新たな法則
六日目
目覚め
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
アオイは飛び起きた。呼吸は荒く、全身から汗が噴き出している。
すぐに起き上がりサクラの部屋へ向かった。
「サクラ……大丈夫か!?」
アオイが声をかけると、サクラはゆっくりと身体を起こした。
「アオイくん……私、思い出しました。あの町、確かに私の故郷です。あの時計台も、祠も……」
アオイは頷いた。
「俺もだ。すこしだけど記憶が蘇ってきた。」
キラーは、俺たちの失われた記憶の奥底にまで侵入し、そこを新たな狩場としてきた。しかし、そのことが、皮肉にも俺たちの記憶を刺激し、覚醒の糸口を与えたのだ。
残された日数は、あと4日。
日中
六日目の朝。アオイはサクラと共に共有スペースへ向かった。昨夜の夢で記憶を取り戻したばかりのためか、どこか清々しい気持ちだった。
「昨日の夢、まさか俺たちの故郷がおなじだったなんて驚きだな」
「はい、アオイくん。故郷を思い出せただけでなく、一人じゃないんだって思えて、すこし安心しました!」
二人が夢について話し合っていると、ユウキとケンタが顔をしかめながらやってきた。
「おい、アオイ! サクラ! お前ら、昨日の夢、誰かと一緒だったか!?」ユウキが焦った声で尋ねた。
「ああ、俺とサクラは一緒だったけど、お前らは?」アオイが答える。
ケンタが大きく頷いた。「俺とユウキも一緒だったぜ! 俺たちがガキの頃よく遊んでた河川敷だったんだ。キラーが追いかけてきてさ、最初はバラバラに逃げてたんだけど、途中から二人で協力して、河川敷の端っこにある、誰も立ち入らないって言われてた廃工場を目指して逃げたんだ。そしたら、二人とも無事に目が覚めた!」
ユウキも、疲れた顔ながらも達成感に満ちた表情で続いた。「そうなんだよ! あの廃工場、昔から『幽霊が出る』って言われてて、怖くて一度も入ったことなかったんだ。そこに入ったら、すぐに夢から覚めたんだぜ!」
アオイは、彼らの話に納得した。
「どうやら、俺たちと同じように、他の被験者たちも夢が連結しているらしいな。そして、その連結の仕方が、それぞれの持つ記憶と関係しているんだ。俺とサクラも、同じ『忘れ去られた町』の夢を見たんだ」
アヤカとカズキも共有スペースに現れた。カズキは昨日にも増して憔悴し、顔色は土気色だった。アヤカの表情も硬い。
「私の夢も、カズキさんと連結していました」アヤカが静かに言った。「私とカズキさんは以前同じ会社に勤めていました。」
そして、アヤカはカズキをちらりと見て、微かに顔を曇らせた。「その会社が夢にでてきましたが、私は絶対にいったことのないフロアにすぐ向かいました。けど覚醒できずに困惑しているとカズキさんが部屋の奥からでてきました。そこで確信しました。同じ夢の中では記憶が共有されてしまうということに」
アオイは、アヤカの言葉に納得した。昨日、自分とサクラが同じ「忘れ去られた町」にいたのは、二人が共通の過去を持つからだ。そして、その場所が二人にとっての「既知」であるため、脱出が困難になった。だが、その中で、サクラが思い出した「行ったことのない路地」という、純粋な「記憶にない場所」を見つけることで、覚醒に成功したのだ。
この悪夢の法則は、さらに複雑になっていた。
「つまり、俺たちが共同で夢から脱出しようとするなら、お互いの記憶を考慮して、本当に誰も知らない場所を見つけなければならないってことか……」アオイは呟いた。
残された日数は、あと3日。カズキの顔は、不安と恐怖で完全に打ちひしがれている。
夜
六日目の夜。ベッドに横になり、ヘッドギアを装着する。カズキの憔悴した顔が脳裏に焼き付いている。もし彼が今夜も脱出できなかったら……。そんな不安を振り払うように、アオイは覚悟を決めた。
次に意識が浮上した時、アオイは、学校の廊下に立っていた。
薄暗く、埃っぽい。壁には落書きがあり、床には誰かの置き忘れた上履きが転がっている。しかし、ここはアオイが通っていた小学校ではない。そして、彼が知るどの中学校や高校とも違う。
「ここ、は……?」
その時、廊下の奥から、ユウキ、ケンタ、サクラの姿が見えた。彼らもまた、困惑した表情で周囲を見回している。
