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014.私にはそれが正しいことなのか分からん

 面談室は職員室の一番奥にある部屋で、ここに連れ込まれる生徒はたいてい悪い奴だという嫌な噂がある。その部屋に、優等生として知られる柳井と、無難すぎると評判らしい僕が連れていかれるもんだから職員室は一気にざわついていた。やばいほかの先生たちに勘違いされたらどうしよう。さすがに日ごろからリスクヘッジにこだわっているものだから、この部屋に連れていかれる可能性なんてのは想定できなかった。僕のバカ。


 しかし、いざ入ってみると意外にきれいな部屋だ。柔らかそうな黒皮のロングソファーが二つと、その間に木製の丈の低い長机が置いてある。羽織先生はソファーにちょこんと座ると、机の真ん中に置いてあったガラス製の灰皿を自分のほうに寄せ、僕らにのぺっと目くばせした。

 それを見てつい無言のまま、二人並んで羽織先生の正面に座る。


「さて……そうか……どうだか。どこから話せばいいのやら……うーん、知っておいてほしいのは、あいつの生い立ちと現状だよ。初めに言っておくが……そう。それだ……これを君達に言うのは、伊月と仲違いさせるためじゃない。これを知ったうえで、伊月とちゃんと向き合ってほしいということだ」


 いつも覇気がない羽織先生の瞳が、いつになく力を持っている。これほど真剣な先生は、担任としての付き合いも二年目になるけど、見たことはないと思う。

 柳井も神妙な面持ちで先生の言葉を聞き入れる態勢だ。


「まあ……なんだ。そう肩の力を入れなくてもいい。うん……そうだな。金持ちの娘にはよくある話だよ」


 先生は再度懐から赤白のタバコを取り出して、しゅぼっと火をつけた。


「そうだな……あれだ。伊月の家は代々、この高校を卒業している話は聞いたか?」

「ああ、聞きましたね」

「あいつは……なんだ。その、歴代の中でも優秀な成績を残している。まあ……そうだな。柳井、お前のせいでその成績は霞んで見えるが。ああ……思い出したぞ。お前、一年の学年末試験で五教科七科目すべて満点なんてどうやったらあんなことできるんだ」


 え、嘘マジ? 僕学年末試験なんて大体の教科で五、六割しか点取れなかったけど。それでも三十位くらいの目立たず先生からもやり玉にあがらないベストポジションをゲットできたにはできたけど、誠と試験の難易度が高いのは進学校あるあるだよなって傷を舐めあってたくらいだったのに。最初答案受け取った時はヤバいリスク管理ミスったって思ったね。


「いやー簡単でしたよーあのくらい」

「そうか……すごいな。にわかに信じられんよ。私も在校生の時あれを受けたが、結果は散々だったよ。まあいい……あのな。お前の存在っていうのも、伊月の……そうだな。特に父親からすればありがたい存在らしい。伊月はここに来るまで、何かと増長する傾向があったらしいからな」


 いやいや先生。伊月凛という女は増長という単語そのもののような存在ですよ。いつも自分がナンバーワンだくらいに考えてるんじゃないですかね、あの女は。てかほんとにあの溢れんばかりの意味のない自信はどこから来るんだろうね。


「で……だな。あの……私はその親父さんから伊月の監視役……というと……そう、言葉が悪いが、そんな役割を頼まれている。毎日ひとしきり生徒が帰ったり部活に出ている夕方の五時くらいに、私は毎日彼女と面談をしているんだ」


 なるほど。初めて伊月とここですれ違った日、あの時はなぜか羽織先生と会話が弾んでしまって、少し遅くなっていたと思う。そこに都合よく日直の仕事を済ませて、面談に少し遅れた彼女がやってきたってわけか。


「だったら先週、伊月とすれ違った時……羽織先生と会話を無理やり済ませて僕に話があるって言われてから、あいつとは話すようになったんですけど。それを焚き付けたのって……」

「まあ……そうだな。私だよ。私もよく覚えている。珍しくあいつが……伊月がな。あの人私を見ても全く興味すら示さなかったから逆に仲良くなれそう、みたいなことを言ってたんだよ」

「わーお瀬野くんモテるー、逆ナンだ。さすが死んだ目をしたイケメン。性根腐り果ててもイケメンだねえ」

「そうだな……確かに。柳井、そいつは面白い。瀬野、君は色々と腐り果てているからな」


 先生は珍しく柳井の言葉を聞いてけたけたと笑っていた。柳井が左ひじでつんつんわき腹をさすがイケメーン、みたいに小突いてくるので、やめろうぜえと一喝して話を戻す。


「じゃあ僕と同じように出る杭は打たれるって言ってたのも伊月ですか」

「あれだ……そうだ。その前の日にはな、親父さんから伊月が夜間外出してた話を聞いた、いったいどうなってるんだ、みたいなクレームを受けててな。で……その……あれだよ。社長令嬢ってだけで注目されるのに、生活態度乱したりするわけない、出る杭は打たれるんだ、みたいなことを言っててな」

