時を止める者の非日常(2)
ハードな一日を乗り越え、オレはゲーセンで音ゲーをたっぷりと満喫した。
夢中になりすぎて、もう外は真っ暗になっている。
マフラーを首に巻き、もこもこの手袋をつけて店から出た。
ふうって吹きかけると、魔法のように真っ白な息が視覚できる。
夜空は灰色の雲に覆われていて、月は見えない。
今晩はこんなにも寒いんだから、もしかすると初雪が降るかもしれないな。
もしも雪が降ったら一度してみたいなって思うことが、最近できた。
――綿毛のように舞う雪の中で時を止めたとしたら、いったいどれほど幻想的な光景になるんだろう。
「まあ、今日は『時止め』使えないんだけど」
今朝の事件で、もう三秒の時を止めてしまった。
今日が終わるまで、時間を止めることはできない。
「別に、時を止める必要もないんだけどさ」
一般の人は当然のことながら、時を止めることはできない。
だけど、みんな不自由することなく生活している。
だから、時を止められなくってもいいんだ。
雪は他の日にでも降るだろうから。
「んじゃ、帰るとするか」
誰に言うでもなく、オレは独り言をポツリとつぶやいて、帰宅への道のりを歩き始めた。
オレはいわゆる電車通学ってやつで、学校の最寄り駅の黄檗ってところから小倉という駅まで電車に乗って、家を目指す。
小倉は京都の宇治市にある。
宇治市っていうのがまた有名な観光スポットで、十円玉に描かれている平等院鳳凰堂や源氏物語で有名な歴史ある街だ。
とはいっても、普通の住宅街もあるわけで、オレは小倉っていう一般的な町に一人で住んでいる。
両親は……オレと一緒にいない。
突然、姿を消した。
学費とか生活費はちゃんと送られてくるから、どっかで生きてるんだろうけど……。
黄檗駅から電車に揺られ、だいたい十数分。小倉駅に着いたので、いつものように改札から出て自宅へと歩き出す。
駅近くは商店街やお店が充実していて、部活終わりの高校生、仕事帰りのサラリーマンがワイワイ騒いでにぎやかだ。
オレはその光景を、少しだけ微笑ましいなと感じながら真っ暗な道へとつき進む。
現在、午後九時。
オレの住む一軒家は両親が残していったものだ。一人暮らしのオレにとって、一軒家はあまりにも大きくて、さびしい。閑静な住宅街が、さらにそれを強調させる。
でも、もう慣れた。
ガチャリと、玄関のカギを回したところで、夜ご飯を買っていないことに気がつく。
「……しゃーない。コンビニにでも買いに行くとするか」
幸いなことに、近くにコンビニがあるので、そこへ足を運ぶことにした。
二車線の道路を横切り、コンビニの明るさに目を細めながら、自動ドアをくぐり抜ける。
「うーむ……どれにしようかな……」
オレは商品棚の前で大いに悩んでいた。
そりゃもう、店員さんが訝しむくらいに、頭をかかえて迷っていた。
「こっちのほうがいいかな……いや、今日はこっちのほうがいいかも……」
商品を上に掲げて、まじまじと眺める。
それからソレをカゴの中に放り投げて、レジへと歩いていく。
「い、いらっしゃいませ……」
引きつった笑みを浮かべる女性の店員さんが定型文を口にした。
ピッと、弁当のバーコードに読み取り機がかざされる。
「……」
「……あの、どうしたんですか? これも早くお願いします」
「えっと……」
オレはカゴの中に入っているソレを手にして、女性店員さんに突き出した。
彼女はまるで、カブトムシの幼虫を近づけられたかのようなリアクションをとって、
「ヒ……ッ! お、お客様」
「はい、なんですか?」
「お客様は、高校生ですよね?」
「えっ? ……あっ!」
しまった! 学生服なの、すっかり忘れてた!
これはまずいぞ…………否ッッ!!
オレは手にあるブツをどうしても手に入れたかったため、あえて嘘をつきとおすことを決心する。
「い、いえ……? 立派な成人ですよ?」
「でも、学生服を」
「ただのコスプレですッ!」
「は、はい! わかりました!」
オレの圧倒的な気迫に押されて、女性店員さんはお父さんのパンツを持つように商品を手にし、ピッと素早くスキャンした。
オレはそれを満足げに眺め、お金を払ってコンビニから出た。
「いやぁ……嘘をついてまで手に入れたかいがあったよ……」
ガサゴソと袋から取り出し、ブツを掲げて陶酔する。
「『ロリの花園』……なんて美しい響きなんだ」
オレとこいつとの出会いは、まさしく運命だ。
十八禁コーナーに立ち寄ってよかった。
『ロリ×ロリ☆』も捨てがたかったけどなぁ……。
……………。
「……『ロリ×ロリ☆』、やっぱり買いたい!」
一期一会という言葉がある。昔の人たちはこういうことを言いたかったんだろうな。
ここで買わなきゃ一生出会えない!
オレは湧き上がる衝動に駆られ、コンビニへ引き返そうとした。
しかしすぐに踵を返して、一度家へと戻ることにする。
「くっそ、財布がもうカラカラとはな!」
ゲーセンにエロ本、さらに弁当を買うなんて思ってもみなかった。
もっとお金を入れておくべきだったよ!
こうしているうちに、誰かが買っちゃうかもしれない!
そう考えると、いてもたってもいられなくなった。
猛ダッシュで家を目指す。
二車線の道路に差しかかったところで。
猫が道路をのっそり横切ろうとしているのに気づいた。
すぐそこまで、車が来ているのに。
――ひかれる。
そう思ったときには、身体が動いていた。
小さな命を救うために、猫のもとへと駆け寄る。
あと一秒でぶつかる距離。
しかし、オレに恐怖心はなかった。
猫を優しく抱いて、魔法の言葉を口にする。
「時は静止する」
――けれど。
時は止まることなく、無情にも車が近づいてくる。
あっ、と思い出した。
オレは今日、すでに力を使い果たしていたんだ、と。
つまり。
――時は、止まらない。
考える時間なんてなかった。
オレは無意識に猫を遠くへと放り投げていた。
せめて猫だけは助かってくれと願う。
車のライトで、視界が光に包まれる。
もう何も見えない。
感じることもできない。
虚しいことに。
死の直前には、何も思い浮かばなかった。
それだけの空虚な人生。
あぁって、オレは。
――死を受け入れた。
「――――」
無がオレを支配する。
何も、わからない。
オレは死んだのか?
死っていうものは、こんなにも身近なもんなんだな。
頭の中で、たくさんの想いが飛び交う。
「……あ、れ?」
声を出すことができたのはいつからだろうか?
ハッと我に返ると、声は出せるし、息も吸えていた。
冬の寒さも感じるし、まぶしいライトの光はもうない。
ちらほらと舞う粉雪が、オレの頬を濡らした。
「おい、人間」
「……へ?」
気が付けば、目の前に一人の少女が立っていた。
長く美しい銀色の髪に、サファイアのように澄んだ大きな瞳。
真冬にも関わらず、青色の薄いワンピースを着た彼女は、この世界から外れた存在だと、率直に感じとった。
青い銀髪の少女が、華麗に踊る雪の中、不敵にほほ笑みかけてくる。
「ようやく見つけたぞ、『時止め』の人間」
いつもの間にか雲が割れていて、黄金色の月が、顔をのぞかせていた。