「アオイ! お前もここか!?」ユウキが驚いた顔で駆け寄ってきた。
「ああ。ここ、お前らが通ってた学校か?」アオイが尋ねる。
「いや、俺が通ってた学校とは違うけど、なんか、見覚えがあるような……」ケンタが首を傾げた。
サクラも顔を青くして呟いた。「私、ここ、小さい頃に習い事で行ったことあるかもしれません……。でも、はっきりとは思い出せなくて……」
アオイは、皆の顔を見て合点がいった。やはり夢が連結している。しかも、今回は「学校」という、誰もが一度は経験したことのある場所だ。これは厄介だ。誰かの記憶にある場所であれば、純粋な「記憶にない場所」への到達は、極めて困難になる。
「ドスッ……ドスッ……」
廊下の奥から、冷たい空気が流れ込んできた。
キラーだ。
「ちくしょう! とにかく逃げるぞ!」俺は叫んだ。「みんなで、誰も知らない場所を探すんだ!」
俺たちは一斉に走り出した。迷路のように入り組んだ校舎。教室、体育館、理科室、家庭科室……。どの部屋も、どこか見覚えがあるような、ないような、曖昧な光景が続く。
「くそっ! どこへ行っても、学校って感じがして、記憶にない場所が全然見つからねぇ!」ケンタが叫んだ。
ユウキも焦燥感を滲ませた。「このままじゃ、どこにも逃げ込めないぞ!」
キラーは、ゆらりとその巨大な腕を広げ、俺たちに迫る。その動きは遅いが、この学校という空間では逃げ場が限られている。
「みんな、落ち着け! 必ず行ったことのない場所があるはすだ!」アオイは必死に声を張り上げた。
「でも、どこもかしこも、学校って感じがして……」サクラが怯えた声で呟いた。
俺たちは必死に走った。ユラーンと揺れる蛍光灯の明かりが、俺たちの焦りを煽る。誰かの古いアルバムの中の景色のような場所。誰もが一度は目にしたことのあるような、ありふれた校舎。そういった場所を避け、誰もが知覚できない、純粋な「無」のような場所を探す。
その時、アオイの脳裏に、一つの場所が閃いた。
「そうだ! 給食室の冷蔵室! あそこなら、俺たちは誰も入ったことがないはずだ!」
小学校や中学校の給食室は知っていても、その奥にある業務用冷蔵室にまで入ったことのある生徒はいないだろう。それは、まさに彼らにとっての「記憶にない場所」だ。
「行くぞ! 給食室だ!」アオイは叫んだ。
俺たちは一斉に給食室へと向かった。キラーの足音が、すぐ後ろに迫る。漆黒の腕が、俺たちの背中に届こうとする。
給食室の中は、薄暗く、大きな調理器具が並んでいる。その奥に、金属製の分厚い扉があった。冷蔵室だ。
「ここだ! 」アオイが叫ぶ。
ユウキが扉に手をかけ、必死に開けようとする。しかし、重い扉はなかなか開かない。
キラーの巨大な影が、給食室の入り口を覆い尽くした。
「キラーが近くまできてるぞ!」ケンタは叫んだ。
その瞬間、ユウキが渾身の力で扉を押し開けた。冷たい空気が噴き出す。冷蔵室の奥は、真っ暗闇だ。
ユウキが先に中に飛び込んだ。次にケンタ、サクラ。
そして、アオイも中に飛び込む。全身を覆うような、記憶にない凍えるような冷気と、視界を埋め尽くすほどの星の奔流。暗闇のなか、激しいノイズと共に視界が歪み始めた。
アヤカとカズキは、別の夢を見ていた。
彼らの夢は、昨夜と同じ会社のなかだ。
「カズキさん、こっちです! 」アヤカが叫ぶ。
アヤカは必死に「記憶にない場所」を目指すが、カズキは恐怖で足がすくみ、思うように動けない。オフィスの奥からは、あの漆黒のキラーが、まるで彼を嘲笑うかのようにゆっくりと迫ってきていた。
「いやだ! もう、どこにも行けない……!」カズキは、涙目で床にへたり込んだ。
「カズキさん! 諦めないで!」アヤカは彼の腕を掴み、引っ張ろうとする。
しかし、その瞬間、キラーの巨大な腕が、カズキの背中を鷲掴みにした。
「あああああぁぁぁあああ!!!」
カズキの叫び声がフロアに響いた。
「カズキさん!」アヤカは、恐怖に顔を歪めながらも必死にカズキを助けようとした。だがキラーの力は底知れず、ついにはカズキはキラーの中へと飲み込まれてしまった。普段冷静なアヤカも錯乱した。自分がどこにいるのかもわからないくらい、がむしゃらに逃げた。その時たまたま知らない部屋にたどり着いたのか
、中にはいると視界が激しく歪み、頭が一瞬で真っ白になった。