「んー、先生も大変だねえ。でもでも、なんで伊月さんのお父さんはそこまでするんですか?」


 柳井はさらっと核心をついたと思う。羽織先生は話をまとめるのが苦手だ。ここまでの話を聞いても、まあ何を言いたいのかがあまり見えてこない。ただ最近、伊月の身の回りで合ったことを僕らが質問して、羽織先生が報告しているだけだと言ってもおかしくない程度の会話だ。それにしても、伊月が夜間外出? あんな高層マンションからあんな見るからにお嬢様! みたいな人が出てきたら危ないだろうに。親父さんがキレる理由も分かる。


「伊月は……あいつはな。物心ついた時から常に伊月ホールディングスってでかい会社の社長の娘って看板を背負った人生なんだよ。常に周りから期待され、書道とかピアノとか、そんなお嬢様教育されてな。その全てでどの伊月家の人間よりも結果を残してきた。いや……残させてきた、と親父さんは言っていたよ」


 それは、伊月が言っていたアクセサリーとか装飾品とか、そういったあいつが一番嫌う扱いである以外の何物でもない。伊月の父にとって、伊月本人は自分の娘という飾りでしかないのではなかろうか。そういう扱いを受けてきたから、あれだけ本当の自分を見てほしい、という欲求が強いのではないだろうか。

 そして、たまに父親に心を許す瞬間があると、それが増長したと思われる。だから余計に本当の自分を隠して、令嬢に徹する。その心理は、リスク性の観点から見ても簡単に想像できる。


「先生、それをあたしたちに言ってどうさせたいんですか?」


 また柳井が核心めいたことを訊く。その顔は今にもにへへと笑いだしそうな、狂気に満ちた例の笑顔だった。先生にすらその顔をするあたり、柳井は本当に伊月のことを信頼するようになったんだろう。いくら羽織先生とはいえ、下手なことを言ってしまえば柳井は暴走し始めるかもしれない。その覚悟は決めておこう。念のため。


「どうか……そうだな。いや、すまない。私は君たちに助けてほしいだけなのかもしれない」


 なぜだか柳井はかくっとズッコケた。何を考えていたのか知らないが、そんな気持ちになるほど先生からの返答は意外だったのだろう。


「いやいや先生そのパターンは一瞬考えたけど、それだとあたし先生のこと可愛いって思っちゃうよ」

「そうか……そうだな。柳井はさすがだよ」

「いやいや僕には何が何やら」


 さっぱり理解できない。柳井さんその脳みそのパーツ、ほんの一部分でいいから僕に分けてくださいませんか。


「瀬野くんね、先生はつらいんだよ」

「そう……あれだ。最近のはっちゃけた伊月を見ているとな、こっちのほうがあいつは幸せなんじゃないかって思うんだよ。だけど……そうだ。私は立場上、あいつがそういう振る舞いをするのなら、どうしても伊月を叱らなきゃいかんのだ。だが……そうだよ。私にはそれが正しいことなのか分からん」


 思い起こせば、羽織先生はこう言っていた。

 感情のまま行動すること、それは今のうちにしかできないことだ、と。


 羽織先生の想いは、僕たちと一緒なのだ。いや、僕は伊月と仲良くするなんて認めてはいないが、確かに今のあいつと、それから柳井と誠で過ごす時間は楽しい。それは、伊月が素の自分でいるから成り立つことだ。そして、先生もそれを肯定している。

 だが、大人の世界にはそういった感情を殺して、自分のやりたいことと逆のことをしないといけない瞬間があるらしい。羽織先生の今がまさにそれだ。本人的には肯定したい素の伊月凛という存在を否定し、本人の嫌がる、社長令嬢としての伊月凛へと軌道修正しなければならないようだ。


 もし、僕が羽織先生の立場にいてもそうするだろう。歴代の家系が全てこの星洋高校を卒業し、その中でも優秀と評判の生徒を預かっている。その保護者からの直接的な圧力がかかっていて、その人物は圧倒的な社会的立場を持っている。

 そんなの、どう抗えばいいと言うんだ。リスク管理とかそういう話じゃない。その選択肢をとらなくてはならないじゃないか。理不尽、という言葉はこういう時に用いるものなんだろう。


「うん……そうだな。伊月の話をしようとしたのに、私個人の話になってしまって申し訳ないと思うよ。私もまだまだ甘い」

「先生!」


 だから! いきなり大きな声出さないで柳井! びっくりしちゃうんだって! てか何で三人しかいないのにしっかり挙手しちゃってんの。


「あたしね、それ正しくないと思うから、あたしのやりたいようにやるよ。だから先生に迷惑かけるかもしれないけど、その時はごめんなさい!」


 ええ、また何か良からぬことを企んでるんですか柳井さんよ。僕もう付き合いきれないよ? てか付き合う義理がどこにあるんだよ。僕はこのままフェードアウトして、柳井から離れてしまいたいまである。


「うん……分かった。覚悟しておくよ。柳井、お前のような生徒は、敵に回すと厄介なんだがな」


 そう言うと羽織先生は、またけたけたと笑って席を立つ。


「ああ……そうだ。そろそろ伊月が来る時間だ。君たちは部活生でもないのだし、もう帰りなさい」


 そう言い残して面談室から去った羽織先生を追って、僕たちもその場から退散した。


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