海の記憶~大規模海洋循環の同期説を巡る攻防~【第3話】
このシリーズは、最近トランプ大統領を先頭に拡大している「地球温暖化がもし人間活動によるものではないとしたら?」という仮説を立て、それを多角的な視点から検証していくという、ライトノベルです。
シリーズ①から⑥までの予定です。
## 第一章:海の巨人たちの出現
地球内部熱放出説、太陽・宇宙線説と続いた検証シリーズも第3話。今日の研究室は、外で降る雨の音に包まれていた。
「今日は海洋学の領域に踏み込もう」創がホワイトボードに太平洋と大西洋の簡単な地図を描いた。「地球の海には巨大な『振動』がある」
星野が前のめりになる。「PDO、AMO、ENSO…ですね。私、これらの相関分析をやったことがあります」
「おお、さすが怜だね」創が微笑む。「では今日の仮説は『大規模海洋循環の同期説』だ。これらの振動が全て温暖化方向に同期したとしたら…」
健太が目を輝かせる。「それってすごく自然な説明じゃないですか!海洋は地球の熱の90%以上を蓄えてるんだから、海が温暖化の主役になってもおかしくない」
葵が困惑する。「PDOとかAMOって何の略ですか?」
遥が説明し始める。「PDOは太平洋十年規模振動、AMOは大西洋数十年振動。それぞれ20年から80年周期で海面温度が変動する現象よ」
「そしてENSOはエルニーニョ・南方振動」星野が追加する。「2-7年の短期周期ですが、これも含めて全部が温暖化方向に向いたら…」
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## 第二章:海洋振動の正体
創が詳しく解説を始める。「まず基本から確認しよう。PDOとは何か?」
星野が資料を取り出す。「太平洋十年規模振動は、北緯20度以北の中緯度太平洋を中心とした海洋大気の気候変動パターンです。温暖または冷涼な表面海水として検出され、過去100年間で数年から数十年の時間スケールで不規則に変化してきました」
健太が興味深そうに聞く。「つまり太平洋がまるごと温かくなったり冷たくなったりするってこと?」
「そう考えていい」創が頷く。「PDOの空間パターンはENSOに似ているが、最大の違いは時間スケール。ENSOが年間変動なのに対し、PDOは十年規模だ」
葵が質問する。「じゃあAMOは?」
遥が答える。「大西洋多十年振動は、推定60-80年周期で北大西洋で発生する自然変動の一貫したモード。北大西洋海盆の海面温度偏差の平均に基づいています」
星野が統計的な観点を加える。「AMOは米国の降雨量と干ばつ頻度、北米とヨーロッパの夏の気候、大西洋のハリケーン活動、インド・サヘル地域の夏の降雨量、北半球の平均気温、北極海氷などに重大な地域的・半球的気候影響を与えています」
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## 第三章:同期の魔力
健太が勢い込んで話し始める。「考えてみてください。もしこれら全ての振動が、たまたま同じタイミングで温暖化フェーズに入ったとしたら?」
「具体的にはどういうこと?」葵が聞く。
「PDOが正のフェーズ、AMOが正のフェーズ、ENSOも頻繁にエルニーニョ」健太が指を折りながら数える。「これらが重なったら、地球全体の海面温度が上がって、当然気温も上がる」
星野が冷静に反論する。「でも健太さん、それらが『たまたま』同期する確率を計算したことはありますか?」
「えーっと…」健太が困る。
星野がタブレットで計算を始める。「PDOの周期を約20年、AMOを約65年、ENSOを不規則だが平均3年とします。これらが同じ方向に向く確率は…」
「ちょっと待って」遥が割り込む。「でも実際に2025年2月時点で、強い+AMOが継続しているのよね?偶然じゃない現実があるじゃない」
葵が混乱する。「つまり今まさに同期が起きてるってことですか?」
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## 第四章:相関の錯覚
星野が厳しい表情になる。「そこが問題なんです。AMOとPDOを組み合わせた温度変動では、22ポイント平滑化でUS温度との相関がr²=0.85と高い相関を示しています。でもこれは米国の気温であって、全球気温ではありません」
健太が反論する。「でも相関が高いってことは関係があるってことでしょ?」
「それは危険な推論です」星野がきっぱりと言う。「相関と因果関係は全く別物です。それに、地域的な相関が全球的な温暖化を説明できるかは別問題」
遥が疑問を投げかける。「でも星野さん、単調モードと振動モード(AMO)を組み合わせた計算では、測定値と計算値の相関が0.98になってる研究もあるのよ?これは偶然?」
星野が資料を確認する。「その研究は興味深いですが、注意深く見ると『単調モード』という別の要因も含まれています。つまり海洋振動だけでは説明できていないということです」
創が整理する。「つまり、海洋振動は確かに気候に影響を与えるが、それだけでは全球温暖化を説明できない、ということだね」
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## 第五章:時間スケールの罠
