第7話 戻る力
「落ち着かれよ長海殿!俺は長海殿に危害を加えることはしない!」
平八郎は見えぬ長海にそう言い放った。
「ふん、その甘い言葉で何人の崖魔が犠牲になったのか、貴様は知らぬであろう!」
確かにそうだ。俺はそんなことを一切知らない。
俺は無知だったのだ。
「俺はこのことを他言しない!そして、崖魔のことを墓場まで持ってゆく!だから、見逃してはくれぬか!」
平八郎のそれはもはや懇願だった。
「そうは行かぬな。今まで何人たりとも逃したことはない。悪いが、お主には死んでもらう!」
長海が平八郎に向かって走り出した。
平八郎も瞬時にその気配を感じ取り、長海に背を向けて走り出した。
「醜いぞ平八郎!お主も男ならば潔く切られよ!」
長海の制止は一切聞かず、平八郎は走り続けた。
この際、平八郎はあることを考えていた。
(今、この山道は崖魔の影響を受けている。どういう理屈かは分からぬが、何度歩いても同じような道が続く。それはすなわち、永遠に走り続けられるということだ。ここは一か八か、体力勝負に持ち込むしかない。)
平八郎は走り続けた。
しかし、平八郎の考えるほど現実は甘くなかった。
目が見えない今、長海より綺麗に走ることができない。がむしゃらに走っても、走る場所を考えている長海には距離を詰められていた。そして、距離を詰められていることは平八郎にも分かっていた。
(このままだと間違いなく殺される。その前にどうすればいい!?)
しかし、走りながらも平八郎は色々なことを思案し、あることに気が付いた。
土の窪みを踏んだあと、もう一度土を踏むまでの時間を計測すると、おおよその距離がだいたい二十メートルぐらいだと気付いた。
(もしも二十メートル間隔でこの道の端と端が繋がっているのなら……。)
平八郎の意思が決定した。
「いつまで逃げる気だ平八郎!」
後ろから長海の怒号が聞こえる。
そして、長海が息切れしたのも分かった。
今しかない。平八郎は思いっきり走り出した。今ある分だけの体力を全部使い果たす勢いで。
「はっ……!はっ……!」
平八郎も息切れを起こしていた。しかし、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
「待てい!平八郎!」
長海の声が遠ざかっていくのが分かる。
長海より自分の体力が多くて良かった、と平八郎は思った。
平八郎は走りながら刀を抜いた。そして、刀の柄を逆さに持ち、思いきり前に投げた。
投げたときにバランスを崩し、平八郎はその場に倒れた。
それと同時に、長海の悲鳴が聞こえた。
その様子を見ていた者たちがいた。
「万再、なぜこちらから攻撃を仕掛けなかった?」
木の上で、獏が万再に不満を漏らすような口調で言った。
「それはもちろん、あいつの力量を見計るためよ。」
「これは遊びではない。代表直々の命令ぞ。」
「知らんな。元々代表の言うことに従うつもりはない。殺すのは協力するが、そのやり方までは指示されるつもりはない。」
「ふん、相変わらず気ままな奴よ。」
獏が目線を万再から平八郎へと向けた。
「しかしあの男も頭が冴える奴じゃな。俺の能力を有効利用するとは。」
獏が薄気味悪い笑顔を浮かべながら言った。
「いくら相手が初老のおっさんとはいえ、目が見えないというハンデを抱えながらも勝った。これは素晴らしい。」
「獏が賞賛するとは珍しい。それも敵に。」
「なに、見事な相手に見事と言うまでよ。そこに敵味方は関係ない。」
「ほう……、ところで平八郎のことなのだが。」
「ふむ、どうするのだ万再?」
「生かしておくわけにはいかぬからな。ここで始末する。」
見ると、平八郎は既に起きあがっていた。
万再が木から飛び降りようとした瞬間、女の声が聞こえた。
「待て万再、女の声が聞こえる。」
「ああ、俺も聞こえた。」
万再と獏が辺りを見回していると、道の下から走ってくるものが現れた。
