扇形のセカイ
みなさんどうも。会沢です。やっと書き上げました。いや~こんな長引くとは。正直すぐ終わると思ってたんですが、全然でした。
twitterの3か月かけたというのは嘘です。ごめんなさい。この作品は、8月の初めに、全国高校野球を見ていて思いついた作品です。なので本当は1か月ちょっとしかかかってません。
それでは、僕の作品を、どうかお楽しみください。
「カキン」という金属音がグラウンドに響く。
「これで何本目だ?」と誰かが聞く。「19本目だってよ。」とまた誰かが答える。マウンド上のピッチャーを見ると、大きく苦悩の顔が表れている。内野、外野を守る選手も同じような顔をしていた。一方監督は、あまり興味のなさそうな顔で見ていた。
22対0。これが今試合の結果だ。ホームラン16本、ヒット25本、四死球5。それに対し、彼らのチームは、ホームラン0本、ヒット6本、四死球2。コールドが無しとはいえ、ここまで差が開くとは…なんて、誰も思っちゃいない。皆、これが当然の結果だと思っている。むしろ、ヒットが6本あるというのは珍しいほうだ。
これが、楓宮高校の現状である。
「海斗、またお前20点差つけられたのか。」
半ば笑いのまじっているその問いは、冗談を言っているようだった。
「20点じゃない、22点だ。」
花田海斗は、少しふてくされて言う。
「まーたすねちゃって。そんなの同じだろ。四捨五入したら20じゃないか。」
海斗は無視して弁当にがっつく。
千葉県立楓宮高等学校は歴史ある高校で、本年度で創立104年を迎えた。偏差値は66で東大や千葉大などの国立大学も狙えるような進学校だ。だからといって部活動をおろそかにしているわけではない。
バスケットボール部は男女ともに全国出場を多く経験している。サッカー部も、多くはないが、全国の経験はある。まぁ100年の歴史があれば1度ぐらいはあるものだろう。ある部活を除いてだが。
野球部は、今まで一度も全国大会に出場したことがないのだ。第一回大会の時点ですでに野球部は創設していたらしいが、そこからずっと100年近く出場がない。だが、全国を探し回ればそんな高校なんていくらでもあるだろう。しかしこの高校、千葉大会で一度も2回戦に進出したことがない、つまり1度も勝ったことがないのだ。
海斗はその野球部に所属していて、ポジションはショートだ。キャプテンではないものの、チームメイトをまとめているうちの一人である。まとめるといっても総員14人しかいないのが現状だ。14人しかいないのは言うまでもない。
海斗と一緒にしゃべっている男は、山口功平といい、海斗の小学校からの幼馴染だ。彼は昔から水泳をしている。実力こそずば抜けてはいないものの、地区の大会ではだいたい表彰されるほどの実力だ。
「いやぁ~俺も昨日練習さえなけりゃ観に行ってやったのになぁ。」
「やめてくれ。功平にだけは一番来てほしくない。」
「じゃあ沙月ちゃんといくぜ。それなら勝てるんじゃないのか。」
半笑いで功平は言った。
「馬鹿か。妹が来て勝てるんだったら毎回毎回呼んでるわ。」
「なんだよぉ~ノリ悪ぃなぁ~」
また海斗は無視して弁当を食べ続ける。
放課後の練習が始まった。だが、どう数えても部員が10人しかいない。なぜならこのチームには、幽霊部員が3人いるからだ。残りの1人は風邪のようだ。
「おっし!ランニング始めるぞ!」
この大声の主は、キャプテンの吉田喬一だ。ポジションはキャッチャー。人望はあるものの、やる気のない部員からは煙たがられている。まぁ、その部員は部活動に来ないのだが。結果、どちらかというとやる気のある部員しか残らないので、練習は滞りなく進む。うまくいっているわけではないが。
最後のトレーニングが終わると、大抵の者はそさくさと帰ってしまうが、海斗と喬一は残り、練習を続ける。
あともう一人残っている者がいる。唯一のマネージャー川口美希だ。彼女は喬一の幼馴染で、随分と喬一と仲がいい。周りの者(主に功平)はその関係に注目しているみたいだが、お互い意識はしていないようだ。美希は、顔も良し、性格も良しと人気の生徒だが、そんな彼女があの野球部のマネージャーを続けていることから、そういう噂が上がっているのだろう。
2人の選手と1人のマネージャーの居残り練習が終わった。
「美希、ボトル取って。」
「はい。」
「サンキュ。」
「先帰るね。」
「おう。じゃあな。」
「お疲れさま。」
その光景を海斗は見つめ、更衣室に入ったところで喬一に言った。
「お前らホントに何も無いの?」
喬一は、はぁとため息をついて、呆れて答えた。
「功平ならまだしもお前がそんなしつこいと思わなかったよ。」
「いやだってよ、この野球部のマネージャーを続けてることはまだしも、俺たちの”居残り練習”に付き合ってるってことはそういうことじゃねえのかなって…」
海斗がそう言うと、喬一は立ち上がって、
「あいつは俺たちのために残ってるんだよ。俺じゃなくて俺たち。そんな風にとらえるんじゃねぇよ。」
そう言って更衣室を出た。
海斗の携帯の着信音が鳴った。海斗が画面を見ると、「聞き出せたか」と功平からのメッセージが入っていた。海斗は大きくため息をつくと、携帯を閉じて、更衣室の部屋の電気を消した。
次の朝。海斗は喬一のところへ行った。
「昨日は悪かったな。あんな言い方して。」
「いいよ。どうせ功平だろ。」
バレバレじゃねぇか!。海斗は心の中で怒鳴った。
「あ…うん。なんでわかるんだよ。」
「お前が思っててもあんなこと言うかよ。少なくともお前は気遣える男だってわかってたから。昨日はあの言葉にキレちゃったけどな。」
海斗は笑ってその場を後にした。
「おい海斗ぉ。お前聞けたのかよ。」
その声に海斗はイラッとする。
そこそこの厚さの日本史の教科書を丸め、
「お前のせいで俺があいつに怒られたじゃねぇか。」と言って叩いた。続けて「もっとも、あいつはお前の差し金だって気づいてたけどな。」と言った。
「マジ?」と言うが、功平は焦りの顔を見せない。
「なんで俺だってわかるんだよ。」
「俺が信用されてるからだ。」
「なんだよそれ。」
「もういいよ。」
授業の始まるチャイムが鳴った。
今日は午後から雨が降り、筋トレのみだった。「これじゃあ残れねぇな。」喬一はそう言うと、練習が終わると帰っていった。
帰り道、海斗は妹の沙月に会った。沙月は傘を忘れているようだった。沙月を海斗の傘に入れ、2人で帰っていた。
「お兄ちゃんどお?うまくいってるの?」
「練習がうまくいってたら試合でもうまくいくだろうな。」
「でもいつかは勝てるんじゃないの。」
「いつかなんて随分先だ。春に大型新人か、敏腕監督が楓宮に来てくれたら、春の大会はわからんかもな。沙月の同級生にいないのか。野球のうまくて頭のいい奴。」
「私たちの学年で楓宮に行く人は私と麻美ちゃんだけ。野球やってる人なんて頭悪い人ばっかり。いや、私の周りの話だけどね。」
「そうか。そういえば、功平に俺の試合に誘われても絶対についていくんじゃねぇぞ。」
「なんで私が功平君に誘われるの?」
「功平が言ってたからだよ。お前を誘うって。」
「功平君とだけは行きたくないよ。」
「そうだな。」そう言って海斗は笑った。
家に着いた。
海斗と沙月の「ただいま」という声に反応する人は誰もいない。2人の両親は医師と看護師で、2人が小さい時から帰ってくるのが遅かった。そのため、海斗は小さい時から母に料理を教えられ、沙月と2人で夕飯を食べていた。今じゃ沙月も料理が一応できるため、交代制になっている。今日は海斗が当番だ。
テーブルを挟んで2人で夕飯を食べる。これがいつもの光景だ。
「お兄ちゃん、これどんな味付けしてこんなに美味しくなるの?」
「普通の味付けだよ。」
「嘘ぉ。私の料理と全然違うじゃない。」
「慣れだよ。慣れ。」
沙月は納得しないような顔で食べ続ける。
「ねえお兄ちゃん。」
ふと沙月が言った。
「何?味付けの事?」
