049.あなたは魔女ではなくて?
その日、唐突に両応援団の活動休止のニュースが学校中を駆け巡り、僕たち育祭実行委員の活動は夜七時前の下校時刻ギリギリまで続いた。その間、松葉先生がなぜ中止になるのかしつこく聞いてきたが、僕たちは応援団内部の問題で良く分からないとしか答えず、しらを切り続けた。
応援団演武の中止のおかげで空いた昼食後の一時間の枠は僕が思い付きで発言した借り物競争と、一時怪我のリスクから廃止になっていた大玉ころがしが復帰。この二つで何とかお茶を濁す形と相成った。
陸上競技の予選会が実施される金曜日以降の委員会活動は全て会場設営の肉体労働に割り当てられることが決まっているため、この競技案の修正などは今日を含めて木曜日までに修正を完了し、各所へ通達する必要があった。なので、今日の委員会活動は大忙しで、気づいたらもう七時前になっていたというわけだ。
完全に日の落ちた校門から、いつものように伊月と縦に並んで帰宅する。応援団の中止が決まってから伊月はどこか元気のない様子で、いつものわがままお嬢様っぷりは影を落としている。黙ったまま少し星洋町駅へ向かう大通りを歩いたところで、道の角から私服に着替えた柳井がひょっこりと顔を出した。
「うお、出たな魔女め」
「麗美ちゃん……どうしたのかしら、こんなところで待ち伏せて」
「どもどもーこんばんはー」
僕たちは疲れ切っていたため柳井の高めのテンションに合わせられず、めっちゃテンション低めに会話をし始めていたが、柳井はお構いなしに言葉を続けた。半そでの白のパーカーに青のジーパンのいでたちは、普段目立たない柳井のスタイルの良さを強調していて、やましいことを考えているわけではないのにどこかに視線をそらしてしまう。
「いやー今日は会議みたいなやつに参加させてくれてありがとね。おかげで何となく今回の犯人が分かってしまったのだよ」
柳井が現れたのを見て歩き出した僕らに加わり、前列の伊月の隣を歩きながら柳井は言う。それに反応したのは同じく前列を歩く伊月だ。
「それが分かったところで、もう応援団演武は中止になってしまったわ。もう犯人捜しする意味はあまりないのではなくて?」
伊月の発言を聞くと、また柳井はにひっと嫌な声で笑った。この笑い声からの低音ボイス。もうほんと怖いからやめて。その矛先が僕に向いてないだけまだましだけど。
「凛ちゃん、キミは本当に自分が狙われてるって自覚ある? あの脅迫状には応援団を元に戻せって書いてあったんだよ? すると今回どうだい? 要求とは全く逆。応援団の完全休止まで追い込まれてしまったよね」
「ええ、そうね。でも、それで一件落着よ。応援団として私に復讐……なのかはわからないけれど、団体として妨害することはもうできないはずよ」
伊月はいつものはきはきした様子ではなく、どこか疲れたような歯切れの悪い言い方で柳井に返答する。
「そうだねえ。応援団として何かしてくるって書いてあれば、これでいいのかもしれないけど。あの脅迫状のどこにもそんなことは書いてなかったよね? 最悪、個人で凛ちゃんに何かしてくる可能性もあるんじゃないの?」
なるほど、柳井の言いたいことは分かった。ただ、それを議論するならば、僕からも疑問が一つある。
「柳井よ、応援団関係なしに伊月に何かしようとする奴ってことは、そもそも応援団関係者じゃない可能性ってのもあるってことか? それだったら今日応援団を中止させたことに意味は全くないんじゃないか?」
僕の質問を聞くと、柳井はまたにひひと笑う。
「瀬野くん、そうじゃないよ。あの脅迫状を送ったのは、おそらく応援団内部の人だ。それも、凛ちゃんにかなりの執着や私怨を持っている人だね。そして、最初に応援団規模の縮小を訴えた凛ちゃんには、応援団内部の人は一定数支援を持っている人がいてもおかしくないよね? そして、キミのことを凛ちゃんの彼氏かそれに準ずる存在だと見込んで君に脅迫状を渡した可能性があるってことは、凛ちゃんにかなり執着している人の可能性があるってことだよ」
柳井は今回、僕たちにも分かりやすく人物像を解説してくれている。普段の柳井は、その発言すらぶっ飛びすぎていて言っていることの半分くらいは訳が分からない。だけど、今日は柳井の発言は非常に分かりやすかった。
「それで麗美ちゃん……犯人は誰だと思うのかしら?」
「そうそう。それなんだけど、確率としては三割くらいかな? 一応、最大で全校生徒が容疑者の可能性があるってことを考えるとかなり絞れているほうだと思うよ。だから、凛ちゃんも瀬野くんも、これからこの人のことを警戒しておいてくれるかな」
通学路の途中にある、小さな公園。遊具はブランコとジャングルジムくらいで、あとはベンチが三つ並んでいるだけの公園だ。星洋町公園というこの公園に、柳井の説明を聞くために僕らはそのこじんまりとしたベンチに腰掛ける。並んで腰かけた僕らに、柳井は解説のタクトを振るう。
「その人は今日、初めて会った時の第一声からおかしかったんだ。初対面のはずの凛ちゃんや瀬野くんを見て、全員そろっている、という意味合いの言葉を言っていた。まるで、最初から君たちのことを知っていたようにね。そして、凛ちゃんとさりげなくスキンシップを交わしている。まさに、凛ちゃんに対する執着ってことだね。そして、瀬野くんから経緯を聞いた後、誰よりも早く応援団活動休止の提案をした。まるで、全校生徒を今回の容疑者に仕立て上げて自分の隠れ蓑にするかのように」
