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【SF・ファンタジー】

What makes my heart sing?

作者: 仁井暦 晴人

 日没と共に降り出した雪は夜更けを待たずに積もり始めた。しんしんと降り続く雪は、ただでさえ閑静な田舎町をさらなる静寂に塗り込めていく。

 凍てつく夜に好んで外出する住人はほとんどいない。路面の雪には靴跡ひとつなく、街路灯の光を反射して白く輝いていた。

 このあたりは山脈の稜線を間近に望むほどの田舎町。まばらな街灯と少ない民家の窓から漏れる光、そしてかろうじて一軒だけ営業しているコンビニの看板――それら以外ろくな光源がない。少ない光源に照らされる雪面が白く輝けば輝くほど、周囲の闇はいつもより濃く垂れ込めていく。


 不意に、闇が切り裂かれた。一瞬、稜線がくっきりと浮かび上がる。


 再び覆い尽くす闇の中、遠方で音が響く。長く尾を引く雷鳴は、落雷の可能性を窺わせる。

 その音はコンビニでアルバイト中の吉田俊樹(としき)の耳にも届いていた。

「ありがとうございました」

 カウンターの内側から笑顔を振りまき、出て行く客を見送った後で俊樹は独り言を呟いた。

「さっき光ったよな。雪起こしの雷か。太平洋側なのに珍しいな……」

 俊樹としては小声のつもりだったが、高校では合唱部に所属していた彼の声は良く通る。自動ドア越しにぼんやりと夜空を見る彼の背後から返事がきた。

「雪起こし? 何、それ」

 高めながら耳に心地良い女の子の声。反射的に「いい声だ」と声に出した俊樹は、振り向いた拍子に声の主であるバイト仲間と目が合った。誰もいない店内でふたりきり、女の子と真正面から見つめ合う格好になった俊樹は、落ち着きのない視線を左右に泳がせてしまう。

「あ、いや……。ごめん、鈴木さん」

花蓮かれんって呼んで。あたしだけ俊樹って呼んでるのに、なんか不公平だよ。同じ大学の一回生同士なんだし」

 目を逸らさずに言う彼女は、微笑んだ拍子に栗色の前下がりボブをかすかに揺らした。小さめの顔に大きな瞳というのは好き嫌いの分かれるところだろうが、鳶色の澄んだ瞳には相手を吸い込む魅力がある――俊樹は秘かにそう評価している。

「人と話をする時は目を合わせなよ。客商売の基本だぞ」

 その言葉に、俊樹は再び花蓮と目を合わせた。今、彼女は大きな瞳を左右非対称に細め、頭一つ低い位置から視線を突き刺している。ただ、わざとらしく唇を突き出しており、不満そうな声には冗談めかした柔らかい響きが含まれていた。姿勢良く腰に手を当てている様子と相()って、とても愛らしい仕草だ。

 緩む頬を引き締めるため、俊樹は軽く頬を叩きながら返事をした。

「ごめん、女の子を下の名前で呼び捨てにするの苦手なんだ。それにバイト中はあんまりそういうのは――」

 そんな彼の様子をどう受け取ったのか、花蓮は口元に手を当てくすくす笑う。

「ここ田舎だからそんなこと気にするお客さんいないって」

「そういえば鈴木さんは初対面の時から俺のこと呼び捨てにしてたね。いや、高校の時にはそんな経験なかったから新鮮なだけで、全然嫌な感じはしないんだけどね」

「一目見て、俊樹とは気が合いそうだと思ったの。あたしのことも名前で呼んでもらえると嬉しいなと思って、先に呼び捨てにしちゃった」

 だって俊樹のことが好きだから――などと、続くはずもない一言を脳内で追加した俊樹は、己の厚かましさに頬を赤らめる。返答に困っている俊樹の内心を知ってか知らずか、花蓮は話を元に戻した。

「……それで、雪起こしって何」

 雪起こしとは日本海側の雪の多い地方に見られる現象で、真冬の雷を指す言葉である。大雪の前触れとされているが、科学的に因果関係が証明されたわけではない。

「ふうん。あたしの地元はここだけど、俊樹って雪国の人なんだ。じゃ、これから大雪になるのかな」

「どうかな。ここは太平洋側だし、ほとんど積もらないうちに雪も止んでいるし」

「そっか。五センチかそこらなら、俊樹にとっては積もったうちに入らないんだね」

 今夜はクリスマスイヴ。田舎のコンビニとは言え、夕方まではクリスマスケーキの予約客などでそれなりに込んでいた。しかし、雪が積もったことで客足が遠のいている。午後十時の閉店時間まで残り一時間を切った。今夜はもうお客さんが来ないかも知れない。

 そんなわけで雑談に興じていた二人だったが、俊樹はふと店内の時計に目を留めた。

 おかしい。閉店まで三十分を切っている。どのシフトの時でも開店後と閉店前の一時間ずつは店にいるはずの店長が、今日はまだ姿を見せない。

「いいじゃない。店長だって雪でお店に来るのが億劫なのかも知れないし。店長の家知ってるから、店閉めた後で鍵を届ければいいし」

「そういえば鈴木さんの方がここのバイト長かったね。前にも施錠したことが?」

 花蓮は事も無げに「あるよ」と答えて微笑んだ直後、ひとつ瞬きをして表情を凍り付かせた。

 店内に影を落とすほど外が明るく光ったのだ。

 ひと呼吸の間を置いて、雷鳴が鼓膜に突き刺さる。地響きさえ伴うほどの轟音だ。

 俊樹の胸に栗色の物体が勢いよくぶつかった。かろうじて踏ん張った彼の鼻孔をほんのり甘い香りがくすぐる。

「あ、ごめん」

 花蓮は謝ると、すぐに身体を離した。彼女から目を逸らした俊樹は、不自然に持ち上げていた手で後頭部を掻きつつ天井を見上げ、ばつが悪そうに照れ笑いをしていた。


 その後、閉店まで客も店長も来ることはなかった。

「壊れてるのかな。呼び出し音もしないの」

 施錠と消灯を済ませた俊樹がスタッフルームに入るなり、花蓮がそう声をかけてきた。閉店の報告をしてから鍵を届けるため、彼女が店長宅に電話をしていたのだ。

 すでに店の制服から私服の白いフェイクファーコートに着替えていた彼女を見て、俊樹は内心で雪うさぎのイメージを重ねた。女の子の服装は褒めるべきだろうか。迷ったのも一瞬、適切な褒め言葉を選ぶスキルがないことに思い至った俊樹は、無言で自分の携帯電話をポケットから取り出した。