「違うよ。それはもういい。」
「じゃあ何。」
「私さー楓宮入ったら野球部のマネージャーやるね。」
海斗は驚いた。
「なんでだよ。お前、バドミントンはどうした。」
沙月は、バドミントンの市の大会のシングルスで2位をとったことがある。そのため海斗は高校もバドミントンを続けると思っていた。楓宮のバドミントンは弱くない。
「お兄ちゃんが引退したら私も辞める。マネージャーというより、お兄ちゃんのお手伝い?それで、やめた後バドやるの。」
「そんな感じでスポーツに挑むと上手くなれねぇぞ。」
「いいの。私、バドミントンは楽しかったらいいと思ってるから。そんな気持ちで臨むと、逆に気が楽になって勝っちゃったりするんだけどね。」
「そうか。好きにしろ。」
「何よその反応~。」
ごちそうさま。海斗はそれだけ言って自室へ向かった。
次の日、海斗は功平からあることを聞いた。
「山本、今年で異動らしいぜ。」
「本当か?」
山本とは、現国の教師で、野球部の顧問だ。しかし顧問とはいっても、野球経験者ではない。そのため、練習に来ず、試合にたまに来る程度だ。このチームが弱い要因のひとつなのかもしれない。
「ああ。可能性は高いぜ。なんたってこの俺の情報だからな。」
「どこから来るんだよその情報。」
「秘密だよ。」
功平は、教師の人事異動や、生徒の転校などの普通では手に入れ得ない情報を手に入れている。これは中学からだ功平が手に入れた情報は、100%的中している。占いなどでは無いらしいが。
「でも、それはまずい情報だな。」
「なんで?」
「俺たちの野球部は元々、俺たちが1年のときに丸山が辞めちまって、顧問がいなくなったんだよ。そのときにどこの部活もやってなかった山本が仕方なくって感じで顧問になったんだよ。でも今は顧問やってない教師はいねぇからな。新しく入ってくる教師の中に野球経験者がいないか、顧問をしないやつがいないと、もしかしたら野球部がなくなるかもしれない。」
「まー大丈夫なんじゃねぇの?いざとなったら教頭に頼みに行けばいい。名前だけっていう場合もあるらしいぜ。」
「へぇ~。でも名前だけって今と全然変わんねぇじゃねぇかよ。一番いいのは敏腕監督が来ることだ。」
「そんなもん来るかなぁ。」
「来ないと困るんだって。」
と海斗は言うが、本当に来るなんて思ってはいない。海斗だけではなく、部員のほとんどが新しい監督については諦めている。諦めていないのは喬一ぐらいだ。
「ま、神にでも祈っておくんだな。」
「神に祈って叶うんだったら、この学校は強豪校だろうよ。」
「そりゃそうだ。」
2人は笑った。
このとき、まさか海斗は本当に来るとは思っていなかったろう。
新年度が始まった。
海斗は3年になり、沙月は楓宮に入学してきた。
春休みの間、山本が異動することを海斗たちに告げた。功平が言っていたことは本当だった。山本が異動してからは、顧問がいないため、グラウンドを取ることができす、野球部は活動休止になった。
始業式の日。喬一が海斗に話しかけてきた。
「新しい顧問、来るといいな!」
「あんまり期待すんなよ。そんなこと滅多にねぇよ。」
「大丈夫だよ。俺が神社に祈ってきたんだ。」
本当に祈ってくる奴がいるのか、と海斗は思った。
「え~、続いては新しく赴任してきた先生の紹介です。」
教頭が読み始めた。
最初のほうは、野球どころか、明らかにスポーツもできないだろ、と思わせるほど華奢というか、細い人ばかりだった。
「続きまして、千葉県立丹愛高校から赴任してきました、溝端大貴先生です。現代国語を担当なさいます。一言お願いします。」
数少ない野球部が少しざわついた。
「おい海斗。丹愛って野球の名門じゃなかったっけか。」
功平が訊いた。
「だからって野球やってるとは限らねぇだろ。丹愛はバスケも強いぞ。」
溝端がしゃべりだした。
「え~、溝端と申します。ここは丹愛と違って頭のいい学校だと聞きました。皆さんの進学の邪魔にならないように、頑張って教えたいと思います。」
拍手が起こった。
海斗は溝端を見つめていた。
「あの体格…野球経験者っぽいぞ。」
「そうか?普通にガタイがいいだけに見えるけど。」
「絶対とは言えないけど可能性は高い。」
そのとき、溝端は言った。
「え~、ちなみに僕は、野球部の顧問をやるつもりです。頑張って強くしていきたいと思います。」
体育館内が少しざわついた。喬一は歓喜の表情を浮かべていた。
「ほら!やっぱりそうなんだよ!野球経験者だったんだよ!」
海斗がそう言うと、功平は笑って、
「落ち着けよ。お前らしくないぞ。」
喬一の、小さくしているつもりのガッツポーズを見ながら、海斗は溝端のほうを見た。新しい監督。今までとは違う。海斗を含め、ほとんどの野球部員が胸を躍らせていた。
その日の練習にもう溝端はいた。
「え~、これから2年生はとりあえず1年間。3年生は夏まで。俺がこのチームの監督をさせてもらう。壇上ではさすがに言えなかったけど、このチームは強くないらしいな。俺がお前らが強くなれるように、勝てるようにしていくからしっかりついてきてくれ。」
ハイッ!と全員が返事をする。喬一の声が一番大きかったので、喬一の周りにいるものは驚いた様子だ。
溝端は、始業式のときと違い、一人称が『俺』になっているのと、敬語じゃなくなっているため、雰囲気が全く変わっていた。もともと体格がいいため、より一層野球部の監督に見える。
「よし。早速だが今週の日曜日に練習試合をすることになった。」
「仕事早いな。」
海斗は小さい声で突っ込んでしまった。
「相手は丹愛だ。俺が異動する前に頼んでおいた。お前らの実力を実際に見たくてな。」
そこにいる部員が全員驚愕の声を上げた。
「た、丹愛って本当ですか監督っ!?」
「当たり前だろ。あと、この後俺、色々忙しいから日曜まで部活行けないからな。グラウンドは取ってるから安心しろ。それじゃあ。」
そう言って溝端は校舎へ入っていった。
そこにいた部員全員が呆然としていた。
「よ、よし!ランニング始めるぞ!!」
喬一がそう言うと、部員たちは喬一の後に続いて走り出した。
その日の居残り練習のとき、美希が喬一たちにあることを訊いた。
「今日遅れちゃってごめんね。新しい先生どうだった?顔は良かったけど、うまくやってるの?」
「なんだ、お前ああいうのがタイプなのか。」
「ま、周りの子だっていってたんだよっ!」
「んー、まだよくわからんな。急に丹愛と練習試合って言いだすし。おまけにその試合まで練習来ないって言ってるし、全然つかめねぇよ。」
喬一がそう答えた。
「た、丹愛が相手なの!?すごい急だね。そんな強いチームが相手なのに練習に来ないなんて、どういう事なんだろう。」
「ただ忙しいだけなんじゃないの。」
と、三人(ほぼ喬一と美希だが)で話していると、ある声がした。
「お兄ちゃん。」
そこには沙月がいた。
「沙月!帰ってなかったのか。」
海斗が美希のほうを見ると、海斗と沙月を交互に見て、目を輝かせていた。
「海斗くんの妹さん!?すごいかわいいね!」
沙月のほうをもう一度見ると、照れているようだった。
「いえ…ありがとうございます。花田沙月といいます。」
「なんで残ってたんだ?」
「お兄ちゃん今何してんだろうと思って探してたら、1時間近く経っちゃって。こんなところで練習してたんだね。」
はぁ~と海斗は溜め息をついた。沙月の方向音痴は昔から治っていない。
「そう…今から始めるからちょっと見ていかない?お兄さんが何やってるか。」
美希がそういうと、沙月はニコッと笑って
「はいっ!」
と返事をした。
「妹が、見てると、やりにくいか?」
筋トレをしていると喬一が言った。
「そうでも、ねぇよ。向こうは、向こうで、盛り上がってるし。」
美希と沙月はベンチに座り、楽しげに話しているようだった。
「海斗にあんな、かわいい妹が、いるなんて、知らなかったよ。おまけに、真面目そうだしな。」
「そうでもないけど。狙ってないよな。」
