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名も知らぬ少年よ、小さな宝石であれ

作者: 空椿

 とある所に屋敷があった。

 森という充分な敷地を開拓し、半日ではとても回りきれないであろう大きな屋敷がそこにあった。

 いつ建てられたのかは誰も分からないが、あまり古い雰囲気ではない事から建てられて時間は経っていない事だろう。


 とある屋敷に人が居た。

 かつてはその類稀なる知識で世界に震撼をもたらし、結果として莫大な資産を得た人が居た。

 今の彼は表舞台から去って隠居……と言うよりは完全に姿を消してしまい、かの賢人の行方を知る物は少ない。


 とある人は友人が居た。

 今は老人となってしまったその賢人には、まだ少年という言葉が相応しい友人が居た。

 まだまだ若いが勉学によく励み、運動のセンスは良くも悪くも無い。非の打ち所も特に言い様の無い良い少年だ。


 とある少年は苛められていた。

 何がいけなかったのだろうか。何が悪かったのだろうか。ただ、一つの集団の琴線に触れてワケも無く非道な仕打ちを受けていた。

 少年は心の強い存在では無い。教師や両親に相談する事も出来ず、ただ哀の心のまま、一心不乱に町を駆けた事がある。


 とある少年は迷子になっていた。

 何も考えずに走り続けた結果、少年は知らない所に出てしまって帰れなくなってしまった。

 日も落ちてしまった森の中、右も左も分からぬ暗闇で、少年は大層怯えてしまったそうな。


 とある少年は運命の出会いをした。

 恐怖のあまり失神する寸前に居た少年は、とある老人にその姿を見つけられ、訳も分からぬままに屋敷に招待された。

 そして豪華な夜食を振舞われ、少年からしてみれば大きなランプを借り受けた。


 とある少年は帰宅した。

 老人に帰り道を教えてもらい、ランプを持って暗い森を歩き続けた。

 恐ろしくて仕方が無い道を、妙に古びたランプ一つで帰らされた事には酷い怒りを覚えたが、老人は『とても勇気ある少年』と賞賛したそうな。


 とある少年はランプを返却した。

 また森に入るのは気が滅入ったが、借りた物は返すという信念で休み期間を返上し、老人の屋敷を探した。

 結局、森は見つかったが少年は迷子になってしまったのだが、全く同じ場所でまた老人に見つかり、今度も屋敷に招待される事になったとか。


 とある賢人は正しい道筋を教えた。

 丁寧に地図も書き、その紙と一切れのパン。そして同じランプを渡して老人は少年を送り返した。

 つまりまた返しに来いと言っているのだが、少年もそれに気付いていたらしい。結局は次の休みも向かったとか。以来二人は友達のような関係になった。


 とある少年は屋敷に通った。

 相変わらず学校は苛めが辛く、少年は休みの日は逃げるように屋敷に行くようになった。

 そして老人に会って夜食を頂き、一切れのパンと大きなランプと、小さな元気を貰って帰るのが毎度の事になっていった。


 とある賢人は少年に一泊を勧めた。

 少年はポカンとしたそうだが、次の瞬間には目を輝かせて了承した。

 夜に二人きりなら、また違った事も言えるだろうという賢人の粋な計らいだった。


 とある少年は屋敷にお世話になった。

 元気一杯に屋敷を駆け回り、実はよく知らない老人とお互いの事を話し合った。

 大きなベッドや大きなソファ、沢山あるのに誰も居ない部屋などが気になって仕方が無かったとか。


 とある少年と老人は同じベッドに入った。

 あまりにも大きいそれは二人で入っても充分スペースが余り、興味からか潜り始めた少年を賢人はモグラと例えた。

 夜も更けてきた頃、寝付けなかった少年に賢人が話しかけた。老人がまだ起きていた事に驚いた物の話は多少盛り上がった。


 とある少年は全てを吐露した。

 苛めの事を言い、自分の辛い思い全てを老人にぶつけた。自分の言えない事を全て告げた。

 突然の事なのに、賢人は驚く事無く静かに話を最後まで聞き、言い終わって泣き出した少年を黙って撫でた。いつしか眠っていた二人は、朝の日差しに起こされた。


 とある賢人は少年に聞いた。

 将来どんな人になりたいのかという質問はもう使い古されているかもしれないが、賢人は単純に聞きたかった。

 少年の答えは『何も無い』だった。人並みに何かが出来ようが、特筆するべき才能が無いのは賢人も少年も理解はしていた。


 とある少年は嘆いた。

 自分は大きな存在になれないと、自分は小さく虐げられる小石でしかないのだと言った。

 どうせ最後までこのような根性が抜けないから、自分はどうしようも無いのだと叫んだ。


 とある少年は泣いた。