健太が別の角度から攻める。「でも地質学的に見れば、海洋循環の変化は過去にもあったはずです。氷河期の終わりとか…」
星野が統計的に反駁する。「確かに長期的な海洋循環の変化はあります。でも現在の温暖化は150年という短期間で起きています。氷河期サイクルは数万年単位です」
「それに」遥が追加する、「氷河期の海洋循環変化は、軌道要素という明確な外部強制力があった。現在の海洋振動の同期には、そのような外部要因が見当たらない」
葵が本質的な疑問を投げかける。「でも、何で海洋振動って起きるんですか?何かきっかけがあるから振動するんですよね?」
創が深く頷く。「素晴らしい質問だ。PDOの原因は現在知られておらず、この気候振動の予測可能性も不明です。つまり、なぜ振動が起きるのか、なぜ位相が変わるのか、まだ完全には解明されていない」
健太が困惑する。「じゃあ、原因が分からないなら、同期する理由も分からないってことですか?」
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## 第六章:データの語る真実
星野が最新のデータを表示する。「では実際のPDO、AMO、ENSOの時系列データを見てみましょう」
「1950年から2020年までの70年間で、これら3つの指標が全て正の値を同時に取った期間は…」星野が計算する、「全体の約12%です」
「12%?」葵が驚く。「意外に少ないんですね」
「そうです。そして重要なのは」星野が続ける、「その12%の期間が現在の温暖化トレンドと一致しているかどうかです」
遥が資料をめくる。「1980年代から2000年代前半は確かに同期してたみたいだけど…」
「でも2000年代後半から2010年代前半は」健太がデータを見て困惑する、「PDOが負のフェーズに入ってるじゃないですか。なのに温暖化は続いてる」
星野が決定的な証拠を示す。「そうなんです。もし海洋振動の同期が温暖化の主因なら、同期が崩れた時期は寒冷化するはずです。でも実際は温暖化が加速しています」
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## 第七章:熱容量と慣性の議論
健太が最後の抵抗を試みる。「でも海洋は巨大な熱容量を持ってるから、熱の慣性があるはずです。海洋振動が変化しても、気温への影響は遅れて現れるんじゃないでしょうか?」
星野が冷静に計算する。「確かに海洋の熱容量は大きいです。でも健太さんの仮説だと、何年の遅れを想定していますか?」
「うーん…10年とか?」健太が推測する。
「では10年の遅れを想定してデータを解析してみましょう」星野がタブレットを操作する。「…結果は、10年遅れでも5年遅れでも、相関は改善されません」
遥が別の観点を提示する。「それに健太くん、熱の慣性があるなら、過去の寒冷な海洋振動の影響も現在まで続いているはずよね?つじつまが合わなくなる」
葵が整理しようとする。「つまり、海洋振動の影響があるとしても、現在の温暖化を説明するには不十分ってことですか?」
創が頷く。「その通りだ。海洋振動は確かに気候に影響を与える。しかし全球的で持続的な温暖化を説明するには、より強力で一方向性の強制力が必要だ」
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## 第八章:予測可能性の問題
遥が新しい論点を提示する。「でも、もし海洋振動が本当に原因なら、将来予測はできるの?寒冷化に転じる時期とか…」
星野が資料を確認する。「PDOの予測可能性は現在不明です。つまり、いつ位相が変わるかを予測することはできません」
健太が反論する。「でもそれって、温室効果ガス説でも同じじゃないですか?正確な予測は困難でしょ?」
創が区別を説明する。「重要な違いがある。温室効果ガス濃度は物理的メカニズムが明確で、濃度変化に応じた気温変化を予測できる。一方、海洋振動は内部変動なので、いつ方向が変わるか分からない」
葵が心配そうに聞く。「じゃあ、もし海洋振動が原因だとしたら、私たちは何もできないってことですか?」
星野が冷静に答える。「そうですね。内部変動が主因なら、人間にできることは基本的にありません。ただし、それが主因である証拠は不十分です」
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## 第九章:エネルギー収支の現実
創が根本的な問題を提起する。「では最も基本的な質問をしよう。海洋振動はエネルギーを『創り出す』のか、それとも『再分配』するのか?」
健太が考え込む。「うーん…再分配ですかね?海流で熱を運ぶわけだから」
「その通り!」創が指を鳴らす。「海洋振動は基本的に熱の再分配現象だ。地球全体のエネルギー収支を変えるわけではない」
星野が追い打ちをかける。「つまり、PDOやAMOが全球平均気温を長期的に上昇させるためには、追加のエネルギー源が必要ということです」
遥が理解し始める。「あ、そういうことか。海洋振動はエネルギーの配り方を変えるだけで、総量は変えられない」
