048.全校生徒を代表している自負
昼休みの校舎にアナウンスが流れて五分程度が流れた後、その間気まずい沈黙が流れていた生徒会室の扉が、勢いよくバンッと開かれた。ノックもなく扉を開いたのは、紅軍応援団長・中根修人その人だった。
「何だよ野村。それに実行委員様も集まって。こんな昼休みによ……」
百八十センチを超えるだろう大柄な体躯から、威圧的な視線で野村先輩を見下しながら言う。だが、前回委員会に中根先輩が殴りこんできたときに伊月が言っていたように、そんな威圧に屈するような女子生徒はこの中にはいなかった。てかみんな気が強すぎじゃないかな。何か僕恥ずかしくなっちゃうじゃん。
「おお、中根くん悪いねえ。ちょっとした事情聴取だよ。ささ、早く中に入って」
「ああ? 事情聴取だ?」
「言いづらいのですが……応援団にちょっと問題が起こったみたいで」
野村先輩と伊月に言われた中根先輩はいぶかしげな表情で扉を閉め、立ち上がったままの僕らをよそにふかふかな黒皮のソファにどかっと腰を下ろす。
「で? 何だよその問題ってのは」
「それは佐伯くんが来たら一緒に話すよ」
沈黙を嫌ったのか、中根先輩がぶぜんとした表情で会話を切り上げたのを見ると柳井が野村先輩に質問を投げた。
「野村せんぱーい。佐伯先輩ってどんな人なんですか?」
「ああ、柳井さん。キミは中根くんも佐伯くんも初対面だったねえ」
「佐伯先輩に関しては僕らもですけど」
「佐伯くんは……そうだな。三年生の男子で一番スペックが高いんじゃないかな、総合的な」
「スペックで語らせるとそうかもしれねえな。控えめな性格でそれが目立たねえが」
野村、中根両先輩の意見を統合すると、とても能力の高い生徒なのだが性格的に目立つのを嫌うようなそんな人物像らしい。何にせよこんな脅迫状を書くような人物ではなさそうで、やっぱり体育祭の組織の中に犯人は潜んでいるとしか考えられない。
噂をすれば影とはよく言ったもので、そんな話をしていると今度は扉をノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞー」
野村先輩が先ほどの唸り声とは全く違った歯切れのいい声を返す。
「失礼します」
うわあ何このめっちゃモテそうな優男。身長は僕と変わらないくらいだが、少女漫画から出てきたかのような美貌を備え、細身だがしっかりと鍛えられている様子の体つき。肌は伊月と同じくらい白く、その声は男の僕でさえ魅了しそうなほどに優しい響きだ。校則で許された範囲の黒よりの茶髪が肩まで伸びていて、その視線を隠し気味だが同じくらいの長さの斎藤のような嫌味は全く感じさせない。
「白軍応援団長の佐伯です……すごい。皆さんお揃いだね」
「ああ。来てくれて助かるよ、佐伯くん」
「まあはよ座れや」
中根先輩に催促されて教室に入った佐伯先輩。すれ違いざまに伊月が声をかけた。
「佐伯先輩、初めまして。体育祭実行委員長の伊月です」
「ああ、君が伊月さんだね。うわさは聞いているよ。応援団規模の件、ボクはキミの意見に賛成だよ。よろしくね」
差し出された右手を伊月が握り返し、二人はぐっと握手を交わした。初対面の美女とさりげなくスキンシップとか、マジで本物のイケメンぱねえっす。
「あ、僕も実行委員の瀬野です」
「うん、よろしく」
佐伯先輩は僕を一瞥した後、中根先輩の向かいのソファ、すなわち僕たちに背中を向けるような位置に遠慮気味に腰を下ろした。その一連の流れを見てまた柳井がにひっと笑ったが、その声を上げる時の柳井さんは本当に怖いので話しかけられたくなかったです。
「ねえ瀬野くん。キミと佐伯先輩は本当に初対面なのかな?」
「今まで話したことどころか会ったことすらねえよ」
「ふーん……凛ちゃんは?」
「さあな。僕の知ったことじゃないさ」
「それもそうだねえ」
小声で柳井が聞いてきたのでそのままの答えを返すと、柳井はまた黙って考え込んでしまった。
「やあやあみなさん悪いねえ。お昼休みということで時間もないし、端的に話を進めるよ。両団長、これを見てくれ」
柳井と変な話をしている間に、野村先輩が大きめの声で会話の主導権を握る。その右手には、先ほど伊月が机に叩きつけていた脅迫状が握られていた。
中根先輩は手を伸ばし、野村先輩から脅迫状を受け取りソファの間の机に開く。
「……いやあ、これはいけないな」
「誰だこんなことをしやがるのは……馬鹿じゃねえのか! ちくしょう……」
「いろいろ言いたいことはあるだろうけど、経緯については実行委員の瀬野くんから説明があるよ。瀬野くんどうぞ」
「え、いきなり僕っすか」
「そうよ。あなたが当事者なのだからしっかりしなさい。ほら」
