038.第一回体育祭実行会議
もう駄目だ。本当に疲れた。
今日という一日は本当に長かった。いつも通りの六時限目までの授業だが、疲労が蓄積していたこともあって一向に時間が流れてくれなかった。その上今日は羽織先生を始め居眠りできない先生方のオンパレードだったせいで、蓄積された疲れの上にさらに疲労が降り積もったような状態だ。あ、そこの君、居眠りは駄目だぞ。体育祭の後のテストで成績を下げないためにもね。
さて、ようやく帰りのホームルームになって羽織先生がうなりながら言葉を紡いでいるところだが、最近の僕の一日はこれから始まると言っても間違いではない。今日も今日とてこれから伊月、松葉先生、僕、その他大勢で実行委員活動が待っている。
「うーん……あれだな。今日は以上だ。例によって帰宅部の生徒はこのまま教室に残るように」
ここ最近の恒例だが、これを聞いた帰宅部連中からぶーぶーと非難が上がる。ここで普段ならば羽織先生がまた怒るところなのだが、今日は違った。
「みんな、聞いてください」
「おお……なんだ……伊月か。どうしたまた」
伊月が非難の中立ち上がり、教室の隅から全員へ向けて言葉を発したのだ。
「私は『革新』というスローガンのもとみんなで楽しめる体育祭を目指しているわ。だからこのやり方については今日、みんなで話し合うつもりよ。報告が遅れてごめんなさい。でも、きっと何とかするから」
これを聞いた帰宅部の連中は、今度は拍手喝采だ。てか伊月、よくクラスのみんなの前で公約を宣言するなんてできるな。僕ならそれが達成できないリスクを考えてそんな行動はしない。これは逃げでは……逃げなような気もするな。ちょっとここはあいつのいいところってことで見習うことにしようか。
「ならば……あの……伊月もこう言っているし、今日はここまでだ」
言われて発した学級委員の生徒の号令に従って羽織先生に一礼。普段ならこの例の後、小さな解放感に見舞われるものだが、最近はこれからのほうが大変なためまだ気が重い。しかも伊月が余計なことをしたせいで、さらに余計に気が重くなってきて、僕は首を垂れながらため息をついて鞄を持ち、椅子から立ち上がる。
「瀬野くん、ちょっといいかしら」
どんどん重くなっていくテンションに気をとられていたせいで全く気が付かなかったが、声に視線を移すと伊月が僕の席の傍に来ていた。しかも何かいつもより近い。何この距離。この距離でちょっといいかしら、なんて言われたら僕だってちょっとドキッとしちゃうじゃん。やめてください。あなたにフラグを立てた覚えもないし、立てたくもないので。
「え、何?」
伊月が思っても見ない行動に出たせいで、少し不機嫌に返答してしまった。
「……放課後に話しかけてはいけないのかしら。まあいいわ。今日は自習室ではなくて生徒会室に集合なのよ」
「ああ、そういや生徒会と打ち合わせだな」
今朝の伊月と柳井の会話の中で、今日は生徒会との打ち合わせがあるとか言ってたな。それで体育祭の競技だとか応援団のあれこれとかを話し合うって話だったと思う。伊月はここまで確認するとまた率先して教室から歩き始めたので、僕もそのあとを追うようにして教室を出る。
「そうよ。なので、今日は私と瀬野くんが代表して出席って形ね。ほかの人が来ても正直……ね」
「まあそれはそうだな。てか松葉先生は?」
「先生は予選会のために運動場を使うのだけど、その日程を押さえてもらうために運動部の顧問の先生たちと職員会議よ」
伊月は相変わらず僕の前を歩いているし、こちらに振り向かずに話しかけてくるから、少し聞こえづらい。
「ん? 結局予選会はいつだっけか」
「未定よ。ただ、可能であれば再来週のどこかで。そう言う都合があるから、今の時間があるうちに運動場を貸し切るのよ。本番まであと一ヶ月しかないのだから」
なるほど。今日は各々がすべき仕事をするべき日ということか。となると、いつも暇そうにしている残りの生徒たちは何をしているんだろうね。挙手するための方の筋トレでもしてるのか。ってこんなこと言ったらだめか。
