第141話 紫村キョウヤ8 絶望と希望
その人影はカツカツと足音を立てながら、ゆっくりと迷宮の入口に入ってきた。
思わず僕とマモルの視線はその人物に釘付けになる。
逆光の中に見えるのは、背の高い一人の人影。
シルエットだけで分かる。
その立ち姿、その佇まい。
悔しいけれど、僕に足りない圧倒的な存在感を携えてその男は歩いてきた。
「九条カズマ……」
思わず僕の口から彼の名前が漏れる。
そう。現れたのは、三年A組のトップ、学園で最も優れた探索者の一人、そして公爵家の御曹司。生徒会長、九条カズマだった。
カズマは黙ってスキルボードに表示されている「LV1」の文字を一瞥すると、ゆっくりと僕たちの元へ歩み寄ってきた。
「九条さん……何か用ですか?」
マモルが警戒するように尋ねた。
「妹から聞いてね。君がレベルが上がらないと嘆いていると」
「……僕を笑いに来たんですか?」
そう答える僕の声は震えていた。なぜだろう。怯えているのか、委縮しているのか。とにかく今はこの人の迫力に飲み込まれていた。
カズマはその問いには答えず、ただ静かに僕たちを見つめている。
思わず僕は、じっと睨み返した。何を言われても構わない。どうせ、もう終わりなのだから。
沈黙が続く。
やがて、僕が口を開いた。
「そうです。僕はスコアが今日128に達しましたが、レベルアップしていません」
僕は自嘲するように笑った。
「笑いたければ笑ってください。入学式にみんなの前で、世界一の探索者になって貴族制度をやめさせるだなんて大げさなことを言っておきながら、レベル2に上がることもできない落ちこぼれだったんですよ」
言わなくてもいい言葉が胸の中からあふれてくる。
「いつかあなたと肩を並べ、そして追い抜いてみせると一人で意気込んでいた男は、実は周りの同級生たちにも勝てない。いつまで経ってもレベル1のダメ人間だったんですよ!笑ってください!ハハハ!」
「キョウヤ……」
取り乱す僕を心配するマモルが、そっと僕の背に手を伸ばす。
こんなことを言ってしまう自分が恥ずかしい。でも止まらなかった。
そんな僕の独白に対し、カズマは静かに答えた。
「その程度だったのか?」
「……何ですって?」
僕は眉を顰めた。
「その程度だったのかと聞いているんだ」
想像していた返事と違ったことに戸惑っている僕に対し、カズマは言葉を続けた。
「学園に入って何か月だ?まだ二か月も経っていないだろう?なのに、少しみんなから遅れたくらいでこの世の終わりのような顔をしてーー」
カズマは僕の目をまっすぐ見た。
「お前の夢は、その程度だったのか?」
そんな目で見ないでほしい。僕は……あなたとは違うんだ。
胸の奥にこみ上げてくる激情をこらえながら、僕はなんとか言葉を口にする。
「そんなこと言ったって……、レベルが上がらないのだから仕方ないでしょう……」
カズマはじっと僕の目を見つめ、蔑みでも怒りでもない、真剣な表情で言葉を続けた。
「お前と私は、よく似ている……」
「え?」
その突然のカズマの言葉に、一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった。
そして、急に苛立ちが湧き上がってきた。
思わず僕は彼に感情をぶつける。
「どこが似ているって言うんですか?あなたは貴族で、学園で一番優秀な探索者。僕は今や学園で一番の落ちこぼれですよ」
そんな僕の言葉に、カズマはフッと笑い、僕に対してゆっくりと問いかけてきた。
「お前のスキルは『雷魔法』だったな」
「ええ……ハズレスキルですけど」
今更、僕のスキルが何だっていうのか?なんの役にも立たない僕のスキルを笑いたいなら勝手にすればいい。
「魔法のスキルを持っていて、剣術も優秀と聞く」
この人は僕を褒めたいのかバカにしたいのか?
……それとも最初からずっと事実を語り続けているだけなのだろうか?
カズマは続けた。
「私のスキルは『火魔法』と『身体強化』だ。それぞれ魔法スキルと戦闘スキル、私はその両方の特性を持っている」
彼が話そうとしているのは自慢ではない。
それを理解している僕とマモルは、カズマの話に黙って耳を傾けていた。
そしてカズマは結論を告げる。
「ーーつまり、お前も私も魔法戦士だということだ」
「魔法戦士……?」
そんな単語を聞いたこともなかったし、そんな発想を一度もしたことがなかった。
僕は驚いたまま、カズマの続く言葉を待った。
「魔法戦士は、魔法使いと戦士の特性、その両方を併せ持つ」
カズマは淡々と説明を続ける。
「その代わりに、レベルアップに必要な経験値が、通常の探索者の二倍必要になる」
……二倍?!
その言葉に、僕もマモルも、カズマが伝えようとしていることを理解した。
「200だ」
カズマは二本の指を立てて僕たちに告げた。
「スコア200で、お前もレベル2になる」
彼から告げられる事実に、僕は息を呑んだ。
スコア200。ただそれだけのことだったんだ。僕の努力がまだ全然足りていなかっただけということなんだ。
「なに、簡単なことだ。難しいことは考えなくてもいい」
唖然とする僕たちに対し、カズマは最後に、わずかに笑みを浮かべた。
「他人の二倍の努力をするだけでいいんだからな」
そう言い残すと、カズマは僕たちの返答を待たずに、踵を返して立ち去ろうとした。
「九条さん……あなたは……」
それ以上言葉が出てこなかった。
ありがとう、と言いたかった。でも、声にならない。
カズマの背中が遠ざかっていく。
この人は敵ではなかった。だが強い決意が胸に湧き上がる。やはりいつかこの人に絶対に追いつきたいと。
僕は黙ったまま、彼の後姿に深く頭を下げた。
「キョウヤ!」
マモルが嬉しそうに僕の肩を掴んだ。
「諦める必要はなかったんだ!まだ時間はかかるかもしれないが、毎日頑張ればいいじゃないか!200という数字は、決して達成できない数字じゃない!」
僕はマモルと目を合わせ、ゆっくりと頷いた。
そして、立ち去っていくカズマの背中を見つめた。
あなたは、どれだけの努力をしてきたというんですか……
レベルを一つ上げるだけでも他人の二倍の努力が必要だというのに、彼は既にレベル15を超えているという。
自分が目標としている人物の大きさを、目の当たりにした。
胸が震えた。
僕は、諦めない。
200。
ただ、二倍努力すればいい。
それだけのことだ。
カズマの言葉が僕の心の中で繰り返されていた。
僕は、絶望が希望に変わっていくのを感じていた。




