017.求不得苦
オネネヴの誕生日から3か月が経過した。
俺は2歳半になり、必死に本に興味を示してきた甲斐あって、ついに子供向けの本を読んでもらえることになった。
この世界では紙自体は安価で購入できるが、本となると話が変わる。聖典や学校の教科書なんかは、六神教の修道士が魔法を使って写本をするため大量に出回っている。そのため無料で手に入るのだ。
だが英雄譚や絵本などは、作者が魔法師に頼んで写本してもらうか、手作業での写本しか複製する方法がないため、自然と高価になる。
魔法での写本も1ページ毎に写すだけなので、効率も悪い。誰もやりたがらないのだ。
とはいえ、流石は貴族の家。難しいことが書かれた専門書もあれば、こうして子供向けの本だって置いている。恐らく前者はラカクが読む用で、後者はオネネヴのために買ってあったものだ。
俺がまだ首も据わっていない時に、オネネヴがジレフに読んでもらっていた姿を見たことがある。
まぁ、すぐに飽きて剣を振るようになっていたが。
「それじゃあ、読むわよ?これは、とてもむかし――」
「ん!ぼくが、よみたい」
「あ、あら、そう?それなら一緒に読みましょうか」
本をこちらに向けず読み聞かせ始めた母ジレフに対して、恥ずかしい気持ちを抑えながら子供っぽく要求する。
ジレフは本を寝かせて、俺にどこを読んでいるかわかるように指差しながら読み始めた。
そこに書かれている意味の分からない文字の並びを見て、俺の前世初めて本を読んだ時も同じ感覚だったのだろうかと思いを馳せる。
こんなことなら、この世界の共通言語の設定を日本語にすればよかった。そうすれば苦労しなかったのに。
神代言語はある程度読み書きできるけど、聞き取りが稚拙。発音はまだ無理。
この国の公用語であるアゼラエラ王国語は、聞くのはばっちり。読み書きは今から。
学生時代、英語が苦手だったことを思い出す。他の国の言語も『アゼラエラ王国とは異なる言語』という設定をしているため、覚えなければ……。
この国から出なければ困ることはないだろうが、それは論外。
だって、俺が書いた世界を見て回れるんだ。いつか俺の書いた物語が終わりを告げる……20年後くらいには、世界を見て回りたいじゃないか。
……と、未来のことは置いておいて、今は本に集中しよう。
「とてもむかし、神が人々を直接導いていた時のおはなしです――」
小説家として、本を読むのは勿論好きだから。
だから文字を早く読み書きできるようになりたいのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
本を読んでもらえるようになってから、俺は隙があればエトナヴ家の使用人にも本を読むことを要求するようになった。
紙に文字を書き写してみたり、使用人に字を教えてもらったり。
あくまで子供ながらに興味を持っているといった風を装っている。表立っては監視されていないが、またラカクに疑われても面倒なのだ。
2歳半くらいなら、早い子ならひらがなを読んでもおかしくないと思う。成長が早いなぁ、ぐらいで抑えるのが演技のポイントだ。
「アイロツィ、もう本がよめるの?」
「ううん。まだ。よんでもらってるの」
「へー!でも本にきょうみがあるの、えらいね!しょうらいはがくしさまかな?」
学士。王立学士学園を卒業し、国の支援を受けながら様々な研究を行う職種。
オネネヴが将来目指す薬師も、学士の一種である。
……。俺が強いる、目指させる未来か。
ずっと考えている。本当に正しい未来なのかと。
原作者だから、この世界に生きる人間の人生を定める。それは、倫理的に正しいことなのだろうか。
パソコンの前で世界を創り上げている時は、呑気なものだった。
登場人物の人生を創り、動かし、出会わせ、物語にする。
どこまでも俺は、その感覚のまま生きようとしていて。
それでいて、この世界で生きようとしている。
「アイロツィ?だいじょうぶ?むずかしいかおしてる」
「う、ん。ねむくなってきた」
「わぁ、がんばったんだね!えらいえらい」
心配をするオネネヴの顔。
俺の頭を撫でる小さな手。
未来を夢見る幼い少女の振るう剣を奪い、人生を決めつける。
決心はどうしても容易く揺らいでしまう。
この世界の主人公であるエルトセムと、俺自身は違う。
一本の筋が通った理念を持つエルトセムに対し、俺は俺の決めたことすら守り切れそうにない。
どこまでも、そんな自分が嫌いになるのだ。
――――――(????・????視点)
……。……。
桜の花びらが舞う。
構えたカメラの向こう、頭の上に桜を乗せた彼を見て、笑いあって。
淡く幸せな夢は、零れる涙と共に遠のく。
目が覚めて残ったのは、真っ暗な部屋と、秒針の音。
乾いた口からは、嗚咽の声すらも出なかった。
「み、ず……」
酷く鈍い動き灯りを点け、水を汲み、喉に落とす。
冷えた液体により目覚める頭は、否応なしに部屋の隅に置かれた写真へと目を向かわせた。
再度、涙が滲む。
声にならない嗚咽を飲み込み、その場に力なく座り込み。
「にいさん……」
漏れた声は、誰にも届かない。