 有名になってはみたい。皆に持て囃されるような存在に一度はなってみたいと呟いた。

 そして自分を苛める奴らを笑い返してやりたいとブツブツ言った。それが少年の本音である事は賢人にはよく分かった。


 とある賢人は告げた。

 ならば大きくなろうとするなと小さく言った。少年の次の言葉を遮り、老人は言った。

 目標を大きく持ち、見事に達成する事だけが幸せではない、小さな目標を沢山立てて成功を続けるのも幸せだと言った。


 とある賢人は言った。

 そのような小さな事をコツコツする事が、やがて大きな結果になると言った。

 自分のこの屋敷が証明だと言い、大きな庭や立派な絵画をひとしきり見せて回った。


 とある賢人は少年の涙を拭いた。

 こうして私に辛い事を言えたのも、また一つの一歩じゃないかと微笑んだ。

 小さな石でも、磨き続ければ綺麗になるのだという事を少年に教えた。


 とある少年は見た。

 老人にとある変な石を見せてもらい、次に指輪を見せてもらった。

 指輪についている綺麗な石は、この変な石を磨いて、削って、仕上げた物なのだという事を始めて知った。


 とある賢人は教えた。

 これは『宝石』と言うのだと。小さい物でもとても高価という事を少年に教えた。

 そして少年に、小粒でも綺麗な物は綺麗だよ、と笑いながら言ったのだった。


 とある少年は決心した。

 今はまだ汚れた変な石かもしれないが、いつかこのような綺麗な存在になりたいと言った。

 少年はもう大丈夫だと賢人は思い、指輪をしまって少年と笑った。


 とある賢人は少年を送り出した。

 一つのランプと、一切れのパンを貰い、手を振って少年を送り出した。

 少年も手を振り、笑いながら森に消えていった。


 とある賢人は叫んだ。

 自分の友人に向けて、その小さな背中を送り出すように。

 その言葉は少年の耳に届いたのだろうか。名を教えてくれなかった少年に向けたそれは、森の中に消えた。


 とある賢人は椅子に腰掛けた。

 少年に見せた指輪を見つめ、何も言わずに目を閉じた。

 やがて少年は屋敷に来なくなり、賢人もどこかに消えるように忘れられていった。


 とある少年は強くなった。

 相変わらず苛めは辛いが、誰かにちゃんと言えるようになったのが一つの進歩だ。

 勉強も頑張った。テストの点数は徐々に伸びていって、友達も増えていった。しかし、勉強を頑張るあまり老人に会う日は日ごとに減り、やがて足を運ばなくなった。


 とある青年はその知識を大いに振るった。

 小さな事を精一杯頑張り続け、積み重ねた物が少年の足場となってより高みに進めた。

 いつしか自分を苛める者も居なくなり、少年はちっぽけな存在ながらも輝き続けた。青年は、いつしか『稀代の賢人』と呼ばれるようになった。


 とある男性は結婚した。

 自分の事を理解し、同調出来る女性を見つけた男性は数十回の同伴の末に結ばれた。

 いつしか子供も出来、幸せと言う物が何かをこの時身をもって理解した。


 とある男性は幸せだった。

 子供達は巣立ち、やがて孫も生まれ、自分の愛する人と一緒に老いていくのが楽しみだった。

 自分の愛する人が還暦を向かえた時、欲しい物を聞いたら『大きなお屋敷』と言われた。


 とある老人は現役を遠のく事にした。

 自分の愛する人の為に精一杯の贈り物をする為に、自分が今まで磨いてきた宝石を使った。

 自分の築き上げてきた財産で森の一角に土地を買い、そこに大きなお屋敷を建てる事にしたのだ。


 とある老人は泣いた。

 とても長い間建築の続いた屋敷がいよいよ完成という時に愛する人が病に倒れ、病院のベッドから動けなくなったのだ。

 ついに愛する人は、屋敷の完成を見る事が出来ずに帰らぬ人になってしまった。老人は、大声で泣いた。


 とある老人は空虚になった。

 完成した大きな屋敷に逃げ込むように住まい、従者も雇わずにただ一人で過ごした。

 豪華な調度品、美しい絵画、様々な物は全て愛する人の為に集めたのに。それを見せる事は唯の一度も出来なかった。


 とある老人は死にたかった。

 全く衰えない自分の料理の腕が作った、美味しいハズなのに砂の味のする料理を食べた。

 本当は、愛する人に楽をさせる為に勉強をしたのに、その人が居ないのであればもう何も残らない気がしていた。


 とある老人はふらりと歩き出した。

 夜の支配する森に、あわよくば死ねるだろうかという気持ちすら含みつつ歩いた。

 きっとこの森が私を殺してくれるだろうという、絶望のような希望を抱いていた。


 とある老人は泣き声を聞いた。

 その声のする方にゆっくり歩みを進めると、一人の少年がそこで泣いていた。

 老人はその少年に自分と似た物を感じ、見捨てるという事も出来ずに少年を屋敷に招いた。


