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「本当に君は自分の姿をわかっていないのか?」
「何を言って…」
彩愛を睨みつけていた視線が史お兄様へ移動する。
そこにいつの間にか控室から持ってきたのだろう大きな姿見が運ばれる。
鏡の中に映るのは、醜く太り、10代とは思えないボロボロの肌に艶のないパサパサの、白いものが混ざった髪、ドレスから見える手首には手枷の後が痛々しいほどに残り、手袋をしていないため、ボロボロになって血豆の見える指先。
化粧もボロボロの肌を隠すためか塗りたくられて首と色が変わっている、爪紅の代わりだというかのような真っ赤な口紅と桃色のチークにアイシャドウ、アイラインはよれてずれてしまっている。
「ひっ!違うわこんなの私じゃないわ!助けて、史様」
「事実を見ることすらできないか。ああそうそう、君のような女を売女というんだとか?俺としてはそんなことを言っては売女に失礼だと思うんだけどね」
「あ、あ…」
「彩愛に死ねといったな?君が死ねばいい。俺の婚約者を、神の寵児を愚弄した罰に死は軽すぎるだろうけどな」
「ちがう、ちがう…」
「何が違う?今こうして生きていられることを彩愛に感謝することできないような君は死んでしまったほうが世の中のためだ」
その時肩に触れられた手に飯近様の奥方がびくりと震える。
「水上様、皆森様。妻の無礼、お許しくださいとは申しません。けれども妃花は私の妻。どうぞお見逃しください」
「それでは俺も神も気がすむまい」
「きょう、いちろー君?」
「大丈夫だよ妃花。何があってもどんなことがあっても、どこへ行こうとも俺は妃花の傍にいる」
「あ、あ…」
「甘やかしてあげる、どろどろになるまで。満たしてあげる、グズグズになるまで」
「あ、ああ…」
「飯近様」
彩愛が声をかける。
「賀口様より聞いておりますわ。真実の想いはこれで叶いますのかしら」
「ええ」
そう言って、飯近様は奥方の唇を自分の唇で塞ぐ。
「妃花は、俺だけのものです」
「きょういちろう、くん」
「そうだろう妃花。俺はどんな妃花でも受け入れてあげる。俺だけの物だから大切にしてあげる。だって妃花は俺の妻だから。愛してるよ」
「……わた、しはお姫様なのよ」
「そうだよ。俺の姫だ」
「私はもっと大切に扱われなくちゃいけないの」
「これ以上ないぐらいに大切にしてあげる」
「今みたいなひどい暮らしなんていやよ。贅沢をしてかっこいい人を侍らせて過ごすのよ」
「ぜいたくな暮らしはさせてあげる。でも、その侍らせるのが俺だけならね」
「それ、は」
「ほら妃花、俺だけを見て、俺だけの言葉を聞いて、俺だけを想って、俺だけを愛して、魂を繋げると誓って」
「あ、あ…」
「それとも、死ぬ?」
「嫌よ!」
「じゃあ誓って。誓ってくれないなら妃花は死ぬしかないんだ」
「誓うっ誓うわ!」
そう飯近様の奥方が言ったとたん、ホールに神が顕現する。
「誓約の神」
彩愛の言葉に、神の顕現にホールにいる彩愛と彩愛を抱える史、そして飯近様夫婦以外全員が最敬礼をする。
『よかろう。その言葉我が認めよう。ゆめゆめ違えることのないように』
そう言って誓約の神は飯近夫婦の首に触れる。触れた場所にはオオデマリの花の刻印がなされる。
加護が与えられたわけではない。護りを与えられたわけではない。
与えられたのは、枷。
そのことに満足したのだろう。飯近様は立ち上がり、誓約の神へ最敬礼をする。
奥方のほうはまだわかっていないようだ。
『破られたときは、供物として死ぬがよい』
そう言って誓約の神は姿を消す。
ざわめきがホールに戻る。
「何、今の」
「神様だよ、今日の為にずっとずっと俺のチを捧げてきたんだ」
「なにいってんの?」
ああ、そういうことかと彩愛は目を伏せる。
だからこんなにも急激にやつれたのかと納得する。
「ねえ妃花。死にたくないなら誓いを守ろう?ああ、俺を殺そうとかしてもいいけど、その時は妃花も一緒に死ぬから。ああ、いいなそれも」
そう言って飯近様は奥方の手を取り立ち上がらせる。
「皆森様。ありがとうございます」
「いいのですわ。霊魂をかけた誓約の神への誓い、見事ですわ」
「ありがたく。では我々はこれにて失礼いたします」
そう言って、飯近夫婦はホールを立ち去っていく。
状況把握のできていない生徒がざわざわと近くの生徒と話しあう。今のは何だったのかと。
「賀口様」
彩愛は史お兄様の腕からおり、ホールに届くよう声を出す。
大きくはなくとも彩愛の声はホールに響き、ざわめきが止まる。
「余興はこれで終わりですの?道化だろうとも終いの挨拶をするものですわよね」
「如何にも」
そう言って賀口様は彩愛の前に膝をつき頭を下げる。
「神の寵児、我らが学園の聖女。ほか皆様方にも長きにわたりご不快な思いをかけたこと、ここに謝罪させていただきます。すべては我が親友の願いをかなえるためとはいえ、失った時間と人、思いは戻らない。我が親友に変わり、この柄田悟志が深く、深くお詫びいたします」
柄田、と『王花』のメンバーの一部が呟く。
「賀口の名を捨てたのですね」
「もう不要です。京一郎もあの女共々本日正式に学園を自主退学いたしました。俺も賀口である意味がなくなりましたので、本日でこの学園を去らせていただきます」
「去ってどうなさります」
「柄田家の家訓に倣い、表に出ることなく家業に従事いたします。ただ、柄田を継ぐことを条件に京一郎を囲う許可をいただきました」
「そうですの」
彩愛は目を伏せる。それが真実望んだことであるのなら、彩愛は何も言えないと思う。
もともと賀口様がこの学園にいたのは飯近様のためだったのだろう。本来ならとうの昔に、お母様がなくなった時点で柄田家に戻されるはずだったのかもしれない。
「柄田様、どうぞお励みください」
「ありがとうございます」
そういって柄田様は立ち上がり、もう一度深く頭を下げるとホールを出て行った。
「何が何だかわからないんだが…、何が起きてるんだ」
「そうだね。説明が欲しいなアヤメ」
会場内の誰もが彩愛に説明を求める視線を向ける。
「二人の殿方が、幼き頃より望んだものを手に入れるため、長い長い茶番と最後の余興をしたのですわ。その名前と、人生と、命を懸けて」
彩愛はそういうとパンパンと手を叩く。
「余興は終わりましたわ皆様。忘れてしまいましょう。失ったものは戻らない。忘れて差し上げましょう、それがあの方々への今宵のプレゼントとなりますわ」
その言葉の後、会場内にふわりと風が流れる。
風に促されるように音楽が流れ、人々は最初ぎこちなく、そして次第に元のように流れるようなダンスを披露したり、会話を始める。
「彩愛、今夜はいろいろと聞き出すから、覚悟するように」
「お手柔らかにお願いいたしますわ」
そう言って、彩愛は苦笑を浮かべホールで舞う人々へ目を向ける。




