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第1話 修学センター

 読んでいただきありがとうございます。


 定期的に更新していきますので、よろしくお願いします。

 進路の話があるから、午後に職員室へ来てね。


 朝食のあと、そう声をかけられたとき、俺はまた就職先のパンフレットでも見せられるんだと思っていた。


 施設を出る年齢が近づくと、職員の人たちは少しだけ優しくなる。

 それがありがたいのか、気まずいのかは、いまだによくわからない。


 だから昼過ぎ、言われた通りに職員室の前まで行っても、特に緊張はしていなかった。

 せいぜい、また「ちゃんと考えてる?」と聞かれるんだろうな、くらいだ。


 ドアを軽く叩くと、中から「どうぞ」と返ってきた。


 入った瞬間、いつもの匂いがした。

 紙とインクと、少し冷めたコーヒーの匂い。

 見慣れた机。古い棚。子どもには見せないはずの書類が並んだ壁際のキャビネット。

 ここで大事な話をされるのは初めてじゃないのに、あまり好きにはなれない場所だった。


「有馬くん、座って」


 担当職員の佐伯さんが、机の向こうで手を軽く上げた。

 いつもみたいに雑談から入らず、正面に置かれた薄いファイルを指先で押さえている。


 その時点で、少しだけ嫌な予感がした。


「そんな顔しなくても大丈夫。怒る話じゃないから」


「怒られるようなことした覚えはないですけど」


「そういう返しが先に出るあたり、普段から身構えすぎなんだよね」


 苦笑いして、佐伯さんはファイルをこちらへ向けた。


「先月受けた適性確認、覚えてる?」


「健康診断みたいなやつですか」


「そう。それのQCI版」


 QCI適性確認制度。

 若いうちに一度は受けることがある、国の検査だ。

 学校でも施設でもまとめて実施されることが多い。適性がなければ、特に何も起こらない。

 適性があれば、進学とか就職とか、その先の話が少し変わる。

 少し、で済まないこともあるらしいけど、俺にはあまり関係ないと思っていた。


 検査の日も、やることは大して珍しくなかった。

 いくつかの簡単な質問、視線を合わせるテスト、脳波測定みたいなもの、それから奇妙に静かな部屋で何分か座らされる。

 その程度だ。

 あの部屋が少し気持ち悪かったこと以外、印象に残っていることはあまりない。


「結果が出たの」


 佐伯さんはそこで一拍置いた。

 たぶん、俺の顔色を見ていたんだと思う。


「有馬くん、基準値を超えてた。北海道国立QCI修学センターの進学候補になってる」


 言われた意味が、一拍遅れて落ちてきた。


「……俺がですか」


 たぶん、その瞬間が、職員室に入ってから初めてちゃんと相手の顔を見た時だった。


「うん。有馬くんが」


「間違いとかじゃなくて」


「名前も生年月日も登録番号も合ってる。残念ながら、すごくちゃんと君のだね」


 残念ながら、という言い方に少しだけ笑いそうになったけど、それどころじゃなかった。


 北海道国立QCI修学センター。

 名前くらいは知っている。

 テレビやニュースで何度か聞いたこともある。

 若年のQCI適性者を対象にした国立の教育機関。寮制。学費負担が軽い。将来的な進路も強い。

 うまくいけば、そこから上の養成機関や研究課程に進む者もいる。

 施設でたまに回ってくる進学資料の中でも、明らかに"良いほうの進路"として扱われていた。


 少なくとも、俺が行くところではないと思っていた。


「そんなに高い適性ではないよ」


 佐伯さんが現実的な声で続ける。


「上位校の推薦がかかるほどじゃないし、いわゆるエリート枠でもない。でも、基準は超えてる。中等後期課程からの受け入れに回せる、って判定」


「……中等後期」


「そう。途中編入みたいな形になるね」


 途中編入。

 それも、自分とは無縁だと思っていた言葉だった。


「俺、そんなの全然……」


 言いかけて、言葉が止まる。

 "そんな力ないです"と言おうとして、そもそも力があるとかないとか、そういう実感自体が自分にはないと気づいた。


 QCIなんて、ニュースの中か、ずっと遠い学校の中の話だ。

 適性がある人間は、子どもの頃からもっとわかりやすく違うものだと思っていた。

 感覚が鋭いとか、訓練で目立つとか、何かしら。

 俺はそんなふうに生きてきていない。


「正直、私も意外だったよ」

 佐伯さんはそう言った。

「でも、意外だったってだけで、間違いってわけじゃない」


「……修学センターって、行かなきゃ駄目ですか」


 聞いてから、自分でも少しずるい言い方だと思った。

 断りたいわけじゃない。ただ、選べるのか確認したかった。


 佐伯さんは、そこで初めて少しだけ考える顔をした。