柳井の発言を追って考えると、その通りの行動をしていた人物が一人、浮かび上がる。伊月もその人物に心当たりがあるのか、僕と伊月は一瞬だけ顔を見合わせた後、伊月が柳井に言葉を投げかけた。
「麗美ちゃんの推測では……佐伯先輩が怪しいってことかしら?」
「でもそれはねえよ。あの人だって応援団の中止が決まって、めっちゃ悔しそうに泣いてたじゃねえか」
さすがにあれだけの悔し涙の姿を見せられた上であの人を疑うなんて真似ができるほど、僕には青色の血が流れているわけではなかったようだ。だが、その意見についても柳井が反論する。
「瀬野くん、キミはあの人がちゃんと涙を流して泣いているのを見たのかな? あたしは中根先輩が泣いているのは見たけどさ、佐伯先輩はその場で突っ伏したまま誰にもその顔は見せなかったよ」
「麗美ちゃん、そうはいってもあの人プライド高そうだし……そんな姿は誰にも見せたくないんじゃないかしら」
なんだか議論が幼稚な気がする。佐伯先輩が泣いていたかどうかなんてのが問題なんじゃなくて、今は今後伊月が安全でいるためにどうしたらいいのかを考えなきゃいけないんじゃないのか。
「まあまあ凛ちゃん、そう熱くならないでいいよ。問題はキミが安心するために警戒するべき人物の筆頭が彼だってことだよー。最初にも言ったけどさ、佐伯先輩が本当に犯人だって可能性は三割くらいだと思うからね。瀬野くんもしっかり頼んだよ?」
柳井に言われて、僕も伊月もぶぜんとした表情で何となく頷くにとどまったと思う。まあ、柳井が言うことに間違いはないから、佐伯先輩を警戒するって言うのは怠らないようにしよう。
「で、お前は僕らにこんなことを伝えに来たのかよ。わざわざ」
ベンチに座った僕と伊月が柳井を見上げる体制のまま、僕はぶっきらぼうに柳井に聞いてしまう。
「いやー瀬野くんも話が分かるようになったねえ。実はもう一個、凛ちゃんに聞きたいことがあるのさ」
「え、私に? 何かしら?」
その言葉を聞いて、柳井は伊月の膝元にしゃがみ込む。
「ねえ凛ちゃん、キミさっきから明らかに元気がないんだよ。何か気になることでもあるのかなってさ」
それは僕も気になっていた。いつもの勝ち気な性格は影を潜め、しおらしくなったとも違う歯切れの悪さで伊月は一日を過ごしていた。初めて伊月と話した日に言っていた、私は美少女で社長令嬢のお嬢様、才色兼備の至高の存在だっていう絶対的な自信に陰りが見えたような、そんな疲れにも似た何かを伊月は感じているようだった。
「……ごめんなさい。あなた達にはかなわないわ。いつも私から話さなきゃって思うのに、あなたたちに催促されるまでどう話していいか分からなくて」
柳井は落ち着いたように小さく息を吐いて、今度は優しい声で伊月に続けた。
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいから、何か気になることがあるのなら話してほしいな」
伊月は柳井の言葉をかみしめるように聞いてから、言葉を続けた。
「……私は何十年も続いた体育祭の伝統を無くした体育祭の実行委員長になってしまったわ。これまでで最高の体育祭を目指すなんて、笑えるわよね。なんだか……そうね。野外活動の時もそうだったけれど、私が全力で求めようとするものは、私をあざ笑うかのように私の前から消えていくわ。今回の体育祭でそれを実感したの。ひょっとしたら私、やっぱりお父さんの言う通りお嬢様の仮面をかぶったまま、みんなのおもちゃとして生きてたほうが周りに迷惑をかけずに済むんじゃないかって、どうしてもそう考えてしまうの」
それは、伊月が初めて僕らに吐露した、その心の奥の奥だったと思う。例のおでこ事件の時に、僕個人には相談をしていたけれど、あくまでみんなから伊月がどう見られているかって話しで、自分自身をみんなが見てくれない。それなりに重い話ではあったけど、ここまで深い話ではなかった。
何せ、あのお嬢様の仮面をかなぐり捨てた伊月が、元に戻りたいと言いだしたのだ。今の状態がどれだけ伊月にとってつらいことなのか、僕には想像できない。
伊月の言葉を聞いた柳井は、伊月の両手を握り、全てを見透かすような大きな真ん丸の瞳でしっかりと伊月の目を見て言い放った。
「凛ちゃん! まだ今回の体育祭が最低になるって決まったわけじゃないよ! だってまだ誰も凛ちゃんの作った体育祭を経験してないんだよ? 体育祭をやってみて、応援団がなくなってもそれでもやってみて、そして楽しかったかどうかはみんなが決めるんだよ! 今日だってそれでもみんなが楽しめるように、こんなに遅くまで居残りしてたんでしょ? きっと大丈夫、うまくいくよ!」
僕にも経験がある。柳井の励ます言葉には、不思議な説得力があるのだ。柳井と喧嘩して、電話で仲直りして、そのあと伊月に電話したあの時。僕は柳井に励まされたおかげで、一瞬とはいえお嬢様じゃない素の伊月と話すことができた。あの時の変な安心感を、説得力を、伊月も今感じているんだろう。何というか、柳井の言うことは一言一言が確実に刺さるのだ。
「なんだか……あなたにそういわれると不思議な自信が湧いてくるわね」
「まあ、あたしは天才だからね。任せなさーい」
「天才? どちらかというと、あなたは魔女ではなくて?」
「おお! ついに凛ちゃんにも魔女って言われてしまった! ありがとう!」
言葉を返すと柳井は立ち上がり、公園の出口に歩いていった。僕たちもそれを追うようにして公園を後にし、それぞれ帰宅したのだった。




