078 二年目9月
噂話というものは、大抵大げさになっていくものだが、中には正確な情報が広く伝達されることもある。
「皆森様、ご婚約おめでとうございます」
「まあお耳が早いんですのね。ありがとうございます」
夏休みが終わり学園が始まってみれば、学園の一番の話題は史お兄様と彩愛の婚約の話になっていた。
まだ発表はしていないのだが、学園での様子や夏休みに二人でユングリングの森へ神へ了承を得に行ったなど、憶測と真実が混ざり合った様々なうわさが流れているらしい。
夏休み中に地中海旅行に来ていた学園の生徒が、連れ添って高級ブティックへ入っていく二人を見たとか宝飾品店に入っていくのを見たとか、すでに水上家へ嫁入り修行のため泊まり込んでいるとか、本当に様々なうわさを聞いて彩愛は「あらあら」と笑みで流す以外の選択肢を取れなかった。
食堂の一階で普段あまり話さないお姉様方に捕まってしまい、噂についてやんわりとだがしっかりと情報収集されてしまう。
「毎日一緒のベッドで眠っているというお話はほんとうでか?」
「ええ、お泊りするときはそうさせていただいておりますわ」
「「「「きゃーーー」」」」
「で、では彩愛様の御召し物は全部水上様が選んでいるというのも本当なんですか?」
「ユングリングに滞在中はリーリア御婆様が選んでますわ。史お兄様が選んでいたのは寝着ですわ」
「まあまあまあ!水上様がお選びに!キャーー」
彩愛の言葉にテンションの上がっていくお姉様を見つめ、史お兄様達は生徒会の仕事で先に食堂を出て行ってしまったし、少し離れた場所で輪に入れずオロオロしている友人を見る。あの様子では助けはあまり期待できそうにない。
そう考えてどうやって穏便に抜けだそうかと考えていると、お姉様方の人垣を割って飯近様の奥方が現れた。
「ちょっと!どういうことよ!婚約ってただの噂でしょ。何訳の分かんないこと言ってるわけ?」
ある意味助かったと彩愛はさりげなくお姉様方の集団から一歩離れる。
これ幸いと友人たちも彩愛のすぐ傍までやってきて、お姉様方の集団から守るような立ち位置を取る。
「水上様は両親が勝手に決めた婚約者に仕方なく付き合ってあげてるのよ。弟が産まれて行き場がないから可哀そうって婚約してるのよ」
「飯近さん、それはあまりにも皆森様にも水上様にも失礼だわ」
「事実だもの。高級ブティックで買い物だなんて、水上様可哀そうに強請られたんだわ。宝飾店もきっと高い物を買わされたのよ」
「上流階級の婚約者なんだからいいじゃな。それに宝飾店ってもしかして、エンゲージリングを買いに行ったんじゃない?」
「きゃーー素敵!あもしかして皆森様が今してる指輪がそうなんじゃない?」
「絶対そうだわ!」
「そんなわけないじゃない!」
お姉様方が話を誇張しようとしたところで飯近様の奥方は止める。
実際にはお姉様方の話が正解なのだが、と彩愛はもう少し離れた位置に移動して、給仕が用意した椅子に座る。
「いい加減にして!私は見てるのよ。浜辺で水上様の膝の上に乗って得意げにこっちを見るこの子の姿を!水上様だって困ってたわ。それにこの子が何かを言ったらいきなりガードマンが私を拘束したのよ!妊娠してるのに何かあったらどうしてくれるのよ」
「地中海のプライベートビーチのある別荘に滞在してたって話よね」
「そうそう。水上様に勇気をかけて声をかけた子がそう聞いたって」
「じゃあ飯近さんはどうして浜辺でそんな姿見れるの?招待されたの?」
「馬鹿ね。招待されたらガードマンにつまみ出されないでしょ」
「え!ってことは不法侵入?マジで?」
「妊婦なのに信じらんない」
流石この学園にいるお姉様方、頭の回転が速い。
彩愛は乃衣様が持ってきてくれたザクロジュースを飲みながらお姉様方の言い合いを眺める。
「ちょっと迷い込んだだけで不法侵入とか、心の狭い人はだから嫌なのよ」
「迷い込んだだけじゃ上流階級のガードマンがつまみ出したりしないわ。丁重にエリア外に出るように案内するわ」
「はあ?去年も今年もつまみ出されたんだけど?ガードマンの質が悪いんじゃない?」
「去年?貴女去年も同じプライベートビーチに迷い込んだっていうの?随分学習能力がないのね」
それは確かに、と彩愛も思う。
何度も同じ場所に不法侵入するというのは、迷ったというのであれば相当な方向音痴だし、海から来たといえば相当の水泳上級者だ。
友人たちとまったりと見ている間にも話はヒートアップしていく。
吉賀様もこんなふうに対応されてヒステリックになってしまったのかもしれない。
「とにかく!水上様はいやいや子供のお守をしてるの!それが嫌で私と親しくしてて、それに嫉妬した皆森ちゃんが私をいじめてるのよ!」
あら自分の名前が出たと持っていたグラスをテーブルに置いて笑みを浮かべる。
「私からお教えできる事実は、史お兄様とは婚約をしていることですわ。発表は時期を見て行う予定です。あと、私は嫉妬したからといって妊婦をいじめるような非人道な行いは致しませんわ」
きっぱりと告げる彩愛に飯近様の奥方がぎりっと爪を噛む。痛むのでやめたほうがいいのではないだろうか。
「あと、私が史お兄様の膝に乗るのは史お兄様が乗せるからですわ。勘違いなさらないでくださいませ」
彩愛はそう言うと授業が始まるからと席を立ち、校舎へ向かおうと足を進め集団の横を通りかかったとき、またもや飯近の奥方がお腹を押さえうずくまった。
今回は彩愛と飯近様の奥方の間には、勇人様と美琴様がいるので彩愛が何かをやったと言うことはできないだろう。
「い、いた・・・あ、いた」
どうせ演技だろうとお姉様方た友人共々見ていたのだが、顔色が土気色になり、脂汗がにじんでいる。
「担架を!保健医へ連絡してください!」
「はい!」
給仕に指示を出し飯近の奥様の様子を見る。
痛みを訴えているのはお腹の部分のようで、最悪流産の可能性もある。
「飯近様の奥方、保健医がもうすぐきますわ」
「いたい、いたいなんなのよっこんな子いらないのにっいたっ…」
その言葉を聞いた瞬間、彩愛は蒼白な顔をしてふらりと後ろに下がる。
「母親が、子供をいらないだなんて……」
彩愛はそう言うとふらっと気を失ってしまった。