082 二年目10月
「彩愛様、お聞きになりまして?」
「何をでしょう?」
「飯近様の奥方が保健室登校をなさっているそうですわ」
「まあ。ご体調が悪いのでしょうか」
「いいえ。ご本人の希望だそうですわ。なんでもクラスでいじめにあっているので授業に出たくないと」
「学園を辞めるなり休学すればいいのに、がんばって通学していると教師に言っているんだとか」
「それは、もしかしなくても水上家が関わってますわよね」
先日のやり取りを思い出して彩愛は溜息を吐く。
沙良お母様の言葉通り、水上家から複数の家に「飯近妃花に我が家を貶めるような発言をされた。今後飯近妃花と関わるような家とは付き合いを考えさせてもらう」と通達が回ったのだ。
実際それでも関わりを強く持っていた金田家は急激に業績が悪化し、他社に吸収されてしまっている。
そのせいで金田様は今月始まってすぐに転校することになった。
賀口様はいまだに飯近様の奥方に侍っているが、どうも裏で何かあったらしく賀口病院の経営が悪化したという話は聞いていない。
現在の飯近様の奥方の取り巻きは賀口様一人だけ。そのせいか賀口様は学園にいるほとんどの時間を飯近様の奥方に費やしている。
単位もすでに必要な分は修了しているので授業に出なくても支障はないらしく、一緒に保健室登校状態になっているとのことだ。
「二階の医務室の特定のベッドがほとんど専用状態だそうですわ」
「まあ、そうなんですの」
随分とお腹の大きくなった姿を見かけたことはあるが、9月の初め頃に会ったっきり彩愛と飯近様の奥方との接触はない。
史お兄様も存在がないかのように扱っているらしいと噂に聞くので、他の生徒もそれにならっているのだろう。
「でももう時期出産ではなくて?」
「いつまで学園にいらっしゃるつもりなのでしょう?」
「飯近様のように病院に入院しておけばいいのに」
「まあ、それはいいですわね。平和な学園が戻ってきますわ」
「今年の『王花神嘗祭』も妨害されることなく無事に終えることが出来ましたし」
「賀口様には参加したいと言っていたようですが、体が一番だからと当日はご欠席させられたとか」
「でも普段は皆様へ随分ご迷惑をかけていると聞きますわ」
なんでも妊婦なのを利用してわがままにふるまっているという話も聞くので、勇人様の思いついた発言に美琴様と乃衣様が賛成する。
家には賀口様が手配した家政婦が毎日掃除や食事の用意をしているらしく、本人は何もしなくてもいい生活を送っていると聞く。
そのせいか、体は妊娠も相まって随分と体重が増えたように感じる見た目になっている。
「保険医の方に提案してみませんこと?」
「ああ、いいな。なんでも二階の医務室のベッドを使用していると雑音がうるさいと苦情が入るらしいし」
「雑音…会話の声とかでしょうか?」
「どうなんでしょう?子供にはまだ早いと言われてそこの情報は入ってきてないんですの」
「大人の事情というものですのね」
彩愛はそう言っていつものようにホットミルクを飲む。
「あら、今日のハチミツは美味しいですけれども変わった味ですわね」
「クコの実をはちみつ漬けにしたものがありまして、実ではなくハチミツのほうを今日は使用していただきましたの」
「まあ、クコの実ですの」
「クコの実をはちみつ漬けしたものも召し上がっていただきたいのですが、少し重いのですけれどもプレゼントさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ。ありがたくいただきますわ」
「あ、でも」
思い出したというように乃衣様が話を続ける。
「お姉様から水上様には食べさせないようにと言われましたわ」
「まあ、なんででしょう?」
「理由は教えてくださいませんでしたわ」
「気になりますわね」
そういって美琴様は一言断ってからスマートフォンを取り出して調べ始める。
「豊富なビタミンC、目にいい成分、滋養強壮・疲労回復の効果があるようですわね」
「よい効果ばっかりですわね。どうして史お兄様に召し上がっていただいてはいけないのでしょう?」
「えっと、美白効果やアンチエイジング効果もあるとのことで、女性におすすめみたいですわ」
「なるほど?」
いまいち納得はできないが女性向の食べ物だからなのだろう。
「…うん、まあ」
勇人様はなにか理解なさったようですが、教えてくれる気はないらしい。
「話は戻りますが、飯近様の奥方はどうして学園に通い続けるのでしょうね」
「飯近様の所有するマンションの一室にいれば、賀口様の手配なさった家政婦が家事などをしてくれるとの話ですし、毎日無理をして登校するよりご自宅で休んだほうが体にもいいでしょうに」
「水上様に会いに来ているという話も聞くけど、当の本人が存在を無視しているようだから意味はないだろうに」
「史お兄様に会いにですの?謝罪か何かをなさりたいのでしょうか?」
彩愛の言葉に3人ともそれはないと断言する。
朝の会の前に教室で待ち伏せし、無視されているにも関わらず一方的に話し、その内容は如何に自分が今辛い目にあっているかというもので、謝罪の雰囲気は全くないという。
「水上様に秋波を送っても無駄ですわよね」
「ええ、だって水上様は彩愛様に夢中ですもの」
クスクスと笑う友人たちに彩愛は少しだけ頬を染めて、それを隠すために扇子を広げ顔を隠す。
「でも婚約者のいる殿方に秋波を送るのはあの方の専売特許なのではなくて?」
「花街の遊女となるにはそういったスキルが必要なのでしょうか?」
「きっとそうですわ。でもお姉様が、あのようなふしだらな女と遊女を一緒にしては遊女に失礼に当たるとおっしゃってましたわ」
「沙良お母様もふしだらとおっしゃってましたわね」
そうなると、花街の遊女を目指しているわけではないのだろうか?それとも間違った修行をしているのだろうかと彩愛達は首をかしげる。
「えーっと。僕も最近知ったんですが」
「なんですの?」
「花街の遊女というのは、えっと……うん、とにかく飯近様の奥方とは全く違う存在のようです」
「まあ、そうなんですの」
勇人様の言葉に彩愛と美琴様、乃衣様は目を瞬かせてしまった。