住むことになったみたいです。
魔法科と魔法騎士科の生徒には“寮”が与えられていた。実際にそこで寝泊まりしている生徒はほとんどいないが、魔法訓練や実験、休憩などで使うことはよくあることだった。
上流貴族様が、使用人も居ないような場所に、好き好んで住むはずがなく、仮に居たとして、その生活をフォローをするのは書記官の役目だった。
伯爵家には珍しく、クミルは生活能力が高い方だった。当時体が弱かったクミルは、そのほとんどを屋敷内で過ごしていた。さらには母を幼くして亡くし、クミルは寂しさを紛らわすためよく使用人について回っていた。
そんなクミルを当時の使用人達は可愛がり、父の許しを得て料理や洗濯などをよく教えてくれていた。
(レイヴァート様が寮生活をすることはないだろうな)
万が一にもシェリオスが寮で暮らすと言い出したらと、想像してしまったクミルはその考えを頭の外に追い出すようにプルプルと首を振った。
中庭から二つほど角を曲がった先に、シェリオスの部屋はあった。
「ここだ」
そう言いながらシェリオスが開けたドアの隙間からクミルがそっと部屋を覗き込んだ瞬間、早くしろと言わんばかりに、腕を引かれた。
僅かによろめきながら部屋に入ると、中は応接間のような造りをしており、必要最低限の家具だけが整然と置かれていた。
中央には細かな細工が施された木製のテーブルと、赤を基調としたソファが二つ。どちらも人ひとり余裕で寝れる程の大きさだ。
(随分と、物が少ない)
そう思ったが、実際ここに住むわけではないのだからこんなものかと、クミルはすぐに納得した。
「あっちがお前の部屋だ」
部屋に入るなりソファに腰掛けたシェリオスが左側にある扉を指さした。クミルは嫌な予感がしながらも、部屋へと続く扉を開けた。
部屋の中には、ダブルサイズのベットと、広々とした机に座り心地が良さそうな椅子が置かれているだけだった。
「必要なものがあるなら後で家から持ってきてもらえ」
ドアの入口に腕組みをしながら体預けたシェリオスが当たり前のようにそう言うと、クミルはえ?っと勢いよく振り返った。
「必要なものとは?」
「生活に必要なものがあるだろ?今日からここで暮らすからな」
彼は今、ここで暮らすと言わなかっただろうか…
先程クミルが頭の外に追いやった想像が、今まさに現実になっていることに、クミルは軽く目眩がした気がして、そっとこめかみの辺りを抑えた。
「レイヴァート様はご実家には戻られないのですか?」
クミルは内心祈るようにそう訪ねるが、シェリオスの言葉はさらにクミルを落胆させるものだった。
「戻らないが?」
「と言うことは、僕もここに住むんですね…」
「そう言っているだろ」
目眩の他に頭痛までしてきたクミルは自分が書記科であることを入学一日目にして激しく後悔した。
書記科に拒否権はない。
クミルはなかば投げやりな気持ちでお茶の準備をしていた。
あの後、兄にことの次第を伝える手紙を書きたいと言って、クミルは来て早々に部屋に籠った。
中々部屋から出てこないクミルに、痺れを切らしたシェリオスが部屋に押し入り、書き上がっていた手紙を魔法でフェリクスに飛ばしたのはついさっきの事だ。
「はぁ……」
クミルは深いため息を吐くと、温めたカップと一緒にお茶を運んでいった。
「さっきは急に悪かった」
クミルが入れたお茶をひと口飲んだ後、シェリオスは静かにそう言った。
書記科の自分に、魔法科のシェリオスが謝ってきたことにも驚いたが心当たりがありすぎるクミルはどれに対しての謝罪だろうか?という疑問の方が強かった。
「誰かに指名される前にと、少し焦っていた」
(焦る?なんで?)
シェリオスが焦る理由がクミルには全く思い当たらなかった。
「…訳を聞いても?」
クミルが恐る恐る尋ねると、シェリオスはクミルの左手を指さした。
「お前のその左手にあるブレスレット。理由はそれだ」
クミルは自分の左手を握ると不思議そうにシェリオスを見つめた。
「これが理由?」
思わぬ答えに、クミルは思わず敬語を忘れてしまっていた。クミルの言葉にシェリオスは眉間の皺を深めた。
「……隠してるつもりか?」
「隠す?何をですか?」
「微かだが魔力の気配がある」
シェリオスはそう言うとカップに口をつけた。
カチャリとなる音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。
(魔力の気配?意味がわからない)
クミルはう〜んと唸りながら顎に手を置き、目を閉じながら体を左右にゆらゆらと揺らした。
「本当に微かだから、誰も気づけないのも納得だがな。…少し不思議な気配だが、かなり高度な術が刺繍に組み込まれている」
それにその刺繍の模様…と、シェリオスは言葉を濁した。
「これは幼い時に父から頂いたものです。特に魔力が込められているという話は聞いたことがありませ──」
「気づいていないのか?」
シェリオスの静かな声が、クミルの言葉を遮った。
真っ直ぐにこちらを見つめている黒の瞳にふっと紫の光が見えた気がしてクミルは目を瞬かせた。
「だから、先程から何の話を───」
「そのブレスレットは“封印具”だ。魔力を抑えるためのものだろう」
「…………え?」
「だが、同時に何かを補填しているような感じがするな」
シェリオスの言葉の意味が全く分からなかった。そもそもクミルには封印するほどの魔力などないはずだ。でなければ書記科にいるわけがない。
そんなクミルの視界が、急に白く染まった。
その瞬間、覚えないのい記憶の中にいる兄達の慌てた声が、クミルに不安を植えつけ、呼吸を浅くしていく。
(なにこれ…知らない…)
クミルの様子がおかしいことに気づいたシェリオスが慌てた様子でクミルの手を掴んだ。
そのままクミルの左手首に指を這わせると、微かにでた光がクミルのブレスレットを熱くした。
「落ち着いたか?」
心配そうに見上げてくるシェリオスの黒い瞳の中に微かだが紫が溶け込んでいて、クミルはその紫をぼんやりとした頭で見つめていた。
クミルの視線に気づいたシェリオスは掴んだままだった腕を勢いよく離すと、目元を隠すように視線を逸らした。
「綺麗…ですね」
クミルの呟きにシェリオスは肩をゆらし、何かを耐えるようにグッと顔を歪めた。
(凄く、温かかった)
今日会ったばかりのシェリオスは、噂に聞くような冷たい印象はなかった。確かに言葉数は多い方ではないが、人嫌いがそもそも誰かを傍に置くだろうか?今だって自分を心配して、咄嗟に魔法を使ってくれたのだろう。
(不機嫌そうではあるけど…)
クミルはふふっと笑うとシェリオスは安心したようにそっと肩の力を抜いた。
【次回予告】
噂と違うシェリオスに少し寄り添い始めたクミル。
そんな時、兄のフェリクスが二人の前に現て―
「兄が何か言いたいみたいです。」




