005.出回る噂話
家族にバレないように魔力の鍛錬を始めてから1ヶ月が過ぎた。
魔力を少しだけ動かすことには成功したが、その動きは非常に遅いものである。
理論をどれだけ理解していても、実際にやってみるとやはり難しい。
百考は一行に如かず……まさに、その通りだ。
魔力操作の休憩がてら目を開いて天井を眺めていると、母が覗き込んできた。
母は俺をその腕に抱き、庭へと赴く。
綺麗に咲いた庭の花々を目にしながら、歩く母にしがみ付く。
「あ、アイロツィ!へへへ、今日もかわいいね~」
「オネネヴ、そろそろ休憩にしたらどう?」
「うん!」
見れば、鉄の剣を片手に、汗ぐっしょりになりながら笑顔で俺を見つめるオネネヴの姿。
オネネヴが聖騎士を目指すようになったのは、弟であるアイロツィが生まれ、自分よりも小さいその命を守りたいと強く思うようになってからだ。つまり、鍛え始めてからまだ1年にも満たない。
だというのに、毎日こうして汗を流しながら、真剣に剣を振るう。
何事にも飽きやすい年齢だろうに。
罪悪感に、胸がチクリと痛んだ。
俺は、俺を守るためにと聖騎士を目指す子の、その夢を壊そうとしている。
これから4年半経って、魔櫃病が発症し始めた俺を見てオネネヴは何を思うのか。両親は、何を考えるのか。
自分の意思で原作の流れを変えた上に、自分の意思で家族を苦しませる。その先に笑える未来が待っていても、幼い少女の夢を踏み躙ったことに変わりはない。
いっそどちらかに振り切れる覚悟が俺にあったなら、もっと違ったのだろうか。
臆病なくせに、原作を守ろうとする。中途半端で、傲慢だ。
そんな自分に嫌気が差す。
「オイリシュア、オネネヴに冷たい飲み物をお願いしてもいいかしら?」
「かしこまりました。お嬢様、柑橘漬の冷や水ですよ」
「わ、これ好き!ありがとう、オイリシュアさん!」
母は俺を抱いたまま、庭の東屋へ移動する。
机の上には既にティーセットが広げられていた。
母はこうして時折、俺を抱いたまま使用人との歓談に興じることがある。
オイリシュアは、エトナヴ家のメイドらしい。
らしい、というのは、あくまでこの世界に来てから俺が情報収集した結果わかったことに過ぎないからだ。
俺は前世でこの「オイリシュア」なる人物を設定していない。
だが、こうして背筋を伸ばしたメイドは個人の名称を与えられ、役割を与えられ、この世界で生きている。
この世界の元になったのは俺の作品だったとしても、この世界の流れは既に現実だ。今更、こんな当たり前のことで驚いたりはしない。
これから先俺が脇役として生きていくなら、物語に名前どころか陰すら出てこない人物たちと繋がることがあるだろう。慣れるしかない。
「私にはいつも通り紅茶を」
「はい、奥様」
「ふふ、ありがとう。じゃああなたも座りなさいな」
「ありがとうございます。失礼します」
エトナヴ家は、使用人との距離が近い。使用人が安心して働ける環境というのが整っている。
母がこうして使用人と話す機会が多いのには理由がある。
母は、紅茶を一飲みして息をつき、オイリシュアに話しかけた。
「……それで、何か面白い噂話はあるかしら?」
「私も聞きたい!」
母、ジレフ・エトナヴは噂好きだ。
エトナヴ家に勤めている使用人はオイリシュアだけではない。
だが、どの使用人に対しても母は同じ質問をする。
俺にとっても良い情報源になるし、単純にこの体で得られる娯楽というのが少ないので、なんだかんだ俺も噂話を楽しみにしているのだ。
「そうですね……水の枢機卿閣下から推薦を受けて魔法師学園に行った、ここエトナヴ領の平民の話をご存じですか?」
「聞いた覚えはあるわね。確か領都の鍛冶屋の一人娘だったかしら」
枢機卿。ここアゼラエラ王国の国教である、六神教の最高幹部だ。
火、水、風、土、光、闇を司る六柱の神がおり、それぞれに仕える形で枢機卿が存在する。
彼らはそれぞれ学園の特待生枠に推薦する権利を持っており、エトナヴ領の平民がその推薦を勝ち取ったということだろう。
特待生枠は学費と寮費が無料になる特典があるが、金のある貴族には必要がない制度であるため、実質的優秀な平民に学びの機会を与える制度だと思っていい。
「その通りです。噂によると、彼女が領都に帰ってきたようなのです」
「あら、何か問題があったのかしら?」
「それがなんと、高等課程まで全て修了した後、宮廷魔法師の内定を辞退してまで戻ってきたとか……」
「ええっ、どうしてなの……!」
母は楽しそうに、続く言葉を待つ。
宮廷魔法師と言えば、国の中でも超が付くエリートの集団。『平民騎士の英雄譚』に出てくる主要人物だって、何人もいる。魔法を学び扱う全ての者が夢見る職と言っても過言ではない。
そんな人物設定した覚えないぞ、なんて思いながら、母の腕の中で俺は聞き耳を立てる。
「どうやら、育った地であるエトナヴ領に報いたいと言い放ったそうです」
「あらあら、まぁ。あの人が喜びそうな話だわ」
「ねーねー、その人すごいの?」
確かに、王都に行った領民が故郷を選んだとあれば、領主は嬉しいだろう。それも、宮廷魔法師に内定するほどの実力者であればなおさら。
オネネヴは、何の話だかわからないと言った様子でグラスを持ったまま首を傾げた。聞き方が少し戦闘民族っぽいのは気のせいだろうか?
「ええ、宮廷魔法師と言ったらね、騎士団の部隊長くらいかしら?」
「そうですね、それぐらいの実力はあるかと」
「へー!すごいんだね!会ってみたい!」
聖騎士に憧れるオネネヴは、騎士団に例えられてその凄さを理解する。
確かに俺も会ってみたいかもしれない。オイリシュアをはじめとした、俺が設定していない人間に会うたび。俺がこの世界に生きていることを強く実感するのだ。
そうしていった先に、罪悪感を抱えたままでも……それでも生きていける日が来ると、信じたい。




