異世界へ
テティスたちはレイノルズに連れられて、コロラド州へと向かった。コロラド州の森へと連れてこられるとレイノルズはテティスとなずなに、
「悪いがここからスマホなどの端末は持ち込み禁止だ。駅のコインロッカーにでも入れてきてくれ」
と言った。
「さすがに持ち込みはだめなんですね」
「そうだ。賢者が代々守ってきた法律によって決められている。ちなみにそこにいる人狼や吸血鬼も写真に撮るのも法律違反だからな。」
テティスとなずなは素直にスマホを取り出しロッカーにしまった。彼らは絶滅危惧種並みに丁重に扱われているようだ。
「その先の森は賢者や人狼、吸血鬼…怪物どもが共にいないとたどり着けないところがある。それが異世界への入り口だ。…いくぞ」
テティスとなずなは頷きレイノルズについていった。森の中は足元が悪かったが途中なずなとギルたちがテティスを助けながら進むことができた。テティスは彼らとの運動神経の差を痛恨したのだった。
異世界の森の先を抜けると、彼らは目を見張るような光景に出くわした。そこには、現実世界では見たこともないような奇妙な植物や動物が生息していた。木々は空高くそびえ立ち、その葉は虹色に輝いていた。地面には、まるで星空のように光る苔が広がっていた。
「ここが異世界…」テティスは呟いた。
「そうだ。ここでは時間の流れも異なる。気をつけろ、迷子になったら戻れないかもしれないぞ。」レイノルズは注意を促した。
彼らは慎重に足を進め、異世界の森を探索し始めた。途中、奇妙な鳴き声が聞こえたり、見たこともない生物が彼らの周りを飛び回ったりしたが、レイノルズの指示に従い、冷静に行動した。
しばらく進むと、彼らは大きな湖にたどり着いた。湖の水は透き通っており、底には美しい水草が揺れていた。湖の中央には小さな島があり、そこには古びた神殿が建っていた。
「あの神殿が目的地だ。あそこに守りの賢者がいる。」レイノルズは指を指した。
テティスとなずなは頷き、湖を渡るための方法を考え始めた。彼らは湖の周りを歩き、渡れる場所を探した。
湖の周りを歩いていると、彼らは古い木製のボートを見つけた。ボートは苔むしていたが、まだ使えそうだった。
「これを使って渡ろう。」テティスは提案した。
「気をつけろ、ボートが壊れないように慎重に漕ぐんだ。」レイノルズは注意を促した。
彼らはボートに乗り込み、慎重に湖を渡り始めた。水面は静かで、ボートはゆっくりと進んでいった。途中、湖の中を泳ぐ色とりどりの魚たちが見え、彼らの目を楽しませた。
やがて、彼らは無事に島にたどり着いた。島の中央にある神殿は、古びてはいたが、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「さあ、行こう。」レイノルズは言い、神殿の入り口へと向かった。
神殿の中は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。壁には古代の文字が刻まれており、床には美しいモザイクが施されていた。
「ここに守りの賢者がいるはずだ。」レイノルズは言い、さらに奥へと進んだ。
彼らは神殿の奥に進むと、そこには肌の色が炭のように黒く、編み込みをしたロングヘアをもったなずなと同じくらい身長の高く、白のワイシャツと黒のスラックスをカジュアルに着こなした美人が静かに座っていた。賢者は彼らの訪問を待っていたかのように、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「お兄様!ギル!フリーダ!リュディアにラクウェル!しばらくね!」
女性はあの堅物のレイノルズにいとも容易く抱きついた。その様子にテティスとなずなはかなり驚いた。
「あら?そこの可愛いお嬢さんたちは誰?…ってあれね。人に名前を聞く前に私が自己紹介するべきね、私はシャイナ。シャイナ=レイノルズ。守りの賢者よ」
守りの賢者、シャイナはテティスとなずなに手を差し伸べた。2人はシャイナと握手を交わした。シャイナはレイノルズや…魔女ヴィクトリアと比べて若そうに見えた。