「残りのみんなは?」
「あの人達にまともな会議ができると思うのかしら? 今日はみんな帰したわ。仕方なしに、だけれど」
なんか僕、普段から口の伊月よりきついこと思いついちゃったみたいだしやっぱ疲れてるんだろうか。きっとそうだ。きっとそうに違いない。こんなテンションのままあの奇天烈な生徒会メンバーと会議しなくちゃならないのか。明日には倒れるな。
教室棟を突っ切り突き当りの階段のところを右に曲がると自習室だが、生徒会室はこの階段を最上階の四階まで登り、階段から左に曲がって一番奥にある。第二自習室の斜め上に当たる教室が、生徒会の部屋だ。
生徒会室、と書いてあるパネルを確認し、伊月が扉をノックする。
『……めんどくさいな。美咲ー出てくれー』
『ええ、ちょっと待てよな。手が離せないぜ……斎藤! 頼むぜ』
『仕方ない先輩方だ……』
棟の隅っこだけあって、この辺りは静かだ。そのせいで扉の向こうの会話が筒抜けになっていて、あまりにも予定調和で仕込まれていたかのようなやり取りに僕と伊月はびっくりして目線を合わせてしまう。
「……体育祭実行委員長の伊月凛さんと、委員代表の瀬野和希さんですね。どうぞ」
やっぱりこの斎藤はどこか鼻につく話し方をする。そしていつでも学生帽を被っているらしい。その割には黒の長髪は羽織先生とかの一部の女性よりしなやかに見える。身長は並んでみると僕より少し高く、その気持ち悪いほど整った顔面から見下ろされる視線も何かと不愉快だ。
斎藤が生徒会室に向けて差し出した掌に招かれるようにして、僕たちは教室に入る。まず目に入ったのは、これ見よがしに『生徒会長』と書かれた、お昼の電話リレーでグラサンの司会者とサシで話す、少し前に最終回を迎えたあのテレビ番組のようなネームプレートだ。
それが置かれた机はずっしりと重厚な偉そうな机で、椅子も黒皮の上等品だ。その机の手前にはちょうど面談室と同じように、ガラス張りの丈の低い広々とした机と、黒皮のソファが四人分設置されている。
「めんどくさくてもー、いーともー」
「いやダメでしょ、いろいろと。てかほんとアウトなんでやめてください」
僕がそのネームプレートを眺めているのに気付いてか、野村先輩が僕に死んだような眼以外楽しそうな表情を向けて、右手を伸ばしながら言ってくるので、色々アウトな発言をなだめざるを得なくなる。あんまりこの人たちとは関係性を持ちたくないんだけどな。
「野村先輩、お互いに忙しい中せっかくの機会です。できれば真面目に」
僕と野村先輩が話してできた変な空気を切り裂くように、伊月が冷静な口調で言い放つ。
「そうだぜ奈央ちゃんよ。せっかくの機会なんだからよ、しっかりしなきゃな」
生徒会長用の机に突っ伏した状態の野村に、戸叶が肩をゆすりながら話しかける。
「まあ、掛けてください。生徒会長があの状態でも、僕たちで何とかしますから」
斎藤が会話に割り込み、僕らは野村先輩から見て右側に、手前に伊月、奥に僕と言った配列で座る。生徒会側は伊月の正面に戸叶先輩、僕の前には斎藤が座った。
「うーん……面倒だけど……ちゃんとやらなきゃなあ。ちょっと切り替えるか」
四人が座席についたのを見て、野村が独り言をぼそぼそとつぶやいて、それに続けて発言する。
「では、第一回体育祭実行会議を行います。わざわざ体育祭実行委員から来てもらった皆さん、どうぞよろしくお願いします」
そこには、数秒前の面倒くさがりな野村先輩の姿はなかった。代わりに、全校生徒の模範として、また目標としてあるべき姿を示す野村生徒会長の姿があった。ただ、特徴的な覇気のない眼だけは一向に変わっていない。それでも、もともとの美貌や雰囲気、そして他を寄せ付けないあふれ出るカリスマ、リーダーシップは天下の星洋高校の生徒会長たりえるには十分な要素だ。
「では伊月さん。本日、私たちと話し合いを設けた議題についてお話しください」
体育祭の成否にかかわる会議、そして応援団の今後に関する会議が今、始まった。