「あいにく年下は、対象外なんだ。」
「かわいいって、言ってたじゃねぇかよ。」
「かわいいと思うのと、好きって、思うのは、違うだろ。」
「お。お前、いいこと言うな。なんか、心に、響いたよ。」
「なんだよ、そりゃっと…うし、終わりだ。」
「ちょ、ちょっと待て。あと10回ある。」
「早くしろー」
喬一は立ち上がり、体を動かし始めた。
沙月は、美希と同じように海斗たちの手伝いをしていた。美紀は、見ているだけでいいと言うが、そうはいかない、と沙月は手伝っていた。
居残り練習が終わっても、美希と沙月は話をしていた。もともと沙月は、話すのが好きである。中学のときも、下校するときに友達と喋っていて、帰るのが遅くなることがしばしばある。
「おーい。沙月ー。帰るぞー。」
「あ、うん。ちょっと待ってー。」
沙月は美希にあいさつをして海斗のもとへ走ってきた。
「美希先輩ってすごいいい人だね。」
沙月が歩きながら言った。
「そりゃあそうだ。あの野球部のマネージャーをずっとやってんだもんな。」
あっけからんと海斗は言った。
「ちょっと、そんな言いかたしないでよ。」
沙月が少し怒ったような顔をした。海斗は「ごめん。」と謝り、話を続けた。
「川口さんと何話してたんだ。」
「んー色々だよ。お兄ちゃんの事とか、キャプテンの事とか、功平君の事とか。」
「おい、俺と喬一はわかるがなんで功平が出てくるんだよ。」
「3年生の間で有名なんでしょ、功平君。情報通だったり、ちょっとうるさかったり、でも学年のムードメーカーだって言ってた。」
「川口さんは褒めるのが上手いな。俺に言わせると、あいつは謎に包まれたうるさいやつだ。もしかしたら未来から来てんのかもな。」
海斗が真顔で言うので、沙月は驚いた。
「お兄ちゃん。そんな真顔で冗談言わないでよ。」
「いやホントに、時々思うんだよなぁ。」
「もう。変なこと言わないで。」
家に着いた。
「今日、飯沙月だぞ。なんか考えてんのか。」
「あーっ!忘れてた!何にも考えてない!」
「ったく…代わってやるよ。明日作ろうとしてたやつがあるから。」
「わーい!ありがとうお兄ちゃん大好き!」
「馬鹿。その代わり沙月は2日連続だぞ。」
「えー。なによぅ。」
「当たり前だろ。交代するだけだ。」
そう言って海斗は台所へ向かう。
日曜日。海斗たちは丹愛高校にいた。
「全員揃ってるかー?」
喬一の大きい声が広いグラウンドに響く。全員揃っていることを確認すると、チームはアップを始めた。その様子を溝端は見ているだけだった。「何も声かけないのか?」と、海斗は少し気になったが、アップ中は気にしないことにした。
アップはいつもの練習の通り、ぐだぐだしているわけではないが、うまくいっているわけではない。経験者からすると、口出ししたくなるほどだが、溝端はやはり声をかけなかった。腕を組み、その様子を眺めているだけだった。
試合の時間が近づいてきた。溝端が選手を集めると、一言ほどしゃべり始めた。海斗たちはこれが今日初めて聞く溝端の声だ。
「え~、この試合、俺は指示はしないから、いつもの通りやってくれ。」
また、選手たちがざわつき始めた。
「交代などは…」
1人の選手が言うと、
「お前らで決めてくれていい。」
その場にいた選手全員が首をひねった。どこまでこの監督は何もしないつもりだと、おそらく皆が思っているだろう。これじゃあ前と同じだろと、思うものもいた。
試合が始まった。丹愛高校は、格下の相手といえど、一軍のメンバーを出してきた。先攻は楓宮だ。
1番の海斗は、1打席目、打球を打ち上げセカンドフライ。その後2番、3番とアウトになり、1回は3者凡退となった。
丹愛の攻撃。1番の打者は、打球が少し詰まり、ショートへ。海斗はキャッチすると素早くファーストへ送球した。少しおぼつきながらもファーストがキャッチし、1アウトを取った。しかし、2番の選手にレフト前のヒットを打たれ、その後の3番の選手はライトフライでアウトを取ったものの、タッチアップでファーストランナーはセカンドへ。さらに4番の選手が、センターの守備を越える打球を打ち、早くも楓宮は、先制点を奪われてしまった。さらに打った選手はサードまで塁を進めた。
初回に先制を取られるのは、もはや楓宮のお決まりの事だ。そしてそこからいつも2点目、3点目と点を重ねられていくのだ。
今日も例外ではない。先制点を取られた後に、5番の選手がライト前にヒットを打ち、2点目が入る。そして、次の6番バッターでファーストゴロに討ち取り、3つのアウトを2点を入れられつつとることができた。
こんな調子で試合は進んでいく。1回に2点以上入れられるのは楓宮の常識だ。しかも相手が強豪校ということで、いつもよりも失点が増え、ヒットが減っていた。そんな試合の様子を、溝端は黙って見ていた。
試合の最終結果は25対0。いつものような結果になった。
試合後、溝端はまた選手を集めた。
「え~、今日の試合を見て、お前たちの強いとこ弱いとこがよくわかった。俺は明日も実は忙しいから、明後日から詳しく言っていきたいと思う。まぁ一言言うとすれば、お前ら…」
溝端は少しため込んだ。選手たちは、どんな罵声が飛んでくるのだろう、と緊張が走る。溝端の口が動き始めると、選手たちはゴクリと唾をのんだ。
「思ってたよりも、全っ然マシだ!」
え?とそこにいた選手全員が驚いた。溝端は続ける。
「正直、丹愛相手だから30点差ぐらいつくのかと思ってた。全然強くなれるから、それを忘れないように。以上!」
溝端はそう言うと、丹愛の監督のほうへ歩いていった。
選手たちは全員黙ってその様子を眺めていた。
2日後。やっと練習に溝端が来た。最初に選手を集めた。
「え~、今から練習始めるけど、ちょっと…ではないな。けっこうお前たちに言っておきたいことがある。」
溝端はそう言うと、自分の持っているボードを見つめた。
「え~、まずはチーム全体で言うと、お前たちはミスが多いな。おとといは割と少なかったんだろうが、アップを見てりゃよくわかる。それが大量失点の大きな要因だろうな。んで、得点が少ないのは…」
と溝端は話し始めた。主に、チーム全体での欠点を話していた。選手たちは黙って聞いていた。溝端が話していることは、あまりにも的確で、そしてそれは、選手たちのことを1人1人じっくりと観察しているような、そんなことだった。
ある話をしていた。
「丹愛、ちょっと弱くなってないか?」
1日前、喬一が言った。
「負けたのに?」
海斗がそう言うと、
「いや、違う。そうじゃなくて、丹愛はもっと強いと思ってたんだけどな。甲子園にも出場できるくらいの実力だと思ってたんだけど、思ったよりも守れたんだよ。」
「ふーん。まぁでも確かに、それはちょっと思ったかもな。」
「もしかしたら、監督が楓宮に来たからかもしれないな。」
「そうかもな。」
その時話していたことを、海斗と喬一は、思い出していた。
「…チームとしては以上だな。個人としては特にはない。チーム全体としてはバランスが良いからな。それじゃあ早速ランニングから始めてくれ。」
溝端がそう言うと、選手たちは、「ハイッ!」と返事をしてランニングの準備をした。すると、溝端が海斗と喬一を呼んだ。2人が溝端のもとへ寄ると、溝端はボードの紙を一枚めくった。
「個人としてはないと言ったが、お前たちは別だ。実力的に、頭一つ出てるからな。」
溝端はそう言って話し始めた。
「2人とも守備は申し分ない。練習量が他と違うんだろうな。これなら丹愛でもスタメン争いができるくらいのレベルだ。」
まるで2人の居残り練習のことを知っているかのようだ。
「でも問題は攻撃の面だな。吉田は、バッティングは良い。おとといも4打数3安打といい成績だ。だが、走塁がいまいちだな。足が遅いわけではないが、積極性がない。そこで止まらなかったらツーベースだっただろうといった場面が見られた。それに代わって花田は、走塁に関しちゃチーム一だ。あの盗塁は素晴らしかった。だが、打撃がどうも伸びてない。もうちょっと長打が出れば、お前の走塁だと大きくチャンスになる。2人とも対照的な問題だから、2人でその部分を伸ばしていってくれ。以上だ、練習に戻れ。」