「私、テティス=光明寺=ハーネスです、こっちは私のSSの服部なずなです。」
テティスがシャイナに紹介をした。
「お兄様、フリーダ…ここに人を連れてきたってことは何か事態が動いたのね」
フリーダとリュディアは今まで起こったことをシャイナに告げた。テティスがヴィクトリアのお茶会に誘われたこと、狙われていること…
その話を聞いたシャイナは今までの明るい表情を暗くした。
「そうだったのね…テティス、私の姉が怖い思いをさせてしまってごめんなさい。姉さんはまだ神父様のことを諦めていないのね」
レイノルズはシャイナの肩に手を置き、
「シャイナ、あいつはもう俺たちの兄弟でもなければ賢者でもない。大罪人だ。そんな奴に姉なんて言うものじゃない」
と言った。
「お兄様はまだ…姉さんを許していないのね」
「当たり前だ。神父様を、我が父を辱めた罪は重い。また彼らの秩序も崩した。シャイナには辛い話だが、俺は奴を捕らえたら裁きを加えるつもりだ。」
その言葉にシャイナはハッとした。
「お兄様そんな!待って、今に姉さんを連れてきてきっと罪を償わせるから姉さんを殺すのだけはやめて!」
「シャイナ」
レイノルズは癇癪を起こした子どもを宥める大人のように、諌めるような優しい声で言葉をかけた。
「お兄様…。」シャイナはがっくり肩を落とした。しかしすぐに、テティスたちに真剣な顔を向けた。
「お兄様があなたたちを私のところに連れてきたのは、私が姉さんが唯一面会を許されているからなの。…フリーダとリュディアたちとつながっていることを知っているか分からないけど…。でも姉さんも気まぐれだからいつ面会の許可が下りるか分からないの。許可が出るまで待っててほしいわ」
魔女ヴィクトリアは義兄であるレイノルズを完全に拒否しているが、まだ自分を慕ってくれているシャイナには意外なことをまだ温情をかけているようだった。
「せっかくここまで来たんだし、フリーダ。テティスとなずなを皆に会わせてあげたら?」
シャイナはフリーダに言った。
「シャイナ様…先にヴァネッサを弔っても?」
「ヴァネッサ…分かりました。すぐに弔いの準備をいたします。」
シャイナは奥の部屋に入った。しばらくすると荘厳なシスターの服に着替えたシャイナが戻って、ラクウェルからヴァネッサの遺体を受け取った。
シャイナはヴァネッサの遺体を抱え、神殿の外にある小さな祭壇へと向かった。祭壇は花で飾られ、周囲には静寂が漂っていた。シャイナは慎重に遺体を祭壇の上に安置し、祈りを捧げ始めた。
「ヴァネッサ、あなたの魂が安らかに眠れるように…」シャイナの声は静かで、しかしその言葉には深い悲しみと敬意が込められていた。
テティスとなずな、そして他の仲間たちもシャイナの後ろに立ち、黙祷を捧げた。彼らはそれぞれの思いを胸に、ヴァネッサの冥福を祈った。
しばらくして、シャイナは顔を上げ、皆に向かって微笑んだ。「ありがとう、皆。ヴァネッサもきっと喜んでいるわ。」
その後、彼らは神殿に戻り、シャイナはテティスとなずなに向き直った。「さて、これからどうするかしら?何か質問があれば、何でも聞いてちょうだい。」
テティスは少し考えた後、シャイナに尋ねた。「この異世界について、もっと詳しく教えてもらえますか?」
シャイナは頷き、異世界の歴史や文化、そしてここに住む生物たちについて語り始めた。彼女の話は興味深く、テティスとなずなは熱心に耳を傾けた。
「この世界は、私たちの世界とは異なる法則で成り立っているの。時間の流れも違うし、ここに住む生物たちも独特の進化を遂げているわ。」シャイナはそう説明しながら、彼女自身の経験や見聞を交えて話を続けた。
彼女の話を聞きながら、テティスとなずなはこの異世界の魅力と神秘に心を奪われていった。
シャイナはさらに、異世界の住人たちの社会構造や、彼らがどのようにして共存しているのかについても詳しく説明した。彼女は、賢者や人狼、吸血鬼といった異なる種族が互いに協力し合い、平和を保っていることを強調した。
