Case8
「センパイが、入院……?」
「全身打撲での内臓破裂と骨折12ヶ所。今も意識は戻ってない、ねぇ。滅多な事じゃ傷一つ負わない刀也クンがあんだけやられるなんて、これは相当だね」
「今すぐ病院にーー!」
「ちょっとちょっと、落ち着いて葵チャン。ただでさえ人手不足なのに私たちが抜けたら誰がアノマリーの対処をするのよ。それに私たちがお見舞いに行ったところで何かが変わるわけじゃない。やるべきことをちゃんとやって、話はそれからよ」
「落ち着ける訳無いじゃないッスか!?何で弥生さんはそんな冷静なんスか!?」
「冷静なわけ無いでしょ」
「っ!」
仲間の大怪我という通知を受け、心配していたのは葵だけではなかった。先程まで必死に貼り付けていた笑顔が、後輩の言葉によってほんの一瞬だけ剥がされる。
今すぐ会って様子を確かめたい、どんな奴にやられたのか、そいつはまだ生きているのか、生きているのなら必ず仇をとりたい。そんな感情を必死に押し殺し、先輩としての責務を果たそうとしているのだ。
「……すみませんでした」
「ううん、こっちこそゴメンね。少なくとも刀也クンは生きてるし、普通の人に比べて治癒能力は馬鹿みたいに高いから安心しなよ」
「はいッス」
「明日には応援が来るから、それまでは私と葵チャンでの二人で行動よ。今日一晩頑張って、終わったらお見舞い行こ」
頷く葵を見て、弥生は満足気な表情を浮かべると、二人の無線に通信が入る。
『こちら通信本部、アノマリー発生。座標を送信、装備を整え現場に急行してくれ』
「こちら弥生、了解。月乃エージェントと共に向かいます」
『今回のアノマリーは様子がおかしい、注意してくれ』
「様子がおかしい……?」
残りは移動しながら説明するという言葉と共に通信が切れる。急いで戦闘服へと着替えた両名は、警察署の前に停められた車に乗りこみ現場へと向かう。
「到着まで約30分。それまでブリーフィングをするわよ」
「了解ッス」
「諜報班からの報告によると、対象は人型アノマリー。下半身が欠落しているものの、サイズは人間の数倍以上。厄介なのは精神汚染系の能力を持っている所ね」
「精神汚染ッスか……」
「口と腕から時速120キロ程のスピードで体液を発射する。対象の体液に触れると、その量によってダメージを受けるらしい。それでもう既に何人か雑務課が死んでる、全身に浴びた人の状態は……これは言わない方が良いわね」
苦々しい表情を浮かべる弥生に車内の空気は重くなる。葵も一通り報告書には目を通していたが、その内容は口に出すのもはばかられるような悲惨なものだった。
「そこまで早くないから気を付ければ直撃する事はないだろうけど、相手からの攻撃はもちろん、攻撃をした際にも体液を浴びないように注意しなさい。特に葵チャンの戦鎚は対象を激しく損傷させるから」
「了解ッス」
「葵チャンが前衛、私が後衛からのバックアップよ。氷結で機動力と体液が飛び散るのを抑制するから、その間に叩いちゃいなさい」
「ボクは対象にどれくらい近付いても大丈夫なんスか?あんまり接近してると狙いを定め辛い気が」
「あんま私を舐めないでよね葵チャン」
自信に満ちた笑顔とウインクによって封殺された葵であったが、元々姉御肌だった弥生の言葉には相手を納得させるだけの説得力があった。黒塗りの車に揺られること十数分、しばらくした後、検問所に差し掛かった。
「お疲れ様ですー、今日はどちらまで行かれるんですか?」
「軽くドライブにでもと、今日は月が綺麗ですからね」
「そうでしたか〜。一応免許証の確認をさせて貰ってもよろしいですか?」
「お願いします」
運転手は検問所の男と会話をしながら、自らの登録カードを差し出す。男は慣れた手つきでそれをカードリーダーに通し、無線に何かを話している。終始笑顔を絶やさずに対応し、その一連の流れをスムーズにやってのける。
カードを運転手に返し、誘導灯を振り合図をする。
「確認取れました〜、ご協力感謝します。係員の指示に従ってお進み下さい。次の方どうぞ〜」
「お疲れ様です」