2人は「ハイッ!」と返事をすると、遅れてランニングを始めた。
2人は走りながら喋っていた。
「俺たちの弱点、バレてたな。」
喬一がそう言った。
「バレたっつっても俺たちの監督だからな?弱点っていうよりも課題だ。でもお前の走塁のことは意外だった。俺たちでも気づかないことだった。」
海斗がそう言うと、喬一は「そうだな。」と頷いた。
「対照的とは考えたことがなかったな。今日はその辺を練習したほうがいいな。」
「今日から、だろ。」
「んなもん言葉のアヤだよ。俺はそういう意味で言ったんだよ。」
「そんなもんわかるか。」
海斗は笑った。
そして、ランニングが終わると、基礎練習に参加した。
その日の練習はいつもよりも厳しかった。それもそうだろう。そもそも今まで練習を見に来る顧問がいなかったため、練習はいつもとほぼ変わらないメニューだった。
溝端は、基礎的な守備の練習を重点的に行った。守備以外も、打撃なども基礎的な練習だった。溝端が言っていた、ミスというものを減らす練習だろう。練習はいつもよりも長く行った。
その日の居残り練習は少しいつもよりも遅れて終了した。
「疲れたぁー」
喬一はそう言って、ベンチにドスンと座った。練習がきつかった分、居残り練習は余計に疲れているのだ。
「ほぉ~。感心だな。こんな時間までやってたのかお前ら。」
溝端の声だ。
「えっ、か、監督っ!?どうしてここに!?」
3人はほぼ同時に訊いた。
「佐藤さんに訊いたんだよ。熱心に練習してる生徒がここにいるって聞いてな。ピンときたんだよ。」
佐藤さんとは、この場所をこの時間に貸してくれてるここの管理者で、彼も野球経験者だということで、快く貸してもらっている。
「佐藤さんめ…」
喬一が小声で言った。
「何か言ったか?」
「い、いえ!なんでも!」
溝端は、美希のほうを見た。
「マネージャーまで残るなんて、ますます感心だな。そりゃあこいつらも上手くなるわけだ。野球ってのはサポートありきだからな。練習は?終わりか?」
美希は顔を赤くして答えた。
「は、はい。今終わりました…」
「そうか。そりゃ残念だ。じゃあ気を付けて帰れよ。」
そう言って溝端は帰っていった。
「な、なんで来たんだよ…」
海斗はそう言って、帰る準備を始めた。
なぜ溝端が来たのかは、海斗たちにはわからないことだった。だが、海斗にはわかることがひとつ、あった。喬一が美希のほうを見て、顔を曇らせていたことだ。
今日は、1年生が入部してくる日だ。どんな1年生が来るか楽しみにしているのは海斗と喬一だけだった。他の部員は、諦めているような状態だった。無論、こんな進学校の、こんなチームには誰も入ってくれないだろう、という気持ちだった。
1年生は去年よりも多く、8人が来ていた。特に見た目で目立っているのは1人。その1人は、180以上はある背丈。長い手足。野球をやっているようには見えないほどの色白い肌。あまり野球には向いてなさそうな外見だった。
「おい、海斗。」
喬一が肘で海斗を突っついた。
「なんだよ。」
「あの一番右。けっこう体格良くないか?」
喬一が言っていたのは、海斗が気になっていた者ではなく、一番体格のいい者だった。そりゃそうか。と海斗は思う。
「え~、それじゃあ右から中学と名前と中学のときのポジション、もしくは希望するポジション。どうぞ。」
溝端がそう言うと、一番右の者が背筋を伸ばし、口を開いた。
「千葉市立第四中学から来ました!!片山昌平です!!中学のときはファーストでした!!よろしくお願いします!!」
彼のその大きな声に、喬一はとても嬉しそうな表情をしていた。
その後、何人か同じようなのが続いていった。そして、海斗が気にしていたあの選手に回ってきた。
「えっと…千葉市立第四中から来ました。小林蒼一です。中学のときはピッチャーでした。…あの、よろしくお願いします。」
他とは違う雰囲気だった。少し低めの声のせいかもしれないが、それ以外にもただならない雰囲気が漂っている。
最後に沙月の番が回ってきた。
「マネージャーの花田沙月です。精一杯やるのでよろしくお願いします。」
部員たちがざわつきだした。花田という名前に反応したのだろう。2年の1人が海斗に訊いてきた。
「あの子…もしかして海斗さんの妹さんっすか?」
「そうだよ。」
「め、めちゃくちゃかわいいじゃないすか!なんで黙ってたんすか!」
「なんでお前らに話すんだよ。」
海斗は呆れながら言った。
2、3年の自己紹介が終わると早速練習に入った。1年の中でピッチャーは2人いた。喬一はその2人と一緒に練習をしているようだ。
休憩中、1年の体格のいい、昌平が海斗に話しかけてきた。
「花田先輩、蒼一、あの大きいやつ。気にかけてましたよね。」
「お、おう。」
この男もただならない雰囲気だと海斗は思う。
「あいつは凄いですよ。あんな感じだけど、ピッチャーとしては天才です。荘蔭高校から推薦来てたとか…」
「そ、荘蔭!?なんでこんなとこ来たんだ?」
「わかりません。あいつの考えてることは俺にはどうも。」
「休憩終わりー。始めるよー。」
美希が声をかけると選手たちが立ち上がった。立ち際に昌平が、
「あと、妹さんかわいいですね。」
と、そう言って走っていった。「人気だな。」と海斗は呟いた。
その日の居残りはいつもと大きく違っていた。
「沙月と監督はまだわかるが、なぜお前たちがここにいる。」
そこにいたのはいつもの3人に加え、溝端、沙月、さらには昌平と蒼一もいた。
「吉田先輩に教えていただきました!」
「俺もです。」
2人はそう言った。
「まーいいじゃないか。人が多いほうが練習の幅も広くなるだろ。」
そう言ったのは溝端だった。
「とりあえず、始めようぜ!」
喬一がそういうと、海斗は、溜め息をつき、準備を始めた。
「おい海斗。まずはこいつのピッチングを見てみろ。こいつは凄いぞ。」
喬一がそう言って蒼一の肩を叩いた。海斗が昌平のほうを見ると、昌平はにっと笑った。
「そんなことないすよ…」
「謙遜すんなよ~」
喬一はそう言ってマスクを被り、グラブを構えた。
「よっし来い!」
喬一がそう言うと、蒼一は小さく振りかぶった。海斗たちは割と離れてで見ていたが、蒼一の威圧が感じられた。
「スパァン!!」とグラブにボールが入る音が響いた。海斗たちは言葉を失っていた。恐らく140キロは出ただろう。しばらくの間静寂が場を包んだ。
静寂を破ったのは、溝端だった。
「凄いな。今のが思いきりじゃないだろう。」
溝端の問いに「はい。」と蒼一は答える。
「さすがだな。そりゃあ荘蔭も欲しがるよ。」
その言葉に喬一が反応した。
「荘蔭から推薦来てたのか!?」
「はい。来てました。」
「な、なんでこんなところに?」
それは、喬一だけでなく、海斗も昌平も知りたい事実だ。
「いい大学に行きたかったんで…荘蔭じゃ難しいって言われたから…」
海斗だけでなく、その場の全員が疑問を持った。
「なんでこだわるの?大学に。」
その疑問をぶつけたのは沙月だった。
「家が裕福じゃないからさ、将来は安定させたいんだよ。学費を出すので精一杯って、親が言うから。俺はいかないといけないんだよ。」
全員が言葉を失っていた。沙月もまさかこんな家庭事情が絡んでいるとは思わなかっただろう。
「ご、ごめんなさい。そんなこと聞いちゃって。」
「そう思うなら同情しないでくれ。それが一番楽だ。」
また、場が静まり返った。今度は喬一がその静けさを破った。
「そんじゃあ、続きやろう!次は片山君の実力を見せてもらおう!」
それから、練習が再開し、さっきのことはなかったかのように続けられた。
帰り道、沙月は下を向いて歩いていた。
「まだ気にしてんのか。別にあいつは怒っちゃいなかっただろう。」