「店の固定電話がおかしいのかも。それなら携帯で……あれ。圏外だ」

 花蓮も自分の携帯を取り出すと「あたしのも」と呟いた。

「どうしよう。いつも親に迎えに来てもらうのに」

「送ってく送ってく。俺の車で」

 つい繰り返してしまった俊樹は顔を赤らめて横を向き、「迷惑でなければ、だけど」と小声で付け加える。

「迷惑なわけないじゃない。むしろお願いします。こんな日にバイトしてるくらいだもの……」

 『こんな日』とはクリスマスイヴのことだろうと当たりをつけ、続く言葉を脳内で補完しかけた俊樹は、あわててその考えを追い出した。相手は学部が違うため大学でも滅多に顔を合わすことのない、まだつきあいの浅い女の子だ。あまりプライベートな部分に踏み込むわけには……。ついぼんやりとしてしまった俊樹に、花蓮が微笑みかけてきた。

 花蓮としては苦笑のつもりだったかも知れない。しかし、俊樹にとっては間近で花が開いたかのようで、眩しげに眼を細めた。

 直後、ふと思案顔になった俊樹が言う。

「ところで親御さん、ここの閉店時間ご存知だろ。連絡せずに帰ったとして、行き違いになったりしないかな」

「ああ、その点は大丈夫。時計なんて気にしてないから、あたしが電話するまで寝てるのよ。さすがにお酒は飲まずにいてくれるけど」

 あっけらかんと答える花蓮に対し、俊樹は口を開けたまましばらく固まってしまった。

「まるでウチの親みたいだな。年頃の娘を持つ親御さんにしては珍しくないか、それ」

「良家の子女ならいざ知らず。あたしん家みたいな中流階級、女の子の親も男の子の親も似たようなものよ。多分」

 立ち上がった彼女は俊樹に顔を向けたまま店員通用口に向かい、申し訳なさそうに付け加える。

「ごめんね俊樹、店長のお宅にも寄ってもらわなきゃなんないから、帰るの随分遅くなっちゃうね」

 言い終えると同時に押し開けた扉の隙間から、強烈な光が射し込んだ。

 回れ右をした花蓮は真正面から俊樹に飛びついてくる。

 まばたき一つの間を置いて、天が落ち地が割れるかのような音が轟いた。

 花蓮は小さな吐息を漏らし、肩をふるわせた。悲鳴を上げるには吸い込んだ空気が少なすぎたのだろう。

 自分の胸でふるえる同い年の異性、その口からはか細い吐息。彼女に自覚があるかどうかはさておき、その仕草の色っぽさは俊樹の脳をとろけさせるに足る破壊力を有していた。

 跳ね上がる心臓の鼓動を隠しきれない俊樹は「ごめん。今のは俺も恐かった」と呟き、視線を天井へと逃がしつつも花蓮の背をさするのだった。


   *   *   *


 俊樹の運転する車の助手席で、花蓮は俯いて一言も話さない。

 店長に鍵を返してから五分ほど経つ頃、ようやくぼそりと話し始めた。

「なんか、ごめん。いい歳して雷を恐がったりして」

「そんなこと気にする必要ないって。さっきのは俺だって恐かった」

 ……むしろ嬉しくてドキドキしたよ。続けようとした言葉を声に出せず、出しかけたくしゃみが途中で止まったようなもどかしさに歯がみした俊樹は、(今まで女の子とつきあった経験がないもんな)と埒もない自虐的な呟きを胸中に漏らす。

 花蓮がどんな顔をしているのか気になった俊樹は、ちらと助手席を窺った。すると――。

「なにあれっ」

 大きな目をさらに見開いて前方を指差す花蓮に促され、俊樹も前を向いた。思わず急ブレーキを踏んだ俊樹は、花蓮を大きく前傾させる愚を犯してしまう。

 気遣う俊樹を手で制し、「大丈夫大丈夫。それより外よ。UFOかも」と興奮してまくしたてる花蓮。彼女は、俊樹が車を路肩に寄せて停めるのももどかしげに路上に降りてしまった。

 あわてて彼女の背を追う俊樹の視界の中、複数の白光が舞い踊る。彼らが見上げる空で、十を超える円盤形の光が素早く不規則に移動している。ジグザグに動き回るせいで距離感がいまひとつ掴めないが、百メートルは離れているだろうか。一つずつの円盤の長径は五メートル前後、乗用車くらいだ。

 空ばかりを見上げる花蓮が車道に飛び出さないよう、俊樹は周囲を見回しながら彼女についていった。先行していた車、後続車、みな一様に路肩に停車して車を降りている。彼の視界の範囲内だけでも三人ほど、携帯電話を空に向けている者がいる。

「なんだ、あの撮影姿勢は」

 見かけた三人が三人とも、腕を一杯に伸ばしている。あんなに携帯電話を顔から離した状態で上手く撮影できるのだろうか。他人事ながら余計な心配をした俊樹が、再びUFOを見ようと夜空を仰いだその瞬間――。

「っ…………!」

 突如、強烈な閃光が居合わす人々の目を射る。真昼の陽光なみの光の奔流。ほぼ全員が手で目を覆ってその場に蹲る中、俊樹は視界の隅で確かに捉えた。


 ――雷なんかじゃない、UFOだ。奴が、撃ちやがった!