「この世界では、私たちの世界のような国境や政府は存在しないの。代わりに、各種族の代表者たちが集まり、重要な決定を下す評議会があるのよ。ちなみに人狼の代表はそこにいるフリーダよ。」シャイナはそう言って、評議会の役割やその運営方法についても詳しく語った。
テティスとなずなは、異世界の独特な社会システムに感心し、彼らの平和を維持するための努力に感銘を受けた。
「この世界の住人たちは、長い歴史の中で多くの困難を乗り越えてきたの。だからこそ、今の平和がどれほど貴重なものか、皆が理解しているのよ。」シャイナはそう言って、彼女自身の経験を交えながら、異世界の歴史的な出来事についても話した。
彼女の話を聞き終えたテティスとなずなは、異世界の奥深さとその魅力にますます引き込まれていった。彼らはこの世界での冒険が、彼ら自身の成長にもつながることを感じていた。
神殿の湖から少女が顔を出した。
「フリーダ様!帰ってきていたのですね!」
フリーダは少女に微笑みかけた。
「やぁ、ローラ。君のお姉さんのサブリナは元気かな?」
「はい!まだ傷は完治していませんが、元気を取り戻しつつありますわ!お姉様にもお顔を見せてあげてくださいな、フリーダ様!」
少女のフリーダを見る目は熱く、頬を赤く染めていた。恋をしている乙女だった。
「紹介するよローラ。彼女らはテティスとなずな。人間の女の子だよ」
フリーダはそう言ってテティスとなずなを紹介した。ローラはにっこり微笑んで
「初めまして、テティスさん、なずなさん。私、ローラです」
と答えてくれた。
「彼女は人魚なんだよ」
フリーダはテティスとなずなにそういった。
それに答えるようにローラは自身の尾鰭をテティスとなずなに見えるように見せた。
「わ…本物の人魚さん!?可愛いです!」
テティスは興奮して言った。
「可愛いなんて…テティスさんも可愛いですよ!仲良くしましょうね!テティスさん、なずなさん!」
ローラはテティスの手を取りにっこり微笑んで言った。
「こういっては失礼ですが…意外と友好的なのですね」
なずなはレイノルズに言った。
「友好的なのは人魚とエルフとドワーフとハーピーだ。オークは好戦的で君たちが単独で言ったら食べられてしまうだろう」
レイノルズはさらっと恐ろしいことを言った。
「フリーダ、全員にあっていたら次のお茶会が開かれてしまう。主要メンバーを連れてこい」
レイノルズはフリーダに言った。フリーダは会釈をした。すると狼が吠えるような四つん這いの格好になり、遠吠えをし始めた。
フリーダの遠吠えは森の中に響き渡り、しばらくすると、森の奥から数人の姿が現れた。彼らは異なる種族の代表者たちであり、それぞれが独特の雰囲気を持っていた。
最初に現れたのは、長い耳を持つエルフの女性だった。彼女は優雅な動きで近づき、フリーダに微笑みかけた。「お久しぶりね、フリーダ。何かあったの?」
次に現れたのは、力強い体格を持つドワーフの男性だった。彼は大きな斧を肩に担ぎ、フリーダに向かってうなずいた。「フリーダ、また何か面白いことが起きたのか?」
最後に現れたのは、鋭い目を持つハーピーの女性だった。彼女は空から舞い降り、フリーダの隣に立った。「フリーダ、呼んだのはあなたね。何か問題でも?」
フリーダは彼らにテティスとなずなを紹介し、今回の状況を説明した。異世界の代表者たち、エルフのカザリ、ドワーフのヤゴ、ハーピーのエルドラは興味深そうにテティスとなずなを見つめ、彼女たちの話に耳を傾けた。
「なるほど、ヴィクトリアの件でここに来たのね。」エルフの代表カザリは理解を示し、テティスとなずなに優しく微笑んだ。「私たちも協力するわ。何かあれば遠慮なく言ってちょうだい。」
ドワーフの代表ヤゴは力強くうなずき、「我々も力を貸そう。何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ。」と頼もしい言葉をかけた。
ハーピーの代表エルドラは少し考え込んだ後、「私たちもできる限りのことをするわ。ヴィクトリアの動きには注意が必要ね。」と警戒を促した。