「でも、あんなこと、みんなに話したくなかっただろうし、私は小林君の事わかってあげられないし。」
海斗と沙月の家は親が医者であるため、裕福である。
「いいんだよわかってあげられなくても。」
「え?」と沙月が海斗を見る。
「わかってあげることよりも、わかってあげようとする事が大切なんだって、よく言うだろ?ちょっと話を聞いただけでそんなにあいつに同情してあげられるお前は、充分に立派だよ。」
海斗はそう言って沙月の頭をポンポンと叩き、前を向いた。沙月が海斗の腕をつかむ。顔を海斗の腕の中にうずめていた。
「袖がびしゃびしゃになるだろ。」
「いいじゃん…別にぃ…」
「歩きづらい。」
沙月は反応しなかった。「仕方ない。」と海斗はそのまま歩き出した。
次の日の居残り練習。溝端は来ていなかった。正直海斗たちは、溝端が来ているとやりづらかった。溝端はいつも何も言わずに黙って見ているだけなので、近づきづらい雰囲気を出すのだ。
昌平はパワーが持ち味だった。少々当たり所が悪くても外野には飛ばせるほどのパワーだ。そのパワーを、喬一は買っていた。
「大型の新人が来たもんだな。」
喬一が海斗に言った。
「全くだ。俺たちが去年欲していたものが両方来たから逆に困ったよ。」
「両方?」
「大型新人と敏腕監督。これじゃあ来週の大会は本当にわからんかもしれんな。」
その言葉を理解するのに喬一は数秒かかったのか、数秒間黙り、気づいたように海斗に言った。
「来週!?もうそんな時期なのか!」
「今日監督が言ってたじゃねえか…」
来週の日曜日、つまり6日後に試合ということになる。今日溝端が言っていたとしても、急な話だ。
「1年が入ってきてまだ4日ぐらいしかたってねぇぞ!相手は?」
「お前全然聞いてねぇな…みんな驚いてたろ。」
「驚く…?」
その選手たちの反応は始業式の日の反応と酷似したものだった。
「え~、早速来週は待ちに待った春季千葉県高校野球大会だ。この試合、1試合目の相手は丹愛高校だ。強豪チームだからみんな練習を怠らないように。」
あまりに溝端がさらっと言うので、部員たちは数秒固まったままだった。
「…ええ!!?丹愛!?この間やったばっかりじゃないですか!!」
「仕方ないだろ。抽選なんだから。そもそも抽選したのは先週の月曜だ。俺も驚いたよ。」
選手たちはまた黙りだした。
「そんなことがあったとは…」
「お前もいただろ。」
「いや、俺はそのときどうしても腹が痛くてよ。練習が始まるちょっと前にトイレに行ってたんだよ。」
そういえばそんなことを言ってた気がする。と海斗は思う。
「そうか。練習、いつもの倍は頑張らないとな。」
喬一はそう言って、練習を再開した。海斗は正直、頑張っても到底無理だ。と感じていた。海斗だけでなく、ほとんどの部員がそうだった。
喬一も、そうではないと言えなかった。
「え~、いよいよ大会が明日に迫ったわけだが、今日は1年生と2、3年生で紅白戦をしてもらう。最終チェックだ。」
溝端が言うと、喬一は海斗を肘でつつき、首で昌平と蒼一がいるところを指した。
「直接対決だな。」喬一がそう言うと、海斗も「そうだな。」と低い声で言った。
「監督。1年は8人しかいません。」
昌平が溝端に言った。
「2,3年から誰か引き抜け。吉田と花田以外で。」
2,3年は合計で11人(幽霊部員の3人を除く)いるので、1人引き抜けば、人数が釣り合う。ポジション的に選んで、2年の選手を1人引き抜いた。これで9人と10人になった。
紅白戦は、5回延長なし、コールドなし、という内容だ。
先攻は1年チーム。1番の選手は、経験の差か、三振で討ち取った。打たれないのは珍しい光景だ。そこから、2番セカンドゴロ。3番ファーストフライと打ち取った。
海斗は少し違和感を感じていた。守備がどうもうまくいきすぎている。セカンドゴロのとき、セカンドの選手も、ファーストの選手も、どちらもおぼついていなかった。それは紅白戦ということももちろんあるし、相手が1年だということももちろんあるのだろうが、そうではなく、いつもの守備と全く異なっていた。
「海斗、感じてるか?」
「ああ…。」
「さすがって感じだな。今までと全く違うぜ。3年も2年も。監督が言ってた課題がこなせてる。」
「そうだな。」
海斗はちらりと溝端のほうを見た。グラウンドをまっすぐ見つめていて、何を考えているかわからなかった。海斗は首を小さく振り、バッターボックスへ向かった。
「ここから見ると余計でかく見えるな。」
海斗は蒼一を見て、「1球見てみよう。」と海斗は思い、肩の力を抜いた。
蒼一が小さく振りかぶった。それは、実際は小さいものなのだろうが、海斗から見える景色は、とても巨大なものだった。
「スパァン!!」あの居残り練習のときの球と同じだった。140キロは出ているであろうストレート。
「ス、ストライッ」
特別に主審をしてもらっている佐藤さんも驚いているようだった。バッターボックスに立つとこんなにも違うのか。と海斗は驚いた。「次は振ってみよう」と海斗は試みるが、完全に振り遅れていた。1球目よりも明らかに速度が上がっている。3球目、少し遅めのボールがきた。普通に考えると変化球なのだが、海斗はそんなことを考えていなかった。
結局、海斗は三球三振となってしまった。次の2番、3番の選手も三球三振に終わった。バッターボックスから帰ってきた選手は、「バケモンかよ…」とつぶやいていた。海斗も同意見だった。あれは、本当にバケモノみたいだ、と海斗は思う。
1年の攻撃は4番の昌平から始まった。昌平は1、2回素振りをして、バッターボックスに立った。どんと構えるその姿は、海斗たちに喬一を思い浮かばせた。ファーストの選手が「デカいな。」とつぶやいた。海斗にも聞こえたということは、そこそこ大きい声で言っているということだ。
初球、昌平は一度ボールを見た。小手調べという事だろう。
2球目、昌平は再びバットを止めた。ストライクゾーンから外れたボールだった。海斗は「選球眼か…」とつぶやいた。
5球目、ついに昌平は振った。「カキン」という、心地のいい金属音がなった。レフトがどんどん下がっていく。レフトはキャッチしたが、ぎりぎりだった。ファーストまで走っていた昌平は、下を向き、ベンチに戻った。
5番、6番の選手は、引き抜かれた2年の選手だった。2人とも、内野ゴロで討ち取った。ゴロがそもそも少ないこのチームにとって、その光景は珍しいものだった。
そのまま4回までお互い無失点のまま最終回を迎えた。1年チームに関しては、まだノーヒットだ。蒼一が、完璧に抑えている。
5回表。3年チームの攻撃。喬一からの攻撃だ。喬一は海斗に、「打ってくる。」と声をかけ、ベンチを出た。その声は、冗談を言っているような声ではなかった。
喬一がバッターボックスに立つと、ファーストの昌平がグラブをバンと叩いた。喬一の構えは相変わらずだ。
1球目。いつもの速球が来た。いや、いつもよりも速い。そのボールは、誰もが振れないだろうと思っていた。しかし、喬一はそんな男じゃないというのもわかっていた。
喬一は振った。そして当たった。金属音と共に、ボールは大きな弧を描き、外野の頭上を越えた。そのボールは、扇形のフィールド上には落ちず、スタンドへと入っていった。
ベンチの選手は歓喜していた。皆立ち上がって拍手を喬一に送っていた。喬一もベンチに向かい、腕を上げ、ガッツポーズを見せていた。マウンド上の蒼一は、呆然とスタンドの方を見つめていた。昌平がマウンドに向かい、蒼一に一言、二言ほど声をかけ、肩を叩き、ファーストに戻った。
ベンチに戻った喬一は、海斗に「有言実行だ。」と言って、親指を立てた。海斗も「さすがだな」と微笑んだ。
そこから3人、蒼一は気持ちを切り替えたのか、3人とも三振で抑えた。しかし、その顔は明らかに曇っている様子だった。
その回の裏、1年の攻撃は7番の選手から始まった。1年の選手だ。しかし、そこまでさっきの打席を三振で抑えられていたその選手は、その打席も三振になった。8番の選手は、センター前にヒットを打ち、ファーストまで進んだ。
