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彩愛は給仕経由で賀口様から受け取った爪紅を見る。
「これは、本物ですわね」
「そのようですね」
彩愛と勇人様が言うのだから間違いはないと、美琴様と乃衣様は眉を寄せる。
「このような物、ないほうが良いのですわ」
そう言って、彩愛は手のひらの中の爪紅を隠すように両手で包み込む。
『まったくだ』
「火の神」
不意に降臨した神に彩愛以外が一斉に立ち上がり最敬礼をする。
『美の神より聞いておる。不出来なものを処分しなかったのは己の責任であるが、気に入らない美を再び見るつもりはないので代わりに消滅させろとな』
「左様ですの」
彩愛が両手で包み込んでいた爪紅を火の神に渡せば、一瞬で燃え上がり灰すら残らない。
「ああでもどういたしましょう。似たものを作らせると賀口様に伝えてしまいましたわ」
『美の神は出来損ないを再び作る気はないと言っていたぞ』
それに、と火の神は続ける。
『これを使用していた女ももう終わりだろうて』
「どういうことでしょうか?」
『神器を加護も護りもない状態で使用し続けていたのだ。代々の女のように呪い(まじない)代わりに持っているだけであれば問題はなかったのだがな』
彩愛は首をかしげる。
日常から神器に溢れている生活を送っているので、何が問題なのかがわからないのだ。
『力なきものにとって神器の使用は身を滅ぼすだけ。そうであろう、夕霧の子よ』
「如何にも。神の寵児である彩愛様であればともかく、只人に神器の力は絶大。溺れ身を滅ぼし、内外ともに醜く崩れ果てるのが定石にございます」
『然り』
「そうなんですの」
髪飾りはもちろん、体を清める道具も肌の手入れをする道具など多数の神の作ったもの、神器を使用している彩愛にはやはり感覚がよくわからない。
『我が姫が特別なのだ。あの女は不当に、それも美の神の神器を使っておったのだ、末路は醜い結末になるだろう。美の神は己の認めた美を溺愛するが、醜悪なものを徹底的に毛嫌いする。不出来なものではるか昔に下賜したとはいえ、醜い欲望に使われたとあっては一切の慈悲もなかろう』
「それはつまり?」
『醜い心と欲望を持つのなら、己の最も恐れる醜悪なる姿になればよいと、そう言っていた』
その言葉に全員が息をのむ。
美の神の言葉は、呪いとなって飯近妃花に襲い掛かるだろう。美の神のいうように醜い心と欲望を持っているのであれば、本当にその容貌まで変り果てる。
「飯近様の奥方は、どうなりますの?」
『心次第だろう。もっとも、神器を使い続けたせいで歪んだ女が醜くない心を持っていないとは思えないがな』
彩愛は火の神の言葉を聞いて目を伏せる。
そうなのであれば、飯近様と賀口様はどうなさるのだろうか。
どうなるのだろうか。
『では私はもう戻る。あまりここにいては憩いを奪ってしまう故な』
そう言って火の神は姿を消す。
ほっと息を吐いて体を起こす友人たちに苦笑し、改めて座るよう促す。
皆心を落ち着かせるためにテーブルに用意された飲み物に口をつける。
有能な給仕も流石に動揺が隠せないらしく、飲み物を口につけている姿にハッとしたように身を正し、彩愛の座るソファの前にあるテーブルに新しい菓子を置くと深々と頭を下げる。
「皆森様、発言をお許しいただけますか?」
「もちろんですわ」
「神に、おもてなしをしなくてもよかったのでしょうか?」
「それは、大丈夫だとおもいますわよ」
「承知いたしました。この度は神の権限に畏怖のあまり対応が遅れ失礼いたしました」
そう言って下がる給仕の人に彩愛達は顔を見合わせる。
「真面目な方なのですわね」
「流石この部屋専属の給仕に選ばれるだけはありますわね」
彩愛は正直なところ神事以外で神が顕現した時にもてなすという感覚がないし、勇人様は特別に作ったもの以外で神が人と同じものを口にするとおもっていない。
乃衣様も美琴様も、勇人様と似たような考えなので給仕の人の言葉に目から鱗が落ちるような気分だった。