 雷鳴。閃光とほぼ同時だ。一人の例外もなく手で両耳を押さえる。

 花蓮より先に手を耳から離した俊樹は、中腰になって周囲を見回す。路上に転がる物体を見て目を見開いたが、ひとつ頭を振ると花蓮の肩に手を置いた。震える声で告げる。

「鈴木さん、車に乗るんだ。逃げるぞ」

 力一杯両耳を押さえている花蓮にはどうやら俊樹の声が聞こえていないようだ。彼女の肩を揺すり、さらに呼びかける。

「鈴木さん。……花蓮!」

「えっ」

 花蓮は顔を俊樹に向け、ようやく手を耳から離すと立ち上がった。

「今のは雷なんかじゃない。あの円盤からの攻撃だ。とにかくここから逃げよう」

 こくんとうなずいた花蓮は「何か、焦げ臭い」と呟き、周囲を見回そうとする。

「見るな」

 俊樹の制止は間に合わず、花蓮はそれを見た。音を立てて息を吸い込み、手を口に当てて震える。

 路上では人の形をした炭が三体、燻っていたのだ。

 いずれも携帯電話を操作していた人物……だろう。

「うわ、うわあぁ」

 誰かが叫んだ。

 その場の全員が、一斉に走り出す。

 俊樹も走った。花蓮の手を引いて。

 エンジン音が聞こえる。

「おい、降りろよ。俺の車だぞっ」

 俊樹の叫びがエンジン音に掻き消される。

 空噴かしの爆音を上げるのは俊樹の車だ。見知らぬ男が乗っている。夢中になって発車を止めようとする俊樹の視界に、すぐそばの歩道に倒れて手を伸ばす女性の姿が過ぎる。

「タカシ! あたしを置いてかないで」

 どうやら、恋人さえ見捨てて自分だけ助かろうという魂胆の輩らしい。頭に血が上った俊樹は声を限りに怒鳴った。

「降りろこの野郎っ。恋人を置き去りにするのか意気地なしめ」

 俊樹の叫びも空しく車は動き出す。しかし、急発進の直後にタイヤは雪上をむなしく滑り、十メートルも進まぬうちに斜めを向いた車体は対向車線へはみ出してしまった。

 耳をつんざくクラクション。花蓮の手を握ったまま、俊樹は両肩をびくりとふるわせた。

 間を置かず響き渡る無機物の悲鳴。金属の塊同士が激しくぶつかる衝突音だ。

 割れるヘッドライトとフロントガラスの破片が飛び散り、街灯や他の車のヘッドライトを浴びて夜空にきらきらと光の粒を振りまいた。

 正面衝突。対向車線を走ってきた車と俊樹の車が、フェンダーを大きくへこませて無残なスクラップとなり果てた。

 俊樹の車を奪った奴はシートベルトを着用した様子がなかった。しかも、対向車はかなりのスピードだった。エアバッグが作動したはずだが、命に関わる骨折をしたかもしれない。

 俊樹の車は走り出したばかりであり、周囲の歩行者に被害はない。自分の車が凶器となり、歩行者を巻き込む惨事につながる……という最悪の事態を免れたことが、俊樹にとってのせめてもの救いと言える。

「タカシ……。き、救急車。救急車呼ばなきゃ」

 さきほど倒れていた女性が立ち上がり、俊樹の車へと駆け寄っていく。

「もう、なんで圏外なのよっ。誰か、救急車呼んでよ……あっ」

 女性は半ばヒステリー気味に声を荒げた。駄々っ子のように手を振り回した拍子に携帯を落としてしまう。路上を滑る携帯を追って女性が手を伸ばすが、それは俊樹の車の下へと潜り込んでいく。ほとんど意味を成さない声を漏らしつつ、女性が地面に這いつくばった瞬間――。


 再び、あたりが真昼と化す。

 ほとんど反射的に、俊樹は花蓮を押し倒すようにして彼女の上に覆い被さった。

 轟く雷鳴、そして耳を聾する爆音。


「俺の車が……。俺の車の中で人が……」

 立ち上がったものの放心して呟く俊樹の腕に、花蓮がぶら下がるようにしがみついてきた。

「俊樹! とにかく今は、ここから逃げよっ」

 俊樹は花蓮に視線を合わせると、ひとつ瞬きをしてから無言で頷いた。再び自分の車に視線を戻す。視線の先――炎上する俊樹の車の脇で、携帯を落とした女性が横座りの姿勢で震えている。命に別状はなさそうだ。

 夜空を見上げる。女性には興味を示さず、UFOが別の獲物を探すかのように飛び去っていくところだった。時折、遠方で稲光が(はし)り雷鳴が轟く。目を懲らせば、別のUFOが地上を攻撃している様子がはっきりとわかる。

「間違いない。黒焦げになった人と言い、今の攻撃と言い……。奴ら、電源の入った携帯を攻撃しているんだ」

 根拠は甘いが、俊樹は直感に従って断言した。直感を疑う余裕は今の俊樹にはない。

「花蓮。携帯の電源、切っておくんだ」

 言うが早いか、俊樹は自分の携帯を操作して電源を切る。そして、口に手を当て周囲に呼ばわった。

「みんな、聞いてくれ。あのUFO、電源の入った携帯を攻撃している。携帯の電源を切れっ」

 ふと気付くと、周囲は悲鳴と怒号、さらにはエンジン音とクラクションの坩堝と化している。俊樹の声に耳を傾ける者はほとんどいない。

 徒労感に苛まれつつも、俊樹は花蓮の手を引いて走り出した。


(伏せろ、地球人!)


