5 美佳が知らない修二が育った家庭②
修二が小4の5月。
美佳が深く考えず『お父さんに助けてもらうといいさ』と言った日。
その薄っぺらな言葉を胸に戦うことを決意していた。
家に帰って兄と母親の顔を思い出すと気持ちが折れそうになった。だけど、美佳の顔を思い浮かべて自分を勇気づけた。
誰もいない家の中で美佳に教えてもらったばかりの歌を声を張り上げて歌った。
とうとう修二が1歩目を踏み出した。
その日は、夜の9時になっても修二だけが家にいた。
カヨコがケンイチを塾に迎えに行っていた。
父タクヤは会社の親睦会で食事と酒を堪能して帰った。
タクヤが玄関のドアを開けると、普段は部屋から出てこない修二が駆け寄ってきた。
震える声だけど、しっかりとタクヤに金をくれと言った。
何か欲しいのかと問うと「コンビニで温かいご飯を買いたい」。予想だにしていなかった理由だ。
タクヤは愕然とした。
慌てて修二の部屋に入ると、カロリーバーと菓子の空袋がまとめられていた。
そう、修二は貯めた小遣いとお年玉で、食事が出ない日に何かを買って空腹をしのいでした。
もう2年間も続いていた。小3の夏休みもスナック菓子ばかり食べてから、秋からの半年くらい体が辛い日が増えたと明かした。
最近は、タクヤが残業、ケンイチが塾。そんな条件が重なった日が増えていた。
家族で食卓を囲むのは週4。
残る週3の夕食がない日、長期休みの半分近く、食べ物を買う資金が尽きたから、助けてくれと言われた。
その日、タクヤは会食で贅沢な食事を楽しんだ。そしてカヨコはケンイチとファミレスでご飯を食べていた。
修二は自分の部屋で最後のカロリーバーの欠片を食べた。
タクヤが台所に行くと修二の食事は用意されていなかった。
タクヤが、いつもこうなのかと聞いた。
だが、さらに驚く答えが返ってきた。「分からない」
修二は、2年前に空腹のあまり冷蔵庫の中の食べ物を探そうとした。するとそれを見た兄ケンイチに泥棒と言われたと明かした。
お仕置きということで修二を外に放り出したが、それは母親が決めたルールだとケンイチに言われたそうだ。
修二が母親に聞こうとしても会話を拒否された。だから、それは肯定だと捉えたと。
修二は難癖をつけられては真冬や真夏でも、兄から外に放置されたこともある。
だから父タクヤがいない時に修二は台所に入ったことがない。
なぜ言ってくれなかったかと問おうとして、修二が2歳のときにカヨコから相談されていたことを思い出した。
『どうして自分の息子を可愛いと思えないんだろう。私、すごく怖い。タクちゃん』
その心理状態が続いていたら、ケンイチが修二を虐めても口を出していないはずだ。
そして4~5歳で大人しくなったというより怯えていた修二。
今の病的に荒れた肌。下ぶくれというより、むくんだ顔。
カヨコは『息子』を抱っこしたり、手を繋いでいた。その『息子』の中に修二はいたのか?
会話するのを見た覚えがない、年が5歳離れた息子達。
いや、カヨコと修二が普通に会話するところを見たことがあったか?
自分はカヨコとケンイチに笑顔を向けてきた。
暗い表情の修二には『大丈夫か』と言いながらも、活発さが足りないなんて感じてた。
渋い顔以外に、どんな顔を向けた。
自分は修二の中で良くて中立。敵の仲間であっても、絶対に味方と思われていない。
忙しさを理由に問題を先延ばししてきた。
タクヤは吐き気がした。違和感だらけだったのに見過ごした自分を恥じた。
荒れた肌の中から覗く、射貫くような修二の目。すでに自分も信頼されていないと思った。
台所の床に頭を擦り付け、修二に何度も謝った。
そして帰宅したカヨコに本当のことを聞いた。
カヨコは思い出した。修二の食事を用意していなかったと。
カヨコは思った。「タクヤに嫌われる」。それでも修二のことを考えると頭痛がした。
タクヤは双方の両親を呼んで話し合いをすべきと考えた。
修二のことを考えると、隠すなどという選択肢は思い浮かびもしなかった。
が、それより早く修二が自分で手を打っていた。
本来の修二は活発で周りが見えるタイプ。
今、必死に謝ってくれる父タクヤは信用できると思った。
しかし、戦うことを決意した時点では小4の修二にタクヤが敵か味方か判別できなかった。
だから、多くの人に助けを求め、味方を探そうとした。
真っ先に、以前から違和感を感じて心配してくれていたタクヤの方の祖父、タクヤの兄でもある叔父に電話していた。
何と言っていい分からず『爺ちゃん助けて』とだけ言ったことが、祖父に緊迫感を与えた。
次の日に修二が小学校から帰ると、タクヤの方の祖父と叔父が来てくれていた。
修二は美佳が突然引っ越すことを学校で聞いて、ひとりで泣いたあとに家に帰った。
ただでさえ荒れた肌と、腫れた目。
祖父は激怒した。
修二の顔を見るまでは、ギリギリ冷静だった。カヨコの行動は精神疾患を抱えている人間にありがちだと考えていた。
後日、カヨコは精神科でストレス性の精神疾患と診断される。それはあとの話。
祖父は『単なる家族ぐるみの虐待だ』と大声を出した。
何か言おうとした兄ケンイチには、祖母の制止も聞かず『誰よりも悪いのはてめえだ』と怒鳴って殴った。
祖父母は修二をこの家に置いておけないと思った。
避難させるため、隣県にある自分の家に連れて帰った。
修二の避難期間は2週間にも及んだ。
修二は内容が分からなくても、大人との話しに加わった。
今まで自分が置かれた環境が悪いものであったことは予想通り。もう戻りたくなかった。
『普通』の新しい生活を手に入れるため、必死に新しい知識を得ようとした。
気付いたら、美佳が引っ越す5月20日を過ぎていた。