Case7
『こちら山梨支部!至急応答願う!』
「っ!?こちら通信本部!どうした!?」
普段あまり聞くことの無いけたたましいサイレンと共に、緊急連絡が東京の通信本部へと届く。即座に応答した通信からは、後ろで慌ただしく動く職員の声が聞こえてくる。
『県境でアノマリーと交戦していた東雲エージェントがロスト!雑務課の諜報班にも被害多数!他のエージェントが追撃するも対象は東京方面へ移動している模様!』
「現在地は!」
『ポイントを送ります!』
その言葉と同時にディスプレイに大きく映し出される地図。対象を表す赤く点滅するマーカーは、ゆっくりと、だが確実に市街地の方角へ山の中を突き進んでいた。
『至急増援を求む!』
「了解!如月エージェントを向かわせる、それまで耐えてくれ!」
『よろしくお願いします……!』
悔しさを押し殺すように通信が切られる。自らの背後で既に動き出している気配を感じつつも、男は振り返り声を張り上げた。
「聞いての通りだ!如月エージェントに連絡を!」
「連絡取れました!5分後には出動出来ます!」
「上出来だ!対象のデータはどうなってる!」
「今来ました、投影します!」
現場上空からの映像が地図の上から映し出される。闇夜に光り輝く紅い目は、まさにアノマリーを象徴する特徴の一つだ。しかし、遥か上空から撮影されている映像だと言うのに、その紅い目が嫌にハッキリと分かってしまう。
山の木々をなぎ倒しながら進む巨大な影に、通信本部の全員が息を飲む。
「こいつぁ、やべぇな……」
つい数分前までベッドで睡眠を取っていた男は、既に戦闘服へと着替え終えていた。夜中に叩き起された時はまた師匠の迷惑電話かとうんざりしかけたが、通信本部の切羽詰まった声色で即刻意識を切り替えた。
「如月です。何時でも行けます」
『今デバイスに対象の位置を送りました!』
「了解、10分後には接敵します」
『じゅっ!?』
返事が戻ってきた瞬間にマンションを飛び出した如月。地上15階という高所から、まるでカタパルトに弾き出されたような初速で走り出した。建物の上を高速で移動しあっという間に市街地を抜け、対象までの最短距離を選び一直線に進んでいた。
『よし変われ!如月、あとどれくらいだ!?』
「5分26秒後です」
『よしお前、タイマーをセットしろ!対象は巨大な蛇のような見た目をしているアノマリーだ、エージェント1名と多数の諜報班がやられてる!追跡を続けているエージェントは対象の暴れ方が酷過ぎて手が付けられないらしい!』
「了解」
能力を発動せずとも、地響きのような轟音と嫌な雰囲気が近付いて来るのが分かる。想定していたよりも悪い状況を前に、如月は移動手段を走りから飛ぶ事に変えた。
「タイマーは必要ありません。20秒後に接敵します」
『……了解!』
山の中に突如現れる巨大な骸骨。
紫色の瘴気を幻視させるような禍々しい見た目のソレは、カタカタと顎を鳴らしながら野球のボールを投げるようなモーションで如月をぶん投げた。
常人なら全身にかかる風圧と衝撃で爆発四散するような状態でも、強化された身体を持つ如月にとってはその程度の事では傷一つつくことは無い。
敵意を感知するまでも無く、破壊の限りを尽くしながら山中を猛進する大蛇の首はどこからともなく飛来してきた人外によって落とされる。
……はずだった。
「!?」
まるで鉄の塊でも切ったかのような感覚、いや、もしそれが本当に鉄であったならば切れていた。慣性を乗せて抜き放たれた刀は、頑丈な鱗を数枚傷付けた程度で両断するには程遠い結果となった。ガリガリと地面を削りながら着地した如月は、逃げる対象を追いかけるため能力を発動した瞬間。
先程まで爆走していた大蛇の動きがピタリと止まる。
急停止をかけたにも関わらず、その質量で何本もの大木を折りながらその巨体を停止させる。ぐるりと振り向き、こちらに気付いた様子で紅い双眸をギラつかせながら長い舌を震わせている。如月の姿を視界に入れた大蛇は大きく目を見開き、進もうとしていた方角と如月を交互に見て、何かに迷っているような素振りを見せた。