「きゃっ」

 俊樹は考えるより先に、再び花蓮を押し倒して覆い被さった。

 夜空が明滅する。次いで、雷鳴よりはずっと小さい、滝が流れるような音が聞こえてきた。

 薄目を開けた俊樹は花蓮から体を離し、夜空を見上げ――

「なにっ!?」

 大きく目を見開いて勢いよく立ち上がり、開けた口を閉じるのも忘れて見送った。UFOのひとつが機体の端から火花を散らし、機体を揺らして逃げるように飛び去っていく様子を。

 さっき警告してくれたのは誰だろう。あれは耳で聞いたのでなく、頭の中に直接響いてきたような気がする。そんなことを考えながら周囲に視線を走らせた俊樹は、ほど近い道端に黒焦げの死体がもうひとつ増えていることに気付いて息を飲んだ。

 ほぼ同時に、さきほど頭の中に響いた言葉を単語として反芻し、違和感を覚える。

「何て言った。たしか“地球人”って」

 もしかして、呼びかけてきたのはこいつだろうか。目の前で燻っている新たな黒焦げ死体……こいつが、UFOの攻撃から助けてくれた? 考えていても答は出ない。今は近くにUFOがいないのだ。とにかくこの場から少しでも遠くへ逃げよう。

 混乱する頭を無理矢理落ち着かせて意志を固めた俊樹は、再び花蓮の手を引いて走り出し……、またしてもすぐに足を止めた。

「きみたち、車盗られて困ってるだろう。よかったらオレの車で送っていくぜ」

 俊樹たちの目の前に現れた人物が、傍らに停車中のセダンの屋根に手を置いた姿勢で話しかけてきたのだ。

 常であれば、俊樹としては目も合わせず脇をすり抜けていたことだろう。何しろその人物――おそらく三十歳前後の男性――は、バンダナと黒い革ジャンという、八〇年代ロックアーティストを彷彿とさせる勘違いファッションでキメていたからである。

 だがその勘違い氏――

「オレの名は三芳礼治。ジョニーと呼んでくれ」

――ジョニーは、周囲でパニックを起こす人々とは違い、落ち着いていた。

 俊樹は花蓮と目配せし、頷き合うと即断した。

「……お願いします。助けてください」

 パワーウインドウが開く音がして、俊樹はそちらに目を向けた。開いた窓の内側から高い声がかけられる。

「ねえジョニー。誰、この人たち」

 漆黒のストレートロング。助手席に座っているのは、小学校高学年くらいの女の子だった。

「ロックなハートのお兄さんたちだぜ、マリー」

「そう」

 にこりともせずに返事をした女の子は、俊樹と花蓮には笑顔を見せた。

「鍵、開いてるわよ。どうぞ乗って」


   *   *   *


 車に乗ってからしばらく、誰も何もしゃべらなかった。それというのも、慌てすぎてハンドル操作を誤り、雪道で立ち往生する連中が後を絶たなかったからだ。

 そんな中、ジョニーは神がかったハンドル操作で先を走る車の脇をすり抜け、あっという間に他の車がほとんどいない通りまで走破してしまった。

 後部座席で肝を冷やす俊樹たちを尻目に、マリーは平然とカーラジオのスイッチを入れる。顔を後ろに向け、話しかけてきた。

「ちなみにあたし、茉莉。ジョニーの娘で小六よ。茉莉でもマリーでも、好きな方で呼んで」

「あたしは鈴木花蓮。彼は吉田俊樹でふたりとも大学一年よ。ねえマリー。お父さんっていつもこんな運転なの?」

「ご想像にお任せするわ、花蓮」

 花蓮はほんの一瞬虚空を見上げたが、すぐにマリーへと視線を戻した。

「……この話題はやめておくわ。マリーは恐くなかった? あのUFO……。あたしは恐くて、しばらく声も出せなかった」

「あたしらはロッカー。歌えればそれでいい。そんで、生活にスリルがあればもっといい。今夜はなかなかスリリングじゃない。充分楽しいわ」

 迷いなく言い放つマリーの横で、ジョニーはニヤニヤしながら運転している。

「あ、そう……」


 その後、花蓮が告げた彼女の自宅へ車を向かわせようとしたジョニーだったが、UFOどもを避けられそうな迂回路は全て、事故車や渋滞などで塞がれている有様だった。

「携帯は使えねえけど固定電話なら連絡できるかも知れん……と言っても、どこまで走っても見あたらねえな、電話ボックス。こりゃ、最悪の場合朝まで車中泊ってことで」

「構わないわ。朝帰りしたからっていちいち目くじらたてるような親じゃないもの。……あ、朝帰りって言っても女友達とカラオケオールナイトとかそんなのばっかりだけどねっ」

 なぜか窓の外へ視線を逃がしながら言う花蓮。落ち着かない様子の彼女と、その横顔をちらちらと盗み見る俊樹を交互に眺め、マリーはにやにやしていた。

 後部座席と助手席の様子に気付いた風もなく、ジョニーが気軽に言う。

「車中泊なんて冗談さ。二人とも、いざとなればうちに泊まればいい」

 礼を言う大学生たちに被せるように、マリーが話しかけてきた。

「俊樹ってロッカーなんでしょ。さっきジョニーがそう言ったわ」

「俺は高校の時合唱部にいたから歌は好きだけど、特にロックが好きってわけじゃないよ」

 そう俊樹が答えると、ジョニーが割り込んできた。

「あんたは立派なロック魂を持ってるぜ、トシ」

「ト……トシ?」

「聞いてたぜ。さっき、『恋人を置き去りにするのか意気地なしめ』ってさ。それも、自分の車を盗った相手に。しびれるじゃねえか」

「しびれる?」

 目を眇めて聞き返す俊樹に、マリーが解説してくれた。

「死語よ。それも、ジョニーが生まれる前の。感動したことを表す言葉だそうよ」

「あ、そう……」

 知らず、つい先程の花蓮と同じように脱力した返事をする俊樹。

 その時、ジョニーは鋭く細めた目でカーラジオを睨みつけ、「しっ」と声に出して会話を制した。

『……政府特別緊急放送です。本日午後十一時現在、我が国は緊急事態に対応するため超法規的措置を実行しております。日本全土に戒厳令が発令されました。国民の皆さんには許可無き外出を禁止します。現在我が国は何らかの事故またはその他の要因により、インターネット・地上デジタル等の情報インフラを寸断され、政府広報はアナログラジオ放送に頼らざるを得ない状況です。諸外国との連絡も途絶しております。いずれ続報をお伝えします。今後しばらくの間、ラジオでお伝えする情報に従って冷静に行動してください。この厳しい状況への対処は自衛隊を加えた政府特別対策チームにて行います。対策チームには即時発砲を含む超法規的措置が適用されます。国民の皆さんはくれぐれも外出しないように。繰り返します。政府特別緊急放送……』

