070 二年目7月
「よう、調子はどうだ?」
白とベージュで統一された個室の病室に入り、悟志はベッドの上で勉強道具を広げて、備え付けのポットから紅茶を入れて飲んでいる京一郎に声をかける。
「まあまあだな。妃花が来てくれないから死にそうだが」
「ふっ。その妃花からの希望でお前の入院が延びたぞ」
「だろうな。夫のいない間に水上様を落とそうとがんばってるんじゃないか?」
「よくわかるな」
悟志はそう言いながらベッドの横にある椅子に腰かけて、ベッドの上にあるテーブルに肘をつく。
「わかるさ。愛してるからな」
「お前が庶民落ちした原因な癖に、庶民になったお前を見捨てたやつなのにか?」
「もちろん」
笑みを浮かべる京一郎に悟志は深い溜息を吐く。
「俺はいい加減神罰が怖いんだがな」
「すまないな。俺も妃花がああも神の、皆森様の意を害するとは思わなかった」
クスクスと笑う京一郎を悟志はジト目で睨みつける。
「それで、胎児のDNA鑑定は本当にしなくていいのか?」
「ああ」
「俺の子供かもしれないぞ?」
「お前の?ひどい嘘をつくものだ」
京一郎はクツクツと笑う。実際に、妃花の胎の子が悟志の子供である可能性はほぼ0%だ。
もともと非閉塞性無精子症であり、さらに妃花に関わりを持ち始めると決めたときから男用の避妊薬を飲んでいる。
「お前の入院が延びるのは全く構わないんだけどな、あの女をこのまま放置したらやばいんじゃないか?ただでさえ皆森様の手を煩わせて、今まで中立だった水上様もいい加減まとわりつかれてうんざりしてる」
「ああ、いいな」
その言葉に飲もうともってきていた缶コーヒーから視線を京一郎に戻す。
そこは慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべる京一郎の顔があった。
そんな様子に、本当に狂ってると溜息を吐きたくなる。
「何もかもなくして、俺しかいなくなればいいのにな。ああ、でも子供か…妃花を繋ぎとめるモノになればいいが、役に立たなかったらどっかにやってしまおう」
「あー、その時は言えよ。裏に回しておいてやる。お前の子にしろあいつらの子にしろ、顔はよくなるだろう」
「ああ」
クスクスと笑う京一郎から視線をはずして、缶コーヒーの中身を口に含む。
甘ったるい液体が喉を通って胃に広がっていくのを感じる。
普段飲んでいる珈琲よりもずっと質は落ちるが、悪くはないと思っている。
「なあ、何度も聞くけど。本当に妃花がお前の運命の女なのか?」
「もちろん」
「そうか」
幼稚部の時から聞かされていた運命の女。吉賀麗奈様と婚約した時も、あいつは運命の女じゃないと冷遇しているのを間近で見ていた。
磯部様と不義密通に近いことをしても、仕方がないとさえ思えて何も言わなかった。
高校2年になって、入学式の後今までにない笑みを見せた京一郎から聞かされた言葉。
『悟志、見つけた。やっぱり運命の女が現れた』
そう言って隠し撮りでもしたのかスマートフォンで撮った新入生の写真を見せられて眉間にしわを寄せた。
入学式に遅刻して、挙句の果てに服装規定のスカートの丈を守っていないなど、早々に問題を起こした生徒だ。
『マジかよ』
『ああ、早く俺のものにしないと。勝負は今年だな』
うっとりと、今目の前にその女がいるかのような様子に不安を覚えた。
そしてその不安は的中する。
佐藤妃花は京一郎だけでなく生徒会の男どもを手中に落とした。
その手際から、ハニートラップでも使ったのかと思ったが、あの時はそうではなかったようだ。
そうして月日は流れ、夏休みが終わるころに京一郎から連絡があった。
その内容は、佐藤妃花に落ちたふりをして監視してほしい、そんな衝撃的なものだった。
正気を疑ったが、詳しく聞けば佐藤妃花を追い込む網の一環で、俺は溜息を吐きながら承諾した。
「神にすら見捨てられる女が、運命の女か」
「ああ。なあ悟志」
「ん?」
「水上様を落とせていない今、妃花の一番はお前だろう。妃花はお前を大病院の跡取り息子だと思ってるからな」
「ああ、そうだな」
「だから甘やかして自分では何もできないようにして、自分が世界の中心なのだと思い込ませて、そしてそれをぐちゃぐちゃに壊して、そして俺に返してくれ」
「……ああ、お前のためなら」
好きでもない女を抱くのは気分が悪いが、京一郎の望みなのだからしかたがない。




