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005.キミのほうが間違っていると思うよ

「あー……えっと……あれだ。君たち、朝っぱらから何を騒いでいたんだ」


 羽織先生は開口一番、教卓に両肘をつき、面倒くさそうに顎を両手に乗せて言った。普段からどんよりしている銀縁眼鏡の奥の瞳は、ことさら濁って生気が雲隠れしている。面倒ごとはこれ以上よしてくれ、と僕らに訴えかけているような目つきだ。だが、それなりに顔つきは厳しく、去年から先生とは付き合いがあるが初めて見るほどには怒っているようだ。


「知らねっすよ。なんかいつの間にか柳井の奴と伊月さんが喧嘩してたっつーか」


 教卓のすぐ前に座る茶髪のチャラついた男子が答える。いかにもめんどくさそうに、どうでもいいから早く終わらせてくれ、とでも言いたそうな口ぶりだ。全クラスの生徒の目の前でその態度をとれる神経が分からない。


「そうか……そうだな。伊月、松尾の言うことは正しいのか?」


 男子生徒の名は松尾と言うらしい。基本的には仲良くしたくはない感じである。不良そうな連中と絡むリスクは高い。偏見全開だけど仕方ない。疑ってかかることでリスクは未然に防ぐことができるから。


「まあ、私のことを柳井さんがいきなり悪く言ってきたから、ついカッとなってしまったことについては謝ります」


「んー……そうか。柳井はなんでそんな事したんだ。君は……あー……そうだな。賢い生徒だと思っていたが」


「いやー仲良くなろうと話しかけてんのにシカトこかれましてですねぇー」


 泰然自若とし、堂々と答えた伊月と、おどけた様子で適当に返した柳井。お互いの態度がお互いを刺激したようで、座席が教室の端から端ほど離れている二人の視線がぶつかった。いや怖いよ二人とも。仮にも美少女がしちゃいけない顔だと思うよ。


「よさんか。えー……なんだ……あれだ。伊月は自分の態度を改める。柳井はそんな小さなことで腹を立てない。これでいいだろ。まだ何か言いたいことがあるなら放課後に職員室に来い」


「……反省します」

「ごめんなさーい」


 羽織先生は形式上、これで手打ちにした。が、人と喧嘩するなんてのは非常にリスクの高い行為だ。クラスで喧嘩なんて、僕が高校生活三年間で絶対にしたくないことの五本の指には入ってくるぞ。


 僕にはこの後どうなるかが読める。特に伊月なんて、この二年三組に居場所をなくしてもおかしくないくらいの行動をしている。


 あれだけわがままな本音を叫んでしまったのだ。まずは心無い男子、あるいは僕と同じように伊月のことを良しとしない男子のうち、愚かな者が彼女をイジリ始める。あらかた物まねでもするのが鉄板だ。笑いの対象としてデフォルメされた物まねが、本人の前でこれ見よがしに行われる。


 女子連中は飾り物としての価値をなくした伊月からは、同時に興味もなくす。おそらく無視か、あるいはそれに近い何かをされるだろう。


 今回ばかりは、柳井に言いたいことがある。


 お前は甘い。


 もし伊月をクラスになじませたかったのなら、このやり方は間違っている。あれだけのことを言わせてみんなが伊月と仲良くなるような性善説を、僕は信じない。伊月に待っているのは集団からのイジメか、あるいは無視に近い何かか。とにかく柳井はクラスの人間を信じたようだが、信頼なんてものは理論を考える上では捨てるべきだ。


 学生ってのは愚かな存在なんだよ。僕はそれを見るたびに反吐が出るほど嫌な思いをしてきたし、だからそんな対象にならないようにリスクマネジメントを徹底してきた。


 なので、僕はさらに伊月凛との距離を置こうと思う。そんな対象と仲がいいとは思われたくない。それを救おうとも思わない。傍観者に徹することは悪かもしれないが、それで平穏が手に入るのならばそれでいい。


 最低な考えかもしれないが、最善な考えだとも思う。


「おい……お前だ。瀬野、瀬野! 返事をしろ瀬野」


「あ、はい」


「曽根田ー」


 考え事をしていたら、自分に出欠の確認が回ってきていた。返事をすると同時に現実に引き戻され、柳井と伊月のほうを順番に見やる。どちらもいつもと変わりない様子だ。いや、伊月凛の普段は見ていなかったので知らないが、柳井は普段と変わらない様子で朝礼に参加しているようだ。


「吉村ー」

「はい!」


 女子生徒が甲高い返事をして、出欠の確認は終了。羽織先生は次の連絡事項は何だったか伝えるのに言葉が見つからないのか、うーん、あれだ、とひとしきり唸ってから言葉を紡いだ。


「うーん……えっと……あれだよ……あれだ。来週末に野外活動があるのを、みんなは覚えているな。なんか今朝から揉めたみたいだが、その班決めをそろそろしなければならない。四人一組だ。なんとなく、でいいから今週の金曜までに誰と組むか決めておいてくれ。金曜はちゃんと十組決まるまで帰れないからな、ちゃんと決めとけよ」


