血の匂いと女優
登場人物
テティス=光明寺=ハーネス
アメリカの大企業のCEOの娘。オカルト趣味があり、かねてから興味があった魔女のお茶会に招待されるが、それは魔女の罠であった。SSのなずなと狼男のフリーダとリュディアに救出され、力の賢者のもとへ案内される。異世界でであった仲間を守る決意を固めた。呪歌に対する歌をもつがただいまボイストレーニング中
服部なずな
テティスのSS。日本人であることをテティスに気に入られた。日本の格闘技の達人である。何よりも主であり、唯一無二の親友であるテティスを守ることを大切にしている。
フリーダ
人狼の代表。彫刻のように整った顔立ちと身体つきをしている美青年。人間界にビリヤードのプロ選手として潜入して魔女のお茶会の動向を探っている。力の賢者、レイノルズから人間界の常識を教わっていて、怪物のなかで唯一人間界に溶け込んでいる。
リュディア
フリーダの実弟。フリーダと同じく人間界に潜入している。人間界にいるときはテティスのSSとして護衛をする、フリーダには劣るが腕っぷしが強い。親分肌である。
ヴォルフ=レイノルズ
力の賢者。40代くらいの男性。怪物たちが住む異世界と人間界の境界を守っている。賢者は一人1国家の権力が与えられているが家族を持つことができない、人間に魔法で攻撃してはいけないなど多くの制約に縛られている。自身が尊敬していた"養父ロメオ=フランケンシュタイン"を改造した義妹の魔女=ヴィクトリアを裁くことを目的としている。
シャイナ=レイノルズ
守りの賢者。ヴォルフ=レイノルズとヴィクトリアの義妹。ヴィクトリアと対峙しているが、面会を許可されていて時々会うことができる。
ギル=ニコラウス
レイノルズの側近。完全記憶能力を持つ人間の男性。
ラクウェル
吸血鬼の代表代理。美少女と間違われるほどの美貌をもつ少年。
代表たち
人魚の代表代理、ローラ。ハーピーの代表カラビナ。エルフの代表カザリ。ドワーフの代表ヤゴ。オークの代表ウルゴラスとその妻ドラリナ。
ヴィクトリア=フランケンシュタイン
魔女。癒しの賢者。容姿端麗なフランケンシュタインを作る目的で魔女のお茶会というものを開いていた。養父ロメオ=フランケンシュタインの遺体を使いフランケンシュタインを作った。
ベガ=フランケンシュタイン
ヴィクトリアの"息子"SNSやアーティストとしてはJIROと名乗っている。歌で怪物たちの動きをとめることができる。
ロメオ=フランケンシュタイン
元々は賢者たちの養父であり、異世界の代表たちを束ねていた神父であった。国家反逆の罪を着せられ殺害されたのち、ヴィクトリアに人造人間フランケンシュタインとして蘇させられる。
バーバラ=ブラウン
かつて美貌と実力で演劇界、音楽界を騒がせた女優。今は度重なる美容整形などで見る影もなくなった。娘を利用してシンママタレントとして売り出していた。ヴィクトリアからもらった赤い液体を飲んで若返り、ヴァレリアとして返り咲く。
エヴァ=ブラウン
バーバラ=ブラウンの娘。母のシンママタレントの道具として数々のブランド物を着せられているが、母親から愛されていない。
異世界の湖畔に、夕暮れが落ちていた。 ローラの指導によるボイストレーニングが一段落し、テティスは息を切らして水辺に座り込んでいた。
「……もう、声出ないよ……」
「今日はここまででいいわ」 ローラはそう言いながら、水面をそっと撫でる。 「無理に続けると、逆に“芯”が折れる。あなたの歌は、まだ守る段階よ」
ローラは疲れて座り込むテティスの頭を撫でた。「大丈夫、テティスならできるわ」
「ありがとう、ローラ。ローラも疲れたと思うからゆっくり休んでね」テティスとローラはほほ笑みあった。
「そろそろ、一度人間界に戻ったほうがいいと思う」そう言ったのは、なずなだった。
テティスは座り込んだまま、なずなの意見に同意した。 「お茶会の動向も、探らないと」テティスは唇を噛む。 そして、ぽつりと本音をこぼした。「……それと、JIROに、ベガにもう一度ちゃんと話したい」