スモークのかかったパワーウィンドウを閉じ、検問を抜けた車は〝交通規制中〟と書かれたゲートを抜け、誰もいない道をひた走る。
日本に存在するあらゆる機関に、組織の事を知る人間が秘密裏に配属されている。有事の際には瞬時に一般人を避難させ、交通規制という言葉で隔離。結界を張った後エージェントが来るまで待機する。それらを可能にしているのが機関同士の連携力であった。
「残り2分でポイントに到着します」
「「了解」」
検問所を抜けてすぐには人の気配を一切感じ無かったのに対し、目的地に近付くにつれ慌ただしい雰囲気が漂ってくる。警告灯を出さずに走る救急車や、職員を乗せ死地へと運ぶ車が往来し、人口密度は徐々に高くなっていく。
「これは久々の大物だね。葵チャン、気張って行くよ」
「了解ッス」
先輩の入院、未だ経験したことの無い規模の任務、普段行動を共にしていない人間との即席ツーマンセル。様々な要因が重なり、葵の表情は硬い。必死に取り繕っているものの、緊張しているのは誰が見ても明らかだった。
「大丈夫だって!いつも通りやれば無事に帰れるよ。そんでさっさと終わらせて、刀也クンのお見舞い行かないとね!」
「ありがとうございます、弥生さん」
「まもなく目的地です。ご武運を」
「「了解!」」
普段なら対象が出現している場所よりも少し離れた所で降ろされるが、今回のように被害が多数出ており緊急性の高い任務の場合はその限りでは無い。
二人が飛び出した車に、救急車に載せきれなかった負傷者が詰め込まれる。
周りを見渡せば人、人、人。そのどれもが決して軽くは無い怪我を負っている。
精神をやられ発狂している人、片腕を無くし叫んでいる人、上半身を丸々欠損しもう二度と動くことな無い人だったもの。
辺りに充満する死の臭いは、強烈に脳裏へと刻み込まれる。
「行くよ!葵チャン!」
「っ!はいッス!」
葵はかぶりを振り、思考をリセットする。
「オォォァァァアアァアァァア!!!!」
「うるっさいなぁもう!」
この惨劇を生み出した下手人に対し、心底鬱陶しいと言わんばかりに叫ぶ弥生は、リボルバーの銃口を向ける。
女性の手のひらにすっぽりと収まる大きさの拳銃は、本来ならば僅かなダメージを与えるかどうかすら怪しいものに見える。
「まずはそのおしゃべりな口を塞いでやる!」
一発、続け様に二発。放たれた弾丸は見事に対象の口元へと着弾する。
その瞬間、この世の質量保存の法則に反したかのような量の氷が発生し、対象の口を完全に覆った。それは後頭部を貫通したのにも関わらず、苦しそうな動きをするだけで致命傷には至っていない。
「今よ!葵チャン!」
「っ!」
地を這うような低い姿勢で敵へと接近し、戦鎚をその頭目掛けて振り下ろそうとする葵。しかしその攻撃は、敵の巨大な右腕によって防がれる。
自由になっていた左腕の先から射出された体液を、防御された右腕を蹴ることで回避。地面に着地し、体勢を立て直した所で、相手は自らの頭に生えた氷を粉々に砕いていた。鈍重な見た目とは裏腹に反応は早い、判断力にも長けているようだ。
今の一瞬で短期決戦は望めないと踏んだ葵は、弥生に指示を飛ばす。
「直接やるのは難しそうッス!まずは腕から!」
「りょーかいっ!」
火薬が爆ぜる音と共に、化け物の方腕から氷柱が生えた。二本、三本とその数が増えるにつれ、重さに耐えきれなくなった腕が地面へと落ちる。苦悶の声を上げる相手に葵は更に追い打ちをかけるために再度接近。口や腕から発射しながら迎撃するも、その全てを避けながら戦鎚を振り上げる。
両手に伝わるぐしゃりという嫌な感覚と共に、氷で固定されていた化け物の腕がちぎれ飛ぶ。極力体液が飛び散らないよう力を抑えたつもりの打撃だったが、やはり調節が上手くいかない。パンパンの水風船を割ったように、腕に溜められていた体液が辺りにばらまかれる。葵は何とか直撃を避けようと、戦鎚を盾に構えた直後。
〝凍れ〟
全身に体液を浴びる感覚を覚悟した葵は、ゴトゴトというこの場に不慣れな音を聞き目を見開く。