9番。蒼一の打席だ。
蒼一は今までピッチング中心の練習をしていたので、当然バッティングはいまいちだった。前の打席もピッチャーゴロで討ち取られている。しかし蒼一の目は、遠くを、見つめているというよりも、睨んでいた。
1球目、速めのストレートだったが、蒼一は、振った。少し振り遅れ、空振りになった。そのスイングは少しぎこちなかったが、打つ。という気持ちが感じ取れた。近くで見ている喬一は、「力んでるな。」と思った。
2球目、さっきと同じストレートだ。喬一がわざとピッチャーにそうするようにサインをした。蒼一は、ボールを真っすぐ見つめ、バットを思い切り振った。低めの打球は一二塁間へと突き進んでいった。その瞬間喬一は、「抜ける!」と思った。
しかし、打球はそこで止まる。空中を飛んでいるような恰好の海斗は、しっかりと打球をとらえ、グラブの中に収めた。海斗が地面に落ちると、セカンド近くまで進んでいたランナーは、しまった、という顔をして、慌ててファーストに戻る。海斗は倒れたまま、グラブトスでファーストの選手に投げる。ぎりぎりボールは届き、ダブルプレーになった。
「ナイスプレー!!」という喬一の大きい声が、海斗の耳に入ってくる。ファーストが、「海斗さん、ナイスです。」と海斗に手を差し伸べた。海斗は、「おう。」と言い、立ち上がった。海斗が蒼一のほうを見ると、グラウンドに背を向け、ゆっくりとベンチへと歩いていた。その背中は、とても大きいものだが、海斗には、とても小さく見えた。
「え~、お疲れ。結果は2,3年チームの勝ちだが、思っていたよりも、接戦になったな。今日のプレーを明日にできれば、勝ちも見えてくるはずだ。明日のために、今日はしっかり体を休めろ。ストレッチ等をしっかりしておくように。」
溝端はそう言うと、「解散。」と言って行ってしまった。部員たちは、それを聞くと、ぞろぞろと、グラウンドの整備を始める。
喬一が、海斗に言った。
「ナイスプレーだな。」
「お前こそ、ナイスホームランだ。」
喬一は、少しはにかむと、下を向いた。
「蒼一が打ったボールあるだろ?」
「あのストレートの?」
「そうだ。あれ、実は蒼一に塁に出てほしかったんだよ。」
海斗は驚き、荷物を片づける手を止めた。
「どういう事。」
「蒼一がさ、あんまりにも力んでたからな。俺のホームランを取り返したかったんだろう。ちょっと自信付けてやろうと思ってな。」
「そうか。そりゃあ悪いことしたな。」
「いやぁ、お前のあれはファインプレーだよ。あれはあれで蒼一をほっとさせただろうよ。」
「なんで。」
「あんなにうまいやつが味方なんだって。」
「そんなに褒めてもなんも出ねーよ。」
海斗たちが、話しているとき、昌平が話しかけてきた。
「今日は居残りしないんですか。」
「おう。今日はもうゆっくり休んどけ。」
「そうっすか…」
昌平が下を向いたのを見て、喬一が言った。
「どうした。なんかあったのか。」
「いや、蒼一が、ひどく暗くて。あ、蒼一はもともと暗いんですけど。多分中学のころ思い出したと思うんですけど。」
海斗と喬一は同時に言った。
「中学のころ?」
「はい。あいつ、中学3年のときに、千葉大会の準決勝で、最終回の表に逆転ホームラン打たれて、その裏に、あいつの打席でダブルプレーになって負けたんですよ。」
「今日の紅白戦とほとんど同じ境遇だな。」
と、海斗は言った。喬一は黙って聞いていた。
「別にその試合で引退じゃなかったんですけど、蒼一はそれっきり野球に打ち込まなくなって。最後の試合も、自分から監督に頼んでベンチにいたんですよ。一応2イニングは投球したんですけど、それまでみたいなピッチングじゃなくて、1個も三振を取らないまま終わったんですよ。」
「そうなのか。もしかして、荘蔭の推薦断った理由って本当は…」
「わかりません。前も言いましたけど、俺、あいつの考えてることはよくわかりません、ってどうしましたか、喬一さん。」
海斗が隣を見ると、喬一が眉間にしわを寄せ、立っている。
「昌平、蒼一はどこだ。」
喬一は、今まで聞いたことのない低い声で言った。
「え、あの、多分1年の荷物置き場にまだいると思います。」
喬一はそれを聞くと同時に駆けだした。
「どうしたんでしょう、喬一さん。」
「さぁな。あいつの考えてることはよくわかんねぇよ。」
海斗はそう言って、立ち上がり、「じゃあ、また明日な。」と言って、その場を去った。
蒼一は、荷物を片づけていた。何も考えないように、ただ、淡々と片づけていた。
そのとき、後ろから大きい声が聞こえてきた。
「蒼一ー!」
喬一だ。蒼一の方へと走ってくる。喬一は体が大きいので、走ってくるとなると、とても迫力がある。迫力があるというか怖いと蒼一は感じていた。
「な、な、なんですか。喬一さん。」
「お前、中学のとき、今日と同じことしたらしいな。」
蒼一はうつむいた。
「それが何だって言うんですか。」
「それで、元気がないって、昌平が言ってたんだよ。」
またあいつは余計なことを言うな。と蒼一は思った。
「べ、別に元気がなかったわけじゃありません。ちょっと昔の事思い出しただけです。」
「それで、元気がなかったんだろう。なにそんな前のことを引きずってんだよ、お前ほどの奴が。」
何もわかっていない。蒼一は少しずつ怒りがこみあげてきた。
「引きずってるんじゃあ、ないんですよ。あの日のことを思い出すと、なんか手が震えて。あの時のチームメイトと監督の顔が頭の中に浮かぶんです。冷え切った、あの目が。それが今のチームメイトの顔に重なるんです。ベンチへ向かってるとき、みんなの顔が、あの時のチームメイトの顔になって、こっちをずっと見つめてるんです。それで…」
蒼一がそこまで言うと、喬一は蒼一の背中を強めに叩くと、
「よし、吐き出したな。明日そんな情けねぇこと言ったら承知しねぇぞ。」
そう笑って走っていった。蒼一はその後姿を呆然と見つめていた。
また後ろから声がした。
「家庭の事情って嘘だったの?」
蒼一が振り向くと、沙月がいた。
「聞いてたのかよ。」
「いいじゃん。お兄ちゃんがね、大切なのはわかってあげることだって、そう言うからずっと見てたの。」
「どういうことかさっぱりわからん。」
「質問、答えてよ。」
沙月は真っすぐに蒼一を見つめていた。蒼一は、少しため、答えた。
「嘘じゃねぇよ。」
沙月は、えっ、と驚いた。
「確かにあの試合で随分と落ち込んだが、それだけであの荘蔭からの推薦は蹴らねぇよ。」
「そう…あ、明日頑張ってね。」
「お前もな。」
蒼一はそれだけ言って、行ってしまった。
「お前もってどういうことなんだろう。」
と、沙月は思った。
「やっぱここか。」
沙月が振り返ると、海斗がそこに立っていた。
「なんでここってわかったの?」
「そりゃあわかるだろ。お前の兄だぞ。」
海斗はそう言ったあと、「帰るぞ。」と言って、歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って。」
沙月も、海斗の後を続いた。
翌日。ついに千葉大会だ。楓宮高校の部員たちはもう、会場の丹愛高校に到着していた。選手たちは、顔に緊張の色を浮かべていた。海斗は、その表情を見て、「仕方ないか。」と思ったが、喬一は、選手たちに、
「今日は楽しくやろうぜ!もちろん勝つつもりでな。」
という激励を送った。少し選手たちの顔はほころんだが、数人はまだ緊張しているようだった。
アップの最中、溝端が、昌平と蒼一に何かを言っていたのに海斗が気づいた。それに喬一が気づき、海斗のもとへ寄ってきた。
「何を話しているんだろうか。」
「さぁ。今日のことじゃないか?」
「2人はスタメンだろうか。」
「うーん。実力もあるしな。だが蒼一はなさそうだな。昨日のことともあるし、なにより英史が絶好調だ。」