テティスにはJIRO=ベガと話がしたいと思っていた。力でこちらを操ろうとするヴィクトリアと違い、ベガは呪歌でフリーダたちを抑え込んだものの、できたであろうにテティスを無理やり連れて行こうとすることはなかった。向こう側の人物で話が通じそうだとテティスは考えた。
その言葉に、フリーダとリュディアは顔を見合わせた。
「俺たちあんなことになって説得できるとでも本気で思ってんのか?」 リュディアが渋い声で言う。
「……わからない。でも、放っておけない」テティスは膝を抱え、リュディアの問いに答えた。
少し離れた場所で、その様子を見守っていたフリーダは、腕を組んだまま考え事をしていた。 彼はこの間のベガの襲来前は人間界と異世界を頻繁に行き来していた。 理由は単純で――仕事だった。フリーダは、人間界では「プロのビリヤード選手」として知られている。 技巧的で、どこか妖艶な立ち振る舞い。 富豪たちは彼を好み、屋敷や企業の接待、プライベートパーティーに招待する。
「テティスとなずなが一度帰りたいなら俺とリュディアが一緒に行こう。」フリーダはテティスとなずなに言った。
「兄貴いいのか?」リュディアが腕を組みながら答えた。
フリーダはリュディアの問いに頷き「リュディアは2人を守っててほしい。俺はまた色々と潜り込んで様子を見てみるよ」と言った。
「このお嬢ちゃん達は無茶するから俺一人だと苦労するぜ」リュディアはやれやれといったように言った。
話をしているところにレイノルズとシャイナ、ギルが来た。
「人間界に一度帰るそうだな。わかっていると思うが、ヴィクトリアとベガの動きには気をつけてこっちから下手に接触しないようにな」レイノルズが腕を組みながらテティスとなずなに釘を差した。
「テティスちゃんとなずなちゃん心配だよぉ。レイノルズさん僕も行ってもいいですか?」ギルがレイノルズに聞いた。
「…そうだな、なら私も人間界に戻ろう。ヴィクトリアが方向性を変えてくるとまた情報が錯綜するだろうからニコラウス君は私と共に情報を集めよう」レイノルズはギルの方を見ずに答えた。
「えぇ!僕もテティスちゃんの護衛したいですよぉ!!リュディアだけズルいです!!また情報集めですか!」ギルは絶望したようにその場に座り込んだ。そんなギルをまるでゴミを見るかのような目でレイノルズとなずなは見た。
ギルは再び立ち上がり座り込んでいるテティスの手を取った。「テティスちゃん、リュディアだけじゃ心配だよね!僕もいたほうがいいよね!安心して、僕は格闘は苦手だけど銃なら得意だから守ってあげられるよ!テティスちゃんが必要ならベッドの中まで護衛して」ここまでまくし立てたところで、なずなに思い切り殴られた。「痛い!レイノルズさん何する…」ギルが顔をあげるとゴミを見るような目で見下すなずながいた。「なずなちゃぁん!痛いよぉ!もしかして嫉妬!?ならなずなちゃんも一緒に3人でベッドで裸で」ギルはもう一度なずなの鉄拳を喰らった。
レイノルズはその様子を気にしていなかった。「まとめよう。私とニコラウス君とフリーダは情報収集。テティスとなずなは一旦自宅待機、リュディアはテティスとなずなの護衛をしてくれ。シャイナと代表たちは異世界で待機してくれ。シャイナの守りの魔法があればヴィクトリアも下手に干渉はしてこないだろう。」
リュディアとフリーダは「了解」と答えた。ギルは頭を押さえてのた打ち回っていた。シャイナが心配そうに屈んでギルの様子をみていた。
レイノルズが呪文を唱えるとフリーダとリュディアの狼の尻尾が姿を消し、尖っていた耳も人間と同じようなものになった。『人間になる魔法』である。怪物は人間界では夜しか活動できないが、『人間になる魔法』をかけられることで昼間も行動をすることができる。
ローラは「フリーダ様、リュディア、テティス、なずな気をつけてくださいね」と水面から顔を出して言った。
