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012.今日という日の思い出

 それから僕らは駅から中心街へと出向き、トンキーガーデンで買い物を済ませた。伊月はとても彼女には似合わないようないかつい靴を買っていたし、軍手はモノのついでだと言うことで四人分のパックのものを買っていた。個人的に保冷材も念のため買っておいた。これで自宅の冷凍庫に保冷剤がない! というリスクも消すことができたし準備は万端だと思う。


 そのあとは柳井がどうしても行きたいと言っていたスターバードとか言う全国展開する喫茶店で休憩。僕らは普通のコーヒーを頼んだが、柳井はまた呪文みたいな名前の甘そうなコーヒーを頼んでいた。あれだけ頭が回るとやっぱり甘いものが必須なのだろうか。猫背で死神見えてた世界的探偵の人とか常に甘いモノ口にしてたし。


 てか街は嫌いだ。何より人が多いし、物騒な気がする。実際は気がするだけなんだろうけど、車はエンジンを豪快にならして飛ばしていくし、人々の歩く速さも早すぎる。何か落ち着かないし、実際このトンキーとスターバで過ごした何時間かの記憶もあいまいだ。まあ、何があったかってのは大体覚えてるけど細かくは知らない。


 帰りの通勤ラッシュに巻き込まれて満員電車を乗り継いで、やっとたどり着いた星洋町駅。人込みに疲れて僕はクタクタだ。


「着いたわね。みんな、きょうはありがとう。すごく楽しかったわ」


 改札から出て、なんとなくみんなが駅から学校方面へ歩き始めたところで、思い出したように伊月が言う。まあ、僕も楽しかったと思う。人混みが辛かったけど。


「こんなに楽しかったのは久しぶりよ。ほんとうにありがとう」

「よせって。そんな楽しかったんなら野外活動終わってもまたみんなで出かけるか」


 思い付きでそういうこと言うのやめて誠。僕は野外活動が終わったら伊月と関係を薄めていくのをまだ諦めてないんだ。外堀から埋められてきてるけど。


「いやーそうなると野外活動もそのあとも楽しみなんだぜえ」

「僕は休みの日は家にいたいんで目的もなく集まるのはパス」


 てか伊月だけじゃなくてお前と休日に合うのもパスだ、柳井。慣れって怖いな。この二人が僕の日常を侵食してきている件について。リスク管理の緒を締めなければ。


「瀬野くん、それは健康に悪いわ。私が休みの日に出かけてあげるって言っているのだから、あなたはそうするべきよ」


「うるせ。めんどくせえんだよ休日まで出かけるの」

「てかそれならまた迎えに行けばいいじゃん。上村くんから家聞けて良かったよ。助かるねえ」


 しまった。大切なことを忘れていた。僕は今朝伊月と柳井に家がバレてしまっていたんだった。これはまずい。僕の日常がなおのことこの二人に侵食されてしまう。いっそのこと引っ越すか。一人暮らしする資金は……あるわけないか。


 まあ、冗談はさておき。


 一週間前の僕に、職員室で伊月とすれ違う前の僕に、もしもこの映像を見せることができたらどういう反応をするだろうか。きっと頭を抱えて卒倒するだろう。なんで僕はこの女と仲よさげにしているんだ。僕はバカなのか? それとも気が狂ったか? なんて考えるかもしれない。


 だが、確かに気が狂ってきているのかもしれない。

 この四人でいることが、ほんの少し、楽しいと言うのは僕にも分かる。伊月に気付かされた部分もある。僕自身もこんなに楽しかったのは久しぶりだ。

 禁断の果実を食べるのには、命を賭するリスクが付きまとう、と言うのは昔からファンタジーとかでよくあった設定だ。それによく似ている。


 僕はまことに遺憾ながら、人間関係における良い部分に触れてしまったらしい。ふと思い出したときに、柳井から、伊月から離れようと決心するけど、誠まで入れた四人でいると実に居心地が良くて、楽しい。この楽しさは、禁断の果実そのものではないだろうか。それを手に入れるのに、伊月凛ファンクラブによる活動の被害、というリスクが付きまとう。まあ、そんな組織が存在するのかは定かではないが。


 僕は迷い始めていた。僕の前を歩く三人がとても楽しそうで。僕もこれを受け入れて、楽しんでもいいんじゃないかって。たった一週間で、心境がこうも変わるものかと自分でもびっくりしている。


「みんな今日はありがとう。私の家、ここだから」


 楽しげに歩いていた三人が足を止める。物思いにふけっていた僕も、それに合わせて現実に戻る。

 てか何このマンション。流行のタワーマンションって奴じゃないですか。こんなとこに住んでるのか、さすがお嬢様。


「てか、もう七時か。結構遅くなったな」

「やべくねお嬢様、門限やべくねっすか」


 誠と柳井が心配しているのを見て、また少しほほえみながら伊月は答えた。


「私、一人暮らしなのよ。だから、特にそういうことは心配しなくていいわ」


 タワーマンションで一人暮らしねえ。さすが一流企業の社長令嬢ってとこだな。


「ちょっと両親とはうまくいってないの。ま、ただそれだけよ」


 いやいや気まずくなっちゃうだろみんな別れる前にそんなこと言うと。


「伊月さん!」


 うおおいきなり大きな声出すなって柳井。ほんとびっくりしちゃうから。


「あたしね、こないだも言ったけど困ったことがあったら相談に乗るから! 乗るからね!」


 何かそんなことも言ってたな。あの柳井と伊月が喧嘩して、結局伊月が本当の自分を見てくれるってことに納得して、丸く収まった時に。


「ま、あれだな。伊月は空気を読むってことをそろそろ勉強したほうがいいな。カズもだが」


「あら? 私にそんなもの必要あるのかしら? 周りが私に合わせればいいんじゃなくて? そういうのは瀬野くんのような凡人が勉強すればいいのよ」


 言ってからにっこり笑った伊月を見て、冗談かい、とツッコむ誠。

 今日一日で、伊月は僕らにかなり心を開いてくれた。柳井も半年くらい前から心を開いてくれている。まさか伊月が冗談を言うなんて。そもそもそんなキャラじゃないかと思っていた。

 僕はそれに応えるべきなのだろうか。誠を信頼した時のように、この二人も受け入れるべきなのだろうか。

 楽し気な三人の傍で、僕はひっそりと悩んでいた。


 だけど、僕たちは知らなかった。今日という日の思い出が、僕たちに力をくれるということを。

 僕はまだ受け入れていなかった。柳井の優しさを、伊月の想いを。

 結局のところ、僕たちの野外活動はまだ終わってもいないし、まだ始まってもいなかったのだ。

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