第16話 九条ヒカル 1
Dクラスの迷宮探索授業が終わった後、Aクラスの初めての迷宮探索授業が行われていた。
当然この授業に参加しているAクラス主席である九条ヒカルは、木刀を構え目の前にいるスライムと対峙していた。
ゆっくりと向かってくるスライムに対し、木刀を振り下ろす。
カン!と音を立てる木刀。
わずかに逸れた木刀の軌道がスライムを外れ地面を叩いてしまったことに気づき、ヒカルはすぐに身をかわす。
直線的な動きをしていたスライムは、ヒカルに逃げられたのに気付いたのか停止する。
距離を取り木刀を構え直すヒカル。
ヒカルの方に方向転換をするスライム。
ヒカルの額に緊張の汗が一筋流れ落ちる。
スライムが再び動き出すのとヒカルが次の一撃を振り下ろすのは同時だった。
素早いヒカルの木刀が先にヒットした。スライムの体をボヨンと跳ねる木刀。
だがスライムの前進は止められない。
倒し切れていないことをすぐに気づいたヒカルは再び横に飛びのく。
ジャンプしたスライムは避けたヒカルの横を通過した。
ピシャっと着地するスライムに、三度ヒカルの木刀が振り下ろされる。
着地の衝撃で動けない一瞬を狙った攻撃は見事に的中し、ついにスライムは消滅し、黒いジェムへと姿を変えた。
「やりましたわ!」
ハァハァと息を荒げ達成感を感じているヒカル。
そんな彼女の姿を冷ややかに見守る目があった。
彼女のパーティーメンバーである。
ただのスライムにどこまで苦戦しているのか?という視線を送っていた。
「おめでとうございます、ヒカル様!」
そんな中、一人だけヒカルに対し賛辞の言葉を拍手を送る一人の女生徒がいた。
ヒカルの付き人である如月芽依である。
「ありがとう、メイ」
そんなメイに対し、額の汗を拭いながらにっこりと笑顔を返すヒカル。
幼少の頃より一緒にいたメイはヒカルの優秀さと心の優しさを誰よりも知っており、ヒカルに心酔していた。
だがそんな優秀なヒカルにも弱点はあった。
圧倒的膂力不足である。
スライムなど、誰でも一撃で軽く倒せる相手である。だが先ほどの闘いで彼女は2回叩いてやっと倒すことができた。
足が遅いわけでもないし反応速度も速い。ただとにかく力が弱いのだ。
そんな彼女の弱点に気づいたクラスメイト達は、九条ヒカルは弱いという印象を強く持ってしまった。
「それじゃあ皆さんもスライムを倒してみましょう。決して油断しないようにね」
ヒカルのその言葉で、パーティーの仲間たちも順番にスライムを倒してゆく。
特にメイの一撃は目にも止まらない速さで、仲間たちはいつ攻撃したのかわからないくらいだった。
「さすがメイね」
「とんでもありません」
ヒカルに褒められ恐縮するメイ。
だがそんなやりとりも、なぜ弱いヒカルが自分よりも強い生徒を褒めているのかと、他の生徒たちからはヒカルに対しての不満を感じ始めていた。
メイはそんなクラスメイト達に対し怒りの感情さえ覚えていた。
入学式までは公爵家であり入学試験筆記の学年主席である九条ヒカルに近づこうと、ほぼクラス全員から挨拶があった。
だが誰かがヒカルの異常な力の弱さを言いふらしたのか、入学数日でヒカルに近づこうとする者が極端に減った。
迷宮探索者として攻撃力の弱さは致命的である。
ヒカルは攻撃魔法が使えるわけでもなければ、治癒魔法が使えるわけでもない。
いくら成績が優秀でも、弱ければ迷宮探索には足手まといにしかならないのだ。
ましてやヒカルは女性である。卒業後は公爵家を継ぐのは兄のカズマであり、ヒカルはどこかへ嫁いでゆく立場だ。そんなヒカルと親しくするメリットは低い。
そう考えたクラスメイト達は、次々と他の派閥に乗り換えていった。
メイは別にヒカルの派閥が増えてほしいと思っているわけではない。ただ最初あれだけ仲良くしてくださいと言ってきたやつらが離れていくのを見て許せないと思っているだけだ。
