034.体育祭の現実を知らないだけだよ
『では、体育祭実行委員長になりました、二年三組、伊月凛さんの挨拶です』
斎藤の気取ったような鼻につくアナウンスに乗っかるようにして、伊月が登壇する。登壇した伊月はマイクスタンドからマイクを抜き取ろうとするが、手が滑って盛大に朝礼台にマイクを落としてしまい、その衝撃音が校庭に響き渡った。びっくりしちゃうからやめてください伊月さん。
てかいつからこいつこんなドジっ子属性発揮し始めたっけ? 何なの? 緊張するとポンコツにでもなってしまう病気なの? ドジっ子なのにおかん属性とはこれいかに。
その様子につい隣に立つ柳井と目を見合わせてしまっていた。伊月はマイクを拾い上げ、気を取り直したように咳払いをして続けた。
『こほん。体育祭実行委員長に推薦されました、二年三組の伊月凛と申します。全校生徒の皆さん、よろしくお願いします』
だが、先ほどの様子とは打って変わってスピーチが始まると流ちょうそのものだった。この様子では噛み噛みの演説になっても致し方なしかと思っていたが、話し始めた伊月から発信される言葉はしなやかに流れ出ていた。
『今回の体育祭で、私が目標とするのは「革新」です。私たち星洋高校の体育祭は非常に知名度が高く、星洋町の町を上げてのイベントになっていることは、皆さんのご存知の通りです』
確かに。あまり周囲に興味のない僕でさえ、星洋を受験するときには体育祭がすごい進学校だな、というイメージだった。中には体育祭目的で受験を頑張るせいとすらいるらしい。そんなので進路決めて大丈夫なの? 僕ならそんな危険な道は渡らない。星洋に来た以上勉強はちゃんとしましょうね。
『これはひとえにこの体育祭の伝統を作ってこられた先輩方、そしてこれまでの伝統を重んじてきていただいた先輩方の努力のたまものだと思います。ですが、それでもまだこの体育祭が不十分で、問題をはらんでいることも事実です』
話の流れが変わってきた。このまま伊月が応援団活動のことを名指しで批判すれば、柳井の言っていた通りに物事が進むことになるし、僕なりに頭を回転させてたたき出した仮説にも意味がある。
『例えば、我が校の生徒全員が本当に楽しめる体育祭であるのかどうか。大人から子供まで、見に来てくださる方々全員にお楽しみいただける体育祭であるのかどうか。そして何より、本業である勉学に影響を及ぼすようでは本末転倒となってしまうのです』
去年のことを思い出す。羽織先生に友人がいないと聞いたが問題ないか、と初めて面談をされたころの話だと思うが、体育祭が終わるとその一か月ほど後に学期末試験があって、一学期の期末試験は伝統的に成績が落ちると先生がぼやいていた。
『ですので、私は生徒の皆さんに楽しんでもらえ、さらに見に来ていただく方にもお楽しみいただける体育祭を目指し、そして勉学に影響を出すことなく先生方にも喜んでいただけるような体育祭として盛り上げるため、この「革新」という言葉にこだわった体育祭にしたいと思います』
いかにもプライドの高い、伊月らしい所信表明だ。今までの伝統を鑑みたうえで、さらに改善すべきところを改善し、完璧な体育祭を完璧に盛り上げる。そんな強い意志を子の僕でさえ感じることができる。割と周りの生徒たちの心にも素直に響いてしまったんじゃないか、とすら思うくらいだ。
『この実現のためには、皆さんの力を借りることが絶対に必要です。私一人で実現できる目標ではありません。なので、一人ひとり自分が体育祭を作るんだ、という自覚を持って、行動してください。私からのたった一つだけのお願いです。以上、ご清聴ありがとうございました』
続けて伊月が一礼する。そのあと校庭を包み込んだのは、大きな拍手だった。伊月はそんな聴衆の反応に、照れくさそうにマイクスタンドにマイクを戻し、いそいそと朝礼台から降りていった。
ただ、この拍手喝采の中、隣の柳井がにへっと笑った声が僕を刺す。見ると柳井は案の定、あの何か良からぬことを企むようにどす黒く染まった悪い笑顔を浮かべていた。ほんとその顔やめてくれないかな。マジで僕のトラウマなんだからさ。
「ねえ瀬野くん。やっぱり凛ちゃんはお父さんやお兄さんの幻影に囚われているみたいだ」
一瞬の笑い声から低音に下がった柳井の声が、演説に湧く生徒たちの歓声を貫く。その一言一言が僕の心の奥をちくちくと突いてくるようで。得も言われぬ嫌な感覚に陥ってしまう。