「ローラちゃん…僕もいるんだけど…」ギルは痛さと忘れられた痛みで涙を流していた。
「シャイナ、ローラ。必要であれば代表たちをこちらに呼ぶかもしれない。用意はしておいてくれ。」レイノルズはシャイナの肩に手を置いて人間界への入り口を開いた。
「はい、お兄様もみんなも気をつけて!」
テティスは立ち上がって人間界へみんなと戻っていった。
コロラド州の森のなかに戻ってきた。レイノルズは預かっていたテティスとなずなのスマートフォンを2人に返した。
テティスはスマートフォンを手に取り、久しぶりの人間界の空気を深く吸い込んだ。森の中の静けさが、彼女の心を少しだけ落ち着かせてくれる。
「やっぱり、ここは落ち着くなぁ……」
なずなが隣で微笑んだ。「そうだね。でも、油断は禁物だよ。ヴィクトリアやベガの動きが気になるしね」
テティスは頷き、スマートフォンの画面を見つめた。…何日間か家を留守にしていたが、両親や兄弟からのメッセージはなかった。そのことにテティスは少し心を痛めたが、すぐに気持ちを持ち直した。
「まずは、情報を集めないと……」
彼女はSNSを開き、最新の情報を確認し始めた。そこには、ヴァレリアの名前が頻繁に登場していた。
「このヴァレリアって、誰なんだろう……」
なずなが画面を覗き込み、「最近、急に有名になった女優みたいたまね。何か裏がありそうだ。」と答えた。
テティスはその言葉に頷き、さらに調べを進めることにした。彼女の直感が、ヴァレリアに何か特別なものを感じ取っていた。
「この人の情報を集めよう!」テティス、なずな、リュディアはニューヨークにあるテティスのハーネス邸に帰ることになった。フリーダは自分で借りたロサンゼルス州のマンションへと戻ることになった。レイノルズとギルは力の賢者の洞窟へと行った。テティスは執事の一人に連絡して自家用ジェットの手配をした。
こうして一行はヴィクトリアの企みを阻止するため各々の場所へと戻ったのである。
人間界。 テティスは久しぶりの自室で、ベッドに寝転びながらスマートフォンを操作していた。なずなは一人筋力トレーニングをしていた。リュディアもテティスに用意してもらったサンドバッグでトレーニングをしていた。
…ローラに教えてもらった自主練習を家でしたら、執事から兄弟からのささやかなプレゼントだと防音室をもらった。…うるさいということなのだろうか。
JIROのSNS。 フォロワー数は、1億人。増える一方。リュディアとフリーダには反対されたものの、テティスにはベガの悲しそうな顔が忘れられなかった。
(……えい)
JIROの仕事の依頼用に解放されているDM欄に、そっと打ち込む。
「一度お会いして、お話ししたいです」
送信。
数時間後――
《このユーザーはブロックされています》
「……え?嘘でしょ…」
テティスのその声が気になったなずなが横から画面を覗き込み、呆れたように言った。
「テティス……それ、どう見ても出会い厨だと思われたんだよ」
「ち、違うもん……!」
「違っても、向こうから見たらそうなの!」
テティスはしょんぼりした。「ベガ〜話を聞いてよぉ」
テティスは、しばらくの間、ベッドに横たわりながら、どうすればベガと再び接触できるかを考えていた。彼女の心には、まだ諦めきれない思いがあった。
「どうすれば、彼に私の本当の気持ちを伝えられるんだろう……」
なずなが隣で、テティスの悩む姿を見て、少し心配そうに声をかけた。
「テティス、無理しないで。ベガに会う方法は、きっと他にもあるはずだよ。」
テティスは、なずなの言葉に少しだけ元気を取り戻し、スマートフォンを手に取った。
「そうだね、まずは情報を集めてみるよ。彼の動向を知ることができれば、何か手がかりが見つかるかもしれない。」
彼女はSNSやニュースサイトを開き、ベガ=JIROに関する情報を探し始めた。だが、情報は山程あるが有力と思えるものは少なかった。
「やっぱり、簡単には見つからないか……」
