004.生存葛藤
その日の夜。
既に母は眠り、俺は静かに考え事をしていた。
アイロツィとしての人生はとても短い。アイロツィは、オネネヴが10歳の時に死ぬ。
故に、俺はあと5年しか生きられないのだ。
死因ははっきりしている。
魔櫃病……魔力が意図しない変質を起こし、体を硬化させ、最後は塵となって死亡する。
発症前の兆候時点であれば、神官が診れば治すことができる。
だが、発症後は……例え、今日俺を診たイエル・ラギツェヴニ司教であっても治すことができないのだ。
俺は酷く苦しむだろう。
俺を愛してくれる、新しい家族を悲しませるだろう。
原作では、そうして弟を亡くしたオネネヴが薬師を目指し……ついに、薬師となったオネネヴが魔櫃病を治す薬を開発するのだ。
……。
思案する。
もちろん、死に対する恐怖はある。家族を悲しませてしまうという罪悪感もある。
だが、俺が一番葛藤しているのはそこではない。
魔櫃病は、魔力の変質によって引き起こされる病だ。
イエルも言っていたように、魔力が乱れやすい人間は、魔力関係の病に罹りやすい。
逆に言えば、魔力を乱れなくすれば、魔櫃病に罹ることもない。
通常は、そんなことは出来ないだろう。現時点では。
体内魔力の把握、効率的な魔力鍛錬法、そして魔力制御技術。
天才魔法使いが理論を作った技術も、解読されていない神話の時代の書物も……。
全て、俺の頭に入っている。
俺は……原作を破壊する覚悟さえあれば、生き残ることは容易いのだ。
それどころか、この世界で主人公となり、英雄にもなれる。
葛藤。
主人公になりたくはない。この世界の主人公は、エルトセムただ一人。
俺はただの、名前しか出てこない脇役でいいのだ。
頭を動かして、母を見た。
寝ているはずなのに、俺が少し動いただけで頭を撫で、腰のあたりをぽんぽんと優しく叩いてくれる。
原作を壊したくない。
けど……アイロツィを愛している家族を、悲しませたくはない。
こうして生まれ変わって気付いた。家族とは、ドラマの演出装置ではなかったのだ。
そう思い至り。
俺は目を瞑り、静かに深く呼吸をした。
今はただ、眠気に身を任せよう。
それだけで、赤ん坊の身体は簡単に眠りに就く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
俺は方針を決めた。
生きる。生きた上で、原作に準拠した流れを作る。
理想論だ。原作で死ぬはずだった人間が生きている。原作破壊以外の何物でもない。
出来の悪い二次創作みたいなものだ。
だが、ここは現実だ。死んでしまえば悲しむ家族がいる。
そしてそれは、原作破壊と同じくらい俺にとって許容できないものだった。
とはいえ、どうやって生き延びた上で原作に準拠するのか。
魔櫃病は、魔力が『意図しない変質』を起こして罹患する病だ。老若男女誰しも発症する危険性はあり、発症すれば致死率100%の恐怖の病。
魔櫃病を予防するには、幾つか方法がある。
ひとつ。神殿にて、『神の祝福』を受けること。『神の注目』とまではいかなくとも、神の祝福を受けた人物はその肉体的成長に補正が掛かり、魔力の乱れも起きにくくなる。そのため、魔力が『意図しない変質』を起こす確率が下がる。
ふたつ。魔法を使うこと。体内に変質した魔力が澱の様に溜まり、発症するのが魔櫃病だ。体内の魔力を知覚できない現時点のこの世界でも、魔法を使うことで体内の魔力は巡り、澱は攪拌される。この世界で一般的な予防策とは言えないが、これも発症の可能性を下げてくれる。
そしてみっつ。体内の魔力を知覚し、操作できるようになること。魔力が乱れやすく、澱が溜まりやすい体質だとしても、それらを操作し体内で循環できるようになれば魔力の病に罹りにくくなる。
通常であれば、ひとつめやふたつめの方法で生き延びられるだろう。だが、俺はそれを選ぶことはできない。
原作でどうして魔櫃病に罹ったかと言えば、そこまで幼少から魔法を扱うことなんてまずないし、神の祝福を受けるのは基本的に初等学園へ通い始める、6歳になってからが常識だ。貴族であってもそれは共通している。
だからこそ、原作においてアイロツィは6歳を迎えられず死んだ。
みっつめの選択肢は、リスクのある行為だ。
魔力が乱れて高熱が出たり、人が死ぬような病を引き起こすような世界なのだ。当然、自分で体内の魔力を操作しようとして失敗することにも危険が伴う。
だからこそ、この世界において体内の魔力をどうこうしようという研究は進んでいない。
