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004.お嬢様の化けの皮

 噂の伊月凛は朝礼の十五分ほど前、柳井と僕が話し始めてから五分ほどして教室に姿を現した。ちょうど教室の後部のドア、つまり僕と柳井が話している目の前に、伊月は悠然と現れた。


「あら瀬野くん。おはよう」


 誰だお前!


 僕が伊月の上品かつ優雅で心地よい朝の挨拶を聞いて、ほんのちょっとだけ心の底に潜む闇とかストレスとかが洗われそうになって、いかんいかんと正気に戻った次の瞬間に生まれた感想だ。


 昨日の放課後の伊月が本物の伊月凛であるなら、まあ見事に猫を被ったもんだと思う。自信過剰な阿呆である本性は鳴りを潜め、『社長令嬢のお嬢様』を徹底した姿がそこにはあった。


 ここで言葉を返していいものかと考える。朝礼前というのはクラスの生徒があらかた集合した時間帯で、そんなときに堂々と伊月と話したくはない。クラス全体に僕が伊月とよろしくやっているとうわさが広まってしまった日には、もしかしたら存在するかもしれない伊月凛ファンクラブからの報復攻撃を受けてしまっても致し方ない。そんな危険性はごみ箱にでも捨てておこう。


 なので僕は無視を決め込むことにしたが、視線を正面に向けた先の柳井がものすごくいい笑顔をしていた。計略とか謀略とかよからぬことをたくらんでいそうな、本当にいい笑顔だ。せっかくのあらかた可愛らしい顔つきも無駄になっていて、このまま計画通り、とか言ってほしいくらいだ。この顔を見るとき、柳井は決まって面倒なことを言い出す。


「ねえ、女の子無視するの? それって最低だよ? 男の子として絶対やっちゃいけないことだと思うけど。瀬野くんってそんな人だったの?」


 この満面の笑顔からこの低音である。まあ、その笑顔はどす黒く染まりきっているから意外ではないが、その顔からその音を出せるのはどういう原理だろうか。てかそこまで言われたらやっぱり伊月に挨拶を返さないといけないような気がして、こうやって人の心理を読み取って一言で刺してくるあたりが柳井の魔女じみたところだと思う。


 前門の虎、後門の狼とはこういうことだろうか。柳井の一言によって誠に遺憾ながら伊月に挨拶を返さざるを得なくなってしまった僕は、柳井から伊月のほうに視線を移す。すると伊月はいつの間にか僕の机の傍らまで音もなく忍び寄り、間合いを詰められていたのでびっくりしてひっくり返るところだった。


「ねえ、瀬野くん? 私、あなたに嫌われることでもしたかしら? 朝の挨拶すら返してくれないだなんて」


「……悪かったよ」


 つい悪態をついてしまうが、これでいい。クラス内で伊月に対して仲がいいという素振りは見せたくない。


「ほんとごめんねえ。あたしも挨拶返しなさいよって言ってあげたんだけど」

「……あなた、夕べリンクトークも送ったのに返してくれなかったでしょう?」


 会話に割り込んだ柳井には一瞬だけ視線を送ったが、伊月は気にせず僕を問い詰める。いわゆる無視に近いやつだ。その扱いを受けて、柳井はにへっと変な声を出して笑った。いったい何考えてるんだ、本当に気持ち悪いよ……。


「ねえ、瀬野くん。聞いてるの? あなたが教室の外では仲良くしてくれるっていうから、リンクを送ってあげたんじゃない」


「それはあんたが勝手に決めたことだろ。僕は何も言ってない」


 しかも範囲が学校の外から教室の外って勝手に狭められてるし。なんでこの人僕にこんな興味持っちゃったの?


「それでなくても、この私からリンクが来たら返信するのは常識だと思うわ?」


「お嬢様の化けの皮が剥がれてきてるぞ。いいのか?」


「いいのよ。私は連中の装飾品でも何でもないの。彼らは私に何かを求めるかもしれないけど、私は何も求めてないから」


 ついツッコミを入れてしまった僕に、伊月は堂々と答えた。その答えに言葉を返したのは柳井だった。


「ふーん。大体のことは分かってしまったのだよ、伊月さん。瀬野くんは誰とでも分け隔てなく接するからね。悪い意味で、だけど。それが普段みんなからチヤホヤされてるキミからしたら新鮮だった、だから瀬野くんはキミのお気に入りとしてキープしたいってわけだね」


 柳井麗美の真骨頂である。たった数分、伊月凛の会話を聞いただけで、彼女の割と奥にある心理というのを読み取り、図星を突くどころか全力でぶん殴っていた。しかもできる限り柔らかに、それでいてトゲのある言い方を一瞬で選ぶからすごい。その上さらに例の人を刺すような低音ボイス。ほんと怖い。絶対に敵に回したくはない。


 柳井の言葉を聞いて、伊月の右の眉毛が上にピクリと動いたのが僕には分かった。おそらく柳井も見逃していない。が、伊月はまた柳井を無視して続けた。


「今日はちゃんとリンク返してよね。そもそも私から送ってあげることもないんだから」


「へいへい」


「じゃあ、ハエがうるさいので私は自席に戻るわ」


 おう。めちゃくちゃ効いてんじゃねえか、柳井の煽り。しかし、ハエ呼ばわりが柳井の逆鱗に触れたようで。


「ハエだあ……?」


 めちゃくちゃ怒っていた。あれだけ煽っておいて言われた一言でそこまで怒る理由が僕にはわからないが、その一瞬で柳井の堪忍袋の緒が切れてしまったようだ。


 次の瞬間、柳井は信じられない行動に出た。

 伊月が僕の席から前方の自席へ戻る後をつけながら、両手を広げてウザったくばたつかせ、めちゃくちゃシュールに腰を振りながらブーンブーンと伊月の後ろからこれまたウザったく声をかける。マジでうぜえ。何がうぜえって腰の腕の動きの連携が完璧すぎるほどうぜえ。


