覚めない悪夢
七日目
目覚め
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
アオイは飛び起きた。身体中から汗が吹き出し、喉が枯れていた。
急いで共有スペースへ向かう。そこには、ユウキとケンタがいた。二人とも、俺と同じように荒い息を整えている。
「アオイ! 生きてたか!」ユウキが安堵の声を上げた。
「みんな、無事か!?」俺が尋ねると、ケンタが頷いた。「ああ……あの給食室の冷蔵室に飛び込んだら目が覚めた。お前もか?」
「ああ」
俺たちが話していると、サクラも姿を見せた。サクラは、顔色は悪いものの、無事に覚醒できたことに安堵しているようだった。
その時、アヤカがふらつく足取りで共有スペースに現れた。彼女の顔は蒼白で、目には深い疲労と、拭い去れない恐怖が宿っている。彼女の腕には、昨日よりも遥かに深く、痛々しい引っ掻き傷が生々しく残っていた。
「アヤカさん! 大丈夫ですか!?」アオイが駆け寄る。
アヤカは、震える声で呟いた。「カズキさんが……カズキさんが……!」
アヤカは混乱しながらも、昨日の夢の出来事を必死に伝えた。
彼女の言葉に、俺たちは息を呑んだ。アヤカの腕に残された深い傷跡が、昨夜の悪夢の現実的な影響をまざまざと見せつけていた。
日中
共有スペースに、カズキは姿を現さなかった。彼の席は空席のままだ。昨夜の悪夢の光景が、アヤカの脳裏に焼き付いている。キラーの腕が、カズキに伸びるあの瞬間。
俺たちはカズキの部屋を確認しに行ったが、カズキはヘッドギアをつけたまま横になっている。そとから呼び掛けたが反応がない。
「だめだ……。反応がない……」
アオイが呟いた。「まさか夢でキラーに捕まってしまったからなのか……?」
ユウキが拳を握りしめた。「嘘だ……。」
ケンタが顔を青くして呟く。「キラーに捕まると……めざめられないのか……?」
サクラは、もう言葉も出ないようだった。ただ、震えながら俯いている。
アヤカだけが、静かに一点を見つめていた。すこし冷静さを取り戻したのだろう。
「……昨夜、私は記憶のない場所にたどり着けたけど、彼はキラーに捕まり、そこから動けなくなった。結果記憶のない場所へは到達出来ずに、あの悪夢のなかに閉じ込められているのかも」
アヤカの言葉が、アオイたちの頭の中に、恐ろしい結論を突きつけた。
夢の中でキラーに捕まるということは、覚めない悪夢に囚われるとうことだ。
俺たちは、ようやくその真実に、薄々気づき始めた。
この治験は、想像を絶するほど危険なものだったのだ。
俺たちは、この理不尽な状況の中で、カズキなしで、次の夜を生き抜くための対策を練るしかなかった。
残された日数は、あと3日。
夜
七日目の夜。アオイはベッドに横たわり、ヘッドギアを装着した。カズキの件が頭から離れない。正直逃げ出したいが、報酬がちらつく。眠りから覚めないだけで死んでいるわけではない。それに10日間が終わればきっとカズキももとに戻るだろう。淡い期待と自らの欲望が入り交じる。あと3回。たったそれだけ生き延びれば、この治験は終わり、高額な報酬が手に入る。彼は、嫌々ながらもヘッドギアを頭に固定し、目を閉じた。
次に意識が浮上した時、アオイは、眩い光と賑やかな音楽、そして楽しげな子供たちの声に包まれていた。そこは、誰もが一度は行ったことがあるであろう、有名な遊園地だった。目の前には巨大なジェットコースターが轟音を立てて駆け抜け、メリーゴーランドが回り、甘い綿菓子の匂いが漂っている。
しかし、その光景は、どこか奇妙だった。人はたくさんいるのに、彼らの顔には表情がなく、まるでマネキンのようだ。音楽もどこか歪んで聞こえ、楽しげなはずの子供たちの声も、まるで遠い残響のように不気味に響く。
「なんだ、ここ……?」
周囲を見渡すと、アオイと同じように困惑した表情で立ち尽くす人々が見えた。見覚えのある顔もある。皆、どこか疲れ切っていて、彼らもまた、この治験の被験者なのだろうと直感的に理解した。