だが、俺は道筋を知っている。手探りで闇の中を進むのではない。見えているゴールまで、長い階段があるだけなのだ。
そうした先に、魔櫃病に罹患せず生きる俺が存在する。
だが、そのままだとオネネヴは、原作から乖離した行動をとるだろう。
聖騎士を目指すために騎士学園へと入学し、下手をすればエルトセムのライバルポジションにだってなりかねない。
だからこそ、喪った悲しみとまではいかないまでも、喪うかもしれなかった恐怖と、同じ境遇の人に対する憐憫をオネネヴに植え付けなければならない。
救いたい。家族も、俺のことも……。だが救った結果、彼女が薬師にならない未来だけは、俺には許せなかった。
だからこそ。
魔力操作を5歳までに究め、発症した魔櫃病の再現をする。
魔櫃病は意図しない魔力の変質により引き起こされるが、裏を返せば意図して変質させることによって、魔櫃病の症状を再現することができるはずだ。
当然、それには超越した魔力操作の技術が必要となる。死ぬ気がないのであれば、魔櫃病の症状を可逆的な存在にしなくてはならない。硬質化した魔力を、肉体を、魔力操作でまた元通りにしなければならないのだ。
オネネヴが俺の症状を『魔櫃病』によるものだと強く認識してもらうためにも、医師や神官による診断も欺かなければならない。それほどの、魔力操作の難易度。
……そして、病を再現するのであれば。
想像を絶するほどの痛みが、苦しみが、俺を苛む事だろう。
だけど、それは受け入れなければならない。
原作を改変し、家族を苦しませる対価であり。
それが、この世界の原作者である俺の責任だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「またねてる~」
「最近よく眠るようになったわね」
目を瞑った俺の頭上で、姉と母が話しているのが聞こえた。
今は寝ている訳ではなく、自身の身体の奥に意識を向けているだけだ。集中するため、外界の情報をシャットアウトする。それには目を瞑るのが一番手っ取り早い。
とはいえ、赤ん坊の肉体はなかなか不便なものだ。目を瞑っていると速攻で眠くなるし、集中力が保てない。まだ数日しか経っていないが、魔力の鍛錬は遅々として進んでいなかった。
集中すれば自分の心臓が拍動しているのはわかる。それが魔力の知覚に近い感覚だと思ってくれればそれでいい。
魔力の操作は、言ってしまえば脈拍や血圧を自分の意思で変化させるようなものだ。難易度が桁違いに高いことが分かると思う。そんなのを眠い目を擦りながら出来るはずがないのだ。
さて、赤子の肉体に対する不満は、この眠気の問題だけではない。
大人としての人生を経験しているからこそ、我慢ならないことが数多くあるのだ。
「あら、起きたのね。おはようアイロツィ」
「アイロツィおはよ!」
目を開けた俺に、母は笑顔で優しく、姉は快活に明るく挨拶をした。
俺の口はまだ発話に向いていないらしく、「あ~」と間抜けな返事しか出てこなかった。だが、姉と母はそれに満足し笑顔で頷いた。
「それじゃあアイロツィ。ごはんの時間よ」
「う~!」
そうだ。赤子の肉体で、我慢できないこと。
食事の時間である。
正直、母乳を飲むのも抵抗があったが、飲まないと急速に死にそうな感覚が襲ってきたので、あの時は焦燥感から嫌がるどころではなかった。
だが生後半年を過ぎた。ある程度体も成熟し、大人と同じような時間に食事をするようになる。
……食事、なのかこれは。
赤ん坊用の椅子に座らされ、母が眼前に用意する物体。
麦かなにかをヤギ乳か何かで煮込み、ドロッドロにしたもの。
ああ、もちろんわかっている。生後半年の赤子に対して、これで栄養を取らせようとしているわけではないことも。未だに主な栄養摂取は母乳からだ。
離乳食というやつなのだろう。俺はこれが嫌いだ。
ほとんど味がしないのに、妙な臭みがある。
しかも赤子の身体は、思った通りに動かない。スプーンで口の中に運ばれても、舌が勝手に口の外へ排出しようとする。
味のしないものを口の中に突っ込まれるし、口の周りは自分の意思に反してベタベタになるし、それを見た家族が微笑ましそうに笑うし。
ああ、ラーメンが食いたい。手早く麺を食い切ったあとの豚骨スープに、冷えた米を放り込みたい。スープまで全部飲み干して……ああ。
そういえば俺……。
この世界にラーメン実装してない……。
酷くしょうもない絶望を感じながら、今日も俺は口の周りを汚すのだった。