「おい獏、なぜ力を解除しているんだ。」
「中々体力を使うものなのだ。安心せい、見るかぎりどうやらただの小娘よ。」
平八郎も女の声が聞こえていた。
やがて、女が平八郎の近くまで来た。
「平八郎様。」
「お主、俺のことを知っているのか。」
「知っていますとも。楓でございます。」
「楓……、おお、あのときのか!」
平八郎は思い出した。平八郎が嫁を募った際に現れた少女たちの一人である。
「思い出してくれてなによりです……が、平八郎様はなぜ目をお開けにならないのですか。」
「実はな……。」
平八郎は、自らが盲目であることを告げた。
「そうだったのですか……。それで、こんな遅い時間に何を……?」
楓は当然である疑問をぶつけた。
しかし、平八郎は素直には答えなかった。
「散歩だ、盲目を体に慣らしておるのだ。」
「そうでしたか……、しかし、今は夜。危険でございます。」
「ああ……そうだな。」
「万再、俺はもう待てぬ。この刀であの小娘ごと切り殺してくれるわ。」
獏の体のような、大きな刀が獏に備わっている。
その刀の柄を、獏は強く握った。
「ああ、構わん。あいつらの始末ならお前一人で大丈夫だろう。」
「お主は殺さぬのか?力量を見計るとか言っておったのに。」
「俺は女を切る趣味はない。また、女が切られるところも見たくはないのだ。」
「甘いな万再。これだから未熟なのだ。」
「なんとでも言え。とりあえず、俺は帰るぞ。」
そう言って、万再は木から木へと飛び移っていった。
「ふむう……。久しぶりの人殺しだわい。」
獏は下品な音を立てて舌なめずりをした。
「では俺はゆっくりと歩いて帰る。お主も気を付けよ。」
「はい。本当に、お気をつけて。」
楓が心配そうな口調で平八郎に言う。
楓が崖魔に襲われる心配もしたが、崖魔同士殺し合うことはないだろう。平八郎は、そう願った。
そう願った──その瞬間、
「きゃあああ!」
楓の悲鳴が聞こえた。
「どうした楓!」
平八郎は悲鳴の方向へと向いた。
「ふん、どこの小娘かは知らんが、中々の顔をしているな。」
獏は、楓の首を右手で鷲掴みにし、楓の足が地につかないぐらい持ち上げていた。
「ほうれどうだ。苦しいだろう。」
楓は悶絶していた。
「楓に何をしている!」
平八郎が力一杯叫んだ。
「なに、首を絞めているだけよ。」
獏が悪びれるようすなく言った。そのことに、残忍さを感じる。
「平八郎様……!私を……刺してください!」
震える声で楓が言った。
「お前は余計なことを言うんじゃない。」
獏は両手で楓の首を絞めはじめた。
平八郎はどういう状況かをすぐさま判断した。おそらく、楓も崖魔で能力を使う気なのだろう。
しかし、先ほど刺した長海が動いていないということは、既に日没を終えた後、つまり、今楓を殺しても崖魔にはならないのではないか。
そして、平八郎は刀を持っていないし、刀の在処も分からなかった。
平八郎は、目の前の男に注意することしかできなかった。
「何もしなくてよいぞ平八郎。こいつを殺したらお前も殺すからな。」
やがて獏は楓を放り投げた。
楓の体が力なく転がった。
「お主、楓をどうした!」
「なに、息を止めただけよ。」
「貴様……!」
怒る平八郎だったが、今の平八郎には戦うことも逃げることもできなかった。
「さて平八郎よ、殺される準備はできたか?」
平八郎の膝が小刻みに震える。死への恐怖もあるが、どのタイミングで、どのように殺されるか分からないというのもあった。
「さあ、貴様も女の所へ──」
突如獏の声が遮られた。
平八郎は何が起きたか分からなかったが、人が倒れたことは分かった。
「ふう。」
息を吐く楓の声が聞こえた。
「楓、生きていたのか!」
平八郎は安堵した。
「もちろんです。既に崖魔の状態でしたからね。」
「楓、崖魔のことを喋ってもよいのか?」
楓はあまりにも軽々しく言ったので、平八郎は心配した。
