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茹だる夏、届いた誘惑

もし、あなたが今見ている夢が、現実と寸分違わないほど鮮明で、その中で負った傷が、目覚めた後も身体に残るとしたら...。

この物語は、そんな悪夢のような「治験」に、高額な報酬とそれぞれの切実な理由に惹かれて参加した若者たちの記録です。彼らは、ただ眠り、夢を見るだけで大金が手に入ると信じていました。しかし、その先に待っていたのは、彼らの記憶の奥底に潜む恐怖を具現化した「キラー」が徘徊する、終わりのない悪夢でした。

夢と現実の境界が曖牲になる中、彼らは生き残るために、必死にもがき、互いに手を差し伸べます。果たして、この危険な治験の真の目的とは何なのか? そして、彼らはこの悪夢から無事に「脱出」できるのでしょうか?

さあ、彼らの悪夢の世界へ足を踏み入れてみてください。

茹だるような真夏の熱気が、狭いアパートの六畳間にこもっていた。じっとりとした空気は、都会の片隅で一人暮らしをする俺、アオイの心をじわりと蝕む。窓を開けても生ぬるい風が吹き込むだけで、蒸し風呂状態の部屋では、クーラーのリモコンを手に取る指が重かった。電気代、食費、通信費……漠然とした不安が、通帳の残高を見るたびに胸の奥に広がっていく。

都会の大学に進学したいという俺の夢を、祖父母は快く応援してくれた。幼い頃に両親を亡くして以来、ずっと大切に育ててくれた二人の優しさに、感謝してもしきれない。仕送りも定期的に送ってくれる。だけど、その度に心の奥底にチクリとした痛みが走った。これ以上、年老いた祖父母に経済的な負担をかけたくない。自分で稼いで、いつか恩返しがしたい。そんな思いが、この夏、切実なものとなっていた。

スマホをいじる指が、SNSのタイムラインを流していく。友人の楽しそうな夏休みの投稿。眩しいばかりの青春のきらめきが、今の俺には少しだけ眩しすぎた。そんな中、ふと目に留まった広告に、俺の指は止まった。

「高額報酬! 最新睡眠治験モニター募集」

魅惑的な文字が、画面の中で踊っているように見えた。報酬は「10日間の参加で百万円」。一般的な高校生のバイト代とは桁違いの金額に、俺の心臓はドクリと跳ねた。詳細をタップすると、そこには「期間中の外出は不可」「睡眠中以外は自由」といった文言が並んでいる。10日間、施設に缶詰になるのは少し抵抗がある。だが、エアコンの効いた快適な環境で、寝ているだけで高額な報酬が手に入るなら、これほど効率の良い稼ぎ方はないのではないか? 祖父母に頼らず、このお金で学費の足しにしたり、欲しかったゲーム機を買ったり、あるいは少しでも貯金に回したり……様々な可能性が頭を駆け巡った。

迷いは一瞬だった。募集要項を隅々まで確認し、応募フォームに必要事項を打ち込んでいく。名前、住所、年齢……そして、健康状態に関する質問。既往歴の欄に目をやった時、ふと幼い頃の記憶が脳裏をよぎった。

両親の死。それは、俺の記憶の大部分が曖昧な、遠い日の出来事だ。事故だったと聞いている。ただ、その詳細を祖父母が語ることは滅多になく、俺自身も積極的に聞くことはなかった。深く掘り下げれば、きっと心の奥底の、触れたくない場所に触れてしまう気がしたからだ。

しかし、応募フォームの質問は細かかった。「過去に大きな病気や怪我をした経験はありますか?」「精神的なショックを受けたことはありますか?」といった項目が続く。俺は少し迷ったが、結局は正直に「幼い頃に両親を亡くした経験がある」と記入した。それが治験とどう関係するのか分からなかったが、虚偽の申告をするのも気が引けた。

数日後、登録したメールアドレスに「治験面接のご案内」という件名のメールが届いた。

「この度は、弊社の睡眠治験にご応募いただき、誠にありがとうございます。厳正なる審査の結果、貴方様にはぜひ一度、面接にお越しいただきたく存じます。」

審査の結果? その言葉に少し驚いた。応募者が多いから、全員が面接に進めるわけではないのだろう。俺は、まさか受かると思っていなかっただけに、少し舞い上がった。

指定された面接場所は、都心の一角にある、少し古びた雑居ビルの一室だった。外観からは想像もつかないほど、内部は白を基調とした清潔感のある空間が広がっている。しかし、そこにはどこか無機質な、病院とも違う独特の雰囲気が漂っていた。俺はわずかな胸の高鳴りを感じながら、面接室のドアを開けた。


面接

面接室には、白衣を着た男女が二人座っていた。どちらも四十代前後だろうか。特に表情は読み取れないが、視線は鋭い。彼らの前に座ると、部屋に妙な緊張感が走った。

「アオイさん、本日はお越しいただきありがとうございます」

男性が淡々とした声で言った。質問は一般的なものから始まった。治験への応募動機、健康状態、普段の睡眠時間など。俺は緊張しながらも、祖父母への恩返しのためと正直に答えた。しかし、質問は次第に、俺が最も触れたくない部分へと向かっていった。

「応募フォームにご記入いただいていますが、アオイさんは幼い頃にご両親を亡くされているのですね」

女性がノートに目を落としながら問いかけてきた。俺は小さく頷いた。

「差し支えなければ、当時のことをもう少し詳しくお聞かせいただけますか?」

「……事故だった、としか聞いていません。正直、あまり覚えてなくて」

俺がそう答えると、男性は少し身を乗り出した。

「お父様やお母様のお顔は覚えていらっしゃいますか? どんなお顔でしたか?」

唐突な質問に、俺は言葉に詰まった。思い出そうとしても、漠然とした残像があるだけで、はっきりと顔を思い描くことはできない。

「いえ、すみません……ほとんど覚えてないんです」

「そうですか。では、お二人はお互いをなんて呼び合っていましたか? あるいは、アオイさんのことをどう呼んでいましたか?」

「それも……」

彼らの質問は、容赦なく続いた。体型、仕草、好きだったもの、口癖――幼い頃の俺が、両親と過ごした些細な記憶を辿ろうとするが、脳裏に浮かぶのは霧のようにぼんやりとした風景ばかりだ。事故のショックもあって、俺の記憶はまるで深い底に沈んでしまったかのように、どうしても引き上げることができなかった。

「本当に、何も覚えていないんですか?」

男性の声に、わずかな失望のような響きが混じっていたように感じた。俺は申し訳なくなり、「はい、すみません」と答えるしかなかった。

しかし、彼らはそれ以上追及せず、代わりに「ありがとうございます。詳細な情報に感謝いたします」と言った。その時、彼らの目がわずかに光ったように見えたのは、俺の錯覚だろうか。

面接は終わり、彼らは俺に治験への参加が決定したことを告げた。

「アオイさんのような方は、この治験にとって非常に貴重な存在です。我々の研究に貢献していただけると確信しています」

その言葉に、俺は安堵と同時に、どこか言いようのない違和感を覚えた。しかし、高額な報酬が、その違和感を覆い隠してしまった。

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