テティスとなずなは、異世界の代表者たちの協力を得られることに感謝し、彼らと共にこの状況を乗り越える決意を新たにした。
そこに地響きがした。音の鳴る方を見ると3mはある筋肉質でがっしりとした体躯をしており、腕や胸が異常に発達しているものがいた。肩幅が広く、重量感のある“巨躯”という表現がよくあった。獣に近い荒々しい顔立ちで下あごから突き出た牙平たく大きい鼻、深く落ち窪んだ、琥珀色、額や頬の骨が強調され、ゴツゴツした骨格。髪は短くぼさぼさしていた。
「てめぇかフリーダ…偉そうにリーダー面しやがって」
獣皮の防具や粗雑な鉄の鎧。その手には武器は大きな斧を持っていた荒々しさ、獰猛さ、野性味を帯びた雰囲気があり、テティスは魔女に会ったときとは違う恐怖感を抱いていた。
「オークのおっさん!てめぇも兄貴に子どもを助けてもらった恩があるだろうがよ」
リュディアがオークの男性に強い口調で言った。
「クソ生意気なリュディアか…てめぇら兄弟と人間、賢者も気に食わねえ。」
そうオークの男性が言うと、
「あんた!まちな!お母様のことは残念だったけど、ティムたちを助けられた恩があるだろう!フリーダ"様"に協力するんだよ!」
背丈は人間の女より頭ひとつ高い。 緑がかった褐色の肌は厚く、しなやかな筋肉が肩から腕にかけて美しく浮かんでいる。 口元から覗く短い牙は鋭さよりも可愛らしさを感じさせ、 琥珀色の瞳は戦士らしい鋭さと優しさを兼ね備えていた。 黒髪を高く結い上げ、革の胸当てと腰布だけの軽装で、 彼女は獣のような気高さを漂わせながら歩いていた。
「ドラリナ!お前…フリーダ様って!!お前までフリーダの毒牙にやられたのか!」
男性は慌てた様子で女性、ドラリナに言った。
「あんたぁ!!フリーダ様に失礼言うんじゃないよ!ティムもあんた一人で何もできなかったのをフリーダ様が助けてくれたんだろ!!」
ドラリナは男性にズバズバとさらに追い込んだ。
「やぁ、ウルゴラスとドラリナ。集まりに来てくれて嬉しいよ」
フリーダはにっこりと答えた。
ドラリナは赤く染まった頬を両手で挟んで、
「フリーダ様のためならどこまでもいきますわ!!」
と言った。フリーダはその彫刻のように整った容姿からか女性にもてているようだった。
ウルゴラスは不満げに鼻を鳴らしながらも、フリーダのカリスマ性に抗えない様子だった。「まあ、仕方ねえな。聞いてやるよ。」
フリーダは微笑みを浮かべ、「ありがとう、ウルゴラス。君の力が必要なんだ。」と感謝の意を示した。
その後、フリーダは集まった代表者たちに向かって、今後の計画について話し始めた。「私たちはヴィクトリアの動きを監視し、彼女の計画を阻止する必要がある。皆の協力が不可欠だ。」
エルフのカザリは頷き、「私たちの森の精霊たちも協力するわ。彼らはヴィクトリアの動きを察知するのに役立つはず。」と提案した。
ドワーフのヤゴも賛同し、「我々の鍛冶場で作った武器や防具を提供しよう。必要なものがあれば言ってくれ。」と申し出た。
ハーピーのエルドラは空を見上げ、「私たちの仲間が空からの監視を行うわ。ヴィクトリアが何か動きを見せたらすぐに知らせる。」と約束した。
フリーダは彼らの協力に感謝し、「皆の力を合わせれば、きっとヴィクトリアの計画を阻止できるはずだ。」と力強く言った。
テティスとなずなは、異世界の住人たちの団結力に感銘を受け、彼らと共にこの困難を乗り越える決意を新たにした。
アメリカ西海岸、青い海を真正面に抱いたガラス張りの超高層ビル。その最上階にある会議室では、長机を囲む十数名の音楽業界の重鎮が、ひとりの青年を前に息をつめていた。
青年の名は――ベガ。 だが、今この場で呼ばれているのは別の名前。
「JIRO。ぜひ我が社からメジャーデビューしていただきたい。」
そう告げたのは、大手レコード会社〈アストラル・サウンズ〉のCEO、ウォルター・ブラッドリー。 音楽界で“絶対に落とさない男”として知られる男だ。