英史は、楓宮の3年生ピッチャーだ。陰ながらではあるが、海斗、喬一とともにチームを引っ張ってきた。
「そうか。」
「リリーフでは十分に可能性はあるけどな。」
「そうだな。」
そして、海斗と喬一は、アップを再開した。
試合前。溝端が選手を集める。
「え~、間もなく試合だ。今日のスタートのメンバーを発表する。」
海斗と喬一が顔を見合わせる。
「1番ショート花田。」
「ハイっ!」
こうしてスタメンが発表されていった。そのメンバーの中に、昌平と蒼一の名前はなかった。その2人は、少し落胆した様子だった。
「え~、今日は前回負けた相手だが、今のお前達なら勝ちも全然見えてくる相手だ。」
溝端は、少し黙り、選手たちを見まわした。
「ところでお前達、野球のグラウンドはどんな形をしてる。」
選手たちが少しざわつき始めた。喬一が、「扇形です。」と言うと、溝端は、
「そうだ。さすが進学校、早いな。丹愛の生徒はもうちょっと時間がかかったぞ。」
そう言って笑った。選手たちは溝端が何を言いたいのかわからなかった。
「その扇形のグラウンドに立てば、そこはお前達の世界だ。それ以外は何もない。グラウンドに立っている間は何も気にしなくていい。ベンチの選手たちや、俺の反応は気にしなくていい。あの扇形の世界で大暴れして来い。」
溝端がそう言うと、選手たちは顔を見合わせて、
「ハイっ!!!」
と大きく返事をした。それを聞いて溝端は、にっと笑った。
試合はもう始まろうとしていた。楓宮は相変わらず、緊張の色が見られた。一方、丹愛の選手たちは、緊張は少ししているようだが、ほとんどの選手が余裕の表情をしていた。緊張しているのは、おそらく1年生だろう。
両チーム、グラウンドに並んだ。挨拶を済ますと、丹愛の選手たちはベンチに戻っていく。先攻は丹愛だ。
1番。練習試合で見た、3年生の選手だ。海斗が内野陣、外野陣を見回すと、かなり体が固まっているようだ。その選手は、初球の甘く入ったストレートを軽快な音を鳴らして、大きく打ち上げた。海斗は打った瞬間、外野の方を振り向いた。打球はそこまで伸びずに、レフトフライに終わった。そのアウトで緊張がゆるんだのか、次の2番の選手はセカンドゴロ、3番の選手は三振に打ち取った。丹愛の選手たちは少し驚いているようだった。ほんの2週間前の練習試合と大きく実力が違っている。ベンチに帰る選手が、海斗は、ベンチの選手と何か話しているのが見えた。おそらく楓宮の話をしている。その選手は驚きの表情を浮かべていた。
後攻、楓宮。1番の海斗が、バッターボックスに立つ。丹愛のピッチャーは、この前の練習試合で見たピッチャーではなく、見たところ、チームの要のような存在らしい。
初球。かなり速めのストレートが入る。海斗は動けなかった。「はやっ」と思うだけだった。ベンチで見ている喬一も、「速い。」と思うほどだ。海斗は、その速球で三振に終わった。次の2番、3番も三振に倒れ、その回は両チームとも3者凡退で終わった。
次の回、丹愛の攻撃は4番打者の当たりがヒットになるかと思われたが、レフトのファインプレーで、アウトになった。そのプレーで、楓宮は、徐々に士気を上げて、その回もひとつヒットはあったものの、無失点で打ち取った。
裏の楓宮の攻撃は4番の喬一から始まった。喬一は、ベンチから出ると、2,3回大きい素振りをして、バッターボックスに向かった。どっしり構えるその姿は、広いグラウンドを、小さく見せた。
初球。喬一は、一度ボールを見た。2球目も見るだけだった。2ストライクと追い詰められた喬一だが、その表情は変わらなかった。3球目。ピッチャーが振りかぶった瞬間、海斗は「振る!」と思った。確信があったわけではなく、海斗の勘だ。予想通り、喬一は振った。バットに当たったそのボールは、遠くまで飛んでいった。ライトの守備を大きく越えて、フェンスに当たり、ボールが帰ってきた。レフトがそれを拾う頃は、喬一は、セカンドまで進んでいた。いつもの喬一は、ここで足を止めている。それが喬一の課題だった。海斗は「走れ!!」と声には出していないが、強く念じ続けた。それが通じたのかどうかはわからないが、喬一は、そこで止まらなかった。そこまで走ってきた勢いを殺すことなく、サードへ向かっていた。レフトの選手はサードへ送球する。ボールの方がほんの少し速い。喬一は、それまで見せたことのないような、思い切りのスライディングをした。判定はセーフだった。おそらく、喬一の高校の野球人生の中で、初めてのスリーベースだ。ベンチの選手たちは、立ち上がって喜んだ。ノーアウトでランナー三塁。先制点は確実だろう。と皆が思っていた。
しかし、丹愛ピッチャーの表情が変わった。グラブで自分の腿をバシンと叩くと、喬一の次の6番の打者に、海斗に投げたストレートよりも確実に速度の大きいボールが投げられた。
「変わったな。」
と、ベンチで溝端は言った。続けて、
「あいつは2年の時、夏の千葉大会の準々決勝で逆転サヨナラホームラン打たれて、一時期野球やめてたんだが、あんなピッチャーになるとはな。感激だよ。」
と言った。海斗は、蒼一のほうを向いた。蒼一は、下を向いていた。自分に向けられた言葉だと思ったのだろう。おそらくその通りだ。
結局三振に打ち取られた。その後も、ピッチャーの速球は止まらず、7番、8番も三振で終わってしまった。このチャンスを活かせなかったことは大きい。
その後、両チーム、守備が時間がたつにつれ固くなっていき、6回表を0-0で終えた。
6回裏。楓宮の先頭打者は、7番からだった。7番の選手は、丹愛の守備を破れず、セカンドゴロに倒れた。7番の選手がバッターボックスに立つとき、溝端から思わぬ言葉が出た。
「片山、準備しろ。」
それを聞いた昌平は、深呼吸をして、低く、「ハイ。」と言って立ち上がった。
8番がレフトフライに倒れると、昌平はバッターボックスに向かった。その姿は、海斗には、やはり喬一と重なるものがあった。
初球。やはり丹愛ピッチャーは速球で勝負を仕掛ける。速度は落ちてきているものの、すごい速さだ。しかし、昌平はそのボールを捉えたようだ。
海斗には、一瞬のことで、よく見えなかった。気づくと、昌平がバットを振りぬき、確信したかのように、
「っしゃあぁ!!」
と雄叫びを上げた。海斗がボールを目で追うと、とても大きな弧を描いていた。しかし、確信を得るには少し足りない気がした。昌平は腕を上げ、塁を回っている。ボールは、チームの期待通り、スタンドへ吸い込まれた。その瞬間、ベンチから多くの選手が飛び出した。全員歓喜の表情だ。昌平がホームへ帰ると、皆と、ハイタッチを交わしていった。楓宮、先制点だ。
次の海斗は、セカンドゴロに倒れ、その回は1点で楓宮の攻撃が終わった。
7回表。楓宮のピッチャーマウンドには蒼一が立っていた。ファーストには昌平の姿もあった。喬一と海斗の予想通り、2人は試合に出た。昌平は、さっきのホームランでだいぶ楽になったようだ。蒼一は、やはり緊張しているようだ。1点差ということもあり、周りの選手よりも緊張している。
丹愛の攻撃は6番打者からだった。このバッターは前の打席でヒットを打っている。
1球目、蒼一のボールは大きく外れ、喬一のミットには入らなかった。蒼一は、自分の右手をじっと見つめた。見つめたというより、睨んだというほうが、適切だろう。
喬一は、即タイムをとり、蒼一に駆け寄った。
「緊張してるか。」
「はい。」
蒼一の声は少し震えている。
「そりゃそうだよな。でもな、そういう時こそ、自分を信じないとだめなんだよ。お前はすごい腕を持ってるじゃないか。海斗とか、それぐらいのやつからも三振を取ってるじゃないか。お前はあのピッチャーに負けてねぇ。俺のミットに速い球、ぶちこんで来い!」
喬一はそう言って蒼一の肩を叩くと戻っていった。
