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彩愛はお母様の出産のため、賀口様の病院を訪れている。
出産予定日は明日だが、彩愛の時のこともあるので早めに入院しているのだ。
お母様への面会が終わり、今夜は泊まり込むというお父様に、少し病院の中庭に行ってくると伝え病室を出る。
彩愛達がいるのは特別棟の中でもセキュリティーの高い場所で、中庭といえども許可のない人間は侵入できない。
だからこそお父様も彩愛を一人で行かせる許可を出した。
だから、彩愛は中庭で遭遇した人物に驚きの表情を隠せずにいる。
確かにいてもおかしくはない。
車椅子に乗り、中庭の花を見ている人物。そしてその傍に佇む人物が日傘を差して自分たちを見ている彩愛に気が付いた時、咄嗟に扇子で口元を隠す。
「皆森様どうしてこちらに?」
「京一郎、皆森様は母君のご出産でいらっしゃってるんだ」
「ああ、そうか」
穏やかな二人の会話に彩愛は頷き、改めて淑女として挨拶をする。
「ご機嫌よう。飯近様、賀口様」
「ご機嫌よう皆森様。それにしても、母君の出産によくこの病院を選びましたね」
「まあ嫌ですわ。賀口医院は日本最大の系列病院、それもここは本院ではありませんか」
「いや、普段貴女の気を煩わせている男の親が経営する病院、しかもここ最近はなにかと各所でご活躍の皆森家が選ぶとは思わなくてね」
「昔から懇意にしている病院ですし、ここのセキュリティーは他院の追随を許しませんでしょう」
飯近様の言葉にやんわりと笑みを作って答えれば、賀口様が優しく微笑む。
「医療事故、それも最上級に属する家格の夫人に何かあっては我が院の名に傷がつくどころではない。母君の出産にも万全の態勢で対応させていただきますよ」
「よろしくお願いいたしますわ」
そこまで話すと、飯近様が少し陽にあたりすぎて疲れたので戻ると告げ、賀口様を残して特別棟へ車椅子を操作し入っていく。
彩愛は完全に姿が見えなくなったのを確認して、改めて扇子で口元を隠し賀口様を見る。
「飯近様は階段から落ちて足を怪我なさったと聞いておりますが…」
「その通り。まあ打撲ですけどね」
「打撲ですか…。入院期間が延びているのはまあいいですが、なんというか……随分とご様子というか……雰囲気が変わられましたわね」
「そうですね」
「あの、不勉強で申し訳ないのですが打撲というのは車椅子に乗らなければいけないほどの怪我ですの?」
「程度によりますが、あいつは入院中に体力が落ちているらしく、自分で動くのが億劫だと言って車椅子に乗っているんですよ」
「お痩せになったようですが」
「入院生活中妃花が会いに来なくて寂しくて食が進まないそうです」
「お見舞いにはいらっしゃらないのですか」
「ええ、まったく。一度もね」
流石にひどいとは思うが、他人事なので何か言うことはできない。
彩愛は改めて賀口様を見て、ここ最近と雰囲気が全然違うことに気が付く。
「皆森様、俺はね。京一郎がいいというなら共有してもいいと思ってるんだ」
「それは飯近様の奥方をでしょうか?」
「でも京一郎にはその気がないみたいで困っているんです」
さほど困っているようには見えないが、クスリと笑みを浮かべる賀口様は以前の賀口様のようで、彩愛は思わずじっと見てしまう。
「ねえ皆森様」
「はい」
「俺は俺の母親がうらやましい。欲しいものを手に入れたまま死んだ母親がうらやましいんですよ」
どこか遠くを見るその姿に、彩愛は何も言うことが出来なかった。




