Case1
「ちょっと待ってくださいよセンパーイ」
「おや、こちらはもう片付きましたよ」
「流石に早すぎません?」
先程まで両名を殺そうと襲いかかってきていた物体は、今は物言わぬ肉塊となり男の前に鎮座している。人の形を辛うじて保っていた化け物は、首らしき部位を切断され動かなくなっていた。
「私はもう数件片付けてから本部に戻って報告書を提出してきますので、アオイさんは直帰してもらって結構です」
「今日も残業ッスか?」
「そうですね、上に押し付けられた仕事が残っていますので」
「それボクも手伝いますよ!」
「有難い話ですが休養も立派な仕事です。今日は休憩も取れなかったので、明日の為にしっかり休んでください」
「はーい……。それじゃあ、お先に失礼します!」
「はい、お気を付けて」
訓練所では優秀な成績を収め、首席で卒業した月乃葵だが、まだ一年目の新人である。現場で働くハードな仕事にも関わらず、書類などの事務仕事も全て自分たちで行わなければならないため、優秀な彼女でも顔からは疲労を伺える。
「……さて、あと二件ですか。今日中に終わればいいのですが」
男はスキップをしながら去っていく後輩を横目に、次のターゲットが報告された地点へと足を進めるのだった。
20XX年、何千年に一度というレベルの大災害が地球を襲った。観測史上類を見ない大きさの太陽フレアの影響により、各国の衛生は破壊され、一時的に通信などのインフラが全て停止してしまうという事態。
それでも人類は何十年もの時間をかけ、今ではその宇宙災害以前よりも発達した文明の中で人々は生活している。苦境を乗り越え更に進歩した人類は、これからも豊かな生活を送っていくだろう。
……というのが、表向きな話である。政府によって発信されたカバーストーリーは、見事に〝一般人〟という括りの人々を騙し続けているが、真実は違う。
太陽フレアの影響はインフラの破壊に留まることは無かった。強力な磁場と放射線によって、地球上に特異な体質を持つ人間や生物が突如出現し始めたのだ。ただでさえインフラの破壊という大きな問題に直面している人類にとって、それらの存在はあまりにも危険であった。物理的にも、そして精神的にも。
全世界でパニックが起こることを恐れた政府は、この事実を隠蔽することを決め、これらの存在をアノマリーと呼称し、政府が抱え込んだ一部の人間により処理させるという構図を作り上げたのだ。
徹底的な情報統制により、宇宙災害が起こってから何十年も経った今でも〝一般人〟からアノマリーという存在を隠し続けている。
如月刀也、この男もその対処を任されている人間の一人なのである。
「ぐぎゃ、ぎ、が」
「今日はコレで最後ですか」
男は腰に携えた獲物に手を当て、居合の構えを崩さず標的にジリジリと接近する。
「ぐ……ギャギャギャッ!」
ネズミをそのまま大きくしたようなアノマリーは、男を見るなり敵だと認識し襲いかかる。とうに日は落ち、街灯の僅かばかりの明かりの中で、体の割に素早く動く大ネズミの目は煌々と紅い輝きを放っていた。
男の首に向かって一直線に襲いかかる鋭い牙。だがそれが肉を切る感触を味わうことは無かった。
すれ違いざまに放たれた刀は、大ネズミの首をいとも容易く両断し、その生命活動を停止させていた。どしゃりという音と共に動かなくなった肉塊を一瞥し、男は無線を繋げる。
「如月です。ポイントβのアノマリー、対処完了しました」
「了解、直ぐに清掃班を向かわせる。お疲れサン」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
ピッという電子音と共に通信が終わる。
「今日は使うまでも無かったな」
そんな呟きを零しながら、刀身にべっとりと付着した血を持参した布で拭っておく。よく時代劇で刀を振って血を落とすというシーンを見かけるが、現実ではそう簡単に落ちてはくれないのだ。特殊な金属で打たれた刀であるため、血が着いたまま放置しても直ぐに使い物にならなくなるという訳では無いが、自分の命を預けている装備は丁寧に扱わねばいつか痛い目を見ることになる。
