003.定められた絶望
さて、俺の人生を覗き見る神々、以後読者諸君にはひとつお伝えしたいことがある。
それは、この世界の元となった『平民騎士の英雄譚』という作品は、他ならぬ原作者の桜庭恵一が、誰よりも愛していたということだ。
俺ほどとは言わないが、同じくらい愛してくれる人も居た。作品を愛してくれて、一番最初にファンアートをくれた挙句、単行本の挿絵もコミカライズすらも担当した神原さん。アニメ版の監督をして、その強いこだわりで原作者も納得が行くアニメを創り上げた長谷部さん。
それ以外にも、たくさんの人が愛してくれた。『平民騎士の英雄譚』はあの物語、あの展開だったからこそたくさんの人を魅了することができたのだ。
そして俺は、あの完成された作品を、心から愛しているのだ。
だからこそ……。
オネネヴ・エトナヴの将来を決定づける機会となった、アイロツィの死。
俺は愛する原作を守るため、これを受け入れなければならないのだ。
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俺が生まれてから凡そ半年が過ぎた頃だろう。
寝返りもできるし、這うようにちょっとだけ動くこともできる。まだまだぎこちない動きなのか、動こうとするたびに母や姉が笑うのだ。少し気恥ずかしい。
それに、かなり言葉がわかるようになってきた。何しろ、固有名詞は俺が設定した世界のものが多用されているのだ。それが分かれば文章の構成もわかる。
原作設定において、オネネヴ・エトナヴは辺境貴族エトナヴ家の娘。その弟である俺もまた、辺境貴族の息子となる。
原作通りに世界が進むのであれば、貴族の子息は生後半年頃に魔力の検査を受けるはず。
「ジレフ。アイロツィは起きているか」
「ええ、あなた。こちらに」
父、ラカク・エトナヴ。赤い短髪を整髪料でピッチリと整えている、若くしてエトナヴ領の領主となった男。原作においてエルトセムと直接話す描写は少ない。当然、戦闘をする描写もない。だが、俺が書いた設定上ではかなりの戦闘能力を持つ。
母、ジレフ・エトナヴ。こちらは原作において、アイロツィと同じく名前だけ登場する。が、死亡した設定ではない。
ジレフは、抱いていた俺を父に手渡す。
ラカクは領主としての仕事が非常に忙しいようで、滅多に俺を抱くことはない。
だが、抱かれてみればわかる。不器用ながらも、家族を愛する気持ち。これは本物の愛情だ。接する時間は短くても、彼は家族のため、領民のために身を捧げている。
鍛え上げられたラカクの肉体に抱かれると、そのあまりの力強さに驚嘆する。同時に、柔らかな母の腕に抱かれていた方が心地良いので、恥ずかしながら腕を母の方に伸ばして助けを求めた。
ジレフは困ったような顔を浮かべる。どうやら、今日は父が抱っこし続けるらしい。
諦めて、父の腕の中にすっぽりと収まることにした。
ラカクは俺を抱いたままジレフの寝室を後にする。ジレフはラカクに同行しているが、その衣服はいつも着ているものよりも華やかである。おそらく、来客があるのだろう。
ラカクが俺を抱いているのもあり、今日が生後魔力診断の日なのだと悟った。
この世界の貴族社会において、生後魔力診断と呼ばれる、産まれて半年ほど経過した赤子が何か先天的な疾患を持っていないか、魔力の多寡や性質を神官によって検査する文化が存在する。また、『神の注目』と呼ばれる魔力的な性質が宿っていないかもこの診断で確認されるのだが……まぁ、これはアイロツィには関係ない。
『神の注目』を賜りし人物の名前も生い立ちも、当然全て記憶している。俺が書いたのだから。
「ラギツェヴニ卿。本日はご来訪、大変嬉しく思います」
「エトナヴ領主殿。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
形式的な挨拶を交わす、ラカクと来訪者。
名を、ラギツェヴニと呼んだか?