葵が例えを使って理解する。「つまり、お皿の上の料理を移し替えるようなもので、料理の総量は増えないってことですね」
健太が困った顔をする。「じゃあ、海洋振動で全球温暖化を説明するには、何か別のエネルギー源が同時に必要ってことですか?」
創が頷く。「そういうことだ。結局、『なぜエネルギーが増えたのか』という根本的な問題に戻ってしまう」
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## 第十章:観測データの時系列分析
星野が本格的な統計分析を始める。「では詳細な時系列分析をしてみましょう」
タブレットの画面に複数のグラフが表示される。「1900年から2020年までの全球平均気温、PDO指数、AMO指数、ENSO指数を重ねて表示します」
遥が食い入るように見つめる。「1980年代は確かに全部が同じ方向に向いてるけど…」
「でも1990年代後半から2000年代前半は」葵が指摘する、「ENSOは逆方向ですね」
健太が苦しい立場に立たされる。「うーん、完全な同期じゃないのは確かですが…部分的な同期でも影響はあるんじゃないでしょうか?」
星野が統計的に評価する。「重回帰分析を行った結果、PDO、AMO、ENSOの3つを組み合わせても、全球気温変動の約30%しか説明できません。残り70%は他の要因です」
「30%って少ないんですか?」葵が質問する。
創が解説する。「科学では、主要因と呼ぶには少なくとも50%以上の説明力が欲しいところだ。30%では部分的な影響に過ぎない」
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## 第十一章:テレコネクション の複雑さ
遥が新しい視点を提示する。「でも海洋振動って、単独で働くものじゃないのよね。太平洋の振動は全て密接に関係していて、テレコネクション(遠隔相関)やチャンネルで互いに結ばれているって研究もある」
健太が期待を込めて聞く。「つまり、複合的な効果でより大きな影響があるかもしれないってことですか?」
星野が慎重に評価する。「確かにテレコネクションは存在します。でもそれは『影響の伝播メカニズム』であって、『エネルギー源』ではありません」
創が整理する。「テレコネクションは、ある地域の変化が他の地域に影響を与える仕組みだ。しかし、最初の変化を引き起こすエネルギーはどこから来るのか、という問題は残る」
葵が素朴に質問する。「じゃあ、海洋振動を引き起こす『最初のエネルギー』って何なんですか?」
遥が困惑する。「それは…太陽エネルギーの不均等な分布とか…」
「でも太陽エネルギーの変動は既に検証して、十分じゃないことが分かってる」星野が指摘する。
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## 第十二章:シミュレーションモデルの証言
創が新しい資料を出す。「気候シミュレーションモデルでは、海洋振動の同期説についてどう評価されているかな?」
星野がデータを確認する。「複数の気候モデルで、自然変動のみでは現在の温暖化を再現できないことが示されています。海洋振動も含めた自然変動は、せいぜい±0.1-0.2℃の変動幅です」
健太が疑問を呈する。「でもシミュレーションモデルって、完璧じゃないでしょう?海洋の複雑な動きを全て再現できるんですか?」
創が公平に評価する。「確かにモデルには限界がある。しかし複数の独立したモデルが同じ結論を示すなら、それは重要な証拠だ」
遥が別の角度から聞く。「じゃあ、もしモデルが間違ってたらどうなるの?」
星野が論理的に答える。「もしモデルが系統的に間違っているなら、過去の気候も再現できないはずです。でも実際は、20世紀の気候変動をよく再現しています」
葵が理解しようとする。「つまり、過去を正確に再現できるモデルが、『海洋振動だけでは現在の温暖化を説明できない』って言ってるってことですね」
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## 第十三章:地域気候 vs 全球気候
健太が最後の論点を提示する。「でも海洋振動が地域気候に大きな影響を与えるのは事実ですよね?それなら全球への影響もあるはずじゃないですか?」
星野が区別を説明する。「PDOは北アメリカの降水、気温、積雪、河川流量、干ばつと相関しています。これは事実です。でも地域的な影響と全球的な影響は別問題です」
遥が具体例を挙げる。「例えば、PDOが正のフェーズの時、北米西岸は暖かくなるけど、メキシコや米国南東部は平年より寒くなるのよね」
「そう、それがポイントだ」創が強調する。「海洋振動は地域的な気候パターンを大きく変える。しかし温暖化と寒冷化が同時に起きるので、全球平均への影響は相殺される」
葵が整理する。「つまり、地域的にはとても重要だけど、地球全体で見ると影響が打ち消し合ってしまうってことですね」
健太がようやく理解する。「なるほど…僕は『地域的な影響が大きい』から『全球的な影響も大きい』と勘違いしてました」
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## 第十四章:因果関係の方向