「法的には強制じゃないよ。本人の希望と、保護者、まあ君の場合は施設側の同意って形になる」

「じゃあ断れるんだ」

「断れる。でも、すすめはする」


 はっきり言い切られて、変に納得した。


「学費の負担は軽いし、寮もある。施設を出た後のことを考えたら、かなり現実的にいい選択肢」

「……勝ち組コースみたいな」


「そこまで簡単な話でもないけどね」


 少しだけ、佐伯さんの声が落ちた。


「楽な場所ではないと思う。合う合わないもあるし、普通の学校とはだいぶ違う。でも、将来のことだけ見れば、悪い話じゃない」


 悪い話じゃない。

 たしかにそうだった。


 施設を出たあとのことは、考えていないわけじゃない。

 ただ、ちゃんと考えようとすると、だいたい途中で面倒になる。

 現実的にできることと、やれそうなことと、やりたいことが綺麗に重ならないからだ。


 その点、国立の寮制教育機関というだけで、相当大きい。

 食うに困る未来からは少し離れられる。

 将来、何かの資格や公的な仕事に繋がる可能性もある。

 施設の中で年下に向けて語られる"いい進路"の条件が、ほぼ全部揃っていた。


 断る理由が、うまく思いつかなかった。


「……俺、何をするんですか」

「まずは見学と面談。そのあと正式な受け入れ審査。書類上はもうかなり通ってるけど、向こうでもう一度測ると思う」

「また測るんですか」

「たぶんね。適性って、出力だけで決めるわけじゃないし」


 出力。

 その言葉に少しだけ引っかかる。

 でも、そこを掘ると、また自分の知らない話が増えそうだった。


「いつ行くんですか」


「早ければ来週。手続きが通れば、そのまま新年度の編成に滑り込める」


 来週。

 思っていたよりずっと早かった。


 それからの話は、細かい書類と、説明と、確認事項の連続になった。

 交通手段。必要な持ち物。施設側で用意できるもの。向こうで支給される制服や生活用品。

 頭に入っているようで、半分くらいしか入っていなかったと思う。


 気づけば、最後に佐伯さんが「無理に前向きにならなくていいから」と言っていた。


「君、自分が何かを選ぶ時、だいたい"選んだふり"をするでしょ」


「そんなことないです」


「あるよ」


 即答された。


「でも今回は、それでもいいと思う。とりあえず乗ってみて、嫌ならそのあと考えればいい」


 それは励ましなのか雑なのか判断しづらかったけど、少なくとも気は楽になった。


 職員室を出ると、廊下の窓から冬の薄い光が差していた。

 施設の中はいつも通りで、子どもたちの声も聞こえるし、テレビの音もどこかで鳴っている。

 でも、さっきまでと同じ場所には見えなかった。


 自分だけが少し、別の線路に乗せられた気がした。


    ◇


「え、すご。ほんとに? 修学センター?」


 夕食のあと、同じ部屋のやつにぽろっと話したら、予想以上に驚かれた。

 こっちが驚くくらいの反応だ。


「まだ候補だけど」

「いや候補でもやばいだろ。国立だぞ」

「そんなに?」

「そんなに」


 言い切られると、少しだけ実感が湧く。


 施設の中でも、進学とか就職の話はだいたい現実的だ。

 夢の話をするやつがいないわけじゃないけど、生活が先にあるから、みんなそこまで無茶は言わない。

 その中で、修学センターは珍しく、夢と現実の中間みたいな扱いだった。


 学費の問題を飛び越えられて、しかも国に拾われる。

 適性があれば将来の道が広がる。

 そう聞けば聞くほど、俺には場違いな気がしてくる。


「で、行くの?」

「たぶん」

「たぶんって」


 呆れた顔をされた。

 でも、たぶん、以外の言い方がなかった。


 その夜、荷物をまとめ始めた。

 といっても、元からそんなに物はない。

 服、本、古いイヤホン、使いかけのノート、施設でもらった細かい生活用品。

 自分の持ち物って、思っていたより輪郭が薄いな、と変なところで思った。


 引き出しの奥から、見覚えのない古い紙切れが出てきた。

 落書きみたいな線が二本、引いてあるだけのメモ。

 自分で書いた記憶もないし、何の意味があるのかもわからない。

 少しだけ見て、結局そのまま捨てた。


 次の日から、周囲の視線が少し変わった。

 露骨ではない。

 でも「よかったね」とか「頑張れよ」とか、そういう言葉を向けられる回数が増える。

 施設職員も、子どもたちも、どこか俺を"送り出す側"の顔で見るようになる。


 そうされると、行かないという選択肢は、ほとんど形を失う。


 気づけば出発の日になっていた。


    ◇


 空港は思っていたより混んでいて、なのに俺だけがどこか他人事の中にいた。


 施設の職員と一緒に手続きを済ませて、搭乗口の前の椅子に座る。