整備を終え、キンッという子気味良い音と共に刀は鞘に収める。それにしても今日は清掃班の到着がやけに遅いな、なんて思っていると、夜道を縫うように大型のバンが静かにやってきた。
「お疲れ様です。清掃班代表田辺です」
「対策課の如月です。あちらにあるので全部です」
「了解です。おうお前ら、さっさと詰めて載せておいてくれ。いやぁ毎度如月さんの仕事は綺麗で助かります」
白い防護服を身に纏った集団が、リーダーの掛け声で一斉に動き出す。手馴れた様子で亡骸を解体し、専用の袋へと詰めていく。そんな姿を見ながら、リーダーの人物に声をかける。
「今日は少し到着が遅かったですね」
「ここ最近アノマリーの凶暴化が進んでいて、被害が大きくなることが多くなっているんですよ……。戦闘が激しくなるのと比例して、現場の荒らされ方も酷くなり中々手が回らないんですよ……」
「……お疲れ様です」
「それでも如月さんの現場は俺らの中でも当たりだって評判なんですよ。周辺の被害は少ないし、アノマリーの状態も良いもんだから、気持ち良く本部に持って行ける。本当にいつも助かってますよ」
「それなら良かったです」
「班長!終わりました!」
「おう!少し待っとけ!」
男はこちらに向き直り、手を差し伸べる。
「如月さんは強いから心配要らんかもしりませんが、危険な仕事ですから。これからもお気を付けて」
「ええ、ありがとうございます」
「では」
そう言い終えると男は、運転席に座りバンを発進させる。今ではほぼ全ての乗り物が電動化し、自動運転も普及しているため、これらは全て政府によって管理されている。夜道に黒いバンが無灯火で走っているが、事故が起こることはまず無い。
先程までむせ返るような血の臭いで溢れていた現場は、戦闘が行われる前の様子に寸分違わず戻っていた。どれだけ大きく破壊されようとも、家数軒程度ならば一晩で修復できてしまうのが現代の技術力である。
「ふぅ……戻りますか」
男はゆっくりと歩みを再開する。だんだんと寒くなってきたが、身体を動かす仕事柄これくらいの方が良い。この過ごしやすい気候は直ぐに終わりを迎え、冬がやってくる。それでもこの僅かばかりの過ごしやすさを堪能しよう。
人気の少ない道から大通りにでると、何も知らない人々が楽しそうな笑顔を浮かべながら歩いている。
そんな世界から若干の疎外感を感じつつも、今日もその笑顔を守ることが出来たという事実を噛み締める。
(……師匠、今日も世界は平和です)
エントランスを抜け、入口でカードをかざすと入館が許される。エレベーターに乗りそこでも再度カードをかざせば、降りる階を選択すること無くそれは動き始めた。数十秒間の移動を経て、地下の階層へと送り届けられた。
日本警察本部 特別異常対策課。男が所属しているその部屋に入ると、同僚が休憩をしている最中であった。
「お、刀也クンおつかれー」
「お疲れ様です。弥生さんはもう上がるんですか?」
「いや私はまだ残業、もーやんなっちゃうよねぇ」
小言を漏らしながらソファに突っ伏す同僚にコーヒーを手渡す。
「これでも飲んで続き頑張ってくださいね」
「気が利くじゃーん、アリガト♡」
「どういたしまして」
自分のデスクに向かいパソコンを立ち上げる。今日対処したアノマリーの姿形、戦闘内容などをフォーマットに応じて入力していく。最初の頃は四苦八苦していたが、今ではもう慣れたものだ。
「そういえば後輩チャンの調子はどうよ」
「彼女は筋が良いです、私なんかより全然。人当たりも良く仕事も早い、少し抜けている所もありますがそれはおいおい。少なくともここ最近で一番優秀な子かも知れませんね」
「そっかそっか、大事に育ててあげなよ」
「そうですね。この仕事において、欠けてもいい人材など居ませんから」
「万年人手不足だもんねぇー。訓練所出てもエージェントになれる子なんてひと握りだし、雑務課に配属されたらみんな直ぐに死んじゃうしさぁ。ほんっとこの仕事ってクソよねぇ」