それでも諦めきれず、テティスはJIROのライブ配信を開く。
ハンドルネームは―― みつこ
母・あけみが、本当はつけたかった名前。 テティス自身も、なぜかずっと気に入っている名前。
配信の時間になり画面の中のベガ=JIROが視聴者に優しく語りかける。
「みんな、こんばんは。JIROです。今日も僕の歌を聴きに来てくれてありがとう」
JIROの歌声が流れる。 画面越しでも、胸を掴まれるような力がある。
テティスは、画面越しに流れるJIROの歌声に耳を傾けながら、彼の存在感に圧倒されていた。彼の声は、まるで異世界からの呼び声のように、彼女の心を揺さぶる。
「この声……本当に特別だ……」
彼女は、コメント欄に流れるファンたちの熱狂的な反応を見て、彼の影響力の大きさを改めて実感する。でも、どうしても直接話したい……
テティスは、彼の声に込められた何かを感じ取りたくて、どうにかして彼と接触する方法を模索し続ける。
コメント欄は流れ続ける。
「JIRO最高!!」
「この声、夢に連れてかれる……」
「新曲いつ!?」
コメント欄とともに投げ銭がされたというあかいメッセージも流れた、それは数多くあるコメントの中でも目立つことができる。テティスはこれだとひらめき、配信画面の投げ銭欄をタップする。
テティスは、指が震えながらも―― 投げ銭を…1000ドルほどした。
「ちょっと!!?」 なずなが叫ぶ。
「だ、だって……存在、気づいてほしくて……」
「そんな大金投げなくてもいいでしょ!!」
そんな大金をテティスがしたことでコメント欄も大騒ぎになってしまった。JIROがコメント欄の騒ぎに気づいたのだろう。画面の中のJIROが
「みつこさん、熱心な投げ銭ありがとうございます。…でもそんなに投げ銭をしなくてもあなたの思いは届いていますよ。」
と苦笑いをしながら言った。
「なずな!思いが通じたよ!!」
「絶対に違うと思うけど」
配信後。 テティスのDMには、JIROからの…ではないがJIROの熱狂的ファンからのメッセージが届いていた。
《節度を守ってください》
《迷惑行為は通報します》
《金持ちアピールですか?》
熱狂的なファンからのお叱りメッセージが届いたことを知らせる通知音がテティスのスマートフォンから何分も鳴り続けた。
「……うぅ……」
テティスはベッドに突っ伏して涙を流した。
なずなとリュディアはその様子を見て頭を抱えた。
ブブっとまたテティスのスマートフォンが鳴った。
フリーダは、都内の豪邸でビリヤード台の前に立っていた。
「こうだよ。力じゃない」
若い娘が、目を輝かせてフリーダを見つめている。
「すごい……フリーダさん、本当に素敵……」
「ありがとう、でもビリヤードには集中力が必要だよ。」
「そういえば、フリーダさん、どうしてビリヤードを始めたんですか?」娘は興味津々に尋ねた。
フリーダは少し考えてから答えた。「ビリヤードは、私にとってただのゲームではないんだ。集中力と戦略、そして一瞬の判断力が試される。人生と似ていると思わないかい?」
娘は目を輝かせて頷いた。「確かに、そうですね!私ももっと練習してみようかな。」
「そうだね。何事も続けることが大切だよ。」フリーダは優しく微笑んだ。
その時、ラウンジの入り口から新たな来客が現れた。彼は高身長で、洗練されたスーツを着こなしている。彼の登場により、ラウンジの雰囲気が一変した。
「あの人は誰?」娘が小声で尋ねた。
フリーダはその人物を一瞥し、少し驚いたように目を細めた。「彼は、エドワード=クロフォード。ビジネス界で有名な人物だ。」
「ビジネス界の?」娘は興味津々でエドワードを見つめた。
「ああ、彼は多くの企業を成功に導いてきた。だが、彼の本当の目的は誰にもわからない。」フリーダは少し警戒するようにエドワードを見つめた。
エドワードはラウンジを見渡し、フリーダに気づくと微笑んで近づいてきた。「フリーダさん、お久しぶりです。」