その時、背筋に冷たい悪寒が走った。遊園地の入り口の方から、漆黒の「キラー」が、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのが見えた。その体躯は巨大で、遊園地の賑やかな色彩の中で、異様なまでに黒く、そして威圧的だった。その存在が視界に入った瞬間、周りの人々の動きが止まり、音楽も途切れ、遊園地全体がシンと静まり返った。
「ッ、来るぞ……!」
アオイは叫び、無我夢中で走り出した。周りの被験者たちも、キラーの出現に気づき、一斉に恐怖の悲鳴を上げて散り散りに逃げ始めた。
ジェットコースターのレール、観覧車の真下、パレードの通り道……。必死に逃げ惑うアオイは、仲間を探して遊園地の中を駆け回った。しかし、広大な敷地と、無限に続くかのようなアトラクションの影が、行く手を阻む。
「みんな! どこだ!?」
アオイの声は、遊園地の広さに吸い込まれていく。その間にも、キラーの足音は確実に迫っていた。焦りと恐怖で、アオイの心臓は激しく高鳴る。
パニックに陥りそうになりながらも、アオイは必死に頭を巡らせた。
その時、遠くからユウキの叫び声が聞こえた。「アオイ! こっちだ!」
声のする方へ向かうと、メリーゴーランドの陰から、ユウキとケンタが姿を現した。彼らの顔にも、恐怖と疲労の色が濃い。
「アオイ! 無事だったか!?」ユウキが駆け寄ってきた。
「ああ。サクラとアヤカは?」
「まだ見てねぇ。たぶん、バラバラに逃げてるんだろうな」ケンタが答えた。
「くそっ、キラーが来るぞ! 合流しながら逃げるんだ!」アオイは叫んだ。
三人で遊園地の奥へ奥へと逃げ込んだ。フワフワの綿菓子の匂いも、カラフルな風船も、今はただ不気味に目に映る。キラーの足音は、すぐそこまで迫っていた。
「アオイくん! ユウキくん! ケンタくん!」
サクラの声だ。振り向くと、彼女は息を切らしながら、アヤカと共に走ってきた。
「よかった!合流できたか!」ユウキが安堵の声を上げた。
「安心してる暇はないわ! 早く記憶のない場所をめざさないと!」アヤカが焦った声で言った。
五人は、キラーから逃げるために、必死で「記憶にない場所」を探した。そして、遊園地内で一般の人が立ち入れない場所ならばきっと記憶にない場所がたくさんあるはずだと気づく。
「スタッフルームだ! あそこから入れそうだ!」ケンタが指さす。
俺たちは、近くの建物の裏手に回った。そこには、「STAFF ONLY」と書かれた扉があった。しかし、扉には分厚い鎖がかかり、頑丈な鍵がかけられていた。
「くそっ、開かねぇ!」ユウキが焦って叫んだ。
別のスタッフルーム、機械室、倉庫……。どこもかしこも、頑丈な鍵がかかっていて、びくともしない。
「ダメだ! どこも鍵がかかってる!」アオイが苛立ちと焦りを感じながら叫んだ。キラーの足音が、どんどん近づいてくる。遊園地の通路は広く、隠れる場所も少ない。このままでは、また捕まってしまう。
「他にどこかないか……! 遊園地の中に、俺たちが絶対に入ったことのない場所は……!」アオイは必死で頭を巡らせた。だが、遊園地は、訪れたことのある人間にとっては「知っている場所」の連続だ。どこに逃げ込んでも、既視感に襲われる。
「そうだ! 遊園地の外だ! 遊園地そのものから脱出するんだ!」
アオイの言葉に、皆の顔に希望の光が差した。遊園地の中が全て「既知」ならば、その外へ出ればいい。
五人は、遊園地の出口を目指して走り出した。しかし、キラーは、遊園地の敷地を覆い尽くすほどの巨大な影となって、俺たちを追い詰める。巨大な観覧車が、キラーの背後で不気味に回り続けている。
「出口まで行く余裕はないわ!そこのフェンスを乗り越えましょう!」アヤカが冷静な判断で叫んだ。
アヤカの言葉に頷き、五人は遊園地の外周へと向かった。錆びたフェンスが目にはいった。
「ここを乗り越えるぞ!」ユウキが先導しみんなを引き上げた。
フェンスを乗り越えた先に、小さな小屋が見えた。ゴミ捨て場のような場所で、遊園地の華やかさとはかけ離れた、無機質な空間が広がっていた。
「あそこだ! あの小屋なら、誰も行ったことがないはずだ!」アオイは叫んだ。
キラーの巨大な手が、背後から伸びてくる。五人は、小屋のなかに転がり込んだ。
その瞬間、視界が激しいノイズと共に歪み始めた。