 同じ便には、明らかに家族連れでそれっぽい子もいた。

 小綺麗なジャケットを着せられている子。

 緊張した顔の母親。

 いかにも慣れていそうな父親。

 その中で、施設の支給バッグを膝に置いた俺は少し浮いて見えたかもしれない。


 でも、たぶん誰も見ていない。

 そういう意味では楽だった。


「向こう着いたら、最初にアンカー装着があると思う」

 付き添いの佐伯さんが言った。

「説明受けたでしょ」


「QCI出力の安定化補助、ですよね」


「うん。通称アンカー。基本は全員つける」

「全員」


「少なくともセンター内ではね」


 アンカー。

 正式には個人観測安定補助環とか、そんな名前だったはずだ。

 検査結果の説明資料に書いてあった。

 QCI発現の事故防止、知覚と出力の安定化、精神負荷の軽減。

 言葉の上ではずいぶん便利そうだった。


「嫌そうな顔」


「いや、便利なんだなと思って」


「便利だよ。便利で、必要で、面倒でもある」


 その言い方が少しだけ引っかかったけど、それ以上は聞かなかった。


 飛行機の窓から見える雲は、下から見上げる時よりずっと平らだった。

 北海道に近づくにつれて、景色の色が少し薄くなる。

 白っぽい空、鈍い地面、遠くまで広がる平坦さ。

 世界の輪郭が少しずつ削られていくみたいだった。


 空港を出て、さらに専用バスに乗り換える。

 市街地を抜けて、道が広くなって、建物が減っていく。

 ただでさえ口数の少なかった車内が、気づけばほとんど無音だった。


 ようやく見えてきた修学センターは、思っていたより新しく、思っていたより大きかった。


 高い塀や有刺鉄線があるわけじゃない。

 建物そのものも、無機質ではあるけど病院ほど白くなく、学校ほど柔らかくもない。

 複数の棟が規則正しく並んで、その外側を低いフェンスと監視ゲートが囲んでいる。

 広い。きれいだ。整っている。

 でも最初の印象は、開かれた学校というより、静かに閉じている場所だった。


「ここ……」

「すごいでしょ」


 佐伯さんはそう言ったけど、俺が口にしかけたのは"すごい"ではなかった。


 バスを降りると、風が冷たかった。

 北海道だから当然なんだろうけど、刺さるみたいな冷たさだった。

 職員に案内されて建物の中へ入る。

 床は磨かれていて、廊下は広く、足音が妙に響いた。


 受付は空港より静かだった。

 案内の職員は親切だったし、言葉も丁寧だったけど、全体に声が抑えられている。

 大きな音を立てないよう、全員で気をつけているみたいな空気があった。


 書類確認、荷物確認、説明。

 その流れの中で、金属とも樹脂ともつかない輪を手渡される。


「個人観測安定補助環。アンカーです」

 若い女性職員が、慣れた口調で言った。

「センター在籍中は常時装着になります。睡眠時も含めて外せません。体調不良や違和感があれば、必ず申告してください」


 思っていたより細い。

 腕輪というより、手首に沿う硬質な帯だった。

 内側に微細なセンサーが並んでいて、表面には最低限の表示部しかない。

 装飾性はまったくない。ただの器具だ。


「右手で」

「利き手じゃなくていいんですか」

「原則は右です。例外は後で調整します」


 言われた通りに差し出すと、職員が手際よくアンカーを装着した。

 冷たい感触が皮膚に触れ、一瞬遅れて、ぴたりと手首に沿う。


 その瞬間だけ、わずかに気持ち悪かった。


 痛いわけではない。

 締め付けが強いわけでもない。

 でも、自分の皮膚の上にもう一枚、知らない境界が乗ったみたいな感じがした。


「異常ありませんか」

「……いえ」

「問題なければ初期同期完了です」


 初期同期。

 言葉は機械的なのに、体感だけが妙に生っぽい。


 俺はアンカーのついた右手首を少しだけ見た。

 黒でも銀でもない、光を吸うような鈍い色をしている。

 手錠というほど露骨じゃない。

 でも、歓迎の証という感じでもなかった。


「有馬くん?」


「あ、はい」


「寮棟に案内します。明日からはオリエンテーションと基礎測定です。今日は移動で疲れてると思うので、荷物を置いたら食堂の時間だけ確認してください」


「わかりました」


 そう答えて歩き出しながら、もう一度だけ手首を見る。


 ここに来るまで、修学センターは"良い進路"の名前だった。

 国立で、将来につながって、人生が少しまともになるかもしれない場所。


 たぶんそれは、間違っていない。


 ただ、アンカーの冷たさを感じている今は、別のことも思っていた。


 ――ここ、歓迎されてるって感じじゃないな。


 その違和感の意味を知るのは、もう少し先のことになる。


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