突然おかん属性発揮する癖やめてください伊月さん。不意に甘えたくなってしまいます。そしてこの件の当事者はどちらかといえばあなたじゃないんですかね……。
伊月に背中をたたかれて、僕は経緯を再度二人に説明した。
「それで三人……柳井さんは伊月さんのお友達ね。三人は犯人捜しのために私のところに来たんだけど、話はそうじゃないってことを議論してたところなんだ」
野村先輩の話を聞いて、一つ深呼吸を置いた後に発言したのは佐伯先輩だ。
「……ふう。まあ確かに、こんな事件を起こしておいてボク達が体育祭の舞台に立つというのはおかしな話だろうけど」
「そうだな。そうする以外にどうしようもねえ」
再び流れる嫌な沈黙。そんな中、続けて中根先輩が言葉をひねり出す。
「……俺は不甲斐ねえよ。こんなのは俺の管理不行き届きだし、そもそも全員が納得いくまで規模縮小については俺なりに理解して全員納得するまで話したつもりだったが……納得してねえ奴がいたってことか。俺の所為で応援団活動は解散……ちくしょう」
「中根よ。それはボクも一緒だよ。体育祭から一大イベントの撤退を余儀なくされた、その責任は僕も痛感しているよ」
「ならば両団長の意見としては、これ以上応援団活動は継続できない、という結論でいいかな?」
「問題ないね。残念ながら」
「この際仕方ねえよ」
伊月は黙っていた。野村先輩にあれだけ食い下がっていた伊月は、この両団長同士の会話に一切口を挟まなかった。たぶん本心では、体育祭のプログラムから応援団演武が消滅する、その心配を今いる中の誰よりもしていたのだと思う。だけど、自身の発言の責任を、真意を野村先輩に問われ、伊月は黙って両団長の決断に任せる、との判断を下したのだろうか。
「では実行委員長? この両団長の決断に対して何か不服な点はないですか?」
野村先輩は、あくまで中立でい続けているらしい。先にあれほどまでに伊月を追い詰めておきながら、この期に及んで最終的な伊月の意見を聞いている。だが、それはある意味では冷徹な行為じゃないかとさえ感じる。ここで伊月の出せる答えは、たった一つのそれでしかないじゃないか。
「……私個人として、ですが。応援団活動の停止、応援団演武の大会プログラムからの削除というのはやりすぎな気もします。地域の皆さんが、ご両親・ご家族の皆さんが、私個人としても応援団演武が楽しみで体育祭を見に来る気持ちはとても良く分かるので」
伊月は淡々と、冷静に、感情的になることなく自分の意見を言葉にしていた。
「体育祭最終競技の騎馬戦についてはけがのリスクが高いながらも、競技性、また会場の盛り上がり、クライマックスの演出など含めて競技としての存続を決定していただきました。これはある意味では『革新』のスローガンに該当するからです。これと同じように、多少のリスクには目をつぶってでも応援団演武の削除はご一考いただけないでしょうか」
「却下だ」
誰よりも早く答えたのは意外にも中根先輩だった。
「これはそういう問題じゃねえ。学生としての模範、あり方。そんなので応援団には全校生徒を代表している自負があんだよ。だからこそ、部活動をしていない生徒たちにも是非自分たちの考え方に触れてほしかった。それでああいう勧誘の方式が伝統になった、って聞いてる。そしてその方法が間違っていると指摘が入って、俺たちはそれを改めようとした。学校の代表としての責任を全うするために、だ。そんな中で今回の事件があった以上、俺たちに学校の代表を名乗る資格はねえんだ。だからよ、逆に言えば今回の応援団演武を自粛することこそが俺たちにとっての『革新』になるはずなんだよ」
やはり中根先輩とはいえ、天下の星洋高校三年生だ。その発言の中に、伊月が反論できる点は何一つ含まれていなかった。そして、中根先輩は言い終えると頭を抱え、大きな体を小さく丸めた。その背中は小さく震えていたし、僕らの手前の佐伯先輩も頭を抱えた状態でたまに鼻水をすするような音を立てていた。
伊月はその目に焼き付けるように、うずくまった二人の光景をじっと眺めている。次は自分の発言の番だと言うのも忘れたかのように、じっとその瞳が二人を捉えて動かなかった。
「伊月さん。そう言うことだから、今年の応援団演武は中止だ。生徒会長としてではない、私個人としても、今……こうして苦しんで答えを出した二人の覚悟に免じて、中止を決定してほしいかな」
野村先輩の言葉を聞いて数秒、また伊月は二人の震える背中を眺めていたが、その後にまた数秒目を閉じ、見開いてから小さな声で言った。
「分かりました。今年の応援団演武を中止します」
言葉を聞いた両団長からは、その決定を悔しがるような無念がにじみあふれるよう、しばらくの間咳や鼻水をすする音が絶えなかった。




