005
「もう一度おっしゃってくださいますか?」
文芸会の最後。学園生のそれも高位に属する生徒だけが参加できるパーティーで、婚約者に言われた言葉に首をかしげる。
「幼いころから好きだった麗奈の婚約破棄がやっと済んだんだ。俺は麗奈を愛してる!お前みたいな子供の婚約者ごっこにこれ以上付き合う気はない!」
そういった磯部和臣様の横には吉賀麗奈様が得意顔で寄り添っている。
パーティーの参加者の注目する中、馬鹿げたことをしてくれたものだと思わず和臣様をにらみそうになるがこらえてため息を吐く。
「色々と思うところはあるのですが、これは和臣様の独断でしょうか?それとも磯部家の総意なのでしょうか」
「両親だって麗奈のことは昔から可愛がってた!話せばわかってくれる」
つまり家に話はまだ通していないということなのだろう。
友人や親しい知人から気遣う視線が向けられているので、ここで失態を犯すわけにもいかずどうしたものかと思案する。
彩愛自身、この婚約が破棄されたところで思うことはない。
そもそもこの婚約は磯部家からの提案であり、彩愛に余計な虫が付かないようにある時期までその立場を守る代わりにいくつかの磯部家の事業に支援を行うというものだ。
「私は婚約破棄に否やはございません。そちらのご両親と私の両親の間で合意が得られればそれで結構ですわ」
「そんなこと言って、パパやママに和臣との婚約を破棄したくないって泣きつくんでしょ!」
麗奈様がそう叫んだところで思わずため息を吐いてしまう。
「では今この場で両親に伝えればよろしいでしょうか?」
ポーチからスマートフォンを取り出し父への直通電話へ繋げる。
4コールほど待ったところで父の声がする。
『何かあったか?』
「今しがた磯部和臣様より婚約破棄の宣言をいただきました」
『宣言?提案ではなく? そもそも今日は文芸会ではなかったか?』
「はい、提案ではなく宣言です。今は文芸会後のパーティーの最中ですわ」
『……このことを磯部家は?』
「まだご存じではないかと思いますが、和臣様の想い人の吉賀麗奈様は昔から和臣様のご両親とも親しくしていらっしゃるそうです」
『そうか。私のほうで磯部家に確認しよう。安心しなさい、お前に悪くなるようにはしない。パーティーの最中ということは周囲に学友もいるのだろう、なかったことにはさせるわけにいかないからな』
「わかりました」
電話を終えて改めて和臣様を見つめる。
「これでよろしいでしょうか」
「ああ。こちらもお前が電話している間に両親に連絡しておいた」
その言葉の通りスマートフォンが手に握られているのでメールでもしたのだろう。
得意顔の和臣様と麗奈様は言うことは言ったという感じに二人で友人の輪に向かっていく。
もともと私の周囲に集まっていた友人や知人は何とも言えない表情でその後姿を見送るしかなかった。
「せっかくのパーティーが台無しになってしまいましたわね」
「彩愛様がお気になさることはございませんわ」
「そうですわ。常識知らずはあちらでしてよ」
「このような場で彩愛様に恥をかかせるなど前代未聞だね」
彩愛の周囲以外でも磯部家との今後の取引について家に情報を連絡する人がちらほらといる。
今の世の中情報の伝達スピードの速さは驚くべきものがある。
おそらく彩愛と磯部和臣との婚約は、彩愛の親によって破棄となるだろう。
そうなってしまうと、彩愛の婚約者の席にだれが次に座るか問題になるのだが、そのことも両親に任せればいいだろう。
それにしても、彩愛が7歳になってからの婚約なので、わずか2か月の婚約期間だった。