 同じ文言ばかりが繰り返し放送されている。沈黙が支配する車の中、まずジョニーが声を出した。

「ふっ。くくくく」

 マリーがそれに続く。

「うふふ。あははは」

 笑う二人を交互に見た俊樹は、尖った声を出す。

「これはとんでもない事態ですよ。何がおかしいんですか」

「そうですよ。政府は既にUFOに気付いてて、自衛隊を含めて対処に乗り出してるってことでしょ。早くどこかの建物に避難しなきゃ」

 花蓮も焦った声を出すが、ジョニーは意にも介さない。

「わかってねえな、トシもレニーも」

 レニーとは花蓮のことであるらしい。前方を見たまま話すジョニーの声は、心なしか低めになっていた。

「今の放送、携帯のけの字もなかったよな。トシが気付いたこと、政府はともかく自衛隊が気付いてないと思うか?」

 ジョニーの真意がわからず、俊樹と花蓮は後部座席で互いに顔を見合わせた。振り向いたマリーは笑みを浮かべたまま告げる。

「俊樹も花蓮もしっかりしてよ、あたしより歳上なんだから。日本の政府ってば、何かコトが起きるととにかく情報収集とか言いながら絶望的なくらい初動が遅いでしょ。それが何故今回、こんなに素早いのかしら」

 マリーの説明を受けて目を見開く俊樹に対し、花蓮はもの問いたげな視線を向けた。彼女にもマリーにも視線を合わせず、俊樹は虚空を睨むようにして自分の考えを述べる。

「海外の緊急事態についての第一報をマスコミ報道で知るような無能政府にしては、確かに今回の動きは早すぎる。ネットと地デジがダメでもラジオなら大丈夫と気付き、あまつさえ超法規的措置の決断まで済ませている……有り得ない。つまり」

「そうよ。あのUFO連中による偽装放送か、政府そのものが乗っ取られたか。そんなところじゃないかしら」

 笑みを消し、声を低めて言い放つマリー。

「は……。だめだ、笑えない」

 続けようとした言葉と一致する内容をマリーの口から聞かされ、なおも笑い飛ばそうとした俊樹だったが、彼にはお手上げのポーズをしてみせることしかできなかった。

「待って待って」と花蓮が割り込む。「政府はもっと前からUFOのことを知ってたとは考えられない?」

「ああ、知ってただろうさ」

 ジョニーはさも当然とばかりに花蓮に返事をし、考えを述べる。

「知ってたとしてもこれほど迅速に強硬な対抗策を講じられるようなリーダーシップは持ち合わせちゃいねえ。だから、本物の政府による放送とは限らねえ。少なくとも、今すぐこの放送の内容を鵜呑みにするには早いというのがオレの考えだ」

 ジョニーは一呼吸置いて「さて、どうしたもんかな」とあくび混じりに呟いた。弾かれたように反応した花蓮が裏返った声を立てる。

「まさか! UFOに立ち向かおうとか言うんじゃないでしょうね、ジョニーさん」

 ちらと聞いた本名を思い出せず、つい渾名の方で呼びかけてしまった花蓮。今ひとつ締まらない空気の中、飄々とハンドル操作を続けるジョニーは、彼女の言葉をあっさりと否定した。

「するわけないさ、レニー。さっきの攻撃はオレもこの目で見た。あんなもん、銃で立ち向かっても敵いっこないぜ。どうしたもんかなと言っておいて何だが、オレたちゃロッカー。やることは一つだ」

 再び後部座席に背を落ち着けて顔を見合わせる俊樹たちに対し、振り向いたマリーは顔を傾けてウインクして見せた。

「歌うだけよ」

 あっけにとられた俊樹たちが絶句すると、そのまま会話もなくなった。

 それから十分ほど無言で運転を続けたジョニーは、一軒のライブハウス前で車を停めた。

「ここで歌うんですか、ジョニーさん。もうこんな時間だし、開いてないでしょう」

 車を降りて向かい合うジョニーと俊樹の間を、黒髪をなびかせてマリーが横切っていく。男たち二人の胸元までしかないその背丈を見て、俊樹はようやく彼女が小学生である事実を思い出していた。

「ジョニーはここのオーナーなのよ。で、二階があたしたちの住居」

 告げるマリーの手には鍵が握られていた。


   *   *   *


 飛び散る汗がスポットライトを反射して輝く。フォグに包まれたステージ上でジョニーが身体を折り曲げる。自らかき鳴らすギターの音色は本格的だ。

 演奏しているのはどうやらオリジナルだが、雰囲気は衣裳同様八〇年代の曲調だ。まさに――。

「シャウトが炸裂する……という表現がピッタリだな。古いけど、古くさくはない」

 爆音とも呼べる演奏の中、俊樹の呟きは隣にいる花蓮の耳にも届かない。

 いつの間にかジョニーの隣に寄り添ったマリーが、澄んだ声を張り上げる。彼女の高い声はジョニーの太い声と意外にも相性が良い。無理に大人びた歌い方はしていないし色気と呼ぶべき雰囲気も醸してはいないが、マリーの歌声は古い雰囲気の曲に華やかな彩りを加えた。

