第43話 ホブゴブリン
第三階層主の部屋に俺は慎重に足を踏み入れる。
辺りは静かで、魔物の気配はない。
だが、部屋の奥の暗がりに、まるで闇からせり出してくるようにそいつは姿を現した。
第三階層の階層主、ホブゴブリンだ。
やつはゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
ゴブリンと同じ緑色の肌をしているが、その体はゴブリンよりも一回り、いや二回りくらい大きい。
体長は背の低い人間と同じくらい、おそらく1.5mほど。がっしりとした筋肉、牙をむき出しの凶悪な顔、ゴブリンの上位種らしいが、もう全く違う魔物だ。
ホブゴブリンはずっと俺の方を見ている。こちらの動きを見てから反応しようと観察しているその顔は、獲物を狙う獣の顔だった。
第三階層に出現したゴブリンは武器を持っていなかったが、ホブゴブリンのその右手にはこん棒が握られていた。
当たりどころが悪ければ殺される。
想像して、俺は思わずつばを飲み込んだ。
強者の雰囲気を纏うホブゴブリンだが、俺は気持ちでも負けるつもりはない。
俺は右手に木刀、左手に短剣を握りしめ、ホブゴブリンに向かって一歩踏み出した。
ホブゴブリンも反応する。ごうん、と風を切る音を立てて棍棒を振り回す。その一撃は、風圧すら感じるほどの勢いを持って俺に迫る。
「っ……!」
俺も木刀を振り上げ、正面から打ち合う。
だが――ゴンッ! 乾いた衝撃音とともに、俺の体が軽く跳ね返された。
片手じゃ、力負けする。重すぎるんだ、あの棍棒は。
俺はすぐに判断を切り替える。左手の短剣を素早く鞘に戻し、木刀を両手で握り直す。
再び迫ってくるホブゴブリンの一撃を、今度は正面から両手で受け止めた。
ガンッ! さっきよりも深く受け止められた。だが――
(これ、何度も打ち合ってたら、木刀が折れる……!)
棍棒の一撃は重く、頑丈な木刀とはいえ、長くは持たないと直感した。
だから、次の一手は防御ではなく、回避からの反撃に出る。
振り下ろされる棍棒をギリギリでかわし、脇腹に木刀を叩き込む。
「ッ……硬い!」
手にビリッと痺れるような衝撃。こいつ、皮膚がまるで鎧みたいだ。
攻撃が通らないなら、急所を狙うしかない――!
次の瞬間、俺は喉元を狙って一気に踏み込んだ。
しかしその動きは読まれていた。ホブゴブリンの腕が素早く伸び、俺の木刀をがっちりと掴んだ。
「しまっ――!」
次の瞬間、棍棒が俺の腹部を直撃した。
ぐうっと声にならない悲鳴が漏れる。肺の空気が一瞬で押し出された。
「くっそ……!」
木刀をまだ掴まれている。逃げられない。
なら――と、俺は足を踏み出し、ホブゴブリンの鳩尾に向けて渾身の前蹴りを叩き込んだ。
「ガッ……!」
苦しげな声。ホブゴブリンの指が緩んだ隙に、木刀を引き抜き、一度距離を取る。
息を整え、構えを取り直す。視線を合わせ、静かな一対一の緊張感が走る。
(集中しろ。あいつの棍棒を見切れ。隙を逃すな……!)
次の瞬間、棍棒がうねるように振られてきた。ギリギリで紙一重に避ける。
「はあっ!」
俺は反動を使って踏み込み、木刀をホブゴブリンの眉間に突き立てた。
グラリと仰け反る巨体。そこへさらに、脇腹へもう一撃を叩き込む。
振り回された棍棒を、今度は横に跳び退いて回避し――喉元を狙って木刀を振る。
ズバッ、と重い手応え。
ホブゴブリンが呻き声をあげ、棍棒を落とす。
だが、それでも終わらなかった。奴は武器を捨てて俺に突っ込んでくる。
組み付かれた。
「く……!」
服を掴まれ、逃げ場を失う。
奴は俺の顔に噛みつこうと牙を剥いた。間近に迫る凶悪な口。
俺は咄嗟に奴の首を片手で押さえつけて動きを止めた。
そして、左手で――短剣を抜く。
「――終わりだっ!」
鋭い突きが、ホブゴブリンの喉元に突き刺さる。
グサッ、と沈み込む手応え。
ホブゴブリンの動きが止まり、口から断末魔のような呻きが漏れる。
次の瞬間、その巨体が崩れ落ち、霧のように溶けていった。
残されたのは、輝くマジックジェム――そして、深く息を吐く俺だけだった。
「はぁ……はぁ……」
勝った。思ったよりも苦戦したが、なんとか勝った。短剣を買っておいて良かった。木刀だけだったらさらに苦戦していたろう。
俺は息を整えながらホブゴブリンのマジックジェムを拾う。
「痛てて……」
さっきこん棒で殴られたところをさする。あざになっているかもしれない。
ポーションを飲むべきか悩んだが、まあこれくらいなら自己治癒を待つか。ポーション一個一万円と考えると、これしきで使うのは忍びない。
でもまあ今日の探索はここまでだな。
俺はポータルを見つけるために第四階層に続く階段を降りて行った。
階段を一段ずつゆっくり降りてゆくと、そこは森林だった。
岩の天井はある。だが周りには木々が生い茂っている。
日光が降り注がないはずなのに辺りは薄明るく、そして木が生えているという不思議な階層だった。
これもダンジョンの不思議の一つだ。自分たちの常識に当てはめて考えても仕方がない。
俺は辺りを見回すと、青白く光る扉と光っていない扉を見つけた。転移門だ。
確か光っている方が入り口で、光っていない方が出口だ。これを通って帰還すれば、次回から迷宮の入り口にあるポータルからここまでやってくることができる。
俺は第四階層の戦いに後ろ髪を引かれつつも、また来週くればいいと自分を納得させて、ポータルをくぐるのだった。
これにて第二章完結となります。
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