2球目、蒼一の顔が変わった。いつもの小さい振りかぶりから入り、高い位置からボールを投げる。とほぼ同時に、「パァン!!」とボールの入る音が高らかに鳴り響いた。練習や、紅白戦の時とは比べ物にならないほどの速球だった。バッターの顔は、驚愕、というよりも、絶句だった。海斗たちも、同じような表情だった。喬一との話を聞いていなかった海斗たちは、「喬一がどんなすごいことを言ったんだ…」と皆が思っていた。
その回は、三者凡退、全員三振に終わった。蒼一の本領発揮だ。
その回の裏は、同じく無得点に終わった。その後も両チームお互いの守備を破れず、勝負はついに最終回に突入する。
9回表、丹愛の4番バッターから攻撃が始まる。そこまで蒼一は、ノーヒットで押さえている。「あと3人。」と小さく指を3本立てた。丹愛の4番バッターは、今試合、3打席ノーヒット。調子は良くないようだ。
初球、蒼一は、とりあえずと、ストレートを投げた。しかし、球速がそこまで速くならなかったのと、コースが甘くなってしまったため、初球をレフト前へ運ばれてしまった。蒼一は初の打者を出した。喬一が、また蒼一に駆け寄った。一言二言言葉を交わすと、喬一は、戻っていった。
6番。ここで丹愛は、代打を出した。その選手は、練習試試合で4番を務めていた選手だ。なぜベンチに甘んじてたかはわからないが、千葉県随一のスラッガーであることは間違いない。
その選手がバッターボックスに立つと、全員の気が引き締まった。何よりも体が大きい。喬一や、昌平以上だろう。
初球。外角低めのコースにストレートを投げた。ストライクゾーンからほんの少し外れ、ボールのカウントになった。2球目は、速球を投げ、バッターは振り遅れ、空振りになった。3球目、内角の高めに投げ、再び空振りになった。ストライクが2つ。追い詰めた。
と誰もが思っていた。
喬一は、真ん中のストーレートをサインを出した。もう一度振らせようと考えたのだ。蒼一は頷き、小さく振りかぶり、そして、高い位置からボールを投げた。
と同時に「カキン!」という金属音が鳴った。打たれたボールは、楓宮の選手たちの頭上を、ものすごいスピードで越えていく。海斗は自らの頭上を越えたと認識したと思うと、ボールは消えてゆき、バッターが海斗の前を駆けていった。丹愛、逆転ツーランホームラン。
その後、蒼一は三者連続三振を奪い、その回を終わらせた。ベンチに戻るとき、喬一が蒼一のもとへ寄った。
「よく2点で抑えたな。ホームランは気にすんな。俺が甘いところにサインしちまった。そんなことよりも、お前の打席で打ってこい。」
楓宮の攻撃は、8番から。蒼一は9番だ。
8番の選手は、長打は出たものの、ライトフライになってしまった。カウントがあと2つになってしまった。
蒼一の打席が回ってきた。大きく深呼吸を2回ほどすると、バッターボックスに立った。
初球。速球がきた。蒼一は大きく振るが、振り遅れ、空振りになった。「あと2つ…」と蒼一は呟く。
蒼一は、溝端の方を見た。溝端は、サインを出さず、腕を組むだけだった。そして、声は届かなかったが、「打て。」というのが口の形で伝わってきた。蒼一は大きく頷き、再びバッターボックスに立つ。
2球目。またストレートがくる。「打てるか。」と蒼一は一瞬思う。しかし、「打て!!」という喬一の声が聞こえた。いや、感じたのだ。実際に喬一は声を出していない。蒼一は振った。そして当たった。蒼一が打ったボールは、ショートへと飛んだ。チームの全員が「抜ける。」と思っただろう。
ショートの選手が空を飛んでいるような恰好をしている。実際に、空に飛んでいる。ボールに手を伸ばしている。「バスン」という音が聞こえると、選手は地面へ落ちた。蒼一の当たりはヒットにならなかった。ファーストまで進んでいた蒼一は、ほぼ放心状態だった。ベンチの方を見ると、またあの景色が蘇った。チームメイトが、監督が、冷え切ったような目で、こちらを見ている。声は何も聞こえなかった。その光景を、すり抜けるように、ゆっくりベンチに帰り、ゆっくり座った。すると突然、背中に衝撃が走った。
「惜しかったな!ナイスバッティング!!」
喬一が言った。その瞬間、蒼一は、はっとし、周りの声が聞こえ始めた。
「いや~あれは完全にヒットのコースだったのに。」
「小林のバッティングもすげー良かったのにな。」
という声が聞こえてきた瞬間、蒼一は吹っ切れたかのように、下を向き、涙を流した。
ヒットじゃなかった悔しさではなく、このチームの温かさで流した涙だった。蒼一を慰める声は、聞こえなかった。
海斗は、震えていた。腕よりも足の方が震えが大きかったのが、幸いだった。「止まれ。」と何度も唱え続けるが、そんなものでは止まりはしなかった。ベンチの方を見ると、蒼一が、喬一や他の選手と何か話している。しばらくそれを、ぼーっと見続けていた。
すると、ピッチャーが振りかぶりだした。海斗は慌てて構えるが間に合わず、ストライクのカウントが1つ増える。「あと2つ。」と海斗は呟く。ベンチの方をまた見ると、選手たちがこちらを見ている。喬一も、昌平も、溝端も、マネージャーも。ふぅっと息を吐くと、海斗はゆっくり構えた。2球目3球目はストライクゾーンから外れ、ボールになる。
4球目。ど真ん中に甘いボールがきた。
「このチャンスを逃すな。」
と喬一の声が聞こえた。その声を聞くと海斗は、思い切りバットを振った。
当たった衝撃が海斗の手に響く。「カキン」という金属音がグラウンドに響く。
打ったボールはレフト線へと大きく───
功平がからかうように海斗に言った。
「お前あのシチュエーションでレフトフライは無いだろー。」
もうこれは10回ほど聞いている。
「っるせぇな。もういいっつってんだろ。」
海斗は多少きつめに言ったが功平は気にしていなかった。
あの当たりはレフトフライだった。レフトの選手がキャッチして丹愛の選手が喜んでいるところから、海斗はほとんど記憶がなかった。チームメイト曰く、魂が抜けたかのようだったらしい。
「夏は結果残すから。しっかり覚えとけ。」
「それも何回も聞いたよ。」
功平は、笑いながら言った。海斗も、同じように笑った。
あの試合、海斗はノーヒットだった。というよりも、楓宮のヒットは喬一と昌平だけだった。功平にノーヒットだということをからかわれると思ったため、そのことは言わないようにしたが、沙月が口を滑らし、功平にばれてしまった。
「海斗さん!遅れますよ!」
と蒼一が言った。海斗が「おう!」と返事すると、蒼一は走っていった。
蒼一はあの試合以来、見違えるように明るくなった。「ふつう逆だろ。」とつっこむ功平を気にせずに、蒼一は、日に日に変わる一方だ。
「ねぇお兄ちゃん。」
沙月が話しかけてくる。「おっ、沙月ちゃんじゃねえか。」という功平の声も無視をする。
「なんだよ。」
「私ね、やっぱりマネージャーやめないっ。」
「はぁ?なんでだよ。」
「え~それは秘密だよぉ。」
沙月はそう言って、さっき蒼一が向かった方を向く。
「はぁ。好きにしろ。」
「またその反応~?もう、私行くからね。」
沙月は走っていった。
「なんなんだよ。どいつもこいつも。」
海斗は溜め息をついた。
「何、それどういうこと。」
功平が何度も海斗に聞くが、「知らない方がいい。」と海斗は笑うだけだった。
練習はもう始まろうとしていた。喬一が、
「海斗!早く着替えろよ!!」
と言った。「おう!」と海斗は言うと、準備を始めた。
そして今日も彼らは、扇形の世界を、走りまわるのだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ちなみにこの作品に登場した高校の名前はすべて、大阪の高校の名前がモデルになってます。(名前だけです。)僕の地元(住んでるけど)が大阪なので、千葉が舞台なのに、大阪です。大阪住みの人はわかるかな?
この作品、いろいろ残したままで終わったので(恋とか、恋とか、恋とか)2作品ほど、番外編を考えています。ぜひそちらも読んでみてください。
それでは、僕の作品を読んでいただきありがとうございます。ぜひ、感想、評価等よろしくお願いします。では次回!!