 親子の歌声に耳を傾けながらも俊樹は、目だけを隣に向けて(一緒に歌いたいな、花蓮と)と胸中に呟く。

 一曲歌い終えたジョニーに感想を求められ、俊樹は言葉を選びつつ答えた。

「ロックのことはよくわかりません。正直言うと新しさは感じませんが、かっこいいとは思いました。マリーはとても良い声です。歌い方の基本がしっかりしてて、特に高い声が良く伸びますね。俺としては、マリーに讃美歌を歌って欲しいと思いました」

 ジョニーは満足げに頷くと、満面に笑みを湛えて俊樹の背中をばんばん叩いた。

「うれしいぜ。よーし。オレの演奏でよければ全員で讃美歌を歌おうぜ」

「全員!? 待って待って、あたし讃美歌わかんない」

 慌てる花蓮に、ジョニーは親指を立てて見せた。

「讃美歌って言ってもオレが演奏できるのは『きよしこの夜』とか『もろびとこぞりて』とか、誰でも知ってる奴だけさ」

「それって讃美歌だったのね。ならあたしにもわかります」

 ジョニーによるギターの音量を抑えた伴奏のもと、四人での合唱が始まった。

「思った通り。花蓮の歌声、すっごく素敵……」

 ジョニーが挙げた二曲を歌い終えたところで、マリーがそう呟いた。それを聞きとがめ、すぐにジョニーが窘める。

「こらマリー。トシの台詞を奪うんじゃない。聖夜に恋人たちの邪魔はするもんじゃないぜ」

「げふっ」

 ジュースを飲んでいた俊樹がむせた。

「なにやってんのよ俊樹」

 背をさする花蓮に手をあげて感謝を示すと、俊樹は「マリーに台詞とられたよ」と言って微笑んだ。姿勢を正して彼女の正面に立つと、相手の目を真っ直ぐに覗き込む。

「な……なに」

 心持ち頬を赤らめる花蓮の前で深呼吸し、告げる。

「俺たちただのバイト仲間だし、外でUFOが暴れ回ってる時に言うことじゃないかも知れないけど。一緒に歌ってみて、はっきり感じたんだ。花蓮。キミと一緒に……。もっと歌いたい!」

 言い切った直後、出しかけたくしゃみが途中で止まったような表情を見せる俊樹。

 バランスを崩して今にも転びそうなふりをしたマリーが声に出して「ずるっ」と言い、俊樹を睨む。

「まだ恋人同士じゃなかったんだ。……もう、焦れったいなあ。だったら言う言葉が違うでしょ、俊樹」

 ギターを鳴らしてマリーを遮ったジョニーが、娘に対して「物事には段階ってもんがあるのさ」と諭す。

 俊樹と花蓮の様子に視線を走らせたジョニーは、娘の手を引いて静かにステージを降りた。

 今や、花蓮の頬は真っ赤に染まっている。

「もちろんよ。言ったでしょ、俊樹とは気が合いそうだって」

 直前にマリーが入れた茶々は、なかったことにするつもりのようだ。

 少し左右に視線を逃がしつつ、ちらちらと様子を窺う俊樹。

 俯き、ときどき上目遣いに、やはりちらちらと様子を窺う花蓮。

 ふたりは申し合わせたようにいったん視線を下げ、再びお互いの視線を真正面から受け止める。そして深呼吸し、どちらからともなく口を開こうとした、その途端――。


 破裂音。風船が割れる音を耳許で聞かされたかのような錯覚に襲われ、場の全員が首をすくめる。


「全員手を挙げろ。貴様等には国家反逆罪の疑いがある」

 硝煙の臭いと共に、制服姿の男たち四人がライブハウスに乱入してきた。

「なんだお前ら。旧日本軍?」

 さりげなく三人をかばう位置に移動していたジョニーは、手を挙げながらそう呟いた。

 ジョニーが言う通り、乱入した男たちの制服は自衛隊のものではなく、戦争映画に出てくるような古めかしい制服だ。抱えている武器も三八式さんぱちしき歩兵銃――銃口前方下部に刃渡り三八センチの剣を備えた銃剣――である。

 先頭の兵士だけは他の兵士と違い、袖口にラインがある。おそらく指揮官と思われるその男が、ジョニーの疑問を無視して大声で告げる。

「我々政府特別対策チームには即時発砲の権限がある。貴様等容疑者は、本来であれば遅滞なく射殺の刑に処すべきところ、今しばらくの猶予をくれてやる」

 ジョニーは挙げた手を後頭部で組むと、呆れた声で聞き返す。

「いろいろと突っ込みたいところだが、その前に。オレたちが一体何をしたってんだ」

「とぼけても無駄だ。貴様等が歌っていたのはわかっている。周辺住民からの密告があった」

 見開いた目を細めたジョニーは、気の抜けた声で「それがどうした」と呟いた。

「ふむ。どうやら貴様等、ラジオを聞いていないようだな。よかろう、教えてやる」

 指揮官は胸を張ると高らかに宣言した。

「我々はノエルスフィア星人である。貴様等地球人との共存を目的にやってきたのだが、このたび事情が変わった。急遽日本政府を乗っ取らせてもらったので、以後日本国民は我々の指示に従ってもらう」

「あーそー」

 組んでいた両手で後頭部をぽりぽりと掻き始めるジョニー。彼は、前に出ようとする俊樹に気付き、視線で制した。

「信用するもしないも自由だ。ただし、行動の自由を与えるわけにはいかない」

「それで、宇宙人さんよ。オレたちをどうしようってんだ」

「何、難しいことを要求するつもりはない。ただ、今後は歌を歌わないことを誓ってもらい、それを守ってもらうだけでいい」

「……はぁ? 意味がわかんねえ」

 指揮官以外の三人の兵士が一斉に銃を構えた。いずれの銃口もジョニーに向けられている。

 それらを手で制した指揮官は、ジョニーたちに対して賞賛とも呼ぶべき眼差しを向けた。

「ほう。貴様等日本国民に何かを強制するにはこの姿が一番だと思っていたのだが、例外がいるようだな」

 黙っているジョニーたちの周囲をゆっくりと歩いた彼は、両手を腰の後ろに回して胸を張り、再びジョニーの正面で足を止めた。続けて、軽く笑みさえ含んだ声色で穏やかに告げる。

