目覚め、そして真実
キラーに捕まってどのくらいの時間がたっただろうか。1時間か、1日か、もしくは幾分もたっていないのか。
暗闇が時間の感覚を狂わせている。このまま目覚められずに暗闇を彷徨うのかと思うと、頭がおかしくなりそうだ。仲間のことも心配だ。みんなも同じ状況なのか?様々な感情が駆け巡る。
だが、覚醒のときは突然やってくる。
目覚め
暗闇に光が差した。
その光を覗き込むように目蓋を開いた。
「......っ!」
そこは見慣れた天井で、アオイが10日間過ごした治験施設のベッドの上だった。
横には、今まで目を覚ましたときには居なかった、白衣の女性がいた。
「お、アオイさん。起きましたか。」
優しい声が、アオイの耳に届いた。彼女は、アオイが今まで見てきた事務的な表情とは違い、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「10日間お疲れさまでした。本日で、治験のほうは終了します。後程、身体検査や問診などがありますので、呼ばれるまで施設内にてごゆっくりお過ごしください」
アオイは、状況が理解できなかった。自分が今、どこにいるのか。あの悪夢は、一体何だったのか。そして、なぜ覚醒できたのか。
「あの……俺、えっとー……?」アオイは自分の疑問をうまく言葉にできなかった。だが、女性はアオイの言いたいことを理解しているかのように、微笑みながら話し始める。
「混乱するのも無理はないですよ。アオイさんは、初日にヘッドギアを装着されてから、10日間この部屋でずっと夢を見ていたんですよ。」
その言葉に、アオイの頭の中に、まるで雷が落ちたような衝撃が走った。
つまり、夢の中で夢を見て、目が覚めたと思ったら、そこはまだ夢の中だったということ。彼らが体験した全ては、現実ではなく夢の中の体験だったのだ。
「夢ってことは......サクラは!?みんなは!?それも夢だったのか!?」アオイは混乱しながらも夢の中で出会った人たちは、現実には存在しない、アオイの夢の中の登場人物だったのかと疑念をもった。
職員は続けた。「皆様の脳波データは、すべて記録されています。それを被験者全員の脳に共有することで、皆様は夢の中でコンタクトを取ることができました。なのでサクラさんや、ほかの被験者のかたも同じ夢を見ていましたよ。」
信じられない真実だった。あの夢のすべてが、自分たちの脳が作り出した仮想現実だったのだ。そして、その仮想現実の中で、彼らは互いの記憶を共有し、友情を育み、そして恐怖を乗り越えてきた。あれは全て夢だったが、アオイにとってはたしかに現実だった。
アオイは、ふらつく足取りでベッドから降りた。急いで共有スペースへ向かう。本当にみんな無事なのか?カズキはどうなったのだ?様々な不安が駆け巡る。
そして、共有スペースのドアを開けた瞬間、アオイは、信じられない光景を目にした。
そこには、今まで自分と悪夢を共有してきたユウキ、ケンタ、サクラ、アヤカ、そして……カズキの姿があった。彼らは皆、何の傷もなく、ただ穏やかな顔で談笑していた。アオイが悪夢の中で見た、カズキの身体に残された深い痣も、アヤカの腕の引っ掻き傷も、アオイ自身の足の擦過傷も、そこには何一つない。
アオイが呆然と立ち尽くしていると、まず最初に、顔を上げたのはカズキだった。
「アオイ! 目が覚めたんだな! お疲れ!」
カズキは、夢の中で見せた恐怖に怯える顔とはまるで別人のように、笑顔でアオイに手を振った。
次に、ケンタがアオイに気づいた。
「おお! アオイ! お前が一番最後だったか! マジでしんどかったぜ、あの夢……」
ケンタは、冗談めかして笑ったが、その目には、確かに夢の中での疲労が刻まれているようだった。
続いて、ユウキが近づいてきた。
「アオイ! 無事だったか! 心配したぜ!」
ユウキの言葉に、アオイは胸が熱くなった。
サクラも、涙を浮かべながらアオイを見つめる。「アオイくん! 10日間、本当にお疲れさまでした! また会えて嬉しいです!」
アヤカが静かに頷いた。「全てが、あのヘッドギアが作り出した夢の中の出来事だったのよ。私たち、皆、10日間の記憶を、しっかりと持っているわ」
話を聞くとカズキ、ケンタ、ユウキ、サクラ、アヤカ、そしてアオイ。この順番で目が覚めたらしい。キラーに捕まった順番だ。どうやらキラーに捕まることこそが、本当の覚醒だったとは皮肉なものだ。
彼らは、夢の中で死んだはずの者も含め、全員が無事だった。そして、あの10日間の悪夢の記憶を、鮮明に共有していた。
あの恐怖も、絆も、すべては夢の中の出来事だった。しかし、その夢が、彼らの心に刻み込んだものは、確かに「現実」だった。
アオイは、仲間たちの顔を見回した。彼らの顔には、この10日間で培われた、言葉では言い表せない強さと、深い繋がりが確かに存在していた。
治験終了
アオイが共有スペースで仲間たちと再会を喜び合っていると、間もなく名前が呼ばれ、身体検査と問診を受けることになった。診察室では、初日に彼らを案内した女性研究員が、穏やかな表情でアオイを迎えた。