だがベガは、腕を組んだまま静かに目を伏せている。 まるで嵐の中心のように、周囲の熱狂とは裏腹の静けさをまとって。
「JIRO、君のあの曲……“Blue Pulse”だったか。あれを聴いたとき、私は鳥肌が立ったんだ。」
CEOは椅子を前へ滑らせ、身を乗り出す。
「SNSでは再生数が5000万を超えた。とくに“心臓が掴まれる感じがする”“聴くだけで泣きそうになる”というコメントが殺到している。音楽で人の心をここまで揺さぶれる新人は……いや、現役のトップアーティストを含めても、そうそういない!」
会議室の空調が、静かな唸りを上げる。
ベガの音楽は、確かに人の心を揺らす。 けれどその理由は人間には理解できない。
ベガが音に宿すのは、彼の“本来の力”のほんの欠片―― 魔力とも、呪いとも、祝福とも名付けられないもの。
だからこそ世界中でバズった。 本質を知らずに、ただ“心が震える”と言って。
CEOはさらに続けた。
「本来は私たちから出演依頼を出すべきところだが……これはもう頼み込むしかなかった。お願いだ、JIRO。世界が君を待ってる!」
重役たちも一斉に頷く。 アメリカではすでにテレビ局が争奪戦を始め、ライブのスポンサー希望すら出ている。
だが――
ベガは静かに顔を上げた。
「……ドームじゃなくていい。」
重役たちの空気が止まる。
「え……?」
「ライブなら、野外がいい。」
CEOは一瞬目を瞬かせ、それから笑顔を作ろうとした。
「もちろん野外フェスも素晴らしいが……デビューとなれば、宣伝も兼ねてドームやアリーナの方が――」
「だめだ。」
ベガははっきりと言った。
その声音には、普段の柔らかさとは違う“戦場を知る者の気配”が宿る。 それは人間の業界人には読み取りようがないが、重役たちは直感的に背筋が冷たくなるのを感じた。
CEOは慎重に尋ねた。
「理由を……聞かせてもらえるかな?」
ベガは一瞬だけ迷い、だがすぐに視線を上げた。
「ドームは閉ざされた空間だ。ああいう場所は、息苦しい。」
「……?」
重役たちは首をかしげる。
ベガは、それ以上は話さない。 だが彼の脳裏には確かにある。
――ヴィクトリアを狙う“彼ら”。
空から襲撃できる“ハーピー”。 水のある場所ならどこでも潜り込める“人魚”。 ヴィクトリアのお茶会にとって、彼らは最悪の不意打ち要素だ。
そして、もし彼らが苦しむような状況になれば―― テティスが黙っていない。 フリーダも…
だからベガは慎重だった。
「……野外の方が、ファンが自由にものを飲み食いできるし、他のアーティストも呼ぶことができる。悪くないだろ?」
CEOたちは、自分たちの思い描いていたものと違った提案をされたので面を喰らった。しかし
「まぁいいだろう。JIROが表に出ることそのものが話題になるんだ。そうしようじゃないか!」
ベガはうなずいた。
「そう。それでいい。」
CEOはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと笑った。
「……素晴らしいな、JIRO!」
大きな拍手が起こる。
ベガはほんの少しだけ安堵した。 だが胸の奥の緊張は緩まない。
(……母さん。 こちらの世界に干渉してくるなよ。 母さんが勝手に動けば、あいつらが動き出す。)
テティスの泣き顔が、ふと脳裏をよぎる。 なずなの叫ぶ声、フリーダの激昂。
ベガは小さく息をついた。
ライブをする理由の半分は、自分が“表の世界”で堂々と活動するため。 そしてもう半分は―― “怪物の世界の均衡を守るため”でもあった。
CEOが改めてベガへ手を伸ばす。
「JIRO。君は、この世界を変えられる。」
ベガはその手を見つめ、一瞬だけ迷い……静かに握り返した。
「……音楽で、できることがあるなら。」
“ベガ”でも“怪物”でもない。 “JIRO”としての第一歩。
だがその影には、誰にも知られてはならないもうひとつの戦いが始まろうとしていた。
空の向こう―― 黒い羽ばたきが、ベガの気配を追って飛び交っているとも知らずに。