「エドワード、久しぶりだね。」フリーダは冷静に答えた。
「ここで会えるとは思わなかったよ。君のビリヤードの腕前は相変わらず素晴らしいね。」エドワードは感心したように言った。
「ありがとう。君も相変わらず忙しそうだね。」フリーダは微笑んだが、その目はエドワードの意図を探るように鋭かった。
「実は、君に話したいことがあるんだ。」エドワードは少し声を潜めて言った。
「何の話だい?」フリーダは興味を引かれたように尋ねた。
「ここでは少し話しづらい。後で時間をもらえるかな?」エドワードは意味深に微笑んだ。
「わかった。後で話そう。」フリーダは頷いた。
エドワードは満足そうに頷き、ラウンジの奥へと歩いて行った。
《期待の新人女優・ヴァレリア、圧倒的存在感でCM業界を席巻》
エドワードは自身のスマートフォンをフリーダに見せた。
「急に出てきたな」
エドワードはこのヴァレリアに目をつけていた。芸能界は、熟知している。 流行り廃りが激しく、若さと血の匂いに敏感な世界だ。
(……妙に出来すぎてる)
エドワードが「ぽっと出の新人だが妙に世間慣れしすぎているんだ。変だと思わないか?」と言った。エドワードに言われたとおりフリーダは、ほんの僅かな違和感を覚えていた。
フリーダは、エドワードとの会話を終えた後、ラウンジの片隅で一人静かに考え込んでいた。彼の中で、ヴァレリアの存在が次第に大きくなっていくのを感じていた。
(彼女はただの女優ではない。ヴィクトリアの手駒として、何か大きな計画の一部になっているに違いない)
フリーダは、ヴァレリアの背後に潜む影を感じ取っていた。彼女の動き、言葉、そしてその存在感すべてが、何かを隠しているように思えた。
(このままでは危険だ。彼女を放っておけば、ヴィクトリアの計画が進行してしまう)
フリーダは、ヴァレリアを監視することを決意した。彼女の動向を追い、ヴィクトリアの計画を阻止するための手がかりを探す必要がある。
その夜、フリーダはラウンジを後にし、静かに夜の街を歩き始めた。彼の心には、ヴァレリアとヴィクトリアの影が重くのしかかっていた。
(この戦いは、まだ始まったばかりだ。だが、必ず勝利を手に入れる)
フリーダは、決意を新たにし、夜の闇に溶け込んでいった。
その夜。 ヴァレリアは、興奮したままヴィクトリアのもとへ駆け込んだ。
「聞いて! 今日の現場、最高だったの!」
ローブ姿のヴィクトリアは、微笑む。
「そう……良かったわ」
「ねえ、これ……」
ヴィクトリアは、赤い液体の入ったグラスを差し出す。
「若さを保つためには、飲み続けなければならないの」
ヴァレリアは、一瞬だけ迷い―― だが、笑って飲み干した。
「平気よ。だって、私は“選ばれた”んだもの」
夜。 胸の奥が、焼けつく。
(……血……)
喉が、渇く。
「……もっと……」
ヴァレリアは、ヴィクトリアに縋る。
「ねえ……もっと、あれをちょうだい……」
ヴィクトリアは、満足そうに微笑んだ。
人間界と異世界。 歌と血。 若さと夢。
すべてが、魔女の掌の上で、静かに絡み合い始めていた。
都内の老舗ホテル。 天井の高いラウンジは、夕刻の柔らかな照明に包まれていた。 シャンデリアの光が磨かれた床に反射し、静かな弦楽のBGMが流れている。
フリーダはその一角に設けられた特設ビリヤード台の前に立っていた。 今日は富豪主催の小規模な社交パーティーで、 「世界レベルのビリヤードを間近で見られる」という触れ込みで招かれている。
フリーダは黒のジャケットに白いシャツ。 華美ではないが、異様な存在感があった。 長身で、整った顔立ち。 どこか人間離れした静けさを纏っている。
(……この空気、嫌いじゃないな)
フリーダはキューを構えながら、周囲を観察していた。 社交界特有の甘ったるい視線。 好奇心と欲望、そして「利用価値」を測る目。
だが―― その視線の中に、ひときわ異質なものが混じった。
「……」
フリーダの視線が自然と引き寄せられる。