 えー、横暴だー、とクラス中に広がる不満の声。

 かく言う僕も、この決定にはいささか不満だ。いや、誰と組むかどうかなんてたいていは決まっているが、金曜に全員が決めるまで帰れないってのが納得いかん。自分の事だけを考えていても解決にならないじゃないか。具体的には、早く帰れないリスクと、クラス全員の組み分けを決めるために生じるリスクの取捨選択をしないといけない。


 僕は咄嗟に誠のほうを見た。伊月の三つほど後ろの座席で、僕の右隣の列の僕より二つ前に進んだ席だ。誠は僕を指さしてきたので、僕も誠を指し返した。おそらくこれで誠と組んだことになったはずだ。


 誠はそのまま教室反対側の端の列前方に座る柳井を指さした。その瞬間に自分の顔が嫌そうにひん曲がるのが自分でも分かったけど気にしない。すぐに柳井を見ると、柳井も誠を指さし返していて、その次に僕のほうを見てニコッと笑い、小さく手を振ってきた。よろしく、の意味だろうか。少し可愛かったけど、彼女が悪魔だってことを僕は知っている。騙されないぞ。


「ええ……あれだ。静かにしろ。静かに」


 羽織先生に言われて静まった教室。結構いい子が多いのだろうか。基本誰とも話さないから分からないけど。


「あの……あれだよ。野外活動は近くの山の麓から三百メートルほど登ったキャンプ地で、昼飯を作って食って戻ってくるって内容になっている。だから……あれだ。昼飯に何を食うのかとか、登山に当たって準備するものとか、グループができたらそういうことまで話し合っておくように」


 うーい、と数名の男子生徒がやる気のない返事をしたところで朝礼は終わりを告げた。終わりの挨拶が終わるや否や、柳井麗美はまた僕の席までやってきた。


「今度は何だよ……てか何のつもりだよ、お前は教室中をひっかき回して」


「別に? あ、でもあたしはいつだって基本的にはキミのためになる行動をしてると思うよ。そのほうが面白いから」


 羽織先生の悪い癖が言葉が出てこず冗長な語り口になることだとすれば、柳井の悪いところはクッソ頭がいいのに面白い面白くないでしか物事を判断しないことだ。で、面白いと思えば今さっきみたいに変で大胆な行動に出ることも厭わない。そういうところがまたこの女の怖さを強調している。


「僕は何も面白くなかったけどな。ハラハラしただけだし、それにお前のやり方は間違っていると思うぞ」


「へーえ。果たしてそうかな? キミはきっと何かを誤解しているね。あたしからすればキミのほうが間違っていると思うよ」


 うわ出た。例の気持ち悪い笑顔だ。いったい僕の何が間違っているのだろうか。伊月がイジメ的な何かの標的になる理論は間違っていないはずだが……。

 そう疑心暗鬼にさせるほど、計算高いのが柳井麗美だ。柳井麗美が間違っていると言えば、それは間違っている。だから怖いんだ、この女と話すのは。


「たぶん、まだ何もわかっていないようだけど、すぐに分かると思うよ? 私のやりたかったこと」


「お前は僕の言いたいことが分かってんのかよ」


「うん。あらかた、このままだとあたしが周りと仲良くさせようとしてた伊月さんが逆にイジメられるぞーとか、そんなのでしょ? でもそれって瀬野くんらしくないよね」


 いやなんなのこの人。マジ怖い。どんなもの食ってればそんなに頭が回るようになるわけ? あ、同じグループだし野外活動の昼飯こいつに決めさせようか。どうでもいいか。


「……さすがにお前って存在が怖くなってきた」


「そりゃああんだけ伊月さんが喚いちゃうとね、リスクヘッジしか能のないキミはそんなことしたらイジメられるぞって考えちゃうでしょ。で、キミはあたしが間違ってると言ったね。つまり君が本当に考えたのは伊月さんがイジメられるってこととは逆の事。なのでキミから見たあたしは、伊月さんの本音をクラスみんなに知らしめることでクラスになじませようとした。これが正解ってこと。簡単な推理だよ」


 全然簡単な推理じゃないです。てか何言ってるか全くわかんねえ。本当は根拠もなくてテキトーなこと言ってて、それが偶然当たってるだけじゃないの? そっちのが怖いか。


「まあ、すぐに分かるさ。あたしはいつだってキミの面白さを見ていたいから、キミのためになることなら結構いろんなことしてるって覚えておいたほうがいいよ」


 なんでだろうなあ。

 なんで僕が避けようとするヒロインたちはみんなどこかがぶっ壊れていて、関わらないようにすればするほど関わってくるんだろうなあ。


 そして、柳井の言う通り、柳井のやろうとしたことはすぐに分かってしまうのであった。


 結論から言う。本当になんて余計なおせっかいだ!


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