「あなた何なのよ!」


「私? 瀬野くんの友達で柳井麗美だよ。よろしくね」


「はあ?」


 さすがの伊月もこれには頭に来たようで、右眉の上がぴくぴく動いている。どうやら伊月が怒ると右の眉毛の上あたりがぴくぴくなるらしい。ぴくぴく。


「そういうことじゃないわよ。さっきからチクチクウザったいことを……」


「いやいやあたし誰かさんからシカトされてたんすけどー」


 うわあ柳井ってやっぱすげえ。僕だったら思わず手を出してしまいそうなくらいうぜえ言い方してる。逆に伊月なんて一瞬で手が出なかった当たり、さすが腐っても育ちのいいお嬢様、って褒めたくなるレベルのウザさだった。


 てか険悪になってきたな。僕のせいで美少女二人が喧嘩とかこれなんて出来の悪いラブコメ。ちょっと仲裁する体制はとっておこうと思い、僕は自席から立ち上がる。


「あら? あなたが何かブツブツ言ってたのは独り言ではなくて? 人の事悪く言うだけだし気持ち悪かったからやめたほうがいいわよ?」


 確かによからぬことを考える柳井は、その元からの可愛らしさを全面的に否定するほど気持ち悪い。キモイとかじゃなくて、単純に気持ち悪い。某カレーの歌の人の気持ち悪さに似ている。あの人も黙ってればイケメンのはず。


「やだーそのひとりごとにイラッ☆として退散しようとしたのは伊月さんじゃないですかーやだー」


 こんどはどこのあざとい可愛い女子高生だよ。聞いていてイラッの末尾にあざとい星がついてたよ。このキャラ七変化っぷりもある意味怖いわ。


「いい性格してるわね」


「シカトこいてんじゃねーぞ。あ?」


 両者低音で言い合った後、睨みあって動きが止まる。このころには全クラスの注目を集めていて、張りつめた空気が教室内に漂う。


「おい! 何があったんだよ。やめろよ二人とも!」


 そんなときに教室に戻ってきたのは上村誠だ。誠は立ち上がっていた僕の脇を風のように走り抜け、すぐに二人の間に割って入った。おそらく、野球部の先輩との話が終わって教室に戻った瞬間、異常に気付いたのだろう。


「男子は下賤……」


「は?」


「おいやめろよ柳井」


 仲裁に入った誠が、ついに手を出しそうになった柳井を止めている。その向こうで、伊月は独白を続けていた。


「そう。男子は下賤なのよ。こうまでして私と話して、しばらくしたら仲間に自慢する。俺、伊月さんがいじめられてたの救ったんだぜ、って。女子も馬鹿。そのうちいい思い出とか言って伊月さんと喧嘩したことあったなって自慢し始める。私は何? アンタたちの都合のいいおもちゃか何か?」


「伊月お前な。俺はそんなことしねえし、柳井もそんな馬鹿じゃねえよ」


 誠が伊月に言葉を返すが、暖簾に腕押し。伊月はさらに声量を上げてクラス中に叫んだ。


「私はあんたたちのおもちゃでもアクセサリーでもなんでもないの! 頼むから興味本位で寄ってこないで! 私は私の好きなことだけをやりたくて、あんたたちみんなのお嬢様でいたくないのよ!」


 クラス中が固まる。


 僕には分からない。伊月凛とはなるべく話さないようにしていたし、実際昨日までの三日間、僕は一度たりとも彼女と話すことはなかった。


 逆に、クラスの連中は身に覚えがあるようで、俯いている者、気まずそうにしている者、関係ないと言わんばかりにグループで会話しているふりをする者。ほとんどがそういう態度だった。


 少しだけ伊月の言っていたことの気持ちが分かる気がした。


 誰もが『伊月凛』という偶像を見ていて、伊月凛という存在を見ていなかった。それは孤独だ。僕の見た本当の伊月凛は、誰も見向きもしない孤独の中で生きていた、ということではないだろうか。


「は? 馬鹿じゃねーの?」


 言葉を返したのは柳井だった。


「そう思うんなら、クラスでお嬢様ぶらなきゃいいだけじゃん。何気取ってんのよ。そうやってお高く留まって、一般人とは話しませんよーってところが腹立つったんだよ。その上お嬢様やりたくないです? 意味わかんなすぎでしょ。もうそのままの伊月さんでいればいいじゃん」


「違う……それは無理。無理なのよ」


「いや訳わかりませんよー。あたし今完璧に論破したところ」


 伊月は黙り込んでしまう。


 たぶん柳井は分かっている。というか、僕も腐っても名門星洋高校の生徒だ。ここまでされて分からないはずはない。


 柳井は素の伊月をクラスになじませようとしているのだ。そのために、自分が泥をかぶっている。おそらく、こうすれば伊月の思いがクラスのみんなに伝わるって考えて、わざと柳井は伊月を怒らせたんじゃないか。柳井は無為な争いをするような馬鹿じゃない。たぶん、柳井の思惑はそれだ。

 

 伊月の沈黙に合わせて、教室に訪れた静寂。意外な人物がそれを破った。


「あー……何だ、どうした。これは……あれだな。青春するのもいいが、朝礼だ。みんな席につけ」


 教室前方の扉を開けて入ってきた羽織先生の一声で、静かな教室は朝礼の準備に差し掛かった。


リンクトークってのは現実世界で言うラインみたいなやつです。

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