「アオイさん、お身体の調子はいかがですか?」
「ええ……なんとか。でも、夢の中の傷は、本当に残ってないんですね」アオイは自分の腕や足を確認しながら呟いた。夢の中での生々しい傷跡は、どこにも見当たらない。
「はい。夢の中の身体的損傷は、現実には影響しません。全ては脳内でのシミュレーションでしたから」研究員は、にこやかに答えた。その言葉に、アオイは安堵すると同時に、あの鮮烈な痛みが全て「夢」であったことに、奇妙な感覚を覚えた。
身体検査は滞りなく終わり、問診でも特に異常は見られなかった。心理的な影響についても尋ねられたが、アオイは「大丈夫です」と答えるしかなかった。心には確かに深い恐怖が刻まれているが、それを言葉にするのは難しかった。
全てのチェックが終わると、報酬についての説明があった。
「それではアオイさん。本日中に、ご指定の口座へ報酬を振り込みます。お疲れさまでした」
アオイは、ぼんやりと頷いた。報酬が、間もなく自分の口座に振り込まれる。しかし、その高揚感よりも、10日間の悪夢から解放されたという安堵の方がはるかに大きかった。
治験施設を後にすると、外は眩しい日差しに満ちていた。清々しい青空が広がり、鳥のさえずりが聞こえる。世界は、何一つ変わっていない。しかし、アオイの中では、何もかもが変わってしまっていた。
施設の出口には、ユウキ、ケンタ、サクラ、アヤカ、カズキの姿があった。皆、解放された喜びに満ちた表情で、互いに言葉を交わしている。
「本当に終わったんだな……!」ユウキが、大きく伸びをしながら言った。
「マジで長かったぜ……。もう二度とヘッドギアなんて見たくねぇ!」ケンタが、苦笑しながら続けた。
「皆さん、本当に、お疲れさまでした」アヤカが、少しだけ微笑んで言った。その顔には、以前のような冷たさはなく、人間らしい温かさが宿っていた。
「みんな、せっかくお金も入ることだし、打ち上げを兼ねてご飯でもいかないか?」アオイが提案すると、全員が賛同した。
打ち上げ
六人は、駅前の賑やかな居酒屋に入った。ビールジョッキがグラスにぶつかり合う音、笑い声、料理の匂い。その全てが、まるで異世界のように感じられた。
「まさか、あのキラーが、俺たちの脳内シミュレーションだったなんてな!」ユウキが、冗談めかして言った。
「それでも、リアルすぎたよな。足に傷までできてたんだぜ、夢の中なのに」ケンタが、自分の足をさすった。
「そうですね……。でも私は、少し心がスッキリしました!」サクラが、安心した顔で呟いた。彼女の脳裏には、幼い頃の母親の記憶が今も鮮明に焼き付いている。
アヤカは、静かに言った。「私も、自分の記憶を取り戻せたことは、この治験の唯一の収穫だったわ。これまでずっと、心のどこかに引っかかっていたから」
アオイも頷いた。失われた記憶を取り戻せたことは、確かに彼らの心に大きな影響を与えていた。キラーの恐怖、仲間との絆、そして過去の自分との再会。全てが、あまりにも鮮明だ。
「しかし、あのキラーの恐怖だけは、マジで忘れられねぇよな……また夢にでてきたらどうするよ」ユウキが、ジュースを飲み干しながら冗談交じりに言った。
「まさか。ヘッドギアつけてないんだから、大丈夫だろ」カズキが笑って言った。
アオイも、そうだと信じたかった。だが、胸の奥には、得体のしれない不安が残っていた。あのキラーの漆黒の巨体、冷たい手、そして、追い詰められる絶望感。それらは、あまりにも鮮烈で、まるで皮膚に張り付いたタトゥーのように、彼の脳裏に深く焼き付いていた。
「もうあんな悪夢みたくもないよ」アオイは、自嘲気味に笑った。
仲間たちも、同じように笑い合った。その笑顔の裏には、同じような恐怖と、言いようのない疲労が隠されていることを、アオイは知っていた。
彼らは、夢の中で体験した出来事を、笑い話に昇華しようと努めた。しかし、それは決して容易なことではなかった。治験は終わった。彼らは現実世界に戻った。しかし、夢の記憶は、現実と区別がつかないほど、鮮明な痕跡を残していた。
だが、彼らはそれぞれの生活に戻っていくだろう。
この治験の出来事もキラーのこともいずれは記憶の深いところに落ちていき、記憶の断片として脳に刻まれるだろう。
治験の副作用
彼らが知らない、そして治験施設の職員さえも認知していなかった副作用が、そこにはあった。
それは、治験終了後も、被験者の記憶に「キラー」の存在が深く刻まれてしまったことだった。夢の中で作り出されたはずの、その漆黒の影は、彼らの深層心理に根を下ろし、無意識のうちに影響を与え始めていた。
存在しないはずのキラーが、あたかも本当の存在を求めているかのように......。
彼らの脳はいつかキラーに支配されてしまうのだろうか。真意はわからない。
だが、その夜、誰かが悪夢にうなされ、キラーの影を夢に見る時、その恐怖は、密かに、しかし確実に、他の被験者たちの夢にも、かすかな残像を落とすことになる。
そして、その連鎖が、いつか彼らを再び、あの悪夢の世界へと引き戻す日が来るのかもしれない。
治験は終わった。だが、本当の悪夢は、これから始まるのかもしれない。