蛇の思考など皆目見当もつかないが、動きを止めてくれるのなら好都合だ。居合の構えを取り、能力を再度発動させる。先程の手応えから、生半可な攻撃は通らないと確信した如月は、力を一気に引き出した。
普段の温厚な性格からは想像も出来ないほどの殺気が男から吹き出し、大蛇は生物として本能的に恐怖した。自分より遥かに小さい目の前の存在は、今から自分を殺すのだということをはっきり認識してしまうほどに。
「シィッ!!」
全身の筋肉に力を巡らせ、肺から空気を絞り出す。
暗い山中に煌めく一筋の紫光。
「は?」
本来ならば今度こそ大蛇の首と胴体は泣き別れする事になっていただろう。しかし、如月の放った二度目の斬撃も、対象に届くことは無かった。
「久しぶりだね、刀也」
「む、つき……さん?」
目の前に現れた、本来居るはずのない人物。いや、居てはいけない人物。この世の理を無視したかのようなそんな現象に、如月は理解が追いつかずその身を強ばらせる。自身の刀は、旧友と全く同じ見た目をした何かによって止められていた。ギリギリと火花を散らすその先には、かつて嫌という程見てきた友の獲物があった。
「ダメじゃないか、こんな所まで来ちゃ。あ、もしかして僕達の話を盗み聞きしてたな?もう勝手に動いちゃ駄目だからね」
粗相をしたペットを叱るような、そんな軽い言葉を大蛇に向かって話す男。しかし、如月にとってはもうそんなことどうでもよかった。アノマリーと親しげに話すという異常よりも大きく信じ難い異常が、たった今目の前で起こって居るのだから。
「睦月……?本物、なのですか……?」
「うん、刀也。改めて久しぶり。本当はもうちょっとしてから迎えに行く予定だったけど、ちょっと予定が狂っちゃったね」
声や仕草、表情までもがあの時のまま。自分と同じように年齢を重ね少し大人びた雰囲気に変わったが、如月を見る困ったような笑顔は、思い出の中にあるソレと全く同じものであった。
「生きて、いたのですね……!」
「そうだね。僕達は生きてる、他の皆も一緒だよ」
「そうでしたか……!」
思わず目からこぼれ落ちる涙。もう一生会えないと思っていた友人との再会に、如月は気持ちを堪えきれず感情を露わにする。何があったのか、今までどうしていたのか。色々と聞きたいことがあったが、もしも、もしもまた会うことが出来たならば、必ず最初に言おうと思っていた言葉が如月にはあった。
涙を拭い、しっかりと彼を見据えて、嗚咽混じりにもその言葉を絞り出す。
「……おかえりなさい!」
「……」
それに対する返事は、困ったような笑顔で返された。
「……えーっと、正確にはただいまって言えないかな」
「え……?」
「僕たちはもう組織には戻るつもりは無いよ。という事で今日はごめんね、この子がちょっとやんちゃしちゃったみたいで。ほら帰るよ」
一体彼は何と言った。止まりかかった思考を無理やり動かし、その言葉の意味を理解しようと全力で考える。それでも全くもって意味がわからない。それでも、辛うじて残っていた理性からの台詞が口から飛び出す。
「待ってください」
「ん?」
「そちらの蛇はエージェントと諜報班の方々を殺めています」
「うん、知ってるよ?」
「っ!ですから、そのまま連れて行かせる訳にはいきません」
「この子を殺すってこと?」
「はい」
「それは困るなぁ。この子にはまだ働いて貰わなくちゃいけないから、今ここで殺されちゃうと結構な損失なんだよね」
人を殺したという言葉を聞いても意に介さず、連れていくことを拒まれ本当に困っているようなポーズを取る男。
「……従わないのであれば、力ずくで止めさせていただきます」
「やめようよそんなの。せっかく再会出来たんだから刀也と戦いたくなんてないよ」
「睦月さんがその蛇を置いていって下さるのなら全て丸く収まるのですが」
「参ったなぁ……」