「サポートはしてあげるから、思いっきりやんなさい!」
周囲にばらまかれ、より多くの被害を出すはずだった体液は、飛び出した傍から凍りつきその効力を失っていた。腕が破壊されてから一秒にも満たない僅かな時間で、弥生はその全てを離れた場所から対処し切って見せたのだ。
陰暦として活動していた頃から、弥生はサポート特化の後衛。馬鹿みたいに暴れ回っていた前衛のメンバーをサポート、もとい介護する役目を彼女は担っていたのだ。これくらいの事は日常茶飯事、解体から数年経った今でもその勘は一切鈍っていなかった。
ちぎれた腕の根元も完全に氷結しており、体液の噴出とれ傷の再生を抑制しているようだった。腕を失った怪物は、気が狂ったかのように周囲を無差別に攻撃する。葵が対象から離れたことで、雑務課の面々が対アノマリー用の銃器で援護射撃を行っているが効果は薄そうだ。
あまりの猛攻に攻めあぐねているうちにも、一人、また一人と化け物の爪によって雑務課の人間が命を落としていく。人間がまるで紙屑のように吹き飛ばされる様子に、葵は焦りを積もらせる。
「もう片方もやる!行って!」
弾の装填を終えた弥生の合図とともに再度飛び出す。無闇矢鱈に振るわれる凶刃をくぐり抜け、化け物の懐に入り込んだ葵は流れるような動きで健在だったもう片腕を吹き飛ばす。何千、何万回と振るってきた戦鎚は、彼女の意志に従い対象を確実に弱らせる。
もう不安などない。弥生を完全に信頼し、巨体の上を奔る。苦し紛れに吐き出す体液も、射出された傍から凍らされ彼女の足場となっていた。
「こんのぉぉおお!!!」
月夜に舞う蝶のように、ふわりと空中に舞い上がった葵から聞こえてくる声は、歴戦の戦士が放つ雄叫びだった。ありとあらゆる感情を込め、戦鎚を力いっぱい化け物の脳天に叩きつける。
あまりの衝撃に周囲の人間は目を覆い、地面はひび割れた。爆心地には息を切らせた少女と、衝撃をそのまま具現化したように固まった体液があるのみだった。
『対象の沈黙を確認』
無線から聞こえる声はその場にいる全員が聞こえていたのだろう。誰からともなく勝利の歓声が上がる。よくやった、助かった、ありがとう。そんな賛辞の声を全身に浴びながらも、葵の心中は穏やかでは無かった。
(……この戦闘で何人死んだ?今までの任務で人が死ぬところは見た事がなかった。知らない所で雑務課の人が死んだという報告を受けても、あまり深く考えることは無かった。今までボクはセンパイにおんぶにだっこでぬくぬくと過ごしてきた、もっとやれることはあったんじゃないか。それにーー)
「はい、葵チャン。そこまで」
「……弥生さん」
「これは葵チャンがエージェントを続けていく中で必ず向き合わないといけない事だけど、それは必ずしも今日じゃなくていい。私たちのおかげでここに居る皆は助かったんだ。その事実を忘れちゃいけないよ」
「でも、ボク……」
「この仕事において、私たちエージェントや雑務課の命は限りなく軽い。それでも死を当たり前のことと思っちゃいけない、そんな考えの末辿り着くのは破滅だけだよ。喪った人達を忘れろとは言わない、だけど助けた人の事もちゃんと見てあげて。ほら」
弥生の指差す先に視線を向ける。怪我人を忙しなく運ぶ様子と共に、お互いが生きている事を喜びあっている者たち、化け物を斃した葵たちに感謝を述べている者。今まで見えていなかったその様子に、葵は心が少しだけ軽くなった気がした。
「早く着替えて、刀也クンのお見舞い行かないとね!」
「はいッス!」
笑顔が戻った葵と弥生は、送迎用の車に向かって歩き出した。
違和感。
先程まで完全に沈黙していたはずの化け物から、弥生は突如として嫌な予感を感じ取った。
「っ!!葵チャン!!」
「?どうしたんスか?ーーっ!?」
弥生の声に振り返った葵は、驚くような力で突き飛ばされる。
突き飛ばしたのは弥生、迫真の表情を浮かべた彼女に葵は状況が理解できない。
瞬きをするそんな刹那の瞬間。轟音と共に飛来した何かによって、つい先程まで葵が立っていた場所が弥生ごと抉り取られていた。