「ど、どういうことだよ。お前がさっき言ってた通りにはなってねえじゃねえか。てかお前が予測を外すことなんてあるんだな」
柳井麗美という魔女も、所詮は人の子なのか、なんて考えながら言葉を返したら、伊月がまた悪い意味でのいい笑顔で、僕に言い放つ。
「予測なんて予測に過ぎないよ。でも大体はあたしの言っている通りになってるよ。キミは去年も体育祭実行委員だったから、一般生徒の体育祭の現実を知らないだけだよ。現に今盛り上がっているのは部活動も応援団もしていない本当の一般生徒だけなんだよ?」
柳井の言っていることは、もともと半分以上の意味が分からない。僕らとは違う次元で物事を考えられるため、それ自体はおかしなことじゃないと思うが、それにしたって今回柳井が予測を外したうえで負け惜しみを言っているようにしか聞こえない。
それでも柳井がそう言うのであれば、大体は柳井の言っている通りのことになったということだし、僕の立てた仮説にも意味はあるということだ。それほどまでにこの女の頭脳のキレはすさまじいのだ。実際に僕は一般生徒としての体育祭を知らないわけだし。
「とりあえずさ、何か凛ちゃんが辛そうだったりしたら声くらいかけてあげてね。上村くんは部活でそれどころじゃないだろうし、あたしも実行委員じゃないから日ごろから近くにいれるわけじゃないしね」
野外活動以降、僕は柳井や伊月との関係を見直した。誠とのそれまでには到達しないまでも、これまでよりは格段に関係性を深く構築していると思う。だけど、さすがにそこまでできるような関係性ではないのではないか、と自問自答に陥る。しかし、ここでは、ここだけは逃げてはいけない。僕らが守り抜いた四人でいる心地よい時間を、さらに良いものにするためには必要なことなのかもしれないから。
「あー、……分かったよ。ただお前の言うように僕は不器用だし、そんなうまくできると思うなよ」
「えーなんで自信満々? まあ、何が言いたいかというと今回も瀬野くんにかかっているのさー」
これまでのどす黒い笑みから一変して、いつもの天真爛漫で元気な柳井の笑顔に戻る。それだけ僕の今の立ち位置というのは重要で、僕にかかる伊月の様子を見る責任は結構重たいものなのだろう。
『それでは次に、生徒会からの体育祭関連の連絡を、生徒会長、三年一組の野村奈央さんからお話です』
伊月に対する拍手がようやくまばらになり、斎藤がまたどこか人を苛立たせる語り口で全体朝礼を進行させる。
『おはようございます。生徒会長の野村です』
誰だお前!
……とまた言いたくなるほど、昨日の野村先輩とは別人のような野村先輩が朝礼台に立っていた。伊月にすら匹敵する、男子生徒全員の憧れの的となるだろう造形の顔面で、しっかりとした笑顔を作る。そして、めんどくさいのめの字も言わずにはきはきと話す。
まさに完璧な生徒会長の姿がそこにあったが、よく見ればその瞳だけが生気を宿していない所にだけ昨日の野村先輩を感じることができる。なんて変わり身だろうか。ここまですがすがしくキャラが変わる人も珍しいよね。
『昨日の体育祭実行委員会設立に加えて、また応援団活動開始の許可を出しました。すでに昨年から応援団をしていた生徒の方々、これから勧誘活動などが可能になります。先ほどの伊月さんの挨拶にもありました通り、文武両道の精神で、「革新」のための応援団活動をよろしくお願いします。以上です』
またしても拍手喝采の運動場。ただ、その歓声は先ほどのものよりも幾分か野太いものを感じる。どうやらこの連絡に反応したのは男子生徒のほうが圧倒的に多いようだ。そして、柳井が言っていた通り辺りを見回してみれば、部活にも委員会にも参加していない松尾なんかは思いっきりため息をついてしまっていた。
そんなに肩を落とすくらい、応援団活動って言うのはよくないものなのだろうか。そんなものがあるのであれば、伊月の言っていたみんなが楽しめる体育祭というのは非常に遠いいばらの道の果てにあるようなものなのかもしれない。
ともあれ、伊月と約束してしまったことだし、彼女がそういうのであれば僕は完璧に盛り上がる完璧な体育祭に向けて彼女をサポートしていくしかない。そして、彼女のことを一番よく知るだろう柳井にもそう言われた。つまり今僕のとるべき行動は、そのたった一つで間違いないだろう。
再度感じた体育祭に潜む闇。その正体は何なのか考えてみてもなかなか答えは出ないのだった。ほんと、一つでいいから柳井の脳みその小さなパーツ一つくらいくださいませんか。無理ですかそうですか。