ラウンジの奥、ソファ席。 そこに座るひとりの女性。
艶やかな黒髪。 肌は驚くほど白く、年齢を感じさせない。 だがそれ以上に――生気が不自然だった。
(……若すぎる)
いや、若いというより、 時間を逆行している ような違和感。
彼女は周囲の視線を当然のように受け止め、 微笑みながら談笑していた。
「ヴァレリアよ。最近売り出し中の女優さん」
横でキューを持っていた主催者の娘が、 小声でフリーダに教える。
「……彼女があのヴァレリアか」
フリーダはその名を、心の中で反芻した。
(――吸血鬼の血の匂いがする)
確信ではない。 だが、長く生きてきた感覚が、静かに警鐘を鳴らす。
そのとき、ヴァレリアが立ち上がった。 周囲に一礼し、ゆっくりと歩いてくる。
真っ直ぐに―― フリーダの方へ。
(来るな…)
そう思った瞬間には、もう遅かった。
「あなたが、フリーダさん?」
澄んだ声。 だが耳に触れた瞬間、わずかなざらつきを感じる。
フリーダはキューを下ろし、穏やかに微笑んだ。
「ええ。そうですが」
「やっぱり。噂通り……とても素敵」
ヴァレリアの視線は、 男を見るというより、獲物を品定めするようだった。
(……やはり)
フリーダは、彼女の呼吸を観察する。 浅い。 心拍がほとんど感じられない。
「ビリヤード、少し教えてもらえませんか?」
「構いませんよ」
拒む理由はない。 むしろ――近くで確かめる好機だ。
ヴァレリアはフリーダの隣に立つ。 距離が近い。
(血の匂い……だが、人間のものじゃない)
甘く、鉄のような香り。 吸血鬼の血を飲んだ人間特有の――混ざった匂い。
「こうして……キューを構えて」
フリーダはあえて、彼女の背後に立った。 姿勢を直すふりをして、そっと距離を詰める。
その瞬間。
ヴァレリアの肩が、ぴくりと跳ねた。
(気づいたか)
「……フリーダさん、近いですね」
「失礼。怖がらせましたか?」
フリーダの声は低く、落ち着いている。
ヴァレリアは、わずかに笑った。
「いいえ。むしろ……安心します」
(安心?)
その言葉が、妙に引っかかった。
ヴァレリアはキューを突き、 玉を見事にポケットへ沈める。
周囲から拍手が起こる。
だが―― フリーダの視線は、彼女の指先に釘付けになっていた。
爪が、ほんの一瞬、異様に鋭く伸びた。
次の瞬間には元に戻っている。
(間違いない)
フリーダは静かに息を吐いた。
「……お上手ですね。まるで、 長い間、同じ動きを繰り返してきたみたいだ」
ヴァレリアの瞳が、一瞬だけ揺れる。
「……褒め言葉?」
「ええ。経験の重みを感じます」
探り。 互いに探り合っている。
ヴァレリアは少し間を置いてから、微笑んだ。
「フリーダさんって……不思議な方ですね」
「そう言われることは、よくあります」
「近くにいると……落ち着くのに、 なぜか――喉が渇く」
その言葉に、フリーダの内側が冷えた。
(……症状が出始めている)
吸血鬼の血の副作用。 夜が近い。
フリーダは静かに、しかし確実に距離を取った。
「無理はなさらないほうがいい。 今日は、もうお帰りになったほうが」
ヴァレリアは驚いたように目を見開く。
「……どうして?」
「顔色が優れない」
嘘ではない。 だが、理由は別だ。
ヴァレリアは数秒、フリーダを見つめ―― そして、ゆっくりと笑った。
「……あなただけ私を見る目が違う。どうして?」
その笑みは美しいが、 どこかひび割れていた。
フリーダは微笑み返す。
「それは…あなたが魅力的だからではないでしょうか」
二人の視線が交錯する。
それは、 人間でも、完全な怪物でもない者同士の邂逅だった。
(ヴィクトリア……やはり動いている)
フリーダは確信した。
この女――ヴァレリアは、 次の“お茶会”へ至る道標になる。
そして同時に、 放置すれば取り返しのつかない存在になる。
ヴァレリアはその夜、 ヴィクトリアのもとへ赤い液体を求めることになる。