「これは取引だ。我々とて無闇に地球人を殺戮したいわけではない。相応の交換条件を用意し、それを日本政府が飲んだというわけさ。よって貴様等日本国民どもには選択権はない」

 ジョニーはぎり、と歯を鳴らす。

「オレたちから歌を奪う、だと。どんな交換条件なんだ」

「せいぜい百年しか生きられない貴様等地球人、いや日本人の寿命……それを倍増する。これにより人口問題・食糧問題・エネルギー問題などが一層深刻化するが、それらの解決策として我々の母星の技術を提供する」

「ほう」

 ジョニーの額に青筋が浮いている。

「随分と気前の良いことだ。そうまでしてオレたちから歌を奪うメリットは何なんだ」

「これ以上のことを教えるつもりはない。嫌ならこの場で射殺する。歌を歌うそぶりを見せるだけでも射殺する。さあ誓え、歌を歌わないと」

 指揮官を含む四人の銃口が構えられた。

 ジョニーは一度、背後を振り向く。

 歌えないまま、いや、たとえ自ら歌えないとしても誰の歌も聴けないまま寿命だけが倍増する――そんな生き地獄、世界の滅亡と同義じゃないか。

 俊樹は花蓮と頷き合い、マリーとも頷き合うと、ジョニーを真っ直ぐに見て大きく首を縦に振った。

 ジョニーは謝罪するかのように一度目を閉じると再び前を向いて兵士たちを睨み付け、告げる。

「嫌だ。誓わない」


 膨れあがる殺気。

 後悔なんかしないぞ、ジョニーと同じ気持ちだ。兵士達を睨み付ける俊樹。彼の視界正面を遮るように、ジョニーの背が彼らをかばう。

 自分とそんなに変わらないジョニーの体格。俊樹はその背中をやけに広く感じていた。その背をマリーが右手で掴み、左手を花蓮と繋いでいる。

 いつしか俊樹の右手は、花蓮の左手をしっかりと握っていた。

 このまま死ぬのか。

 最期はせめて胸を張り、このくらい大きな背を見せて。ジョニーの位置に立っているのが俺だったら――そう思った途端、俊樹は声を張り上げる。

「花蓮! キミと――」

 破裂音。兵士達の銃口が火を噴いた。


   *   *   *


 飛び散る汗がスポットライトを反射して輝く。フォグに包まれたステージ上で俊樹が身体を折り曲げる。

 ジョニーがかき鳴らすギターの音色に乗り、背を合わせた花蓮とマリーが高い声を張り上げる。

(ありがとう、地球人。すでに敵の七割以上を掃討した)

 頭の中に直接響く声。


「あれ、俺たち撃たれたんじゃなかったっけ……」

 熱唱していた曲が終わったタイミングで俊樹は周囲を見回す。ジョニーのライブハウスの中だ。

「……!」

 耳を澄ますまでもなく雷鳴が聞こえる――自然の雷じゃない。

 聞き覚えがある。路上に何人もの黒焦げ死体を転がした、UFOによる雷撃だ。

「いや、でも」

 嫌な感じがしない。俊樹以外の三人も気にしていないようだ。

 それさえも演奏の一部であるかのように、四人の歌声が夜空に響き渡る。

(手を煩わせてすまない。残りの敵も所在を把握した。あとはゆっくり休んでくれ)

 何曲目かの演奏を終え、ジョニーが俊樹たちに同意を求める。

「全然歌い足りねえ。最後まで協力するさ。……なあ、トシ? レニーとマリーも」

 片目を閉じるジョニーを囲み、三人の少年と少女が頷き合う。

(うむ。では好きなだけ演奏していただこう)

 普通に会話する宇宙人とジョニーの様子を見た俊樹は、途切れていた記憶のピースがはまる気分を味わった。

「そうだった。俺たちは今」

 今、彼らがいるのはUFOの内側である。そして彼らの歌声は日本全国へと『配信』されているのだ。

 俊樹が周囲を見回しながら呟いた。

「それにしても、外側だけ見ると乗用車と同じくらいの大きさなのに、内側はこんなに広いなんて」

(いや、君たちの肉体は元いた場所ライブハウスに保存してある。今、ここには君たちの意識だけを乗せているのだ。君たちの言葉で言えば、サイバースペースやバーチャルリアリティ空間と言った概念に近い)

 ジョニーは考えるのを放棄するかのように言う。

「どっちでもいいぜ。この身体もギターも仮想現実だとは信じがたいが、音が出て歌も歌えるなら問題ねえ。歌うだけさ」


   *   *   *


 雷鳴が轟き閃光が視界を奪う。

 凶暴な熱波が荒れ狂い、生きたまま溶鉱炉にでも放り込まれたかのような錯覚に身も心も押し潰されそうになった俊樹だったが……。

「…………」

 やがてあたりは静寂に包まれる。

 床にうずくまっていた俊樹はおそるおそる立ち上がる。身体のどこも痛くない。

 落雷に見舞われたのかと思ったが、そんなことはなさそうだ。

 周囲を見ると、すでにジョニーが立っていた。抱き合っていた花蓮とマリーもお互いの身体を支え合うようにしてゆっくりと立ち上がる。四人の身体が光を放っているように見えて軽く頭を振った俊樹だったが、ふと疑問が湧いて天井を仰ぐ。

「……あれ?」

 記憶に齟齬が生じている。俊樹はもう一度頭を振った。

「たった今、俺たち歌ってなかったっけ」

 正面の床を見下ろした。

 人型の炭が四つ、床に転がっている。

 何が起きているのか、すぐには理解できない。続いて真下を見下ろし、今度こそ声にならない悲鳴を上げる。

 俊樹たち四人の身体が転がっている。それぞれの身体の上に、ぼんやりと燐光を放つ身体が浮いていたのだ。

(大丈夫だ。君たちは死んではいない)

