ID野球
読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。
2017/08/12 修正。
「このテレビに映ってるプラカード持ってる女の子いるでしょ。お母さんもね、これ持って歩いたことあるのよ」
プラカードを持ちたい切っ掛けを聞かれれば、母のこの台詞であることは間違いないのだが、自分でもここまで執着するとは思わなかった。
テレビドラマなんかにありがちな、母が他界したとか、離婚して母と離れたとか、死んだ親友との約束を果たす為だとか、そういう訳ではない。
敢えてその執着を言葉で表現するとしたら、記念や想い出作りというべきだろう。
ちょっと変わったアイテムを集めるマニアックなコレクターが、一番それに近いのかもしれない。
だから、他校の生徒でも持つことの出来る『春のセンバツ』に何の興味もなく、市西(イチニシ、西宮市立西宮高等学校の略)の女子生徒しか持てない夏こそが、学にとって価値のあるものだった。
それは最早、趣味というより、性癖というジャンルに括られるのかもしれない。
思い悩むこともあったが、高校に入った時点で吹っ切れた、もう後戻りはできない。
なんせ、市西に入る際、彼女である尚美を巻き添えにしたのだ。
灘高もスンナリ入れるだろうと言われていた学が、市西を受験するには敢えて選ぶ理由が必要で、それを『彼女と一緒に高校生活を』にしたからだ。
当初、尚美は白い制服が可愛いからという理由だけで、神戸松蔭高等学校を受験しようとしていたのだが、尚美の家は母子家庭ということもあり、公立の方が良いと先に母親を味方につけたのだった。
流石に、母親に迷惑は掛けられないと、渋々了承して、渋々勉強し、見事合格したのだった。
兵庫県の高校受験は総合選抜制で、必ずしも同じ高校に行けるとは限らないのだが、住んでるエリアも多少は考慮されているようで、尚美の住んでいるエリアだと市西に行ける確率は、前年度から考えて40%だった。
それに外れれば、間違いなく毎日がピクニック気分の甲山高校になったのだが、運良く市西に通えることとなった。たとえ、高校が離れ離れになっても、学にとっては市西への受験理由が欲しかっただけなので、受験さえしてもらえばOKだった。
と、ここまでは予定通り。
努力しないで、プラカード持てるならとやってはみたが、オーディションを受かるため悩んだ末に出した答え、性同一性障害……受験理由がそれを否定し、不合格になってしまっての現状。
最後に残った策は、一番苦難と思われた弱い野球部で、甲子園に行くしかなかった。
目的が『甲子園優勝』ではなく『甲子園出場』な学にとって、兵庫県は非常に運が悪い。
全国の参加校およそ4000校、そのうち甲子園に行けるのは各県代表の49校。その数字は4000分の49ではなく、都道府県による地区予選があり、中でも学が居る兵庫県は激戦区で参加校も160校と際立って多いのだ。
人口の多い兵庫・大阪・愛知・神奈川・福岡は、枠を2つにした方が……と言う話も出ているほどである。
さらに、兵庫県には強豪校が多く、東洋大姫路・神港学園・滝川第二・関西学院・兵庫育英、そして、春夏連覇が掛っている報徳学園。
そこから導き出される甲子園へ行ける確率は……数字で表したくないほどに低かった。
弱い野球部が勝つには、野村克也が提唱したID野球が一番なのだが、これを甲子園でやるのは至難の業だ。
ID野球は、頭を使った野球と勘違いされることがあるが、本来はデータを重視した野球のことで、孫子の『彼を知り己を知れば百戦殆からず』ということなのだ。
では、それがなぜ高校野球に合わないのか?
どの高校に当たるか判らないので、兵庫県の全校の全選手データを集めなければならない。
となると、160校×部員数……レギュラーだけにしたとしても、数が多過ぎる。
仮に集められたとしても、一試合程度のデータでは、調子が悪かっただけなのか、苦手なのか判断が出来ない。
また、成長期の高校生のデータが、ずっと同じとは考えられないし、補欠がレギュラーに成ることも多々ある。
つまりは、ID野球用のデータとして、ほぼ機能しないのである。
正直、使えるデータはピッチャーの球種くらいだ。
とはいえ、学は出来るだけデータを集めるつもりでいた。
それが間違ったデータであったとしても、その行動自体が信頼されるのに、必要な行為になると考えたからだ。
つまり、学の考える野球は、ID野球をしているフリをすることなのだ。
読んでいただいて、ありがとうございます。




