に分かるよ! どうせキミは生まれた時から看板娘でさ、みんなが押し付けてくる理想の『伊月凛』に押しつぶされそうになってるだけでしょ? そんなつまんない人生捨てちまえよ! 学校でくらい素のキミでいるほうが絶対楽しいよ?」


 これには伊月も驚いたようで、一瞬そのすべてを見透かしそうなほど鋭い凛とした瞳が見開いたが、すぐに元に戻り、そのうえで右眉がぴくぴくと動く。どうやら思いっきり図星を突かれてご立腹の様子だ。


「そんな事分かってるのよ! 何よ知ったような口聞いて! 私がどんな立場にいて、何を求められるかなんてことを知らないからそういうことが言えるのよ!」


 この二人は犬と猿であり、水と油なのだろうか。そう思うほど、今朝から怒鳴りあいを繰り返す、この二人の仲は悪すぎる。


「そんなこと知らないよ! だってあたし、伊月さんと話したことないし、本当のキミも見たことないんだもん! 何か悩みがあるんなら聞くからさ、解決するからさ。まずはちゃんとあたしたちのことを見てよ。あたしもちゃんとキミと向き合うから」


 伊月はまたも、はっとしたように目を見開いた。その顔からは憑き物が取れたかのように、怒りの色が消えていたし、右眉も動かなくなっている。


「本当に? 本当にちゃんと私と向き合ってくれるの?」


「当り前だよ!」


「てか、人間関係ってのはそこから始まるもんだろ。分かってなかったのか? なんなら俺も一つ噛んでやるよ」


 当然だよ、とでも言いたいように胸を張って答えた柳井に続いて、不敵な笑みを浮かべて言った誠。


「本当に本当ね? あなたたちは本当の私を見てくれるのね?」


 柳井がやりたかったことっていうのはこれだろうか。

 確かに伊月の言う通り、彼女のことを自分の身に着けるアクセサリーのように扱う連中がクラス内にいることは事実だろう。柳井はそれも知っていた。だから、柳井なりに信頼できる、僕らの関係性の中に、その中だけに伊月を取り込む。一連の柳井の怒りがそのための演技だったとしたら、辻褄は合うと思うし、やっぱり柳井はジャンヌダルク的な誰かの生まれ変わりなんだと信じざるを得ない。


 だけど僕個人としては、それは嫌だ。必要最小限に抑えてきた学校内での人間関係に、悪目立ちするお嬢様が入ってくる。下手すると今度は僕がイジメの標的にでもなってしまうかもしれない。そのリスクは負えない。僕はどういわれようと伊月との関係性を深く共有する気はない。


 柳井は結構僕のためになる行動をしているってことを覚えとけ、と言っていた。だが、柳井麗美という存在は僕から見れば魔女かそれに準ずる何かとしか思えない。なので、簡単にその言葉を信じることはできない。柳井と同調すること自体がリスクたりえる可能性は否定できないから。


 だから、伊月の問いに対する僕の答えはこうだ。


「僕はお前と仲良くなるなんてリスクは負いたくないし、別に本当の伊月なんてものに興味もないけどな。僕は自分の思うようにやるし、柳井も誠もそうしたいって言ってんだ。だからさ、お前も二人と仲良くしたいと思うんなら、その二人くらいは信じてみてもいいんじゃねえの?」


 遠回しに自分は伊月凛とかかわりたくはない、と伝えた割には普段僕の周りにいる奴らと仲良くしてもいいんじゃないか? と言う。我ながら矛盾した内容だと思う。だけど、それでいい。クラス中から注目されている今、この流れで伊月を全否定することは、それこそクラス全体を敵に回すことになるから。その選択肢こそ一番の策だと思う。


 いつだって僕は、リスクを最小限に抑えたいのだから。

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