 頭の中に直接響く声。

 ゆっくりとライブハウスの入口に目を遣ると、壊れて開け放たれた扉の向こうから光が射し込んでくる。光源にいるものは、UFO――路上で目撃した奴だ。

(君たちの勇気に敬服する。我々は……いや、我々も、というべきか。ノエルスフィア星人だ。君たちは乗り物だと思っているようだが、円盤形生命体だ)

 俊樹は他の三人と顔を見合わせ、みな同じように円盤形生命体の声を聞いていることを知った。


 円盤形生命体の説明はこうだった。

 日本政府を乗っ取ったのは指名手配中の犯罪者。故郷のノエルスフィア星を追われて宇宙海賊となった連中である。しかし、宇宙での海賊行為は長くは続かなかった。

 圧倒的な武力を誇る星間連邦警察に目を付けられた海賊どもは安住の地を求めて銀河辺境を目指し、やがて地球へと逃げ延びた。ヒューマノイド型生命体である海賊どもは住人として地球に潜伏し、追っ手の目を欺くことに成功する。その後、地球人より何倍も長命であることを利用して緩やかな侵略を実行に移した。

 星間警察による海賊捜査の手は、一応は地球にも伸ばされたという。しかし、地球が星間連邦に所属していないこと、及び海賊どもによる地球人殺戮行為がない――少なくとも発覚しない――ことにより、惑星侵略行為についてはろくに調査されることはなかった。

 結局、海賊行為の途絶えた宇宙海賊を執拗に追跡することなく、星間連邦警察は引き揚げてしまう。

 一方、海賊どもが日本政府とかわした寿命を延ばすという約束には偽りはない。そのための手段として、人間の肉体を有機サイボーグに交換するというのだ。

 しかし、取引にあたって海賊どもが隠していた事実がある。

 有機サイボーグには歌を歌う機能と――生殖機能がないのだ。

(それだけではない。サイボーグ化された地球人はおそらく洗脳され、海賊どもの尖兵として使役されるだろう。同じ星の警察として我々が奴らを止めなければ)

 そこまでの説明を聞いて、俊樹は疑問を口にした。

「UFOを撮影しようとしていた人々を撃っただろう。あれは何故だ」

(奴らも宇宙海賊。そして我々は海賊どもの正体を見破るスキャニング装置を持っている。しかし、携帯電話に似せた端末は我々のスキャニングをジャミングする装置であり、攻撃を兼ねる武器でもある)

 そう言えばあの三人組、不自然に腕を伸ばしていたっけ――そのことを思い出した俊樹は、続いて何者かから警告を受けた記憶を呼び覚ます。そう、たしか(伏せろ、地球人!)と。あれは、UFOからの警告だったのだ。

 UFOの説明に熱っぽい響きがこもり始めた。

(地球人の歌には――とくに、きみたちの歌や叫び声には力がある)

 車を盗られた際に叫んだ俊樹の声。スタジオでの四人の歌声。それらは、宇宙海賊どものジャミング端末の効果を劇的に打ち消すというのだ。

 ここで銀河パトロールたちの『声』の調子が説明口調から依頼口調へと切り替わる。

(我々はこれより宇宙海賊どもの残党狩り、および奴らによる破壊工作の数々を元に戻すための作業に入る。そこで相談だが、地球人の青年よ。君の声はとてもよく通る。君の――君たちの声を、地球人のラジオと我々の音声出力機から地上へと流したい。そうすれば、残党狩りが楽にできる)


   *   *   *


 瞬きを一つして、目を開けた俊樹は左右をきょろきょろと見て呟いた。

「あ……まただ」

 スポットライトに照らされたステージ。ジョニーとマリー、そして花蓮が側にいる。

(君たちの意識を肉体から切り離し、ライブハウスからここに転送した。しばらく記憶が前後すると思うが、特に問題ない)

「肉体……」

 覚えている。俺たちは旧日本兵――宇宙海賊どもに、確かに撃たれた。

 呆然と呟いた俊樹たちの頭に、UFOの声が響いてくる。

(間に合わなくて申し訳なかった。だが、肉体の損傷は明朝までには修復可能だ。こうして四人とも意識をサルベージできたので、明朝には肉体に戻す。戻してすぐ、元通りに活動できるので心配ない)

 マリーが声を張り上げた。

「あたしらはロッカー。いえ、シンガーズ! とにかく、歌えるんなら何の問題もないわ」

(メリークリスマス、シンガーズ)

「声がれるまで歌おうぜ! 花蓮」

「うん、朝まで一緒に! 俊樹」

 突然、床が揺れた。壁面から火花が飛び散る。

(すまない、演奏を再開してくれ。敵の位置が把握できない)

 海賊どもからの反撃を受けているのだ。

 俊樹が振り向くと、すでにギターを肩にかけていたジョニーが親指を立てる。

「それじゃいくぜ!」

 ジョニーの伴奏を合図に、俊樹は場の全員と視線を交わす。

 イヴに世界とキミと――仲間たちと。


We Wish You a Merry Christmas,

And a Happy New Year!


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― 新着の感想 ―
[一言] おもしろかったです! 冒頭のシーンからまさかこんな展開になるとは誰が予想したでしょう…(笑) 登場人物たちのノリも良くて楽しく読めました。 年に一度のクリスマスには、やっぱりこういった、…
2012/01/09 11:01 退会済み
管理
[一言] お疲れ様でした。失礼ですが感性が古すぎて冷めてしまいました。ターミネーター2やらスタートレック世代のニオイがします。SF風な作品で古いっていうのは致命的だと思います。
2012/01/07 19:12 退会済み
管理
[一言] 執筆お疲れ様でした。締め切り直前でPCのトラブルが起こったとのこと、大変でしたね。 さて、作品感想ですが、たいへん読み応えがありました。 導入部、濃い闇に包まれた日常の風景が強烈な光によっ…
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