星野が核心に迫る質問をする。「最後に根本的な問題を提起します。海洋振動が気候変動を『引き起こす』のか、それとも気候変動が海洋振動に『影響を与える』のか、どちらでしょう?」
健太が困惑する。「え?どちらも可能性があるってことですか?」
創が解説する。「実は、温室効果ガスの増加が海洋循環パターンを変化させているという証拠が増えてきている。つまり因果関係が逆かもしれない」
遥が資料を確認する。「確かに、北大西洋の循環が弱くなってるって研究もあるわね。これは温暖化の影響とされてる」
星野が統計的に分析する。「グレンジャー因果性テストを行うと、温室効果ガス濃度の変化が海洋振動パターンに先行して影響を与えている可能性が示されます」
葵が混乱する。「つまり、海洋振動が温暖化の原因じゃなくて、温暖化が海洋振動を変化させてるかもしれないってことですか?」
健太が驚く。「それじゃ完全に逆ですね…」
創が慎重にまとめる。「確定的ではないが、その可能性は十分考えられる。少なくとも、海洋振動が温暖化の主因だという仮説には疑問符がつく」
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## 第十五章:科学的結論への道筋
創が議論をまとめ始める。「今日の海洋循環同期説の検証結果をまとめてみよう」
星野が整理する。「1)完全な同期は稀で、全期間の12%程度。2)同期していない期間も温暖化は継続。3)海洋振動は熱の再分配であり、エネルギー創出ではない。4)全球気温変動の30%程度しか説明できない」
健太が素直に認める。「確かに、主因と呼ぶには証拠が不十分ですね…」
遥が追加する。「それに、因果関係が逆の可能性もある。海洋振動が温暖化を引き起こすのではなく、温暖化が海洋振動を変化させている」
葵が質問する。「じゃあ、海洋振動は全然関係ないってことですか?」
創が公平に評価する。「いや、全く無関係ではない。気候変動に対する自然の『応答』や『修飾要因』として重要な役割を果たしている。ただし『主要因』ではないということだ」
星野が最終的にまとめる。「科学では、全ての要因を排除するのではなく、各要因の『寄与度』を正確に評価することが重要です」
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## エピローグ:海からの贈り物
雨が上がり、研究室に夕日が差し込み始めた。
創が振り返る。「今日の海洋循環同期説の検証はどうだった?」
健太が率直に答える。「最初は『これこそ自然な説明だ』と思ったんですが、データと向き合うと…地域的な影響と全球的な影響は別物だということがよく分かりました」
星野が感想を述べる。「統計分析の重要性を再認識しました。相関があっても因果関係があるとは限らない。時系列データの詳細な分析が必要ですね」
遥が深く考える。「私は因果関係の『方向』について考えさせられました。AがBの原因なのか、BがAの原因なのか、慎重に見極める必要がある」
葵が整理する。「海洋振動は確かに気候に影響するけど、『熱の再分配』であって『熱の創出』じゃない。だから全球温暖化の主因にはなれないんですね」
創が深く頷く。「その通りだ。海は地球の気候システムの重要な一部だが、エネルギー収支の『帳尻』は合わせなければならない」
健太が最後に言った。「次回はどの仮説を検証しましょうか?まだ学ぶことがたくさんありそうです」
星野が提案する。「エアロゾルや雲の変化はどうでしょう?『見えない日傘』の話」
「それは面白そうだね」創が微笑む。「海の次は空の話か。科学の航海は続いていく」
研究室に穏やかな満足感が漂った。海洋という巨大なシステムでさえ、現在の温暖化を単独で説明するには不十分だったが、複雑な気候システムへの理解は確実に深まっていた。
## 参考文献・データ出典
**本小説で言及した科学的データの出典:**
- NOAA国立環境情報センター「太平洋十年規模振動(PDO)」
- UCAR気候データガイド「大西洋多十年振動(AMO)と大西洋多十年変動(AMV)」
- Climate Impact Company「2025年2月ENSO、PDO、AMO、IOD見通し」(2025年2月)
- Wikipedia「太平洋十年規模振動」(2025年8月更新)
- UCAR気候データガイド「太平洋十年規模振動(PDO):定義と指数」
- PMC「自然多十年海洋温度振動が米国本土地域温度に与える影響」
- Watts Up With That「AMO+PDO=温度変動」(2010年)
- ワシントン大学JISAO「太平洋十年規模振動(PDO)」
*注:本作品の海洋循環同期説は思考実験として検証されており、現在の気候科学では人為的温室効果ガスが主要因とする見解が多角的な科学的証拠によって支持されている。*
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## 次回予告
**第4話:「消えた日傘の謎~エアロゾル変動説を巡る攻防戦~」**
大気汛染物質の減少で地球の「日傘」が消えた?遥の政策的視点と怜のデータ分析が、見えない粒子の真実を巡って激突する!