だが主人であるヒカルは報復は望んでいない。そんな者たちに対しても、今後も仲良くやっていくようにとメイに言った。
メイにとっては自分の感情よりもヒカルの考えの方が重要だ。
だから薄情なクラスメイト達とも、今後もうまく付き合っていかなくてはいけない。
ヒカルの一番の願いは兄である九条カズマのような探索者になりたいということだ。
不可能だと分かっているが、それでもヒカルがそれを目指して楽しい学園生活を送ってくれることがメイの一番の願いだった。
「キャーッ!!」
ヒカルたちパーティーメンバーの全員がスライムを倒し終えたその時、迷宮内に女生徒の悲鳴が響き渡った。
一同に緊張が走る。
「何事かしら?」
ヒカルが心配そうにつぶやくと、メイの方を見た。
「メイ、様子を見に行ってもらえるかしら?」
「はい」
メイは強く頷く。
ヒカルの命令は絶対であるし、こうして期待して頼まれるのはメイにとって名誉なことだ。
「もし危険な魔物が出ていたら無理して倒さなくても良いわ。クラスメイトの救助を優先して頂戴」
「分かりました」
メイは走り出した。彼女の足は速く、不安定な迷宮の足場も何ごともなく乗り越えていく。
そして彼女はざわつく集団がいる場所へとたどり着いた。
幸い危険な魔物の姿は見えない。
安心した彼女は走るのを止め、歩きながらそこへ近づいてゆく。
ざわつくクラスメイト達の中心にいたのは、ぼろぼろになった服を着て肌を大きく露出した半裸の男だった。
「貴様、何をしているのだ?」
先ほど聞こえた悲鳴は、この半裸の男を見た女生徒の声だったのだ。
メイは怒気をはらむ声で、その男に声を掛けた。
「うるせーよ!ただ歩いてるだけだよ!」
男は半ば半ギレでそう答えた。
だがそれは如月メイの求める答えではない。
「そんな恰好で何をしているのか聞いているのだ!変質者が!」
「誰が変質者だ!こんな格好で悪かったな!アシッドスライムに溶かされたんだよ!」
「アシッドスライム?!この階層に出るのか?」
ここは第一階層、スライムしか出ないと聞いている。ほんのたまに緑色をしたポイズンスライムが出ることがあり気をつけないといけないと知っているが、アシッドスライムが出るというのは初耳だ。
「本来は出ないだろう。もしかしたら未発見エリアだったのかもしれないな」
そう答えたのは半裸の男の横にいた大人、D組担任の真島だった。
「未発見エリア?」
メイがオウム返しする。
基本的に学園のこのダンジョンは踏破済みであり、全ての階層での調査は終えている。
だが時にまだ発見されていない隠し通路などがあり、その先の未調査のエリアのことだ。
この男は未発見エリアを発見してしまい、本来この階層にはいないはずのアシッドスライムと戦ったのだという。
「それは大変だったな。でも溶けたのは服だけで怪我をしていないようだが?」
「ポーション使ったんだよ」
「なるほど。初めての探索でポーションを持ってきたとは慎重だな」
「違う違う、アシッドスライム倒してランク4ポーションが出たんだ。それを使ったの」
「ラ……ランク4だと?!それを使ったのか?もうないのか?」
メイは目の色を変えて質問する。
その態度に男はいささか驚きながら答える。
「食いつきがすごいな。もう無いよ。使っちゃったんだから」
「そうか、もしまた入手したら譲ってくれないだろうか?もちろん適正価格は払う」
「いいけど、まず無理だと思うぞ」
「そうか、ありがとう」
そう言い残し、如月メイは去った。一刻も早く九条ヒカルに報告するために。
足早に走り去るメイを見送った男、一ノ瀬シロウはため息をつきながらつぶやいた。
「はあ、この先会う人全員に同じ説明を求められるのかな……面倒くさい……」




