第101話 雨の自衛隊基地
夜の陸上自衛隊・多摩基地。
訓練棟の照明が落ち、敷地を打つ雨音だけが静かに響いていた。
格納庫の一角では、灰色の迷宮探索用装甲車が整然と並び、天井の蛍光灯が金属面を淡く照らしている。
一人の男が濡れたレインコートのフードを外しながら建物に入った。
彼の名は須佐タツノリ。三十歳。探索部隊所属の一尉。迷宮内戦闘等級A、名実ともに日本国内トップレベルの探索者だ。
受付を通ると、通信士が立ち上がる。
「須佐一尉、情報部長がお待ちです」
「わかった」
重い防音ドアを開くと、室内ではひとりの壮年の男がタブレット端末を見ていた。
情報部長・真田二佐。須佐の上官だ。
そして、部屋の隅にはもう一人。ショートカットの若い女性が直立不動の姿勢で立っていた。
「夜分にすまんな、須佐」
「任務ですので」
須佐は真田に敬礼しつつ、もう一人の人物に視線を向けた。
「お久しぶりです、須佐一尉」
「久しぶりだな、ユミ」
櫛名田由美二等陸曹が、わずかに表情を緩めて頷いた。
彼女は東京ダンジョン学園の卒業生で、氷魔法の使い手だ。須佐とは以前の任務で共に行動したことがある。
真田はタブレット端末を操作し、室内の大型モニターに映像を映した。
そこには、東京ダンジョン学園の写真と、数名の生徒の顔が並んでいる。
「ここ最近、東京ダンジョン学園内で高ランクポーションの取引が複数目撃されている」
「高ランク……ランク3ですか?」
「そうだ。出所不明。流通経路に記録がない」
須佐は眉をひそめる。
「高ランクポーションが学園のダンジョンでドロップしたという事ですか?そんなバカな。あそこは確か10階層までしかなかったはずでは?」
通常、第1階層のスライムからランク1ポーション、第11階層のポイズンスライムからランク2ポーション、第21階層のクイックシルバースライムからランク3ポーションがドロップすると言われている。
10階層までしかないと言われている東京ダンジョン学園のダンジョンにランク3が、それも大量に出てくるはずがないのだ。
「それだけならまだいい。問題はその先だ」
真田は指先で画像を切り替えた。
映し出されたのは九条公爵家の紋章、そして建設中の工場の航空写真。
「今回の件にはダンジョン学園に在学中の、九条公爵令嬢が関わっていることが分かった。そして令嬢を追っていったところ、突然九条公爵家が、毒消し薬の製造工場の建設を始めたことが分かった」
「唐突ですが、別にそれは高ランクポーションの件と関係がないのでは?」
「証拠はない。だがタイミングがあまりに一致しすぎている」
須佐の脳裏に、九条家の名が持つ影響力が浮かんだ。
貴族の中でも最大の権力を持つ日本に八家しかない公爵家の中の一家。
九条公爵と言えば、貴族院の国会議員でもあり、いくつもの会社を保有する財団のトップでもある。
軽々に踏み込める相手ではない。
「一体何が起きているというんですか?」
「分からん。だが高ランクポーションといえば、昨今急激な高騰と共に入手が非常に難しくなってきている」
須佐はすぐに先日の迷宮探索の事を思い出した。
富士樹海ダンジョン、一年ぶりの43階層主へのチャレンジ。
4チームに分かれて交代で戦ったが、戦いは消耗戦であり、多くの高ランクポーションを消費してしまった。
階層主へ与えたダメージが分からないまま、こちらの疲弊が大きくなりすぎ、死者が出る前に撤退をした。
無念であった。次回のチャレンジまでにレベル上げとアイテムの補充をしなくてはならない。
そのような状況のため、自衛隊としても高ランクポーションは喉から手が出るほど欲しい。
「……それで俺に調査を?」
高ランクポーションの入手経路を調べて、手に入れろということだ。
「ああ。今回は非公式任務だ。櫛名田二曹を臨時教員として学園に送り込む。OBとして学園内の事も詳しいだろう。彼女が配属されたら合流して調査に当たってくれ」
「潜入捜査というわけですね」
「そういうことだ」
真田が映像を切り替えると、次に映ったのは一人の少年の顔だった。
黒髪、控えめな表情。だが写真からでも、どこか並々ならぬものを感じさせる。
「それと……、この少年が、中心人物の可能性がある」
「何者ですか?」
「一年D組、一ノ瀬シロウ。入学後、複数の探索成果を上げている。そして、すべての騒動の裏にいる。まるで、偶然を操っているかのようにな」
真田はタブレット端末をそっと机の上に置いた。
「慎重に動け。相手は公爵家と学園が関係している。敵対することなく、できるだけ相手の懐に入り込め。必要なら本部のバックアップを出す」
「了解しました」
須佐は敬礼をし、ユミと共に踵を返した。
廊下に出ると、ユミが小さく息をついた。
「須佐一尉。今回も厄介そうですね」
「ああ。だが、お前の母校だ。案内を頼む」
「はい。お任せください」
ユミが真面目な表情で頷く。
須佐は遠くに霞む東京の灯りを窓越しに見ながら、小さくつぶやいた。
「十五歳の少年が……国を動かすような真似を、してるのか?」
外では雨が激しさを増していた。
空を裂く雷鳴が、彼の言葉をかき消した。
須佐とユミは、雨音に包まれた基地の廊下を歩いていく。
「ま、退屈はしなさそうだな」
「須佐一尉らしいですね」
ユミが苦笑する。
二人の影が、薄暗い廊下の奥へと消えていった。




