誰が決めたの?
フィクションですが、最近疑問に思っていたことを題材にしています
いじめられていた私。
私が笑えば、私をいじめていた人達はつつきあって、こういう。
「ちょっと、見てあれ。笑ってるし」
私を見て笑う。
あなた達に許されないと笑っちゃいけないなんて、そんなの誰が決めたの?
私があなた達に許されないと笑ったらいけないのなら、あなた達は誰に許しをもらって笑ってるの?
私が失敗したら、
「見てあれ、だっさー!!」
そう言って笑う。
私が上手くやれば、
「なにあいつ。失敗しろよ、つまんない……つーか、むかつく」
そう言う。
結局、どうしたって笑われるんじゃない。むかつかれるんじゃない。
でもさぁ、そんなことしていいって誰が決めたの?
いじめる人が強いの?
じゃあ、いじめられるひとが弱いってこと?
強い弱いの基準は誰? 何?
ねぇ、でも……私がそう言えば、あなた達は、
「キモいんだけど。何言ってんの? こいつ」
そう言って笑うんだろうね。
――そうか、私はキモいのか。笑っちゃダメなのか。むかつくんだ。
へぇ、そうなんだ。ごめんね。
誰かの基準で、傷つけていい人が選ばれるんだね。
へぇ、そうなんだ。
そして、このクラスで、誰かの基準によって選ばれた人は、私だった。
そうだね、なんでかな?
屋上からみる景色はすごく綺麗だね。
これが私の最後の感情?
次の一歩が私の最後の一歩?
誰かの基準で選ばれた人は――――死なないといけないんだってさ。
「明日までに死んどけよ」
そう言われたからね。
――――嫌だ。誰が死ぬか。
私は、生きる。
誰に許してもらえなくても生きる。
強いて言えば、自分に許してもらって生きよう。
次の一歩は、最後の一歩じゃなかった。
いつも通り、家を目指すための一歩だった。
あれは、最後の感情じゃなかった。
ただの景色に対する感想だった。
生きる。
生きる。
――――生きて!!
お読みいただき、ありがとうございました。
少しでも何かを伝えることができれば……と思っています。
ちまなみに彼女は、『傷つける権利、そんなものは誰にもない。』の少女とはまた別人です。