 とある老人は少年と話した。

 言い知れぬデジャヴをずっと感じていたが、少年のキラキラした目は老人に活力を与えた。

 そして、まだ死ぬのは早いのではないかと自分に言い聞かせ、少年との会話を続けた。


 とある老人は少年に与えた。

 少年に帰り道を丁寧に教え、少年にはまだ大きいであろう古びたランプを渡した。

 多少思い入れのあるランプであるが、無事に帰ってほしいという想いを託してそれを与えた。


 とある老人は悟った。

 あの少年は自分なのだと。自分の鏡があそこに居るのだと思った。

 なれば昔自分が導かれたように、彼も導かねばならないと思った。


 とある老人は繰り返した。

 あの時賢人であった老人が自分にしてくれた事を、今度は自分が少年にした。

 だんだん活力の戻っていく気がして、少年に教える事が生き甲斐になっていった。


 とある老人は提案した。

 せっかくだから、今日は泊まっていったらどうだと老人は少年に言った。

 その時の少年の困惑した表情は見ていて楽しかったが、次のキラキラした瞳の方が印象に残った。


 とある少年は屋敷を駆け回った。

 その少年を歩いて追いかける中、老人は広い屋敷に飾ってあった物を見て回った。

 そして自分の愛する人を想い、形容し難い気持ちが溢れた。


 とある老人は少年とベッドに入った。

 当初は愛する人と一緒に入る予定だったベッドに、今は少年が入っていた。

 モゾモゾと毛布の中を動き回る少年が、やっぱりモグラのように見えて笑ってしまった。


 とある老人は少年に話しかけた。

 あの時老人が自分に聞いたように、自分も少年に聞いた。

 少年は自分の事を話し、自分が苛められているという事も精一杯言った。この時、老人は全てを悟ったそうな。


 とある老人は聞いた。

 将来どんな人になりたいのか、と聞いた。答えはもう分かりきっていたが、一応聞いた。

 案の定、何も無かった。そして、嘆き始めた少年を自分の経験という言葉で宥めた。


 とある老人は取り出した。

 自分の愛する人がつけていた指輪と、とあるツテで頂いたダイヤモンドの原石を少年に見せた。

 少年に教えながら、愛する人を思い出した。指輪の内側に書かれたイニシャルが、涙を誘った気がした。


 とある老人は送り出した。

 ひとしきり告げ、目の色の変わった少年に、一つのランプと、一切れのパンを渡し、少年に手を振った。

 これからの人生は苦労と忍耐が続くが、少年は絶対に大丈夫だという確信が胸の中にあった。


 とある老人は叫んだ。

 この言葉は、名を知っているはずの少年に届いただろうかと疑問に感じた。

 あの時の自分はどうだっただろうか、この言葉は聞こえていたのだろうか。こればかりは思い出せなかった。


 とある賢人は椅子に腰掛けた。

 少年に見せた指輪を見つめ、目を閉じた。

 自分の愛する人は幸せだっただろうか。そして、自分はこの人生で何を手に入れたのだろうか。


 とある賢人は力を抜いた。

 愛する人の為に立てた屋敷、愛する人の為に作らせた調度品や、美しい絵画を一つ一つ思い返した。

 自分の人生とは何だったのかが今でも疑問だが、それでも一人の少年を導けた事に充足感を抱いていた。


 とある賢人は呟いた。

 もはや全てをやりきった賢人は、自分というロウソクの火が消えようとしているのを感じた。

 そして消え行く最期に、最早遠くに行ってしまった少年に向けてとある言葉を呟いた。









 とある言葉は己が意味を届ける為、一人の少年の元に向かった。

 その少年は言葉通り小さな、しかし立派な宝石になってくれるか。

 今それを知っているのは、息をしなくなった一人の老人だけだった。

 こんにちは、空椿という者です。

 今回、DHMO様の【地の文芸】という企画に参加させて頂きました。

 企画に参加したのは初めてなので、上手い事趣旨に沿えたのかは分かりません。でも一風変わった書き方をしたので、新鮮な体験でした。月並みな感想かもですが、書いてよかったです。


 この短編の設定、多く語る事はしません。少年と賢人の事は多少出しましたし、後の道筋は勝手に想像してほしいのが私の気持ちです。

 何故ループしてるのとかその辺りは正直全く考えていません。ただ、書いていたら自然とこうなった。というだけです。

 ちなみに、少年に向けて叫んだ言葉は企画の趣旨に反するので書けませんでした。本文には。


 短いですが、書く事も無いのでこれにて。DHMOさん、面白い企画をありがとう御座いました。ではこれにてノシ

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