同僚の綺麗な顔立ちから放たれる言葉は多くのトゲを孕んでいた。
男の同僚は彼を含めて十二人存在していた。当時、政府は訓練所で優秀な成績を収めていた男女を集め、特殊な訓練と薬物投与によって強化された部隊を作り上げるという新プロジェクトを立ち上げた。日本の旧暦にあやかった通称〝陰暦〟の十二人は、歴史的なアノマリーの数々を対処し、今でもその功績は伝説として語られている。
しかし、数年前の戦闘で陰暦はその半数のメンバーを失うこととなる。プロジェクトは失敗という烙印を押され、残ったメンバーは各地へと配属された後、部隊は解体された。多大なる資金を投資したにも関わらず、政府の想定していた成果を下回った結果、今のエージェント排出方法に落ち着いたのである。
訓練所を卒業した上位の内、適正のある者はエージェントに、そしてその他の人材は適正によって研究課や清掃課、雑務課へと配属される。この中でも特に雑務課という仕事は死亡率が高い。アノマリーを最初に発見、報告するという仕事を与えられるため、エージェントが来る前に襲われ死亡するケースも少なくない。
情報を入力し終え、時間を確認すると時計の針はてっぺんに差し掛かったところだった。
「では、私はそろそろ帰ります」
「あいーおつかれー」
「弥生さんも無理なさらずに」
「無理せずに平和なら私もダラダラするんだけどねぇ」
「それもそうですね」
戦闘服からスーツへと着替えた男は、同僚の女性と軽く会話をして部屋から退出する。エレベーターで地上へと戻り、エントランスを抜け外に出る。終電間近であるためか、もう道を歩いている人はほぼいなかった。
男は帰り道でコンビニに寄り、酒とタバコを補充する。酒はどんどん安くなるも、タバコは高くなる一方だ。はるか昔では一箱五百円で買えた時代があったらしいが、今では千円の大台に突入し値下げの兆候は見られない。新健康増進法によって喫煙所の数は年々減っており、都市部では数キロに一つというかなりの過疎化が進んでいる。
特例とは言え表向きには警察所属、公務員であることに変わりは無い。路上喫煙は立派な犯罪であるため、自宅まで我慢する。
マンションに着くと真っ先に台所に向かい、換気扇をつける。タバコを開封し口に咥え、火をつけてゆっくりと吸い込む。
強化された肉体は、身体に害である物を受け付けないため、毒や呪いを防止するように出来ている。つまりタバコを吸って気分が良くなる訳では無いし、酒を飲んだとて酔うことも無い。それでも親代わりのような存在であった師匠が好きだった物を真似して嗜んでいるうちに、それらが自分のルーティーンのようになっていった。
今はなき師匠の面影を探しながらゆっくりと時間は過ぎていく。
おもむろに通信が入る。こんな時間に一体誰が連絡なんぞするのだろうかと少しムッとしながら応答する。
「はい、如月です」
「……儂まだ死んでないけど!?」
「はい、存じておりますが」
「なんかさっきから死んだ事にされてるような気がしてならんかったんじゃが」
「気のせいでは?」
「んなわけあるかい!?こっちにまでビンビンその感じが伝わって来とるんじゃ!」
「はァ、ご要件は以上でしょうか」
「……なんか年々儂に当たりキツくなってきてない?」
「いいえ、そんなことはありませんよ師匠」
「いいや絶対そうじゃ!こないだなんてお前ーー」
長くなりそうな予感がしたため通信を切断する。感覚でこちらの考えている事を当てるという離れ業をやってのけたこの男だが、還暦をとうに過ぎているにも関わらず現場で働き続けている化け物である。そんな化け物にいちいち構っていたらこちらの体力が持たない。
(もう夜も遅い、明日の支度を済ませて早く寝なくては)
アノマリーが観測されているのは日本だけではない、世界中のあらゆる所でその存在は人々に影響を与えている。それらの脅威から人々を守り、偽りの平和を維持する。それが偽りでなくなるその日まで、エージェント達の仕事は終わることは無い。