「ええ、崖魔口外無用なんてものは暗黙の了解であって、禁止事項ではないですからね。」
「崖魔を知った者を殺すというのは?」
「それはあります。だから、私はあなたを殺さねばなりません。」
平八郎は即座に身構えた。
「しかしご安心を。楓は貴方を殺しはしません。」
「そ、そうか……。」
安心できるようなできないような、複雑な心境だった。
「それよりも平八郎様。目が見えたくはありませんか?」
思わぬ提案に平八郎は驚いた。
「見えるようになるのか?」
平八郎は期待半分、不安半分といったところだった。
「ええ、なりますよ。」
平八郎は唾を飲み込んだ。
「それでは……お願いしたい……。」
「承知しました。」
辺りが静かになった。
「はい、目を開けてみてください。」
言われるがままに、平八郎は恐る恐る目を開けた。
平八郎の視界に若い女が見える。辺りは真っ暗だ。
「見える、見えるぞ楓!」
平八郎は興奮していた。
「それはそれは。良かったです。」
ここで平八郎はあることに気が付いた。
楓は、先ほどからずっと目を閉じている。
「どうした楓。なぜ目を閉じている?」
その質問をすると、楓は涙を流し、そして、右手に持っていた地塗られた小刀で自らの首に刺した。
「楓!」
倒れる楓を、平八郎は急いで抱き抱えた。
「何をしているんだ楓!」
平八郎は混乱していた。
「ほうほう、その娘はそのような力を持っているのか。」
どこからともなく声が聞こえた。続いて足音も聞こえる。
倒れている獏の向こうから現れる人影があった。
「身体入れ替えを行うとは……、中々面白いことをしておるわ。」
人影がはっきりと分かった。
「お主、誰だ!」
「俺の名は万再。この巨体の相棒よ。」
万再は足下の獏を見ながら言った。
「俺はかねてより英雄平八郎と戦ってみたかったのだ。」
万再は静かに抜刀した。
「視力が戻った今、お主とは正々堂々と戦うことができる。」
この男は気でも違っているのか?
平八郎の頭の中は思考することを困難としていた。
「戦わねばならないのなら、戦うしかなかろう。しかし、刀をくれないか。」
「おっと、そういえば丸腰であったな。」
万再は獏の懐から刀を取ると、平八郎の足下へと投げた。
「少々大きいが、それで勘弁してはくれぬか。」
平八郎は、近くの茂みまで行き、楓を地面にゆっくりと置いた。
そして戻り、刀を拾い鞘から抜いた。
なるほど。確かにいつも平八郎が使っている刀より数段に大きい。刃渡りが、平八郎の足から腰よりも長い。
「構わぬ。刀の大きさなど、剣士の腕には関係ない。」
「ほほう、その堂々たる自信。まさしく英雄よ。」
万再は平八郎に向かって剣を構えた。
それを見て、平八郎も同じように万再に向かって剣を構えた。
「心躍るとはまさにこのこと。いざ、勝負!」
万再が刀を横に構えて走ってきた。
平八郎は剣先を下に向け、それを受けた。
万再の突進の反動が想像以上に大きく、上半身が少し反ってしまった。
「ここだ!」
万再は右から左へと素早く刀を移動させ、平八郎の腹を狙った。
平八郎は刀を地面に強く刺し、柄の上を掴んだまま、万再の右側へと回り込んだ。
万再の刀は、地面に刺した刀によって遮られた。
「ふん、そこからこの大きな刀を振ることは不可能よ!」
平八郎は、刀を離した。
「なにっ!?」
平八郎は素早く懐に手を入れ、右手から小刀を取り出すと万再の首に突き刺した。
「おぼあっ……!」
万再は、刀を握りしめたままその場に倒れた。
万再は意識が朦朧とする中で、視線の先を見ていた。そこには、先ほど自害した楓が転がっていた。
その楓の首には、小刀が刺さっていなかった。
(あのとき……既に……。)
平八郎が茂みに入ったとき、あのときに、平八郎は小刀を楓から奪い、懐にしまっていたのだ。
(平……八郎……。)
万再は、そのまま力尽きた。
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