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「史お兄様に会いに遠泳を、妊婦の身でありながら!?」
夜、彩愛は史お兄様から飯近様の奥方の事情聴取内容を聞いて愕然とした。
身元引受には賀口様が来たらしい。
「クルージング中に少し泳ぐと言って、いきなり遠泳を始めたらしい」
「……えっと」
「わかる。俺も同じような感想だった」
彩愛に与えられた部屋で、ブルーのソファに腰かけ、膝の上に彩愛を乗せながら史お兄様は苦笑する。
泳いだ距離は1Kmを越えていたという。
念のためのでは検診母子ともに異常はないとのことなので、よほど頑丈な体なのかもしれない。
やはり学園への入学資格は水泳で手に入れたのだろうか。
「……史お兄様、くすぐったいですわよ」
「ん?ああごめん、ついな」
ついと言いながら彩愛の手首へのキスはやめる気がないらしい。
学園にいた時にされて「くすぐったいのはちょっと」と言ったら、首筋やうなじにキスをされてしまったのでこの状態で妥協するしかない。
弟が産まれて以降、彩愛は自宅よりも水上家で過ごす時間のほうが多い。日によっては泊まるときもある。
産後の肥立ちが悪い母に気を使わせないためであり、弟のことで忙しい使用人の手間を減らすためでもある。
沙良お母様やリーシャ御婆様そして幸人御爺様は、史お兄様の行動を止めるどころか応援しているような雰囲気さえある。
「っ。」
「ああ、ごめん」
「いえ大丈夫ですわ」
手首を強く吸れ思わず息を止めてしまったが、すぐに息を戻す。
「うん、いいな」
「赤くなってしまいましたわ」
「わざとだから気にしないで」
「わざとなんですの…」
史お兄様から手を回収して使用人に用意してもらったザクロジュースの入ったグラスを手に取る。
「それで、わざわざ史お兄様に何をしに会いにいらしたんですの?」
「わからない。イベント?がどうのとかわめいてたらしい」
「去年も似たようなことをおっしゃっておりませんでした?」
「言ってたらしいな」
ザクロジュースを飲んでからグラスをテーブルに置くと史お兄様の膝の上から下りる。
残念そうに膝を撫で、史もソファを立つ。
彩愛がクローゼットの扉を開いて今夜の寝間着を選び始めると、史お兄様が後ろから覗き込んで一着のネグリジェを手に取る。
「今夜はこれでいい」
「わかりましたわ」
頷いて史お兄様からネグリジェを受け取る。
薄い水色のネグリジェはかわいらしくリボンで装飾され、ちゃんとドロワーズもついている。
おもむろに服を脱ぎ始める彩愛の姿を史お兄様はソファに座り直して眺める。
初めて目の前で脱がれたときは驚いていたようだが、今ではすっかり慣れたようだ。
「それにしても賀口様、よく飯近様の奥方をこちらに連れてきましたわね」
「というと?」
「ご夫君のお見舞いに一度も行っていないそうですの。賀口様はご自分の家の病院ということもあってよく飯近様のお見舞いに行かれているようですが、こういう場合は一度はお見舞いに連れて行くものではないのですか?」
「その飯近妃花を取り合ってるんだから連れて行かないんじゃないか?」
「うーん。なんというか、うまく言えないのですが賀口様は取り合うというか、共有したがっているようなんですの」
「そうなのか?まあ確かにあの二人は親友・・とかで有名だけど」
史お兄様が首をかしげながら彩愛を手招きするので、着替えを終えて最後のリボンを結ぼうとしていたがソファに近づく。
彩愛をすぐに片手で抱き寄せ、ソファに膝立ちにさせると器用にネグリジェのリボンを結ばれる。
そのまま体を反転させられ、素早く閉じられた膝の上に座らされる。
「でもなあ。学園でのあの入れ込み具合を見るとなんというか、尋常じゃないものを感じるんだよな」
「私もなんとなくですが感じましたわ。なんというか、少し……そうですわね、狂気的?というのですかしら」
「まあ、賀口様に飯近妃花をしっかり管理するように言っておいたから、しばらくは大丈夫だろう。まさか海から来るとは思わなかった」
そう言って彩愛のお腹の上に手を置くと、史お兄様は頭上で溜息を吐いた。