頭の中で、ページを捲る。ラギツェヴニ……イエル・ラギツェヴニ。
六神教の司教にして、光の神の注目を受けている者。
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エルトセムは、やけに長く感じた馬車旅を終えて漸く宿場町へと辿り着いた。
道中での奇跡的な出会いは、ここで終わりではない。王都へ向かった彼らは、いずれエルトセムの助けになるのだろう。
頬を張り、気合を入れ直した。
裕福とは言えない田舎村の出身である彼が、こうして単身町に出てきたのには大きな理由があるのだから。
宿場町の中央に建てられた六神教の神殿の前で、エルトセムはその荘厳さに言葉を失っていた。
こんなの、村では見たことがない。言外に、彼の態度はそう物語っていた。
「おや、神殿に御用ですか?」
背後から優しく声を掛けられ、エルトセムは慌てて振り返る。
白を基調とした金色の縁取りが施された祭服を着た、壮年の男性神官が立っていた。
神官は、エルトセムと目が合うと、驚き微かに目を見開く。
エルトセムは神官のその様子に気付かなかった。
「あの、六神様の祝福を受けたくて、来ました」
「……そうですか、では、中でお話を致しましょう」
神殿内部へと案内されたエルトセムは、生まれて初めて見る礼拝堂にまたも言葉を失っていた。
そんなエルトセムを見て、神官は少し面白そうに先を促す。
話は、礼拝堂ではなく隣接した個室で行う。
「それでは、改めて。はじめまして、六神教、光の司教。イエル・ラギツェヴニと申します」
「あっ……ラセモコ村のエルトセム、です」
司教。その肩書は、エルトセムを一瞬麻痺させるのに十分すぎるものであった。
英雄譚を好むエルトセムは、当然英雄と密接な関係にある六神教についてもある程度知識がある。
司教は、教皇の下の枢機卿、その下に位置する。人数にして12人。
王国に12人しかいない六神教の幹部の一人が目の前にいるのだ。
とはいえ、言葉を返さないのは失礼にあたる。エルトセムは、どうにか名乗りをあげることができた。
イエル・ラギツェヴニは優し気に微笑み、エルトセムに告げる。
「司教という肩書を知っているようですが、そう緊張はしなくてもいいですよ。私は好きでこうして各地を回っているのですから」
「は、はい」
「さて、ラセモコ村のエルトセム君。君は、『六神の祝福』を受けたいと言いましたね?」
「……はい」
『六神の祝福』。六神教の神官が、儀式を通して六神に乞い、疑似的な注目を授けてもらう。
無料ではない。布施が必要だ。だが、エルトセムが9歳になった誕生日、両親がエルトセムの為に用意してくれた。辺境の村にとって、安い金額ではない。
良い家族に恵まれたのだ。
「結論から言いましょう。エルトセム君。あなたには『六神の祝福』は必要ありません」
「……え、それって。どういう……」
イエル・ラギツェヴニは、笑顔を崩さない。
『六神の祝福』を授けられない。その言葉が意味するところは、お金が払えないか、もしくは。
「おめでとうございます。あなたには、『土の神オロスの注目』が授けられていますよ」
より上位の『六神の注目』が、既に宿っていることの、どちらかである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
イエル・ラギツェヴニは、そこそこ序盤に出てくる、主人公の潜在能力を一目で見抜くキャラクターである。
司教という、かなり偉い立場でありながらも、各地で率先して仕事を行う人間。それが彼だ。
一番活躍しているシーンが、この一目見てエルトセムの『土の神の注目』を見抜く場面なので、そこまで陰の濃い人物ではない。
とはいえ、原作で設定資料として描いていたそのままの人物が、今目の前に立っている。その事実に、俺は心躍っていた。
俺は、俺が書いた作品を愛している。一番のオタクだと胸を張って言うことができる。
オネネヴはまだ登場時の年齢になっていないので、面影があるとはいえ今のところ快活な幼女でしかない。
だが、イエル・ラギツェヴニ司教は既に完成されている。作中で登場するのは大体今から4年後なので、若干若く見えるか。
「それでは、診させていただきます」
「よろしく頼みます」
俺は父の腕から降ろされ、小さなベッドの上で仰向けになる。
イエル・ラギツェヴニ司教は、俺に手をかざしながら少しだけ眉を顰めた。
「……はい。おおよそ問題ありませんが、ひとつだけ」
「……なんでしょうか」
父の緊張した声がこちらに伝わる。見渡せば、母もどこか不安そうな顔をしていた。
ここまで父母、そして姉から愛情を受けて育っていれば、いやでもわかる。
子が、弟が、健やかに育ってほしいのだろう。
「若干、体内の魔力に乱れが起こりやすい体質ですね。とはいえ、病というほどではない。癖、のようなものでしょうか。高熱の折には、魔力が原因であることが多いでしょう」
「……そういえば、オネネヴも癖があるとか言われていたな」
ラカクは、おそらくオネネヴを見下ろしながら、明らかにほっとした顔をしている。オネネヴは俺の視界に入っていないのでどんな顔をしているかわからないが、あの快活そうな育ち方をしているのだ。安心したのだろう。
母も、露骨に胸を撫でおろしていた。
そうだ。愛する家族を失うなんてのは、とても辛いのだ。
だからこそ、オネネヴは薬師を目指した。
……俺は。
原作を愛している。
だが……。
アイロツィの死という、原作においての確定事項。
それが訪れることによる、愛する家族の悲しみを想像して。
俺は、自身が描いた物語の理不尽さ、無責任さに、胸が張り裂けそうな感情を抱くのであった。