男は後頭部をポリポリと掻きながら、少し唸り考える。数秒の後ため息を吐き、背中に担いでいた金棒に手をかける。
「しょうがないか」
「……やる気ですか」
「刀也が行かせないって言うならもうやるしかないでしょ」
そう言い終えた男の身体は、みるみるうちに赤褐色へと変色していく。額の辺りからは二本の角が伸び、口元から僅かに牙のような物が見える。睦月の能力が発動した証拠だ。金棒を無造作に振りかぶり、目の前の男を殺さんと殺気を放つ。
それに応じるように如月も力を解放する。刀を居合の位置に構え、全神経を集中させる。
未だ衝突しても居ないというのに、二人の気迫と圧力によって木々はざわめき、辺り一帯の生気というものが失われていた。
「でもさぁ、刀也」
「刀也が僕に勝てたことって、一度でもあった?」
「っ!」
何とか初撃に反応した如月は、ただ真っ直ぐ振り下ろされる金棒をいなすので精一杯だった。
まるで発泡スチロールで出来ているかと思うほど軽々と縦横無尽に振るわれる金棒は、通り過ぎる歳に発生する空を切る音から、一撃一撃が簡単に人を殺すことの出来る威力であるというのが分かる。記憶の中の睦月よりも、更に数段強くなっている。
攻撃をいなす度、分散し切れなかった衝撃が身体に蓄積されていく。このまま防戦一方ではジリ貧、そう思った如月は一度大きく金棒を弾き無理やり隙を作り出す。
筋を切断し動けなくするだけでいい、間違っても殺してしまうことのないよう慎重に。そんな迷いの混ざった剣筋では、睦月に傷一つ付けることは出来ないとわかって居るはずだったのに。力を込める直前、彼の顔を見て如月の中で迷いが生じてしまった。
「刀也は変わらないね」
「っ!がっ!!」
防戦一方でギリギリ均衡を保っていた打ち合いにおいて、その迷いはまさに致命的なものであった。
受け止められた刀は、金棒によってその横っ腹を思い切り殴られたことによって粉々に砕け散り、その破片ごと如月の胴体へと吸い込まれた。
直前で胴回りに出現させた骨も意味をなさず、内蔵をいくつか破裂させながら如月の身体は文字通り真横に吹っ飛んで行った。
二本、三本と木々をなぎ倒し、一際大きな木の根元に突き刺さる。朦朧とする意識の中、元の姿へと戻った睦月が目の前に現れ、如月に向かって労わるように声をかける。
「こんな結果になってしまってすまない、だが今は耐えてくれ。君たちもあの子も必ず迎えに行くから」
「む、つき、さん……」
根性だけで保たせていた如月の意識は、睦月と大蛇の姿が夜の闇に溶けるよう消えていく様子を見たところでプツリと途切れた。
「あれは!?如月エージェント!おい、医療班に至急連絡を!」
「あのクソ蛇、何処に消えやがった!」
「まだ近くに居るかもしれん、警戒を怠るな!」
遅れて駆けつけたエージェントは不自然に折れた木々を辿った先に、血まみれになりながら気絶している如月を発見する。リーダーらしき男は即座に指示を飛ばしながらも、組織内でも有数の実力者である如月が死にかけているという状況に全身から冷や汗を吹き出させていた。
手元にある支給用の応急キットを使い、何とか最低限の止血をする事が出来たものの見た目は依然重症だ。
「如月さん、聞こえますか!?あともう少しで医療ヘリが到着しますから!」
「……うっ」
「!?如月さん!一体何があったんですか!?」
「む…………き……」
「クソッ、しっかりして下さい!如月さん!」
男の呼び掛けに答える訳では無く、うわ言のように何かを呟き続ける如月。その周りは戦闘の余波によってほぼ更地のような状況になっていた。すっかり見通しが良くなってしまったというのに、そんな場所であれば直ぐに見つかるハズである大蛇の姿も見えない。
「……マジでどうなってやがる」
やり場の無い怒りを地面に叩きつけながら、医療班を待つことしかできない。手元のデバイスからはTARGET LOSTという表示とともに、小さな電子音が鳴るのみとなっていた。