前例
読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。
2017/08/25 ようやく、投稿分の全て修正完了です。
「3回以降での市立西宮高校へに対するジャッジですが、我々のルール解釈に誤りがありました。できれば、日を改めて再試合をお願いしたいのですが……」
ホームベース上に両校の主将と監督、全審判員を呼んで放った言葉は、告白に近い緊張感があった。
その主審青木の発言に対し、川西北陵の監督が猛抗議する。
7回裏で自分たちの攻撃中、しかも1点リードで勝っているのだから当然である。
あと2回凌げば、一回戦突破なのに、ここへ来ての再試合、納得できる訳がなかった。
「3回の時点で、ルールを適用するなら兎も角、7回裏にまでなって適応したいから再試合だなんて!」
本来、口を出してはいけない筈の監督が、青木に非難を浴びせた。
「申し訳ありません」
青木は深々と頭を下げ、謝罪し続けるしかなかった。
「どう責任を取るつもりなんですか!」
さらに詰め寄ったところで、学が救いの提案を差し出す。
「では、こうしませんか? 我々も再試合になりますと、体力的な問題も関わってきます。試合は、このまま続け、ジャッジだけ対応して頂くというのは、如何でしょうか?」
「それだと、君たちは……」
公正な審判員が言うべきではない、その先にある『負けてしまう』という言葉を押し殺した。
「構いません、我々は認めて頂けただけで十分です」
学が了承したのは、2回で逆転できる自信があるというのではない。
勝たなくも良いとさえ、考えていた。
市西のカット戦法を認められること――そう、前例を作ることこそが、春季大会の目標だったのだ。
そもそも、カットがスリーバント失敗のルールになってしまったのも、1972年に前例を作ってしまったからで、ルールにさえなってしまえば、余程の事がない限り、それが覆ることはないのだ。
川西北陵の監督は「3回の時点で、ルールを適用するなら兎も角」と言ってしまっただけに、この提案に乗るしかなかった。
ベンチに戻った学は、部員たちに事情を説明した。
「これで、ようやく俺達の野球が出来る。あとは実践練習のつもりで、とことん粘っていこう。お前らなら、必ず逆転できる筈や!」
その言葉に、部員は雄叫びを上げた。
勝って次に進み、ルールでの実績をもう少し積んで、ダメ押ししておきたいものの、本音を言えば、もう負けても良い。だが、主将で在る以上「負けても良い」などと、口にするこ出来なかった。
しかし、発した言葉に嘘はなかった。相手の技量と自分たちの練習量を考えれば、もしかすると、あと2回でも行けるかもしれないという気にさせてくれていたからだ。
後に、川西北陵の監督は「あの時、再試合にするべきだった」と語ることになる。
それは、決めた審判たちに「本当にこれで良かったのだろうか?」と、不安に感じさせるほどに、市西の攻撃はエグかった。
上手い下手はあれど、市西のカット軍団は、ピッチャーに球を投げさせ続け、たった2回の攻撃で142球、1回から数えれば311球も投げさせたのだった。
すでに、決めて試合を再開させてしまっただけに、再び覆すことは出来ない。
最早、これは正しい判断だったのだと、自分に言い聞かせるしかなかった。
「もし、これが夏やったら、熱中症で認められんかったかもしれんな」と、思う学だった。
9回表、流石にバテて制球が乱れ、四球が重なり、塁が埋められ、満塁となった時点で、2番手ピッチャー、吉田の登場となった。
十分に肩の準備は出来ていたものの、抑えれば勝ち、一人でも四球を出せば同点、二人なら逆転というプレッシャーには勝てず、ストライクが入らないまま、押し出しで同点。
「なんも考えんと、ど真ん中に投げて来い! バックを信じろ!」
だが、この言葉が裏目に出てしまう。
キャッチャーの言葉を鵜呑みにして、投げられた吉田のボールに力は無く、見事にスクイズを決められ、さらに、焦った三塁手の悪送球も招いて、3点目が入る。
本来、満塁でスクイズは狙わない、点が入らずダブルプレイになることが多いからだ。
しかし、9回までまともに守備をしてこなかったのに、突然ボールが転がって来たのである。
ワンテンポ遅い守備、焦って投げれたボールは、当然のように的を外した。
ノーアウトのまま、1、3塁。
遅めの走塁を1塁ランナーに指示したが、そこは流石にホームスチールを警戒していたようで、ボールを投げないまま、ランナーは2、3塁。
川西北陵バッテリーは、守り難いからと、打者を歩かせ、再びノーアウト満塁へ。
ここで初めて、学は7番の戸田にヒッティングを指示。
初球を叩いた打球は、三遊間を抜けるかと思ったが、ショートのファインプレーで643(ロクヨンサン)のダブルプレー。
しかし、その間に3塁ランナーがホームインして、4対1に。
続く8番、大石は見逃し三振に倒れた。
9回裏、市西のピッチャーはライトを守っていた川島に代わる。
フォークは禁止されていたものの、心の折れた川西北稜に140キロのストレートは、余りにも速く、無情にも全てが空を切ったのだった。
読んでくださって、ありがとう。




